本編




 翌朝、銀河が目覚めて、庭に出ると既に巡査部長の姿はなかった。一瞬、脳裏に嫌な想像が浮かぶ。

「じっちゃん!」
「おはよう、銀河。ちゃんと眠れたかい?」

 台所へ行くと、銀之助がリズミカルに大根を切っていた。銀河に銀之助は手を止めて、笑顔で言った。

「思ったよりもすんなり。てゆうか、あんまり俺自身、人間じゃないって実感がないから」
「まぁそうじゃろうな」

 そして、銀之助は再び包丁を握る。

「って、それはいいんだ。駐在さんの姿が見えないけど、大丈夫か?」
「あぁ、朝方に着替えと朝食をすると言って、一度帰宅したよ。泥棒も鬼も朝に出てくるとは思えぬからの」
「なぜ?」
「怖くない」
「なるほど」

 台所に立つ銀之助も、昨晩とは違い元気だ。魂を抜かれかけたとはいえ、無事であった為、一夜で元に戻ったらしい。

「銀河、ちゃぶ台を拭いて置いてくれ」
「わかった」

 銀河がちゃぶ台を拭き終わると、銀之助が朝食を持ってきた。パンとクレープの中間の様な薄さのパンと大根などの野菜と肉が混ぜられた液体状の具が小鉢に盛られている。

「………今日のは、何?」
「タコス」
「じゃあ、このパンがトルティーヤ?」
「そう。トウモロコシのパンなんだよ」
「へぇー………」

 銀之助の食べ方に習って、銀河もタコスを食べる。

「洋風お好み焼き七味増量版って感じかな? 肉があるのがいいね」
「ちなみに、これはメキシコ流」
「……他とどう違うの?」
「今度教えてあげる」

 二人が畳部屋のちゃぶ台で食べるには、かなり似つかわしくないタコスを食べていると、巡査部長が自転車をこいでやってきた。自転車から下りると、スタンドも立てずに自転車をその場に倒して走ってきたことから、彼がとても慌てていると二人にもわかった。

「どうしたんですか? 朝から慌てて」
「いいですか! 落ち着いて! ……被害者が出たんです!」
「なに?」
「駐在さん、誰が? 誰が被害に?」
「村はずれに住む山田さんです」
「あの独り暮らしの?」
「えぇ。今朝、ヘルパーさんが様子を見に行ったら、窓が破壊されているのを発見。通報を受けた本官が調べた所、奥の部屋で亡くなられている山田さんを発見しました」
「遂に死者が………」
「ただ、お医者さんに診てもらった所、心臓麻痺によるショック死の可能性が高いらしいです」
「事故死という事かな?」
「恐らく」
「それはお気の毒な話ですね」

 銀之助は悲しい顔をして巡査部長の話を聞く。しかし、銀河は事故死ではないと感じていた。
 銀河はタコスを口にほおばり込むと、すぐに外出の準備をする。

「どこに行くんじゃ?」
「元紀んとこ! ここで何もしないよりもいい!」

 銀河は後ろから声をかける銀之助に早口で答えると、自転車に乗り込み、家を出て行った。





 

 銀河が蒲生家に行くと、勝手口からこそこそと身支度していた元紀を見つけた。

「元紀?」
「はい! ………って、銀河か。びっくりさせないでよ」

 元紀は驚いて体を跳ねらせた。恐る恐る振り返ると、脱力した表情で銀河に言った。

「悪かったな。……で、何してんだ?」
「決ってるでしょ。確認しに行くのよ!」
「へ?」
「あんた、それで家に来たんじゃないの?」
「いや、村はずれにある山田って爺さんが死んだ。クマソガミに魂を抜かれたかもしれない。それを伝えようと思って」
「それなら、尚の事、封印が解けたからクマソガミが蘇ったのかを確認しなきゃ! ほら、あんたも手伝いなさい!」
「今日はカメラはないんだな?」
「流石にね。……そこから、好きな武器を持っていきなさい」
「武器?」

 銀河は元紀に示された方向を見た。物置がある。

「怪物に箒や高枝バサミで戦えって言うのか?」
「ツベコベ言わないの!」
「はいはい」

 物置の中には、案の定、古びた農具や掃除具ばかりで、とても武器になりそうなものはなかった。

「おっ! これならまだマシか」
「金属バットとは中々いいセンスしてるじゃない」
「選択肢がなさ過ぎるんだよ。で、元紀も何か持ってるのか?」
「鉈」
「捕まるぞ?」
「出刃包丁とかよりマシでしょ?」
「………」

 この村で通り魔が現れたら、真っ先に元紀に自首の説得へ行こうと決意する銀河であった。

「何してんの! 吾郎にもメールしておいたから、昨日自転車を置いた場所で合流よ」
「おぅ」

 既に自転車に乗った元紀に急かされ、銀河も金属バットを背中とシャツの間に挟み、自転車に乗り、出発した。




 
 

 吾郎と合流した銀河と元紀は、再び昨日の壕の入口に来ていた。

「心なしか、壁が崩れている気がするわね」
「……行ってみるしかないだろ?」
「えぇ! もしかしたら、中にいるかもしれないよ?」
「いない事を願う事ね」

 吾郎を他所に、銀河と元紀はトラロープを結ぶと、懐中電灯と武器を握って、壕へ入る準備をする。
 そして、二人は壕の中へと入っていく。

「おいていくわよ?」
「ま、待ってよー」

 元紀に言われ、慌てて吾郎も壕に入った。
 二度目という事もあり、三人は迷う事なく、壕の中を進み、最後の分かれ道にさしかかった。

「あれ?」
「……間違ってないわよね?」
「岩が、ないよ?」

 入り組んでいたはずの岩がなく、懐中電灯は広い空間を照らす。

「入ってみましょう!」
「って、何故俺の背中を押す?」
「いいから、行きなさい!」

 元紀に背中を押され、銀河は洞窟の中に入った。三人は団子状にくっついて、壁に近づく。

「もう油の残りが殆どない。……火、つくかな?」

 銀河はポケットからライターを取り出すと、その火を壁の油に近づける。淡い炎が洞窟内を照らす。

「やっぱりこの程度か……ん?」

 銀河は振り向くと、恐怖に引きつった元紀と吾郎に気がついた。視線の先を追うと、昨日能々管が刺さっていた石は姿を消し、巨大な穴が開いていた。

「………やっぱり」
「わたし達が原因だったわね」
「封印、解けちゃったの?」
「だろうな。………昨晩でわかっちゃいたけど、相当な怪力だ」

 銀河は吾郎に相槌を打つと、洞窟の出入り口を見て呟いた。二人も振り返る。大きな一枚岩は、洞窟の壁に倒されてた。

「これ、あれよね?」
「クマソガミが通れるように、岩をどかしたんじゃねぇか?」
「ひぃ!」
「バ、バカ! 口に出すんじゃないわよ! 怖いでしょ!」

 吾郎と元紀は銀河の両腕にしがみついて文句を言う。完全に恐怖している。

「クマソガミに恐れないんじゃなかったか?」
「まだ、これがクマソガミと決ったわけじゃないでしょ! 得体の知れないものは怖いに決っているわ!」
「なるほど。………だが、これはクマソガミのやった事だ! だから、恐れる必要はない!」

 銀河の声が洞窟内に響く。腕にしがみついてた二人が離れた。

「そうね。クマソガミしか考えられないわね。今度こそ、わたしがこの鉈でぶっとばしてやるんだから!」
「う、うん。大丈夫だよ」
「………。行こう」

 銀河は洞窟を出た。二人もその後を追う。



 

 

 村へ戻った時は、既に昼を過ぎていた。
 しかし、その時、村の様子は大分変わっていた。

「蒲生の娘だ」
「鬼を蘇らせたらしい」
「死者も出たそうな」
「今も鬼は蒲生家に匿われているらしいぞ」
「わしは鬼が蒲生の娘に乗り移ったと聞いたぞ」
「蒲生家は何を考えているんだ?」
「蒲生家は村を滅ぼす気かもしれん」
「わしらも鬼に殺される」

 狭い村だけに、噂も電光石火の早さで伝わる。しかも、かなりの尾ひれが付いた状態で。
 村人達の鬼気迫る視線を浴びながら、三人は蒲生家に戻った。

「なんなの! アレは!」
「まぁ、鬼を蘇らせたのは事実だからな」
「だからって、何よ! あのままだと、わたしを鬼と言いそうな勢いよ? 全く、バカバカしい!」

 家に着くと、元紀は喚き散らした。適当に答える銀河自身も、あまり良い気分ではなかった。特に、人ではない可能性のある彼は。

「ね、ねぇ」
「どうした、吾郎?」
「思うんだけど、これってかなり危ない状態なんじゃない?」
「とは?」
「前に映画で見たんだよ。村の中で恐怖が広がって、魔女狩りみたいなことを始めるっていう話」
「……集団心理って奴ね。全く、何考えているのかしら、この村人達は。こんな儚げな美少女を……」
「元紀がどうあれ、元紀を鬼と考える様になったら危険だろうな? もしくは、鬼の生贄か?」
「今、わたしの話を切ったでしょ?」
「仕方ないだろ? 関係ない話だったんだ。それよりも、想像以上に村の噂が早く広まっている事だ。一刻も早く、クマソガミを何とかしなければ………」
「銀河、なんか今日の銀河、ちょっとおかしいよ?」
「状況が状況なんだ、仕方ないだろ?」
「そうかもしれないけど。……なんだか、わたしが危険とかクマソガミが怖いとかじゃなくて、自分が危険で恐れているみたい」
「! ………バカ、言うなよ」
「何、隠しているの?」
「……別に、今のお前に比べたら大した事はない。それよりも、爺さんはいるのか?」
「多分。……どうする気?」
「クマソガミの封印をしようと思う」

 銀河は襖を開き、言った。元紀と吾郎も顔を見合わせて、彼の後を追った。
 源一郎は自室で秘書を読んでいた。

「来ていたのか。………どうした?」
「山田の爺さんが死んだ話は知っていますか?」

 源一郎の前に正座をすると、銀河は聞いた。源一郎は静かに頷く。

「昼前に、駐在から聞いた。あの男は今も犯人は人間と考えているようだ」
「問題は駐在さんじゃなく、他の村の人達です。噂が噂を生んで、元紀が鬼を蘇らせたとか、鬼そのものだと言っています」
「しかし、蘇らせたのは事実だろう?」
「ですから、俺達の手で、再びクマソガミを封印します。……秘書に、封印の事も書いているんでしょう?」
「確かに書かれている。今わしもそれを読み返していた。………だが、できん」
「何故?」
「もしかして、本当に生贄が必要とか?」

 元紀が恐る恐る聞く。源一郎は首を振る。

「いや、封印は能々管があれば出来る。ただし、封印をする事の出来る者がいないんだ」
「どういう事?」
「能々管というものは、力の一種の媒体、増幅装置に過ぎんらしい。即ち、かつて現れた旅人は、その者自身が魔物を封じ込める力を持っていた存在だったらしい。そして、その者は能々管を介して、クマソガミに封印の力を注いだらしい」
「つまり、わたし達が能々管をどうこうしても……」
「全くもって、無意味という事だ」
「そんなぁー!」
「もう終わりだぁ~」
「………」

 源一郎の言葉で、二人は嘆く。しかし、銀河は腕を組んで考え、源一郎に疑問を投げかける。

「実際、そのクマソガミはいつ封印されたんですか?」
「定かではないが、2世紀から8世紀頃の話とされている。かなり開きがあるが、殆ど口伝だったものだ。致し方ない」
「つまり、能々管の名前も後につけられた名前ですね?」
「その様だ」
「え? なんで?」
「能々管は、"の"の管でしょ? ひらがなは、平安時代に生まれたって国語で習ったじゃないか?」
「あーそういう事」
「まぁ、能々管の語源は、この際そこまで問題ではありません。あの洞窟には油が入れられていました。あれは、代々の蒲生家当主が行っていたのですね?」
「そうだ」
「当主の仕事は、それだけでしたか?」
「いや、能々管の封印が解けぬようにと、地面に方陣を刻んだ」
「それ、その秘書に書かれているんですね?」
「あぁ。………少しは効果があるんじゃないですか?」

 源一郎は、銀河と秘書に書かれた文章を交互に見つめ、やがて頷いた。




 
 

「こんなんで効果はあるのかしら?」
「やってみないよりもマシだよ」
「そこが少し違う」

 元紀、吾郎、源一郎、そして銀河は、蒲生家の庭で、方陣を描いていた。
 既に、日が傾き始めていた。これまでに、方陣は庭の至る所に描かれている。少なくとも、この庭にクマソガミが来れば、ゴキブリホイホイに入ったゴキブリのように逃げられなくなる。
 途中、回覧板を届けにきた近所のおばさんが呆れた顔で眺めていたが、この際気にしている余裕は彼らになかった。

「こんなもんだろう!」
「問題はその効果ね」

 源一郎と元紀が話している後ろで、銀河が方陣の中に足を踏み入れた。

「! ………吾郎、ちょっと手を貸してくれ」
「どうしたの?」
「あ、足を挫いた」
「わかった。………大丈夫?」
「あぁ。もう大丈夫だ」

 銀河は心配する吾郎に笑って答えた。しかし、額には汗が滲み出ている。汗を拭うと、銀河は元紀に言う。

「大丈夫だ。この方陣は、クマソガミにも効く」
「う、うん。そこまで言うなら、そうなんだろうね」

 銀河は方陣に入らない様に気をつけて、家に戻った。足を見ると、軽い火傷を負っていた。

「どうしたの? 火傷? 消毒する?」
「あ、ちょっとな。いや、大丈夫だ」

 心配する元紀に笑って答えると、銀河は能々管を手に取ると、寝転がってそれを眺める。銀河を残して、元紀は他の二人と秘書を眺める。

「……本当に無関係じゃなくなったな。能々管、俺はアイツと同じ存在なのか?」

 銀河は一人、能々管を眺めながら呟いた。そして、先端の"の"の字を眺める。

「"G"? ……だから、なんだよ」

 90度回して見ると、"G"と読める。それで何かわかる事でもなく、銀河は自分につっこみを入れる。

「……何やら騒がしいな」

 源一郎が言った。確かに、外が賑やかだ。
 源一郎に続いて三人も、外に出る。

「な!」
「何?」
「ひぃ!」
「……どういう事だね? ここは蒲生の敷地だぞ?」

 怯える三人を後ろに回した源一郎は、庭に押し寄せていた村人達に聞いた。村人は、皆農具を片手に持っている。人によっては、ロウソクを頭に巻いている。

「それはこっちの台詞だ! この怪しげな模様はなんだ? わしらはわかってんだぞ! この村さ、滅ぼそうとあんた達が考えてんのは!」
「そんな訳があるか! 蒲生家はこの村を守る義務はあるが、滅ぼす権利はない」

 源一郎は前に立つ村人の一人に言い返した。
 その時、後ろから村人が叫んだ。

「あ、元紀だ! 鬼の娘だ!」
「娘を渡せ!」
「全ての元凶!」
「殺せ!」
「やめろ、この娘は人間だ!」

 村人達に源一郎は怒鳴る。元紀は震えながら銀河と吾郎の後ろに隠れる。

「くぅおぅらぁあぁあああ! 国家権力のお通りだぁあああ!」
「お父さん!」

 怒声と共に、自転車に乗って村人をなぎ払って、源一郎の前に現れたのは巡査部長であった。そして、腰から拳銃を抜き取ると、躊躇なく威嚇射撃をした。
 ザッと音を立てて後ろに下がる村人達。そして、巡査部長は拳銃を構え、更に牽制する。

「元紀ちゃん、君を助けに来た!」
「ど、どうも……」
「駐在、すまぬな」
「目の前で犯罪が行われようとしている時、黙っているような漢に、国家権力を振るう資格などない! 本官に反抗する者は、容赦なく公務執行妨害で逮捕するぞ! ガハハハ!」
「くそぉ! 国家権力めェ!」
「政府の犬めぇ!」
「鬼を捕まえない駐在なんか、役立たずだ!」
「わしらはあんなゴリラに負けないぞ!」
「ゴリラも駆除しろ!」
「正義はわしらにあり! 錦の御旗はわしらについとるぞ!」
「おい! 拳銃が見えないのか!」
「……お父さん、むしろ悪役になってるよ」
「無駄だ。こやつ等の目を見ろ。正気の者の目ではない。21世紀の時世に、情けねぇ!」

 源一郎は怒りを吐き捨てる様に言った。彼の前に立つ巡査部長も、怒りで顔を歪ませる。
 暴徒となった村人達が強行に走るのも、時間の問題であった。
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