本編
「映画を撮りましょう!」
髪の短い小麦色の肌をした少女、蒲生元紀は満面の笑みを浮かべて提案した。その際、ちゃぶ台を叩いた為、麦茶の入ったコップの中の氷がカラリと音を立てる。
彼女の前に座る2人の少年、五井吾郎と後藤銀河は、一度顔を見合わせた。そして、再び元紀を見る。
沈黙が流れ、縁側の外からは蝉時雨が嵐の如く勢いで部屋に流れ込む。
「映画って、夏休みのグループ研究課題をついて話してたはずだよ?」
小柄で坊主頭にハの字の眉がより気弱な印象を与える少年、吾郎が恐る恐る元紀に言った。
この三人はここ、三重県蒲生村の公立中学分校3年1組の生徒だ。分校は、全学級合わせて70人に満たず、クラス編成も各学年一クラスずつしかない。ちなみに、蒲生は蒲生でも、あの有名な大名とは関係がない。
今は夏休み真っ直中、遊びに受験や就職の準備に終われる筈のこの時期だが、夏休みのグループ研究課題という実に田舎臭い宿題が出されている。
メンバーは、出席番号5、6、7で仲良くなった三人。現在何についての研究をするかをメンバーの一人、蒲生元紀の自宅で話していたのである。
「そうよ! ドキュメンタリー映画を撮って、それをそのまま研究発表に使えばいいのよ!」
「具体的には? テーマがなきゃ、ドキュメンタリーは撮れないぞ?」
若干生活検査に引っかかりそうな長さの髪を携え、伏し目がちな為、大人びて見える少年、銀河が自信満々に言う元紀に聞いた。彼女は即答する。
「蒲生家の秘宝を見つけるのよ!」
「「な、なんだってー!」」
銀河と吾郎は驚きの声を上げた。
蒲生家本家には、『能々管』という秘宝が蒲生村に隠されていると伝えれている。
蒲生家はその起源こそ定かではないが、古来より脈々と血が続いている蒲生の地を守る家系である。そして、元紀はその蒲生家本家の第一子長女に当たる。
蒲生村自体の起源もまた謎が多く、数年前には、熊野地域の外れに位置する事や、弥生土器の出土があった際には、邪馬台国の南方にあったとされる狗奴国ではないかと騒ぎにもなった。
能々管の伝説もまた、蒲生村の謎の一つなのである。
「撮影はお父さんのハンディカメラがあるし、おじいちゃんに頼んで能々管の資料を集めておくわ。忙しくなるわよ。何せ、秘宝能々管なんだから。新聞、いいえテレビにだって出れるわよ!」
「て、テレビ……!」
元紀の言葉に吾郎は緊張して声が上ずる。対して銀河は、呆れた表情で麦茶を啜ると彼女に言う。
「そういう事を獲らぬ狸の皮算用って言うんだぞ。大体、見つからなかったらどうするんだ? 能々管だって、前に大学の教授とか、プロの人達が散々探したんだろう?」
「プロって言っても、所詮は余所者よ。彼らが考古学のプロなら、わたし達は蒲生村のプロよ!」
元紀は自信満々に胸を張った。しかし、張ったところで出る胸はない。
彼女の力説は続く。
「大丈夫。わたしだって、絶対に能々管が見つかるなんて思っていないわよ。だから、ノン・フィクション・ドキュメンタリー映画を撮るって言っているのよ」
「だから、そのノン・フィクション・ドキュメンタリー映画が何だっていうんだ?」
「そうね。例えば、密林を進むわたし達、しかしその行く手を妨げるかの様に、木の上から落ちてくる毒蛇! それを退治する吾郎との戦い、とかよ」
「ど、毒蛇?」
「安心して。安全上の理由で、毒はないし、尻尾から落ちてくるわ。生きた蛇が用意できなかったら、おもちゃで代用するつもりだし」
「おい、それじゃ……」
「それだけじゃないわよ。ちゃんと考えているわ。洞窟にはサソリ、川にはピラニア、更に原住民が次々にわたし達を襲うのよ」
「……それも全て安全上の理由とやらで、おもちゃなのか? 大体、ここの原住民って、俺達だろ?」
「あんた、何言っているのよ。原住民ってのは、全身色を塗った裸で、武器は槍って、昔から決っているのよ。わたしはそんな格好、嫌よ!」
「誰がそんな事を決めたんだよ……」
「それだけじゃやっぱりしまらないわね。能々管が発見されるってのがやっぱり盛り上がるわ。でも、それは竹で作った偽物なのよ。しかし、それは原住民が本物の能々管を見て作ったものだとわかるの。そこで、わたしのナレーションで、『今回は残念ながら、能々管を見つける事は出来なかった。しかし、最後に我々は重要な手がかりを掴むことが出来た。この蒲生村に能々管は実在するのである』というのが入って、映画は終わるのよ。完璧ね!」
元紀は何度も頷いている。吾郎は疑問も浮かべずに尊敬の眼差しを彼女に注ぐ。銀河は溜息をつくと、彼女に言う。
「ノン・フィクション・ドキュメンタリー映画って、ヤラセじゃないか!」
「当然じゃない。何、当たり前の事を言ってるの?」
元紀は銀河を奇異な目で見ながら言う。
「ノン・フィクションって意味、わかるか?」
「作り話じゃないって意味でしょ? バカにしているの?」
「ヤラセでノン・フィクションも何もないだろう?」
「ヤラセというのは皆百も承知よ。それに、毒蛇っていうおもちゃと戦うのは、作り話じゃなくて事実なんだからいいのよ」
「……お前、自分の言っている事、ちゃんと理解しているのか?」
「当たり前じゃない。そうね、タイトルは『蒲生元紀探検シリーズ 脅威!蒲生村の秘宝能々管は実在した!』で決まりね。とりあえず、吾郎は蛇使いの修行でもしておいて、そのシーンをカットに入れるから。銀河はそうね。時々物凄く説得力のある事を言うから、原住民との通訳をやってもらうから、語学を勉強しておいて」
「原住民って、何語を話すんだ?」
「ん~、ポンペイ語とかじゃない?」
「……カセレリア」
「うん、上出来ね」
元紀は満足気に頷く。対して、銀河は落胆する。
「じゃあ、明日から撮影スタートよ! 朝8時、うちに集合で。解散!」
元紀の言葉で、この日の集まりは解散となった。
「じゃっちゃん、ただいま」
「おー銀河、おかえり」
古風な平屋の木造家屋の縁側から銀河は、靴を脱ぐと家へ上がった。自転車の乗り降りが一番楽な出入り口がこの縁側なのである。
彼を迎えた笑顔の似合う小柄な白髪の老人は、彼の祖父、後藤銀之助である。この家は彼ら2人暮らしだ。銀河の母親や銀之助の奥さんは、既に他界している。
銀之助は仏壇に線香を供える。しかし、仏壇に位牌はなく、遺影と線香が飾られているだけの質素なものである。その後、彼はゆっくりと縁側に干してある山菜や椎茸を片付ける。銀河も着替えを済ませ、他の夏休み課題を持って居間のちゃぶ台に座った。
「グループ研究とやらは、蒲生さんの所の娘さんとやるんだったね?」
「あぁ。それと、駐在さんの所の吾郎も一緒だよ」
「何について調べるんだい?」
「お宝探しをするらしい。なんだか、元紀の奴が一人盛り上がってて、秘宝能々管を探す映画を撮影することになった」
「あの娘らしいじゃないか。それに、お前さんも楽しそうじゃないか?」
「……なっ! 馬鹿馬鹿しいと思っているに決ってるだろう? 大体、能々管なんてものはありゃしない」
「………銀河や。わしとの約束を忘れちゃいけないぞ」
「すまん。決め付ける事は良くない。諦めず信じる事が大切なんだろ? 絶対はない。だから、思っても口にするな。……その説教は耳だこだよ」
「わかっていればいいんだ。さて、煮込みが終わる頃じゃな」
銀之助は笑顔を銀河に向けると、立ち上がり、台所へ向う。台所から肉や豆などを煮込む独特の香りが流れてくる。
銀河は平方根と乗法公式の応用問題を解きながら、台所に立つ祖父に話しかける。
「じっちゃん、今晩は何?」
「フェジョアーダ」
「………何それ?」
翌朝、蒲生家本家の玄関に銀河と吾郎は待たされていた。時間つぶしに、2人は玄関に腰掛けて雑談をする。
「…でね。昨日は肉じゃがの予定がカレーになっちゃったんだよ」
「ふーん」
「銀河んちは夜ご飯、何だったの?」
「フェジョアーダ」
「………何それ?」
「お待たせー!」
吾郎が当惑した顔で銀河に聞いた時、元紀が巨大なリュックサックと斜めかけの水筒、更にヘルメットの様な帽子を被って現れた。
「……これから行くのって、どこだ?」
「裏山よ?」
「………間違っても、アマゾンやアフリカや熱帯雨林に行くんじゃないんだよな?」
「当然よ。さ、あんた達も荷物持って!」
元紀は呆れた顔をする銀河の言葉を気にする素振りも見せず、ドラムバッグを2人に渡す。地味に重い。
「何が入ってんだ?」
「小道具と撮影機材」
「元紀の荷物は?」
「これはお母さんのお弁当と、おじいちゃんに借りた能々管とか蒲生家の荷物」
「へぇ、よく昭和の親父って感じのあの爺さんが貸してくれたな」
「まぁ、言ってないからね」
銀河がドラムバッグを背負い、元紀に言うと、彼女は平然と恐ろしい事を言った。
「まさか、黙って持って来てんのか?」
「当然じゃない。そうじゃなきゃ、猛反対されるのは目に見えているもの。さ、面倒になる前に出発よ!」
元紀に押されて、2人は蒲生家を後にして、門の前に止めていた自転車に乗る。明らかに自転車が沈む。
「家族には何て言ってんだ?」
「蒲生村のプロモーションビデオを作るって言ってるわ。嘘じゃないでしょ?」
「そういうのを詐欺って言うんじゃないか?
」
「さぁ? 吾郎、大丈夫でしょ?」
「う、うん。多分……」
「ほら、駐在の息子が言っているんだから。問題ないわ!」
「……はぁ」
銀河は清々しい朝にも関わらず、鬱屈した溜息をついていた。
一方、元紀は庭でさえずる小鳥達や朝日の清々しさにも負けない元気一杯に、掛け声を上げた。
「それじゃ、蒲生元紀探検隊、出発ーッ!」