龍神《喰ウ者》

3


「はぁ~」

 瀬上は思わず嘆息するしかなかった。
 確かにこれまでにも幾度となく世界の危機というのには直面してきたし、死線というのも経験してきた。
 だが、今回はまさに文字通りの意味で次元が違いすぎる。とてもではないが、一人の爾落人である自分に何かできるような気がしない。

「まぁ、相手も多少なりとも危機感をもってくれているみたいだから、現時点では全く勝ち目のない戦いをしている訳でもないみたいだぜ?」

 目に見えて憂鬱な表情になった瀬上に銀河はパリッと煎餅を口で割って咀嚼すると言った。
 思わずその顔を瀬上は見上げた。相変わらずこちらが苛立つ程に呑気な顔だが、その節目がちな目の奥には何やらギラギラと輝くものがある。根拠があるらしい。

「それはどういう意味なんだ?」
「さっきのケムール人だよ」
「あいつか。……喰ウ力って、そういうことか?」

 確かあのケムール人は銀河の起こした事象を喰った。アレは話に出ていたギドラの力と同じに感じる。
 和夜が口を開いた。

「「教団」と称する存在だ。いつの間にかこの宇宙に広まっていて、三佛信仰や四禍神信仰と並ぶように台頭してきた。原典とされる信仰自体はかなり古くそれこそ三佛信仰より古いが、それ自体は宇宙の外側と内側の世界観を描いている地球の仏教世界のような信仰だったみたいだ。しかし、いつの時代か宇宙終焉の未来、これは僕らが備えている根源による世界のリセットと殆ど同じものを指しているんだが、その終焉を防ぐ為に救済としての終末をもたらす神たる存在が降臨し、宇宙は補完されるという信仰に変わった。そして、「教団」という宗教組織としての形になったようだ」
「それって結局宇宙は終わりってことじゃねぇのか?」
「ふっ。それを言ってしまえば、僕たちのやろうとしている宇宙の円環化も同じことだ。この宇宙に巣食っているのは世界の終わりでなく、消滅に対する恐怖なのだよ。ことに生命の時間というのがほぼ永劫となり、死よりも死後も宇宙に残り続ける存在の痕跡、宇宙の記憶と呼ばれる概念に拠り所を求めるようになった進化、進歩が進んだ文明社会にとっては、死そのものや死後の世界よりもその生きた事実が消滅しないことが今の生に対する安楽に繋がるのだよ」
「そういうものか?」
「そういうものだ。君だって、決して短くない時間を生きてきたんだ。多くの生と死を見てきたはずだ。死した者達の救済が決して死した当人達のみに必要なものではないことは気づいているだろう? 今まさに君自身の思い浮かべた死んでいった者達の記憶、それこそ君にとっても彼らにとっても存在した証であり、今を生きる君自身の拠り所となっているのではないかい?」
「……確かにそうだな。つまり、それを無かったことにされてしまう。消滅されてしまうなら、その宇宙の記憶をそのままに神様に終末をもたらしてもらおうってことか?」
「そういうことだ。そして、言わずもがなではあるが、その神とやらが、ギドラを指している」
「……ん? でもおかしくないか? ギドラは今突然現れたわけだろ。なんだって元々そんな信仰が宇宙に存在しているんだ? それとも今までそういう予言みたいのをお前たちは無視してきたのか?」

 瀬上が二人を攻めるように睨むと、和夜は首を振った。

「言ったろ。いつの間にかそうなっていたと。我々は万能ではないが、宇宙の二大信仰が三大信仰になっていた。これは30時間前から認識できるようになった事実だ。そして、この不可解な現象を僕達二人はまさに30時間に体験している」
「ギドラの顕現した時に起きたことってやつか?」
「そうだ。故に僕達はギドラが起こした事実の上書きによるものだと考えている。つまり、僕らの行動に対してギドラは危機感を持ち、妨害工作として宇宙の外側から過去の宇宙への干渉を行ったと予想される。時間への干渉能力がなければ本来過去への干渉は不可能だが、外側にある高位次元からなら時間も干渉可能な宇宙の物理法則の一つでしかなく、時間の不可逆性もない。とはいえ、直接的な妨害も難しいのだろう。外側から内側の物理的干渉は大きいものであって、恐らく精密な作業になり、僅かな誤差が数千年単位になると考えられる。もっとも、そう考えられているとしか内側の僕らには言えないがね」
「いまいち、アイツの時間能力との違いがわかんねぇけど、とりあえず「教団」とやらが妨害してくるってことはわかった」
「その理解で十分だよ。僕らもすべてを理論立てて理解している訳ではない」

 和夜は自嘲すると、たくさん話して口が乾いたのか、お茶を口に含んだ。

「で、事情はわかったけど、何をするんだ? 俺も今のアイツの居場所は知らないぞ」
「それ自体は既に次の段階に進んでるよ。事実、俺達はその答えを教えてくれるところに向かっているからな?」

 銀河がニヤリと笑って言った。
 この男が情報収集をする時は昔から難しいことをしようとしない。地道に調べたり、外堀を埋めるなどとは程遠い。銀河と自身に共通する彼が尊敬する数少ない人間のことを思い出しつつ、瀬上は目の前の男が言わんとする答えを聞くまでもないと先に口にした。

「教えてクーガーさんか。……居場所はわかるのか?」
「瀬上さん程に断定的なわけではないけど、予測される場所はわかってるぜ?」
「加えて言うと、その宙域へ向かう進路上に君のいた星があった訳さ」

 和夜が涼しい顔で付け加えた。

「俺は寄り道かよっ!」








 8時間後。薄暗い部屋がぱっと明るくなり、相変わらずの無機質な白い部屋が視界に入る。腕を伸ばして大きく伸びをする瀬上は想像以上に疲れが取れていることに驚いた。
 ベッドから立ち上がると、先程までの安眠を提供してくれたキングサイズのベッドは床の中に消えた。
 顔を前に戻すと先程までただ白い床だけだったところにテーブルと椅子が現れており、そこには銀河と和也が座ってトーストを食べていた。

「ダメだ。もうツッコミが追いつかない」

 一瞬にして現れるSF感に対して二人の放つ庶民臭さは先程の快眠と目覚めの清々しさを奪い去る謎の脱力感を持たざる得ないものだった。

「まぁまぁ。栄養だけのサプリや溶液を飲むだけじゃ生きてる気がしないじゃん?」
「君もかけて食べたまえ。腹が減っては戦はできぬよ」

 二人に促され、瀬上も食卓についた。目の前の皿にはトーストとサラダ、そして温かいコーヒーの入ったカップが置かれていた。2000年台の日本のモーニングセットと云えばこの組み合わせという印象だった。

「これもどうぞ。あ、これもオマケな?」

 そう言い、銀河は手元にあったあんことマーガリンの盛られた器、そして懐から取り出した安そうなプラスチック製の知恵の輪を瀬上の前に出した。

「名古屋の茶店かっ!」

 思わずツッコミを入れると銀河が満足そうにニヤニヤとする。
 ダメだ。コイツらのペースに完全に呑まれてる。と、瀬上は天井を思わず仰ぐ。

「そもそもお前は名古屋人じゃねぇだろ」
「じゃあ餃子でも出してもらうか?」
「あーはいはい。津餃子な。昔食べたよ」
「まぁ俺はほとんど食べたことないけどな?」
「おいっ!」

 確かに銀河の故郷である蒲生村は津市から離れた奈良県寄りだ。
 それにしてもずっと実体を持たない佛だった為か、どうにも昨日からこの二人は食に煩い。

「てゆうか、良いのかよ。こんなのんびり食べていて」
「ちゃんと目的地に向かってるぜ? 多分10分くらいで見えてくるんじゃねぇか?」
「そうだね。今光速の20倍で移動しているからそれくらいだと思う」

 さらりとワープよりも困難な超長距離航法を耳にした気がするが、物理法則を無視できる連中を相手に一々驚いても仕方がないので、瀬上は聞き流すことにし、トーストにバターとあんこを乗せて小倉トーストを作って口に入れた。うん、あんこの甘さとバターの塩加減は最高の組み合わせだ。あんこがこし餡なのはやっぱり銀河が赤福でお馴染みの三重県民だからなのか? などとどうでも良いことを考えながら瀬上はぺろりと食べ切った。
 そして予告通りの10分後。一つの惑星が見えてきた。
 全体的に緑色がかった星だが、植物の緑ではなく、大気のガスの色らしい。大きさ、質量は火星と同程度の地球よりやや小ぶりの星だ。
 惑星96W。それが目的の星の名前だった。








 重力は地球よりやはり小さいが、銀河と一緒の為違和感を感じることはない。
 大気組成は地球とほぼ同じ。むしろ理想的な大気組成と言ってもいい。気候もやや湿潤としているが、不快感もなく生身で過ごせる気温と湿度だ。
 しかし、動植物の気配は全くなく荒凉としている。大地も岩と砂利で覆われ、起伏も殆どない。空を見上げると宇宙から見た時と同じ緑色だ。

「何もない星だな。本当にこんな所にアイツがいるのか?」
「あぁ。間違いないぜ? 確かに視解を感じる。それにこの星、……いや、まずは会う方が先だな?」

 銀河は話をやめて気配のする方角へと歩いて行く。瀬上もそれを追う。
 しばらく歩くと山が見えてきた。

「ん? あの山、何か変だな」
「あぁ。山じゃない」

 既に気付いていた銀河は頷く。そして、迷わずその山の様に見える場所へと歩いていく。瀬上も彼の後に続く。
 砂利を踏みしめる音だけがジャ、ジャ、ジャ、と続く。空気の流れこそあるが、風といえるものもない。次第に心細くもなってくる静寂がそこにはあった。

「ん?」

 一瞬、視界の端に人の姿と視線を感じた気がした。咄嗟に身構えて振り向く。
 しかし、誰もいない。ただの荒涼とした世界が続くだけだ。思わず幻覚でも見たか。一瞬見た気がした人の姿を思い出そうとするが、ちゃんと見えたものでもなく、そもそも気のせいであろうものだ。思い出せるはずもない。
 ただ、何となく白いワンピースを着た黒髪の若い少女の姿がぼんやりとその何もない荒野の景色に重なった。どこかで見た気がするが、当然顔もぼやけたのっぺらぼうだ。
 瀬上は頭を振って、進むべき方向に体を戻す。

「あれ?」

 銀河の姿がない。どうやら置いていかれたらしい。

「あんにゃろぉ」

 瀬上は山のような影を目指して走る。砂利を蹴り飛ばしながら走り進むと何かがあるのが見えた。
 扉だ。しかもまるでどこか行きたい所に繋がっていそうなピンク色のドアが何も周りにない大地の真ん中に立っていた。

「………」

 瀬上はドアの前に立つと無言でドアノブを見つめる。

「あーもう! 開けりゃいいんだろ!」

 頭を掻き毟ると、誰に対して言うでもなく叫びながらドアを開けた。

「へ?」

 まさにそれはどこかに繋がっているドアであった。
 ドアの先は何処かの部屋があった。それも非常に地球を彷彿とさせる懐かしさを覚える部屋だ。広さもさして広くない。少し痛んだ板張りの床、所々剥がれた煤けた壁紙、ジーっと音のする白熱灯は同じく油で黄ばんだ白い傘を被っている。家具は雑然と置かれた木製のテーブルと椅子、そしてやはり木製の扉棚の上に置かれた茶色い箱。ブラウン管テレビだった。しかも、チャンネルが画面横にあるボタン式だ。
 そして、部屋の奥にはカーテンが閉じられているが、明かりが漏れている。
 瀬上は恐る恐る近づく。やはり窓があった。窓の外から雑音が聞こえる。

「よし」

 意を決してカーテンを開いた。

「なっ………」

 思わず瀬上は言葉を失った。
 窓の外には街が広がっていた。しかも、瀬上の記憶に残っている見覚えのある街だ。排気ガスを撒き散らしながら渋滞するストリートの車の列。建築時期がバラバラで統一性のなく所狭しと建ち並ぶ低層ビル。そして、その先に見える真新しいガラスが太陽に反射してキラキラと輝く高層ビル群とその中にシンボル然と聳える二本のツインタワーと少し離れた場所に見える歴史を感じさせるエンパイアステートビル。

「嘘だろ…」

 あの日を知っている瀬上は窓ガラスに手を当てて呆然と、ニューヨークが、世界経済の発展を象徴するかの如く聳えていた二本の塔、ワールドトレードセンターを見つめて呟いた。
 そして、ゆっくりと振り返って部屋を見回す。ブラウン管テレビ、壁に貼られた有名なハリウッド女優のデビュー作の真新しいポスター。そして、その隣にある壁掛けタイプのプッシュ式固定電話。そのどれもが瀬上には懐かしさを覚えるものであった。
 昔暮らしていた部屋に雰囲気は似ているが、過去の記憶にある部屋とは内装も違う。しかし、妙に落ち着くのは、きっとここには瀬上と同じように誰かが一時的に身を寄せる為に暮らしている部屋だからだろう。
 隣の部屋から水蒸気特有の沸騰音が聞こえ始めた。確かに部屋には瀬上の入って来たドアの他にもう一つドアがある。瀬上にも覚えのあるアパートメントの構造的に隣には水回り系を集中させた空間があるはずだ。台所、そしてバストイレが薄いタイル壁で仕切られている。
 瀬上は扉を開け放った。今度は何も躊躇ない。その目に入ってきた景色はまさに予想通りの、この時代に良くあったアパートメントの台所だ。置かれている物も良く見たものだ。トースターに電子レンジ、そしてスイッチ式の瞬間湯沸かし器。湯気を上げている湯沸かし器に近づくと、スイッチを切った。自動保温機能という日本製品のような親切設計はない。スイッチが付いている限り沸騰させ続ける。そして、説明書に如何にも訴訟逃れの為のデカデカと空焚きを含めた諸注意が書かれていたことをふと思い出し、瀬上は苦笑する。
 台所の窓の外は避難用梯子が掛かっており、半分はろくに景色が見えない。
 ダイニングテーブルというには小さいタイルテーブルの上に、当時のニューヨークではどこでも、それこそベンチや路地裏、トイレにまで落ちていた経済新聞が置かれており、そこに1999年の文字が書かれていた。
 ふーっと、鼻から息を深く吐き捨てる。そうだろうな、という感想以外ない。
 まさかタイムスリップしたという訳でもないだろうと考えて瀬上はもう一度部屋を見渡すと、部屋を戻り、元の入口のドアを開けた。

「ま、戻れないよな」

 これまたこの時代によくあるアパートメントの廊下が伸びている。
 手当たり次第に他の部屋を開けてみるのも良いが、生憎と瀬上も暇ではない。

「そろそろ終わりにしようぜ」

 瀬上は廊下に声を響かせると、右手を上げ、指を鳴らした。
 刹那、周囲が暗転した。電灯が消えたのではない。全てがブラックアウトしたのだ。

「大方VR世界ってところか。結構、俺もあのスマホもネット通販もないけど割と便利なあの時代、好きだったぜ」

 瀬上がどこにともなく周囲に聞こえるように大きな声で感想を述べた。

「ありがとうございます。やはり貴方にはご理解頂けましたか」

 バンッと周囲が明るくなった。どうやら再起動したらしい。
 ここは廊下でなく、先程の部屋に戻ったらしい。唯一違うのは椅子に懐かしい顔の白人男性が腰掛けていたことだ。

「だけど、やっぱり俺は日本の街並みが居心地いいぞ。クーガー」
「それは残念です。まぁ、彼女の趣味で21世紀初頭の日本もあるんですけどね」

 クーガーの言葉を聞いて、彼女とは誰を指しているのか何となく検討がついた。
 そもそも視解の爾落人がVR世界を作っていること自体、不可解だ。これは副産物であり、元々この仮想世界を作り、管理していたのは別の人物だ。そして、瀬上はそれに適した人物が昔、同じ船で世界を旅していた頃、同じく船員の一人からプログラミングなどを教わっていたのを知っていた。

「ならさっさとムツミに言って俺をここから出させてくれ。確かに俺はあんたに会いに来たけど、ここのあんたじゃなくて本体の方に用があるんだよ」
「えぇ、知ってますよ。別にムツミさんも故意に貴方をここに連れてきた訳ではありませんしね。自動防衛設備の一つなんですよ。星に侵入を許した場合を想定した」
「……つまり、俺は警備システムの罠に引っかかって意識をここに囚われたってことか?」
「そうです」

 苛立ちと同時に虚脱感が出た。クーガーのいる星に来て唐突にこんなタイムスリップ体験をしたのだから、クーガーが視解で事前に仕掛けた深い意味のあることだと深読みして仮想世界の時間を過ごしたのだが、まさか違ったとは。

「そう気を落とさないで下さい。それに生身の私に会うよりもこちらの方が意思疎通はしやすいですし」
「どういうことだ?」

 瀬上が聞くと、入口のドアを開けてムツミが入ってきた。白いワンピースを着ており、船の頃に多用していたホログラムの外見よりも少し幼く見える。やはりあれはムツミだったらしい。

「それについては私から説明した方がいいでしょ」
「あぁ。頼む」

 フワッとワンピースと髪を揺らし、ムツミは人差し指を上げるとくるくるっと宙に円を描いた。
 周囲の景色が変わり、これまた瀬上の見覚えのある21世紀初頭の日本に多く建てられたタワーマンションのリビングになった。窓の外には東京湾が見えることからベイエリアの景色を模しているのだろう。

「まぁ、この私の家で説明はさせてもらうわ。安心して。現実時間とここの時間の流れは違うわ。今は300倍速くらいだから現実時間じゃまだ僅かしか経過していないわ。それに、丁度時短レシピで作ったティラミスが良い感じに冷えた頃だ、か、ら」

 最後は一文字ずつ指で宙を指す仕草をして言う、全くブレないムツミに苦笑しつつ、瀬上はクーガーの横に空いている椅子に座った。
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