龍神《喰ウ者》

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「で、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか? なんでお前がいるのか、あのケムール人は何者なのか?」

 ランドモゲラー内に入った瀬上は後から入ってきた銀河に問いかけた。
 彼らのいる船内は巨大なホールになっていた。明かりは十分にあり、重力もある。何も置かれていない殺風景な直方体状のホールはゆうに200名を収容可能な広さを持っている。床も壁も鉛色のまさに鉄の匣だ。

「まぁ立ち話もなんだし、アイツもいた方が良いだろ?」
「アイツ?」

 すると、天井に円形の穴が空き、透明な円筒が床に向かって伸びてきた。そして、その筒の中を天井から人間が降りてきた。ストローに残ったタピオカがコップの中に戻っていく様を彷彿させる。
 円筒は再び天井に戻っていき、床にはタピオカでなく、先程体を真っ二つにされたはずの和夜が立っていた。

「よく来たね。電磁の爾落人」

 ニコリと笑った和夜はゆっくり腰を下ろす動作をする。
 合わせて床から椅子が現れ、彼の腰を受け止めた。椅子は肘掛けとクッションのついた黒革のリクライニングチェアー。俗に社長椅子と云われているものだ。

「さぁかけたまえ」

 和夜が手を広げると、彼の前に対面した黒革の三人がけソファーと大理石のテーブルが床から現れた。
 後ろから来た銀河に促されるまま瀬上はソファーに腰を下ろすと、銀河も対面のソファーに腰を下ろした。

「あぁ、気が利かなかった」

 彼らの座った前のテーブルに何もないことに気づいた和夜は指をパチンと鳴らす。
 次の瞬間、テーブルの上にお茶と煎餅が人数分出現した。

「便利なもんだな」
「ただ、味の保証はしないから口に合わなければ残してくれたまえ」
「……ん。旨い」

 パキンと煎餅を割って咀嚼し、お茶を啜ると瀬上が郷里を思い出す顔をし、静かに言った。

「醤油薄くないか? 濡れせんやカレーせん、赤福とか出せるか?」
「むぉいっ! こっちは数世紀ぶりの日本の味で感慨にふけってるところに変化球を投げてくるな! そもそも赤福は餅だろ!」
「出すのは容易い。ほれ」

 瀬上のツッコミを無視して和夜は銀河のリクエストの品をテーブルに出した。
 一瞬にしてテーブルの上が、お客様への持て成しから久しぶりに来た孫へ棚にあったものを全部出したおばあちゃんちのちゃぶ台に変貌した。

「……さて、順を追って話すつもりだけど、まず瀬上さんは地球時間で今がいつ頃かわかりますか?」

 各種煎餅と赤福をひとしきり味わい、お茶を啜って、ほぅーっと一息落ち着いてから、銀河は本題を切り出した。

「正確なところはわからないが、西暦で8000年とかじゃねぇのか?」

 瀬上が答えると、銀河は首を振った。

「大外れ。細かい誤差を省いて大体6万年」
「6万年!」

 思わず瀬上はソファーから立ち上がっていた。
 しかし、瀬上も宇宙に出て長い。すぐにその理由がわかった。

「あのブラックホールか」
「そう。ブラックホールの重力下にあるあの星と地球では経過時間がまるで違う。それこそ瀬上さんの内部時間の何百倍、何千倍と」
「相対性理論だな。宇宙に出てから何度も経験はしていたけど、これほど極端なのは初めてだ」
「でも、そのおかげで真っ先に俺は瀬上さんを見つけることができたけどな?」

 銀河が笑って言い、お茶を啜った。
 それを見て、瀬上は体を前に乗り出した。

「助けてもらったことには感謝するが、所謂神のご加護……って訳じゃねぇんだろ? 佛が雁首揃えて俺に何をさせようっていうんだ? ……いや、この宇宙で何が起きている?」
「話が早い奴は嫌いじゃない。……真理の、僕から説明をする」
「あぁ、任せたぜ?」

 お茶をグビグビと喉を鳴らして一気に飲んだ和夜が銀河を一瞥して言った。銀河も手をひらひらさせて同意する。
 和夜は瀬上を見て、ニコリと笑うと語り始めた。

「事の始まりは今から30時間前になる。これは宇宙空間上の標準時間を地球時間に直したものだ」




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 30時間前。宇宙の中心といわれる宇宙最古の場所から最も離れた場所。宇宙の果てとも云われるその空間はまだ星も生まれていない、宇宙空間の膨張と共に引き伸ばされた極小の粒子だけが飛び、その放たれた僅かな放射線による発光がチラチラと漆黒の闇にノイズのように舞っていた。
 遥か太古の宇宙誕生時から変わらないその景色は、どれ程に宇宙が大きくなろうと、常に果てであり、原初と変わらぬ景色が広がっていた。この広大な果ての闇の先には再び同じ宇宙が広がっていることを認識することができるのは物理的な制約の外に存在する佛くらいである。
 宇宙はどこまでも不可思議な空間であり、それはまるで膨らみ続ける浮き輪の表面を辿るかのように、果てはあっても端は存在しない円環となっている。そして、その表面の内側、またはその外側に何が広がっているのかは真理の佛も、万物の佛も知り得ることができない未知の次元であった。
 その宇宙の果ての漆黒の闇に、唐突にも点が現れた。それはピンと張った紙に針で開けたかのような穴であり、瞬く間に巨大な円形の穴に広がった。その穴は宇宙の闇よりも更に深淵へと通じ、奈落そのものであった。
 そして、宇宙空間に空いた穴とは円でなく、球である。従って、前後上下左右あらゆる方角から見ても、それはまさに空間に空いた円形の穴として見える。
 穴は拡大と縮小を繰り返す。単調に拡大していくのでなく、不規則に縮小と拡大を繰り返していた。

『これは高次元の干渉によるものだな?』
『あぁ。この穴はこの宇宙の物理的干渉の外にある』

 真理、万物それぞれの佛もすぐにその異変を察知し、穴を認識した。
 しかし、それが如何にデタラメな存在なのかは他ならない彼らだからこそすぐに理解していた。
 本来の宇宙空間で穴といえる現象は2つしかない。一つはブラックホール。一つはワームホールだ。前者は厳密には無限に続く落とし穴であり、光の観測ができないことで実質的にそれ以上は存在しないのと同じである事象の地平線を超えた先には限りなくゼロに近い中心とその中心に向かう重力がある。ブラックホールは重力の落とし穴だ。
 後者は空間に穴を開け、別の穴と繋がったものを指す。物理的干渉よりも空間的な干渉であり、今回の穴と近いところはあるが、こちらも穴そのものは重力を持つ。むしろ重力と時間を歪められたことによって空間が繋がり生まれるものといえる。
 しかし、この穴は全く理屈が通らない存在であった。重力はなく、穴そのものの時間は観測不能。つまり、佛二人であっても、感覚的に存在を認識することはできても、その存在を認識している根拠が存在しないのだ。
 それはまるで幻影だった。ホログラムや蜃気楼をまるでそこにあると誤認して触れようとして初めてそれが幻影だとわかる。そんな不可思議な存在であった。
 故に、彼らはそれが宇宙よりも高位の次元からの干渉だと判断した。
 つまり、この穴は高次元の存在の接触による影ということだ。影であれば、認識はできても実体はそこにない。
 紙の上に浮かんだ手の影をいくら触れようとも手には触れられない。彼らは宇宙という紙の表面から影を観察しているにしか過ぎない為、その紙の上にある本体である手をどんなに頑張っても見ることはできないのだ。

『こんなことは初めてだな?』
『あぁ。だが、今の仮説が事実ならば静観が最善だ。間接的干渉ならそのうち消えるはずだ。むしろ余計なことをして直接的な干渉になると、文字通り次元が違って被害はこちらの宇宙空間に出てしまう』
『そうだな。……だけど、なんだか嫌な予感がする』

 真理は感じていた。理屈や観測可能な現象によって説明できるものでなく、直感的にその穴からは悪意、敵意、怨念のような人間の感情のようなものを感じていた。

『万物、鎧をいつでも出せるようにしておいてほしい』
『それは構わないが、必要性がない限り出すことは認めないぞ』
『勿論、それでいい。……穴の先から何か恐ろしいものがこちらを覗いている気がする』

 間もなく、穴は新たに2つ増え、3つになった。
 いずれも大小繰り返しながら、穴の座標も不規則な移動をしている。
 仮に高次元の存在の影とするならば、その影から実体を想像することは困難といえた。
 しかし、佛の二人がその実体の像を掴むのにさして時間はかからなかった。







『え?』

 真理の佛はその時、何が起きたのか理解することができなかった。
 そもそもこの世界の理を司る立場にある彼にその現象は結果であり、情報の濁流であり、時間的概念の外にあるこの現象を今更理解のしようも分析のしようもなかった。
 一つだけ断定できる事実は、今この瞬間、紛れもなく何も無かった漆黒の闇であるはずの空間に、金色に輝く鱗を全身に纏い、蛇の様にその長い首はとぐろを巻き、三つのそれは一つの胴へと集束する龍が既に存在していた。それは西暦2010年の地球で発見され、人類の歴史が初めて『G』として認知した存在の一つ、三つ首龍ギドラの姿に酷似していた。
 だが、彼の戸惑いはそれがギドラの姿だからでも唐突に現れたからでもない。そもそも、唐突に出現したのではなく、既に存在していた状態にあったことにあった。
 目の前の空間にある太陽系一つ分にも匹敵する巨大な怪物は、この宇宙の時間的、物質的、法則的な制約をすべて無視し、事実そのものを刹那の間に上書きし、その場に元々存在する事実として顕現してしまったのだ。
 これは時間への干渉で決してない。より高位の力による世界そのものの干渉であった。

『冷静に状況を見よ、真理』
『あ、あぁ………』

 万物の佛の言葉で彼は現実世界に引き戻される。そして、改めてソレを観察する。
 顕現こそしているが、質量そのものはない。先までの状態と根本の部分は同じだ。この物質世界である三次元空間に高位次元の存在が干渉している。紙の上に影として写っていた指を紙に接触させた状態、それが今起きていることであり、紙に触れたことで生じる痕跡。それは圧やシワ、歪み、皮脂の汚れなど、つまり触れる前と触れてからは紙そのものの状態が根本的に変わる。
 眼前のギドラが果たして紙に接触した指そのものなのか、指によって着いた宇宙という紙に生じた痕跡なのかは、彼らにも分からない。しかし、彼らが恐れていたこの世界への干渉という事象は既に発生してしまったのは、紛れもない事実であった。

『鎧を出すぞ?』
『無論だ。あちらの意思に関わらず、既に干渉をされてしまった以上、こちらとしては自衛をしないとならない義務が生じた』

 そして、二つの佛はそれぞれの鎧を顕現させた。無論、ギドラのそれとは訳が違う。物質世界の存在として出現させた器であり、道具であり、アバターだ。佛の力による宇宙への干渉、操作はできるが、存在としては実体化に他ならない。当然の様に、全知全能の神の姿でもない。異次元の存在に対抗するにはあまりにも限定的な存在である。
 真理が纏う宇宙戦神、万物が纏う阿羅羯磨はギドラに対抗する為、限界ギリギリの大きさとして実体化させた。大きさ、質量ともに太陽の100倍だが、当然ギドラの巨大さから比較すると余りにも小さな存在だ。それでも物質と法則を司る二つの佛によって形態維持、操作共に許される範囲の限界がこの大きさだ。これ以上は物質的な結合をした鎧の維持が出来ずに崩壊を始めてしまう。

『改めて見ると本当に大きいな?』
『この事実だけでもアレが我々物質世界の実体とは全く異なる原理で存在していることがわかる。宇宙の外殻そのものに干渉可能なゾグを使えないのが悔やまれる』
『できないものを考えてもしかたないだろ? 俺たちでできることをやろうぜ!』
『応!』

 特徴こそ彼らの知るギドラと呼ばれている三つ首龍のそれだが、細部としては全く別であることがわかる。そもそも三本の首が尋常ではない長さだ。渦巻き、無軌道に蠢くその首は途方も無く長い。真っ直ぐ伸ばせば一本の首だけで太陽系の直径に達するかもしれない。そして頭部はシャープであり、全体として見れば龍の頭部であるが、しっかりと見ると大きく裂けた西洋のドラゴンを彷彿させる口、昆虫類の様な複眼が並び、鱗も爬虫類や魚類よりも薔薇の棘の様に幾層にも連なっている。そもそも胴と一対の翼、二本の尾が認識できるが、果てしなく遠い場所に存在しており、造形そのものは彼らをもってしてもはっきりと掴みきれない。
 それ以前に5次元以上の存在をこの宇宙から観測した姿として何故あのような複雑な形となるのか、不可思議極まりないが、元々その事象を見たことも理解することもできないのだから、考えても仕方のないことであり、必然的にそうなるのだと受け入れることしか出来ない。
 これまでの宇宙にギドラとされるあの姿に類似した存在も別宇宙など、ゾグの管轄下にある時空間や次元、宇宙の外殻を越えてこの宇宙に来た者ということから、あの姿が三次元空間における球体形のようにある種の合理的な形なのだという仮説は立てられる。その仮説にならえば、ギドラの姿という点に合理性や必然性以外の理由はない。
 そして、同時にその姿に必然性があれば、その姿故の特徴にも必然性が生まれる。そこに着目し、真理の佛は言った。

『あれの口からの光線攻撃が必ずあるし、そいつは結構厄介だぜ?』
『稲妻状の軌道を持つエネルギーや力の干渉をする攻撃ということか。わかった』

 手始めに頭部それぞれの前にブラックホールを出現させる。
 空間に歪みが生じるが、頭部は決してそこに吸い込まれることはない。
 そして、三つの頭部は目の前のブラックホールを豆をついばむ様に一口で文字通り食べてしまった。

『『っ!』』

 流石にこのデタラメな行動は予想していなかった。

『あ、アレは食べたのか?』
『厳密に言えば、食べるような動作によってあちら側に取り込まれてこちら側からは観測不能な状態になったことで、事実上この宇宙から消滅したということだ。………マズい。それはつまり、この宇宙そのものをヤツは喰うことができるということだ』
【そうだ。足掻いてみせろ】
『『!』』

 確かに感じた。明確に、声や思念とも違う感覚ではあったが、ギドラからの意思を佛達は受信した。
 これまで漠然と感じていたギドラの生命体としての意思、そしてこちらに向けていた悪意がはっきりと示された瞬間であった。







 相手の正体も目的もわからないが、一つだけはっきりとしたことがあった。
 これは偶然でもなければ、相手は生命体としての本能的な行動でもない。何らかの悪意ある目的をもって現れた敵だということだ。
 そうなれば、相互干渉に対して慎重になる理由はなくなる。敵、むしろ捕食者から身を守る為の防衛行動が必要になる。
 しかし、圧倒的に不利な状況下、そもそもこちらからの攻撃が通じるとも思えない相手にまともな戦闘ができるとは考えられない。むしろ、戦闘を行った時点でこちらは一方的に喰われる。それがわかっていた。

『時間、稼ぐしかないな?』
『そうだな。……どのくらい引き延ばせる?』
『こちら側の時間で精々48時間。実際に瞬間的に全てを消滅させられるということはないだろうから、全宇宙単位でなら72時間の引き延ばしが妥当だろうな?』
『なら、48時間は食い止める。瞬間的に喰われるとはいえ、無限相手ならアチラ側も多少はロスが出るだろう。かなり制限がつくが、端末を出すくらいはできる。お前は?』
『まぁ、同じだろうな? 後藤銀河でどのくらい行けるかわかんねぇけど、やるだけやる』
『決まりだ。……やるぞ!』
【精々楽しませろ】
『『望むところだ!』』

 刹那、二つの鎧から後藤銀河と和夜の人型が宇宙の中心に向けて射出され、同時に宇宙戦神は光の粒子に変わり、ギドラと鎧達のいる空間が引き延ばされる。視覚的な世界での変化は全くない。しかし、彼らの存在する空間は宇宙空間の時間から切り離される程の速度で膨張し、引き延ばされる。
 時間や空間の概念を変えることは彼らにはできない。しかし、同じ結果を出すことは可能だ。
 真理の佛はその力を最大限に発揮し、極限まで宇宙を移動する距離が伸びるようにある法則に干渉したのだ。宇宙における距離は時間と同じ意味を持ち、物理的な距離の変更は次元の佛にしかできない。しかし、今回必要なのは局所的なものだ。即ち、ギドラのいるこの空間とそれ以外の宇宙空間、それも銀河との二点の経過時間だ。ギドラ側がどんなに早く干渉しても実際に宇宙空間そのものに作用するまでの時間にズレが生じれば、それは時間稼ぎとなる。真理の佛は相対性理論に干渉し、ギドラの影響が後藤銀河に届くまでどんなに高位な力で干渉しても結果として効果が現れるまでに48時間は必要となるようにしたのだ。
 万物の佛も無限に物質の生成を行い、刹那でもギドラが進行する時間にロスができるようにした。
 ギドラからすれば無駄な足掻きであり、同時に獲物である彼らの足掻く姿は滑稽であり、欲望を満たす甘美そのものであった。

【そうだ! もがき、苦しみ、そして踊ってみせろ!】

 始めから方法は一つしかなかった。
 三次元の物質世界が高位次元の存在に干渉するには次元の壁を超える力が不可欠だ。そして、ゾグを操る次元の佛はこの時代の宇宙に不在。ならば、擬似的に時空を再現してゾグをかつて操作した二人しかギドラに対抗する術はない。
 画して、後藤銀河と和夜は再びその姿を現出させ、時間と空間の力を持つ二人の爾落人を求めて出発した。
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