爾落転換



「……」


息を殺しながら壁伝いに通路を進む男。宮代一樹。彼は追われていた。見つかれば命を取られかねない相手に。身の危険を察知した彼は作業をムツキに託し、文句垂れる彼女を置いて自分は通信室から脱出したのだ。
日が傾いて薄暗くなった通路を怯えながら進む。索敵に優れていない一樹は聴覚と視覚をフル活用しなければならない。だが音だけの情報が彼を過剰の不安に煽る。


「何を怯えているのです?」
「!」


男の声。音もなく現れた彼は、性別からして相手ではないが、ビビるには十分だ。


「ク~ガ~。理由なんて分かってるくせに」


気配が全くなく現れたのは視解の爾落人、クーガー。日本丸航海士だ。


「誰かにオレの所在を尋ねられたら、はぐらかして」
「はいはい。分かってますよ」


クーガーは笑いを噛み殺しながら去っていく。少し解せない気がしたが気をとりなおして再び通路を進む。
すると今度は走ってくる足音が聞こえる。またビビった一樹は足がもつれながらも物陰に身を潜める。やり過ごす算段だ。それ以外に選択肢がないだけだが。


「……」


足音が近付くに連れて心拍数が上がる。恐怖を抑えながら恐る恐る覗き見ると、足音の主は菜奈美だった。誰が何をしているのを探しているのは見当がついたが、八重樫達を心配している余裕はない。自分が一杯いっぱいなのだから。
菜奈美が通過した後再び前進しようと物陰から出たその時だ。


「一樹殿、自室にいないと思ったらそこにいたのか」
「!」


背後から恐れる人物の声をかけられた一樹。この世の終わりのような泣き顔になるも、背後に振り返る間に引きつった笑顔まで改善させる。


「ア…がらてあ…おれヲ探シテタノ?」


ガラテア・ステラ。変化の爾落人。日本丸メンバーの中では最近入った方だが、彼女は日本丸掌帆長を務める。


「うん。実は最近一樹殿と訓練をしていない気がして」
「ソウダッケ?」
「ムツキ殿がここにいると教えてくれたんだ。食事まで時間があるのだろう?」


やられた。船内の至る所に設置されているホログラム投影機のカメラで追跡されていたのだ。それによる告発。
項垂れる一樹の前にホログラムのムツキがガラテアの死角から出現。してやったりの表情で舌を出し、人差し指で眼輪筋を引っ張った。所謂あっかんべーの姿勢。


「訓練ナラ八重樫サンカ凌ガイイト思ウナァ」
「今日は一樹殿の気分なんだ」


オレは日替わりランチか。ガラテアの気分で自分の生死が決まるなど哀しすぎる。


「ダイス殿はすごいぞ。能力は戦闘向きではないながらも前線で戦っている。立派だ。一樹殿も見習おう」


八重樫を引き合いに出されても困る。
向上心の塊。以前彼女にそう例えられた八重樫と、瀬上から不変の男と評される一樹。
生まれつきの肝っ玉はどうやっても鍛えられないのは、2000年生きてきた一樹には分かっている。


「そうだ!その理屈ならクーガーに指南した方がいい!相手の弱点を把握しながら戦えるのは最強なんだ!」
「私もそう思うのだが、なぜか誘う時にはいつもいなくなるのだ」


もうおしまいだ。


「さぁ行こう。甲板は寒くないようにしておくから」


ガラテアに手を引かれ歩き始める。美人だから悪い気はしないが、素直に喜べないのが辛いところ。
結局、物陰からこちらを伺うクーガーに気づくことなく、遺言を書く暇すらなく甲板に連行されるのだった。
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