ANECDOTES
2015年、東京都内を走るJR線沿線にあるとある居酒屋。
「こんばんわ」
「あら、関口君。今日はお店いっぱいよ」
店の暖簾を潜ってカジュアルな私服姿で現れた関口亮を見るなり、女将をしている割烹着姿の熟女がおどけて言った。
「何を言っているんですか、予約したでしょ」
「くふふ、わかっているわよ。いつもの通り、奥の座敷よ」
「どうも。ほら、蒲生も」
関口は外へ顔だけ出して声をかける。二十歳そこそこの若い女性が彼の後に続いて入ってきた。
「あら、彼女連れなんて聞いてないわよ?」
「何を言っているんですか! 会社の後輩ですよ、後輩」
「そう? お姉さん、この人からお金とかもらってない?」
「おばさん!」
「はいはい。ごめんなさいね。関口君、このお店を始めた頃からのお客さんだから、つい苛めたくなっちゃって」
いつまでも話しかけたそうな女将を適当にあしらいつつ、関口は会社の後輩、蒲生元紀を奥の座敷へ促す。
座敷は半畳程の狭いスペースであったが、襖で閉じられ、雑多に飲み屋が建ち並ぶこの界隈の印象からすると、異質なものであった。
「こういう飲み屋街で、こんな座敷のある店って珍しいだろ?」
「本当ですね。関口さんの隠れ家ですか?」
「ま、そういうことさ。会社内は愚か、友人でも極少数にしかここの存在を教えていない。秘密基地だ」
関口は座布団に腰掛けながら、自慢気に言った。元紀も荷物を降ろし、向かいに腰を下ろす。
「良いんですか? 私なんかに、ここの存在を教えてしまって」
「それを教えてやるのが、俺からの昇進祝いだよ。蒲生は隠れ家と言ったが、俺は秘密基地だと言った。その意味、お前なら理解できるはずだ」
挑戦的な口調で言いながら、関口は店の品書きを開いて元紀の前に差し出した。
「ありがとうございます。………密談用ですか?」
狭い座敷を見回して元紀は言った。
関口は頷いた。
「正解。今日から蒲生も係長だ。開発部から出向している身の上の俺が偉そうに語るのもなんだが、第二調査部は社内でも重要な部署の一つだ。そして、一種の諜報屋に似た仕事も扱う。社内でも話し難い内容の事柄を扱う機会もこれからは出てくるだろう。そこで、俺からこの場所を密談に利用する許可を与える。それが、俺からの昇進祝いだ」
「どうもありがとうございます。……でも、先輩のことですから、それを私に教える為にここを使った訳ではないのでしょう?」
「流石だね。……先日、ちょっとヒト「G」に会う機会があった。……煙草、いいか?」
懐から煙草のパッケージを取り出してから、思い出したように元紀に聞いた。
「私は吸いませんが、平気です。……先日というのは、仕事を口実に母校へ遊びに行って、草体のサンプルを持って帰ってきたあの日のことですか?」
関口は煙草に火をつけながら頷いた。
「ご明察。デストロイアといい、今回のことといい、某大学は「G」を呼び寄せるたちらしい。……まぁ、伊勢原の医学部とうちの会社が提携していることを考えると、あながち冗談じゃないかもな。思い返せば、上層部にも某大学のOBやOGが結構いるとか聞いたし」
「関口さんが会社の人のプライベートに興味を持つなんて意外ですね」
紫煙を吐き出していた関口が元紀の感想にむせる。
「そこかよ! もっと考えを廻らせられそうなネタについて話しただろう?」
「まぁそうですけど。私も関口さんと同じで、あまり会社の噂に興味がないもので。それこそ、開発部の関口さんの方が詳しいんじゃないですか?」
「俺だってそこまで実態は知らないさ。元々開発工学部があった沼津校舎を研究施設として利用する協力を得たことと、実際に何人かの「G」と関係している患者を伊勢原の医学部から移したという話を……2011年の初夏だったかな? その頃に聞いたきりだ。同じ敷地内に開発部の事務室もあるけど、俺は研究棟に入れない。学生時代は毎日足を運んだ4号館も今では、産学協働研究棟の名目で、完全セキュリティーの研究所だ。俺が卒業以来入れるのは、年中ドアの開きっぱなしの1号館にある開発部事務室こと、旧開発工学部学生課室と、体育館を改装した開発実験棟だけ。………あ、飲み物決めたか?」
「はい」
元紀の返答を確認すると、関口は襖を開けて女将を呼ぶ。
「はいはい。ご注文は?」
「じゃあ、熱燗を一合」
「お姉さん、若いのに渋いわね。……関口君はいつものギムレットよね?」
「まぁド田舎の出身なので。……って、このお店でギムレット?」
「女将さん、この割烹着姿で生ライムを絞ってシェーカーを振るんだぞ」
「和洋折衷ってところかしら。おつまみはこっちで適当に用意するわね」
「いつもすまないねぇ」
「それは言わない約束でしょ」
女将は笑いながら襖を閉めた。
「本当に常連なんですね」
「まぁ、東京に出てくる機会がある時はいつも必ず利用してるからな。……基本的にあっちの開発にいるけど、実家はこっちだし、第二調査部とも協働することも多いし、元々本社で採用されているから、席はこっちだしな」
「本当にあちらこちらに居場所を作っているんですね」
「まぁな。入社した年が会社の起業したばかりの年だったから、世の中「G」発見で混乱していた頃だったし。故に当時はまだ調査研究部って名前だった、今の第一調査部と俺が入った開発部だけの状態。それで、第一調査部は東京にあった仮オフィスと件の某大学医学部の一角を使ってたし、開発部は福島の田舎にある別会社の使わなくなった工場を借りていた状態だったからな」
「でも、それでガンヘッドの基本を完成させたり、マイクロウェーブ照射装置の原型を開発したんですよね?」
「ま、異端者の集団と今でも言われている開発部だが、当時はその名の通りの状態だったからな。沼津校舎に開発部が移ると聞いた時は縁深いものを感じたけど、本当は沼津へは第一調査部の研究課だけの予定だった。けれど、福島の工場が使えなくなった為、急遽開発部も沼津へ移すことになったんだ」
「なぜ?」
「……色々あったんだ」
そういって、関口は紫煙に顔を隠した。
後に元紀が聞いた話は、福島の工場の一部を誤って損壊させた為らしい。確証のない噂では関口が起こした爆発で吹き飛ばしたとも聞いた。
「俺がこんなに会社に身を削っているのに。……最初の成果ともいえる、ガンヘッドのスタンディングモードの必要性を熱意で通したものの、いまだ米軍に配備される気配もなく、新たなロボット開発は音沙汰なし」
「それは関口さんが「G」の兵器利用方面ばかりの開発を推し進めようとして、相手かまわず喚き散らしていたからでは?」
「兵器利用じゃねぇし! ロマンを俺は訴えていたんだ!」
「………装甲車が変形してロボットになったり、エネルギー転送装置の構想がメーザー兵器になったり?」
「そう。せっかく沼津の茶畑くらいしかない山奥に構えるあの施設を見て、ロボットアニメの研究所を連想しない奴のがおかしいと思うぞ。つまり、兵器開発はロマンというわけだ」
「関口さんが警察に捕まらないことを祈っています」
「大丈夫。俺はそんなヘマをすることはない!」
「何を言っているんですか……」
元紀があきれているところに女将が酒と肴を持ってやってきた。
「今日は美味しい数の子が手に入ったんで、どうぞ」
「へぇーどこの?」
「さぁ? 確か袋には福島の伊達市って書いてあったけど……」
女将の言葉を聞いて関口がずっこける。
「それって俺が前に一年半、暮らしてたところじゃないか。……そういえば、使ってた工場と同じ工業団地に何たらフーズって数の子会社があったな。……って、あそこはスーパーに卸してるメーカーじゃん!」
「だって、そこのスーパーで買ったものですもの」
「そんなの、そのまま客に出すなよ」
「国道沿いに築地があっても、私がそこで仕入れをしていると思ったら大間違いよ! うちはスーパーのお惣菜で用意した家庭の味が売りなんだから」
「まぁ、本当に美味い酒しか仕入れない店ってので気に入っているんだからいいんだけど」
「なら、黙って食べなさい! じゃ、ごゆっくり」
女将は言うだけ言うと、襖を閉めた。
「ま、話しだすとうるさいんだが、基本的には呼ばない限り近づいてこない。密談には最適だろ?」
「確かに」
元紀が納得している様子を確認しつつ、関口は煙草を灰皿に捨て、元紀の前に置かれたお猪口に熱燗を注ぎ、自分もカクテルグラスを持った。
「さ、乾杯と行こうじゃないか。……乾杯!」
グラスとお猪口が当たった軽快な音を立て、二人は酒で喉を暖めた。
「さて、落ち着いたところで、某大学で会ったヒト「G」についての事と、ついでに調査していた例の瞬間移動の能力者についての話を肴にしようじゃないか」
そして、関口はニヤリと笑った。
【終】