ANECDOTES


∞In Other words∞
~Ending~



 22世紀を迎えた日本の蒲生村に、満月の光が注ぐ。その月光の中に、蒲生家が照らされる。
 その窓辺にある介護用の特殊寝台に横になって、老女となった蒲生元紀が窓を開け、夜風と共に注ぐ月光を浴びながら、満月を眺めていた。
 子ども達は遠いところへ旅立ち、夫も何十年も前に他界した。この広い邸宅も一人ではあまりにも広すぎた。
 科学の進歩で、生活面の不自由はなく、既に自力での歩行は困難な体となったものの、一人での暮らしを継続できていた。しかし、それも残り僅かな時間だと彼女自身、気づいていた。
 やれるだけのことをやり、時折訪ねてくる長生きな旧知の者達へも既に別れは済ましていた。せめて息子のいる時間に行って最期を過ごしては? と提案してきた者もいた。確かに彼女の力ならば、それを実現することができるが、元紀は断った。
 ふと、風がふわりと彼女の体を包み、目をつむる。
 目を開き、再び窓の外を見ると、庭に懐かしい青年の姿があった。

「久しぶりだな? 元紀」
「随分と遠回りをしてきたみたいね、銀河」

 元紀は後藤銀河に微笑んだ。銀河は何も言葉を発することなく、頷く。
 口で彼の歩んだこれまでの出来事を伝えるには、あまりにも人の命は短すぎた。元紀もその表情だけで、察した。

「それで、この老いぼれのところに、どうしたの?」
「約束を果たしに来た」
「約束?」

 元紀は銀河の瞳を見詰める。その瞳に映る自身の瞳を見て、遠い昔に交わした記憶が蘇る。幼少の頃の思い出だった。

「私に心理をかけた癖に、今更そんな昔の約束……」
「だから、今になったんだよ? もうみんな片付いた。だから、最期に約束を果たしにきた」

 銀河は月明かりの下、窓の中にいる元紀に手を差し出した。
 元紀は嘆息すると、その手をとった。彼女の意識にかけられた心理が解け、遠い昔に失われた感情が静かに沸き上がる。

「私を月に連れていって」
「あぁ」

 静かに、銀河と共に元紀の体が宙に浮かび、窓から外へと出ていく。
 そのまま二人は空高く浮かんでいく。高く。高く。雲よりも高く。
 そして、星たちに囲まれて月へと向かっていく。暗く漆黒の宇宙の闇に星たちの輝きは、まるでダンスホールの照明のように輝き、元紀の顔もまるで少女のように輝く。
 月の上から、地球を見つめながら、ゆっくりと元紀は銀河の胸の中に顔を埋める。

「あなたは私がずっと待ち焦がれていた人よ」
「あぁ。俺にとっても、ずっと元紀は大切な存在だった」

 銀河も元紀を抱きしめる。太陽の光が二人を照らし、二人はゆっくりと月面に着地した。

「それは、どういう意味かしら?」
「つまりな……」
「ん?」
「つまり……」

 銀河は言葉に詰まりながらも、元紀の顔を見詰める。老いた顔にゆっくりと銀河は顔を近づける。
 そして、囁くように伝えた。

「愛しているってことだ」

 銀河は元紀の唇に自らの唇を重ねた。何十年も前に彼が拒み、そして今彼からキスをした。
 キスをする元紀の体が若い麗しい少女の姿に変化する。
 二人は静寂の中、宙に浮かび、永遠のようで一瞬のように短い間のキスを終え、銀河の腕の中で元紀は静かに息を引き取った。
 そして、銀河も静かに目を閉じ、二人の体は光の粒子になり、星たちの海に消えていった。




【完】
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