銀河vsデストロイア in三保

2


 某大学の文化祭で来たのだから、ここは行った方がいいと関口に勧められて銀河は一度校舎から出て、バスに乗り終点の三保車庫まで行った。

「タイミングがよければ直接行けるんだけど、近いからこのまま歩こう」

 そう言う関口と共に銀河は、他の数組の一般人と共に三保半島の先端に向う道を歩く。歩道からフェンス越しに見えるサッカー場では子ども達が元気に練習をしている。
 しばらく歩くとヨットや小型船舶のマリーナやプール、ホテルなどが田舎町らしい細々とした雰囲気に包まれて点在していた。

「こっちのプールやその奥に見える建物、あれは研修施設で、某大学のものなんですよ」

 関口は道の反対側に見えるプールや駐車場の先に見える一昔前の保養所風の建物を指差し、説明する。他にも、プールでは大学の授業で利用するだの、自分達の歩いている側の浜辺ではマリンスポーツの授業を行っているだのと解説をする。その解説の中から時折、一般学生以上に彼が某大学組織内部に精通していた事が散見される。

「詳しいですね?」
「まぁ、無駄に人脈は多様だったので……さ、着きました。ここが、某大学海洋学部が誇る海洋博物館です。早い話がおまけで海に関する展示物が色々ある、ちょっと変わった水族館ってだけなんですけどね」

 関口は笑いながら、敷地内に入る。海洋博物館の受付と入口は正面にある建物だが、それ以上に手前にある船が目に付いた。

「これは某大学丸二世です。今はもう陸にあげて現役引退をしたものですけど、以前はこれで海洋実習を行ったりしていた調査船です。今は後継を某星丸というこれよりも大きい調査船が海洋実習で活躍してます」

 銀河はその引退船に古武士の風格を感じ、しばらく見上げていると関口が肩を叩いた。

「ここはいつでも見放題です。折角文化祭のパンフレットを貰ってきたんですから、行きましょう」

 彼の手に持つ文化祭のパンフレットには海洋博物館の割引券が付いていた。





 

 海洋博物館に入ると、銀河の好奇心が疼いた。元々山間の村で育った事もあり、海や水族館とは親しみがなかった事が逆に影響したのだろう。図鑑でしか見た事のなかったエイやサメ、ウミガメなどが泳ぐ大水槽の前を銀河はついつい何周も回って見てしまった。
 しかし、関口も元々好きなのだろう。一つ一つにアレはなんだ、これはなんだと解説をしつつも、純粋にそれらを眺めているのが退屈しない様だ。

「後藤君、こっちの角度もオススメだよ」

 彼に手を引かれ、大水槽の下を歩くトンネルへ降りる。有名水族館の様な一面ガラス張りというものではなく、所々が小窓になっており、岩場の隙間から周囲の様子を見る小魚やウツボの視点に近い。

「ここの小窓から見る角度、丁度エイが上を通るところとかいいんだよねぇ~」

 関口はニヤニヤとしながら小窓を覗き込んで言った。彼の覗いているのが大水槽である事を知らなければ、その姿は完全に覗き魔の変態だ。
 そんな事をしつつ、二人は先にある種類ごとに分けられた小水槽のエリアに移動する。

「ウツボの水槽とはいえ、いくらなんでも詰め込みすぎじゃないですか?」
「俺も前からそれは思っているよ」

 ウツボの水槽にいる十匹を超えるウツボが底で盛りそばの様に重なっている姿を見て二人は言葉を交わす。もう少し動けば蠢くという表現なのだろうが、じっとしているというか、だらけきったその姿は恐怖的表現から程遠い。

「この先にあるクマノミのコーナーで一通り水族館としては終わりで、それ以降は水中ロボットや海の資源や開発、研究の展示がある博物館的な要素が強くなる」

 関口は眠っているタコをじっと見つめていた銀河に言った。銀河は頷いた。
 クマノミのエリアに移動すると、急に照明の数が増えて明るくなった。壁紙や内装から子どもを意識したデザインにされているのがわかる。中央にある円筒水槽も、小さい子どもなら下から潜って、内側の隙間から顔を出して見る事ができる。カメラを持つ親なら写真を撮りたくなる構図だ。
 事実、このエリアに入った途端に周囲の子どもの人数が急に増えた。みんな、思い思いに水槽の中に泳ぐオレンジ色のカクレクマノミ達を眺めている。

「やっぱり映画のキャラになっただけあって可愛いんだな?」

 銀河も子どもに混ざって水槽を覗き込む。
 関口も水槽を眺めるが、特別にクマノミが好きであるわけではないらしい。それを銀河が聞くと、彼は淡々と答えた。

「だって、結局魚だから。性転換するという特徴は興味深いけど、姿形だけで無条件に好きになる事は俺にはできない。イルカが可愛いからという理由だけで特別視するのと同じ感情に思えて、俺には共感できない。それよりも俺は人が毛嫌いする寄生虫の方がずっと生物としては特別な存在に思えるよ」
「何故?」
「寄生虫は他の宿主が居て、はじめてその種の能力が発揮できる。つまり、彼らはそれだけでは生きられないんだ。一見すると、グロテスクだし、意地の悪い様に思えるけれど、そのシステムは非常に合理的なんだ。宿主へ辿り着く方法もどれも非常に理にかなっている。だから、寄生虫の方が俺は生物として特別視することができる」

 熱っぽく語る関口を見つめて、銀河はどこか共感するものがあった。

「ねえ! お魚さんの様子がおかしいよー!」

 その時、幼稚園児位の三つ編みをした少女が母親に叫んだ。
 声につられて、銀河と関口も少女が指差すクマノミを見た。そのクマノミのいる周囲だけ、異常に泡が上がり、クマノミはその場で暴れていた。
 しかし、すぐにそれは収まった。クマノミが死んだからだ。口とえらを開いた状態で硬直し、ゆっくり沈みかける。

「きゃあああああああ!」

 その後に起こった光景に少女は悲鳴を上げた。母親が慌てて少女の目を手で覆う。
 しかし、その恐怖は、次々に他のクマノミにも起こった。瞬く間に、華やかな水槽はおぞましい地獄絵図と化したのであった。

「水が……魚を喰った?」

 子ども達が泣き叫ぶ声が喧々と響く中、銀河は呟いた。
 水槽の中は、ゆっくりと溶けながら底に落ちるクマノミの骨だけになっていた。クマノミは突如全滅し、その体は水に溶解する様に、消えてしまったのだ。





 

 混沌とした場が、駆けつけた警備員や学生達によって収拾された頃には、クマノミは骨すらも残らずに消えていた。

「一体何が起きたんですか?」
「全く、全くわからない。こんな事が……」

 学生に訊ねられた男性は、顔面蒼白となって実年齢以上に老け込んでいる。

「アレはここの館長をしている博物学の教授の東先生」

 銀河が誰だろうと思っていたのが顔に出ていたのだろう、関口が小声で説明した。

「君達がここで見ていたんだってね? 何が起こったんだい?」

 東教授は二人に歩み寄ると聞いてきた。二人は顔を見合わせ、関口が答えた。

「それはこっちが知りたいくらいです。説明できるのは、突然魚が苦しみだして、死んでしまい、その死骸は跡形もなく水に溶けたという事だけです」
「それだけ?」
「はい。強いて言えば、その周囲だけエアーが多く上がっていた位ですね」
「むむむ………」

 仕舞いには東教授は唸りを上げて腕組をして子ども用の椅子に座り込んでしまった。

「水に原因があるんじゃないか? 何か他の物入れてみりゃどうだ?」

 銀河が投げやりに言うと、東教授は顔を上げた。すぐに学生に指示を出す。

「確か餌用の魚肉片があったな。それをこの水槽に入れてみ給え。それから、この排水をバケツにストック」

 指示が下ると、すぐに学生達は動いた。
 学生は小魚のぶつ切りを持ってくると、水槽に投げ入れた。沈む魚肉片。だが、一向に溶ける気配はない。

「東先生!」

 水槽に沈んだ魚肉片を眺めていると、排水を採りに行った学生の一人が血相をかいて戻ってきた。

「どうした?」
「鈴木と佐藤が倒れました!」
「何!」

 東教授が立ち上がり、慌てて水槽の裏へ入る出入り口に走る。銀河達も後を追う。
 駆けつけると、廊下に二人の学生が寝かされていた。近づいて彼らの姿を見た時、何故か銀河の脳裏に幼少期に吾郎がプールで溺れた時の記憶が蘇った。あの時の吾郎の様に、彼らも生気をなくした顔で寝ている。

「どうした?」
「そこで佐藤が排水を組んでいたら、突然倒れたんです。鈴木が駆け寄ったら、アイツもふらついて、何とか佐藤を連れてここまで登ってきたんです」

 銀河達は学生の説明を聞き、視線を廊下の途中にある階段に移した。階段の下には排水パイプが伸びており、傍にはバケツが転がり、水が広がっていた。
 この時、彼ら全員が、徒事ではないと悟った。







 警察と救急車の到着を待つ間、東教授達一向は警備室に居た。クマノミコーナーにある監視カメラの映像を見るためだ。
 しかし、そこに記録されていた光景は、銀河達の証言と同じ情報しか得られなかった。

「この映像って、もっと拡大できないんですか?」
「そこまでここはハイテクじゃないよ」

 警備員が学生の一人の質問に首を振る。
 しかし、別の学生が映像を見つめて言った。

「これってデジタルで保存されてますよね? だったら、パソコンの解析ソフトで処理をすればもっと詳しく見れるんじゃないですか?」
「よし、君はそれができるのか?」
「できます。趣味の延長線ですが」
「なら、早速頼む」

 東教授はその学生に言うと、別の学生に聞いた。

「二人の様子は?」
「鈴木は朦朧としていますが、意識はなんとか保ってます。ただ佐藤がやばいです。呼吸はしているんですが、意識が完全に落ちてて」
「そうか……」

 彼らの会話を聞く中、銀河はずっと無言で顎に手を当てて考え事をする関口に話しかけた。

「関口さん、何か気がかりなことでもあるんですか?」
「なぜ?」
「さっきからずっと何か考えている様ですし、クマノミ水槽で話していた時もクマノミとは違うところを見ていたので。気がかりな事があったら、俺に話してください」

 銀河の言葉を聞いて、少し眉を上げた関口は口を開いた。

「………いや、プランクトンがね。赤いプランクトンがいて、見慣れない形だったから目で追っていたんだ。それが、クマノミが死んだ時に、丁度泡が出ている所に見えたんだよ。しかし、幾らなんでもプランクトンが単体で魚を丸々食べたり、溶かしたりなんてできない。……それに、あの時の溶け方は尋常じゃない」
「というと?」
「肉や骨が溶けるというのは、pHや分解酵素の影響が考えられる。魚肉が溶けるという場合は、タンパク質分解酵素の働きが考えられる。でも、あの溶け方は分解というよりも消滅に近い。俺は、卒研で魚肉と魚骨の分解菌を研究していたんだ。その時、色々な条件でどれくらい魚骨が解けるかを調べていた。けれど、あんな短時間で小さなクマノミと言えど、溶けた条件は知らない。どんなに短くても一日は必要だ。ましてや、小さいとはいえ、円筒水槽は試験管サイズじゃない。しかも、クマノミが溶けたのは一斉ではなく、バラバラだ。連鎖的だけど、連続的なことじゃない。同じ水の中にいたのにあの時間差は謎だ。そもそも、タンパク質を分解すれば分解物が水中に浮遊して、白く濁る。仮に一瞬でアミノ酸にまで分解されたとしても、完全な無色透明な海水のままであるのはありえない。小さいとはいっても、数があれば濁るはずなんだ。あの水槽には数十匹というクマノミがいた。水槽の水が常に循環していたとしても、それらが全て溶けたんだ。容量に対しての含有量は決して少なくない。消滅したという表現の方が正しいんだ。それに、倒れた彼らのこともある」
「つまり、普通の生物や化学物質が原因ではないと?」

 関口は頷いた。

「あぁ。……後藤君、少し気になる事があるんだ。一通り事情の説明が終わったら、大学へ戻りたい。君にも同行してほしい」
「それは構わないけれど……。今の話は?」
「話してもいいけど、恐らくことを余計にややこしくするだけだ。今は分からないという返答で通すのが得策だな。何か分かれば、その段階で説明すればいい」

 銀河もノート型パソコンを操る学生を取り囲んで騒いでいる東教授達を見つめて頷いた。
 今は必要以上に憶測を言うのが得策と言えない。それが事実であるようだ。
 まもなく、警察と救急車が海洋博物館に到着した。

 



 

 銀河と関口が大学に戻ったのは、夕暮れ近くになっていた。既に多くの展示や露店が終了の準備に取り掛かっていた。

「すみませんね。折角の見学が、こんな事になってしまって」
「構いませんよ? それよりも、これから誰に会いに行くんですか?」

 関口の先導で歩いている。彼らは、今文化祭の露店が並ぶ裏にあるテニスコート脇の小道を歩いている。小道の両脇には、展示や露店の立て看板の他に、最終日に行われる気球体験や某星丸乗船イベント、後夜祭の花火についての宣伝も置かれている。
 小道を進み、テニスコート脇を過ぎて、その裏にある駐輪場の脇まで来ると、一般道を挟んで反対側に二つのグラウンドに挟まれて立つ別の校舎が現れた。他の1号館などと同じ四階建てだが、横に広く、螺旋状のスロープがあるからだろう、概観は他よりも大きく見える。

「8号館。文化祭のメインでは使われていないけど、普段の講義や実験なんかはこっちがメインで使われているんだ。研究室もいくつか入っているし、図書館もこっちにある。まぁ、有名どころの研究室はあっちに見えるマグロの養殖が行われていたりする9号館や10号館だけど……、8号館にも中々優れた先生がいる」

 関口は駐輪場の裏にある二つ並んだ建物を示して言った。手前の建物の隣には、マグロ養殖場と書かれたテントがある。
 そして、二人は一般道を渡り、8号館の一階に入った。

「こんばんは、中目黒先生」

 一階にある研究室の一つに、関口は入った。銀河も後に続く。

「んー? まだ何かあるのか?」

 研究室の奥から初老の男性が出てきた。彼が中目黒化学教授なのだろう。

「先ほどの用件とは別です。先生は、海洋博物館で起こった事件をご存知ですか?」
「あぁ、聞いたよ」
「俺達、あの時現場に居合わせまして、少し気がかりな事があるので、一つ中目黒先生のご意見を伺いたいと思いまして伺いました」
「ん。じゃあ、時間がかかりそうだな。そこに腰掛けて。温くなってしまったけど、お茶がまだ残っている。飲むかい?」
「いただきます」

 ゼミ用の机だろう。研究室の入ってすぐにある広い円卓に座るように促すと、中目黒教授は備え付けの流し台に置かれた急須から湯呑にお茶を注ぐ。

「丁度三人分だった。……さて、ことの経由から何が起こったのか聞かせてくれ」
「はい」

 関口は頷くと、銀河の紹介から海洋博物館で起こった一連の流れを簡潔に説明した。
 そして、警備室で話した水色の謎についても話し終え、関口は一旦話を区切り、湯呑に入っていたお茶の残りを飲み干した。

「ふぅー。以上が、今のところわかっている事です。それで、俺が気がかりに感じたことがもう一つあります」
「それは?」
「倒れていた廃水を採水していた佐藤という学生に近づいた時に、塩素臭がかすかにしたんです。それで、光触媒反応でクマノミの骨が消滅するほどまで溶ける可能性があるか教えて頂きたいと思いまして」

 その言葉を聞いて、銀河があの時、プールを連想したのか気がついた。プールの殺菌に使う次亜塩素酸ナトリウムの持つ塩素臭を思い出したのだ。

「確かに、次亜があると酸化チタンの光触媒反応が活性化されるという話はかつて君にしたね。……しかし、それで効果があるのは、もっと微小な細菌などに対してだ。骨も有機物である以上、溶かせない事はないが、それは君の話した酵素やpHによるものと大差はないよ。いずれにしても、一瞬で消滅するようなモノは今のところ………あ」
 中目黒教授も残りのお茶を飲み干しつつ答えるが、途中で表情が固まる。
「何か見当があるんですか?」
「いや、机上論の話だ」

 関口に中目黒教授は頭をふる。

「それでも構いません。教えてください」
「先日、ある化学専門誌に投稿された論文で存在を仮定した物質というか、現象を引き起こす因子とでもいうのか、兎に角そういう曖昧な定義で書かれていたものがあったんだ。それによって引き起こされる可能性のある現象に似ている」
「それは?」
「確か、オキシジェン・デストロイヤー。直訳すれば、酸素破壊者だな。実に荒唐無稽な机上論で、雑誌にも抗議が届いたと聞いた。だが、それによる現象として上げられたものが、酸素の破壊による酸欠や水の分解、更に有機物から無機物への瞬間的な分解だった。それを表現する言葉は、消失、或いは消滅と書かれていた」
「オキシジェン・デストロイヤー……。確かに、酸素が消滅なんてすれば、水は水素分子だけになる。海水もイオン化していた塩素が出てくる。……じゃあ、倒れた学生は酸欠か!」
「おいおい、これは「G」に感化された異端科学者の机上の空論だぞ」

 中目黒教授は呆れ気味に言った。しかし、関口はニヤリと笑った。

「ならば、「G」によるものだったら?」

 彼の一言に中目黒教授の表情が変わる。

「おい。お前が、「G」に肩入れしているのは分かっているが、それを結論にしたら科学は終わるんだぞ?」
「それを科学にする為に俺は「G」で飯を食っているんです。常に好奇心と探究心を持つこと。一つ一つに疑問を感じてそれを考えることが科学で大切なことだという先生の言葉は今も俺の中に息づいています。昼に見せたのも、俺なりのアンサーです。そして、今度の出来事は、「G」に行き着くことで結論が出ている」
「しかし、「G」という存在が関わっていたとして、それだけでは結論にはならない。それには要因があるはずだ。つまり、「G」という存在そのものだ」
「「G」という答えが出た時点で、見当はついてます」
「まさか、赤いプランクトンか?」

 銀河が思わず言葉を発すると、関口は頷いた。

「後藤君。もう一ヶ所、一緒に行ってくれるかい?」

 銀河は頷いた。
3/7ページ
スキ