遺恨

7


 夕日に照らされる美術館の扉は閉ざされており、玄関ホールには気絶した女性警官達が倒れていた。
 そして、その前で対峙するミラと坂上。ミラの手には拳銃が握られ、坂上の手には悪路神の火が握られていた。

「さぁ、渡しなさい!」

 ミラは銃口を彼女に定めた状態で語気を強めて言った。
 僅か数分のことだった。美術館にミラが現れ、女性警官二人を気絶させて拳銃を坂上に突きつけて悪路神の火を出すように要求したのだ。坂上はそれに従って、今その手に悪路神の火が握られている。

「これをあなたに渡すことは決してできません。田村を殺した立烏帽子には、例え何があろうと!」

 坂上はその瞳に憎悪の篭った不気味な光を宿して、ミラを映す。
 しかし、武器を持つ彼女は余裕を持った笑みを浮かべる。

「やはりわかっていたのね。じゃあ、この意味はわかるでしょ? 今がどういう状況であるか」
「えぇ。あなたに復讐を果たして、私が田村とあの子にせめてもの償いをします」

 坂上の手中で悪路神の火が赤く光り出した。





 

「この事件の発端は田村氏と坂上静香、鈴木通子が同時期に出会ったことにあります」

 サイレンの鳴る車を走らせながら、吾郎は事件の真相を瀬上に話し始めた。既に他の車輌にも美術館へ行くように連絡しているが、いずれの車輌も到着には時間がかかるようであった。

「当時既婚者であった田村氏と坂上さんが師弟を越えた仲になり、やがて彼女は身ごもった。そして、田村氏は当時の妻のふりをして彼女に凛さんを生ませた。恐らく、彼らも悩んだ末の決断だったのだとは思います。しかし、彼女自身の精神的負担は想像を超えるものだったのでしょう。彼女は愛する者から逃げ出した」
「鈴木通子ですね」
「はい。実際のところはわかりませんが、情報からして、恐らくは鈴木さんが彼女の心の隙に入り、誘惑をしたのでしょう。そして、坂上さんはその誘惑に引き込まれ、同時に田村氏と娘から逃げ出した。……とはいえ、決して広い世界での出来事ではない。何よりも彼女も田村氏も互いを想う気持ちを持ち続けていたのでしょう。大学での立場は鈴木さんが手に入れましたが、坂上さんは田村氏から美術館を受け継いでいるのがその証拠です。そして、悪路神の火も」
「鈴木通子はもしかしたらライバルを蹴落とすために彼女を誘惑したのかもしれませんね」
「或いは。……断定はできないことですが。そして、次に原因となったのが立烏帽子と田村氏の死です。当時、暗躍していた立烏帽子が悪路神の火を狙い、その際に田村氏を故意か過失かわかりませんが、死亡させてしまい、事故に見せかけた。その結果、立烏帽子は長く活動をやめた。しかし、田村氏が事故死ではないと気づいていた者もいた」
「一人は目撃者の田村凛ですね」
「でも、彼女はその記憶そのものに確信を持てなかった。逆に、決定的な目撃はなくても、限りなく事実を見抜けていた人物もいた」
「鈴木通子ですね」
「はい。彼女はワイズさんの動向に目を光らせていたのでしょう。結果、彼女が立烏帽子の首領、鈴鹿御前であると確信した。……僕はそう考えています」
「しかし、彼女はそれを口にしなかった」
「物的証拠もない状況で、状況証拠のみが限りなく彼女を示したのだとすると、わざわざ彼女がそれをすすんで口にしないでしょう。むしろ、彼女としては口を閉ざし、ワイズさんの動向に眼を光らせ続ける方がいい。そう判断した可能性は高いです」
「確かに。……しかし、そのことに彼女はメリットがあるんですか?」
「彼女にはもしかしたら今回の計画がその時点で浮んでいた可能性はあります。悪路神の火が盗まれなかったのは、言い換えれば再び盗まれる可能性がある。そして、立烏帽子がその犯行から組織的なものであることから、己の身を危険にさらす可能性があったことも当時のタイミングで何も語らなかった理由の一つであったのでしょう」
「そして、美術館と悪路神の火は坂上静香が引継ぎ、鈴木通子は大学で准教授となり、田村凛の指導教員となった」
「この十年間を彼女達がどのような心持ちで過ごしてきたのかは想像するしかありません。実の娘に母親であることを伝えられずに見守り続けた坂上さん。限りなく全ての事実を知りながらも全てを自身の中に留めて傍観を続けた鈴木さん。父を失い、唯一の肉親の祖母に育てられながらもその父と同じ道に進んだ凛さん。彼女達はそれぞれの思いを胸に月日を過ごしてきた。それはある意味、バランスの取れた状態だったのだと思います。しかし、十年後の今、そのバランスが崩れた」
「ミラ・ワイズの来日ですね?」
「はい。彼女の出現は即ち、再び悪路神の火を狙うという目的を示しています。実際、彼女は表向きの名目も悪路神の火の入手でしたが、恐らくはそれよりも先にそれを察した人物がいます」
「鈴木通子ですか」
「はい。彼女は准教授として悪路神の火を手に入れることのできる地位になっていた。加えて、彼女にはもう一つ手中に収めた存在があった」
「田村凛か……」
「えぇ。かつて坂上さんを誘惑した彼女は、娘の田村凛さんを誘惑し、悪路神の火の所有者とすらなれるような手段を得ていた。彼女にとって、悪路神の火を盗まれることや、自分の地位を脅かすような存在は邪魔でしかないと思います。そこで、彼女は計画を実行に移した。といっても、彼女のやったことはたった一つ。坂上さんに彼女の知ることを教えただけです」
「しかし、それで十分です。田村氏に対して負い目を感じている坂上にとって、彼の死が事故でなく殺人であったとなれば、それを明らかにしたいと考えるのは容易に想像ができる。場合によっては、復讐すらも厭わないと思います。何よりも、彼女が美術館の館長になったのは、田村氏から継いだという意味もありますが、恐らく娘の凛にいつか継がせたいという思いがあったに違いないと思います。もし田村氏が悪路神の火を守って死んだのなら、彼女にとって悪路神の火を守ることは使命とすら感じていたのかもしれませんよ」
「そうですね。悪路神の火を狙う者が現れた。そして、実際に彼女はその名目を持っていた。名目だけでもかなりの強制力をもっていたのだとしたら、断れば再び盗まれる。彼女にとってこれは危機以外の何者でもない。結果、彼女が導き出した結論は、悪路神の火を自分が盗むことだった」
「しかし、あの映像はどうやったのですか?」
「あれは手品ですよ。鏡を使うのです。あの薄暗い中、鏡を二枚組み合わせ、つなぎ目をわかりにくくしたものを顔の前におき、上着などで隠せばカメラの映像ではまるで透明人間のように見える。そして、脱出は裏口から出て行けばいい。鍵が紛失しているというのは、他ならぬ坂上さんの証言ですからね」
「では、あの飛び去る影は?」
「あれは入口と反対側の木にでも繋ぎ合わせたワイヤーか何かに滑車にコートをつけて、風船や凧などの空を飛ばせる細工をして置いたものを使ったんです。行きは滑車で滑らせて入口の屋根の影に行かせ、帰りはワイヤーを切れば、飛び去る様に見せかけられます。当然、外部へと視線を向けさせるためのことでしょうが、この様な細工がされていたと考えると、逆にそれが必要な人物の犯行であると気づける。だから、ワイズさんは悪路神の火を盗んだのが坂上さんだと気づいてしまったのです。同時に、この細工で一番安心して悪路神の火を隠すことのできる場所もできた」
「美術館の中……」
「はい。警察は犯人の痕跡を探して館内をくまなく調べましたが、悪路神の火を捜しはしなかった。当然、関係者の家や荷物に悪路神の火を捜しても、見つかるはずはありません。ワイズさんに関しては、犯行後に忍び込み、立烏帽子の存在に気づき、それを回収するだけで戻った。彼女にとってすれば、自分を罠にはめて、悪路神の火を盗んだ者がいると気づいたわけです。立烏帽子を坂上さんが置いた目的は、警察に窃盗団の立烏帽子を逮捕させるように促すためでしょう。しかし、実際には立烏帽子がなくなっていた。映像で坂上さんが驚いていたのは、悪路神の火が消えたことでなく、立烏帽子が消えたことに対してだったのです」
「一方で、ミラ・ワイズは警戒していた訳ですね。誰が悪路神の火を盗み、自分を罠にはめようとしたか?」
「はい。当然、彼女はプロです。それを前提として捜索していない警察に自らの正体が暴露するような物を見つかるような場所にはおいていないのでしょう。証拠はない。しかし、彼女にとっても焦りがあったと思います。彼女は結果的に二度も悪路神の火を盗めなかった。もしも彼女の後ろに大きな組織があるとしたら、これは彼女の死を意味します。もう彼女に後はなかった。先ほどの連絡は森の中から例の飛び去る影の正体である上着一式が発見されたというものです」
「それを聞けば、そんなトリックが必要な人物、坂上が犯人だと気づく。同時に悪路神の火の隠し場所も予想ができた」
「その結果、彼女は行動に移した。おそらくもう彼女は取る手段に躊躇する余裕はないと思います。最悪の場合、坂上さんを殺してでも悪路神の火を奪うでしょう!」

 吾郎は下唇を噛みながら言った。
 車輌はまもなく美術館に迫っていた。





 

 美術館にはまだ警察車輌が到着していなかった。
 入口前に車を止めると、吾郎と瀬上は車から飛び出し、美術館の扉を吹き飛ばさん勢いで開け放った。

「なっ!」
「これは!」

 二人の目に飛び込んだのは、宙に浮ぶ火の玉であった。
 そして、その下に倒れる坂上の姿。その前で腰を抜かして火の玉を見上げるミラとその後ろで倒れている二人の女性警官があった。

「こいつが悪路神の火の本性か?」

 瀬上はミラに向かって問いかけたが、彼女は全く反応が返ってこない。ただ、恐れに震えている。

「くっ………」

 瀬上は上着のポケットに入れていた硬貨を握り締める。彼の経験上、あの「G」であれば、この近距離から硬貨をレールガンにして放てば倒すことは容易だろう。
 しかし、ここでそれをやれば、吾郎に彼の正体を露呈することになる。吾郎を一瞥した。
 「G」を理由もなく恐れない吾郎ならば、瀬上が爾落人であると知っても恐れるようなことや周囲に言うという心配はない。だが、それでも坂上やミラ、他の女性警官達もいる。
 彼は思わず躊躇してしまった。

「!」

 その時、彼を横切った影があった。驚いて見ると、それは素早くミラと女性警官達に駆け寄る吾郎であった。

「身をかがめたまま! 外へ!」

 吾郎は叫んだ。その言葉でミラが正気に戻り、四つん這いに逃げ出す。
 彼は更に女性警官達を肩に背負い、歩きだす。女性であっても二人を一度に運ぶのは至難の業だ。
 悪路神の火は火柱を伸ばし、美術館の天上を燃やし始めた。

「くっ!」

 瀬上も吾郎の下に駆け寄り、彼から女性警官を一人受け取る。

「身をかがめて下さい!」

 吾郎に言われ、瀬上は閑窓瑣談に書かれていた文面を思い出し、頷くと四つん這いになり、入口に向かって進んだ。
 火は燃え広がり、館内が瞬く間に炎に包まれる。
 瀬上は入口から出ると、女性警官を地面に寝かせると自身も倒れた。例え爾落人であっても、四つん這いで女性を背負うのは労力がいることであった。
 既に美術館は黒煙を上げて燃え出していた。

「はぁ……はぁ………! 五井さん!」

 瀬上は視線を入口に向けると、再び中へと入る吾郎の姿が目に入った。彼は吾郎の名前を呼ぶが、吾郎はそのまま中へと入ってしまう。

「まさか!」

 坂上がまだ残っている。吾郎は彼女を助けに行ったに違いなかった。
 咄嗟に立ち上がった瀬上は、無我夢中で自分も中へと飛び込んだ。もはや爾落人の事実を隠すかどうかは彼の頭になかった。あるのは、五井吾郎を死なせてはいけない。その一心であった。

「五井さん!」

 館内に飛び込んだ瀬上は、火の海と化したロビーの中を這いながら悪路神の火と坂上に近づく吾郎の姿を捉えた。
 彼は坂上に手を伸ばし、悪路神の火の下から引き摺り出そうとする。
 瀬上は身を屈めると、電磁で周囲の磁力をそろえる。僅かだが、炎が自分を避けるようになった。
 彼はそのまま吾郎の元に進み、坂上のもう一方の手を掴んだ。

「瀬上君!」

 驚く吾郎に瀬上は言う。

「死なせはしません! あなたも、彼女も!」

 そして、二人は坂上を悪路神の火の下から引きずり出した。
 まもなく、美術館は燃え盛る業火となり、黒煙が空高く舞い上がった。





 

 坂上は著しく衰弱しており、外へと出た時には既に虫の息になっていた。
 そして、救急車が到着する前に彼女は息を引き取った。

「凛に……この手紙を……」

 彼女はそう最後に二人に告げ、吾郎に手紙を託した。

「……ん? 五井さん、ミラ・ワイズの姿が……」

 消防と警察が慌しく動く中、瀬上はミラの姿が消えていることに気がつき、吾郎に言った。
 しかし、吾郎はしばらく周囲を見回し、彼女の姿が見えないことを認めると、平然とした調子で答えた。

「そうですね。……でも問題はありません。既に彼女に逃れる術は残っていませんよ。彼女の属していた立烏帽子を操る組織に匿ってもらうという選択肢は彼女にはできない。彼女は二度にわたって悪路神の火を入手することに失敗している上に、時期に鈴鹿御前として彼女は指名手配されます。その様な人物、例えバックに巨大な組織が存在しようと、始末されるのが落ちですから」

「しかし、どこに潜伏しているか……或いは他県に逃れている可能性もありますよ?」

 瀬上が言うと、吾郎は頷き、近くの警官を捕まえると非常線配備をするように要請した。

「これでまずは大丈夫です」
「しかし、三重県内といっても広いですよ? 絶対に捕まえられる保証なんて……」

 すると、吾郎は瀬上の言葉を制して、首を振った。

「いいえ。絶対に捕まえます。ここからが僕達の本当の仕事ですよ。……立烏帽子の首領、鈴鹿御前であるミラ・ワイズは必ず捕まえます。絶対に!」

 吾郎の目は瀬上すらも脅威を感じるほどに強い、おぞましさを感じさせる程のものであった。
 美術館の火はその後、三日三晩に渡って燃え続け、やがて沈火された。
 焼け跡からは、再び石の姿に戻った悪路神の火が発見され、事件の送検後に所有者の下へと返されることになったが、美術館の管理者である坂上の死亡と管理権を求めていたミラが指名手配されたことで、管理は裁判所の判断で三重大学の鈴木通子准教授へ委託されることとなった。





 

 約一ヶ月後、瀬上の研修最終日に、彼と吾郎の二人は坂上静香の法要へと出向いていた。
 本来、彼の研修はその一週間以上前に終了する予定であったが、無理を言ってこの日まで伸ばしてもらった背景がある。

「この度は本当にありがとうございます」

 供養を終えた墓場で田村凛が二人に礼を告げた。
 三重県警内で指名手配されたミラ・ワイズは、比較的長く潜伏を続けていたが、5日前に県内の宿泊施設に滞在していた身柄を拘束された。県警の活躍がその裏では当然ながら存在していたが、何よりもその逮捕劇が実現したのは五井吾郎の執念ともいうべき地道な捜査があってのことであった。
 そして、この日にはミラへ田村達磨殺人容疑の余罪についても逮捕状が請求されることになり、いよいよ事件は解決を迎えることになった。

「いえ。僕達は職務を全うしただけですよ」

 吾郎は少し照れて様子で答えた。
 その様子を見て瀬上は、それが謙遜ではなく彼の素直な言葉であることを理解していた。
 既に最初に彼と顔を合わせた時に思った、取るに足らない人間、刑事という判断が如何に誤ったものであったかを瀬上は十分に理解し、その考えを改めていた。

「でも、これで父も母も報われると思います」

 凛は微笑みを浮かべて告げた。

「あぁ、忘れていました。お母さんからあなたにお渡しするようにお願いされていた手紙です。内容は既にご存知かと思いますが、これを持つべきなのはあなたですので」

 吾郎は懐から坂上の死に際に受け取った手紙を取り出すと、凛に差出した。
 彼女はそれを受け取ると、「凛へ」と書かれた封筒をじっと見つめると中を開かずに手提げ鞄の中へとしまった。

「ありがとうございます。……これは私にとって大切な宝物であり、父と母の遺言です」

 凛は答えたが、二人はどうしても最後までその手紙を読む気にはなれず、一切読むことはなかった。
 吾郎は微笑んで彼女に言った。

「これはあなたに送られたものです。僕達は一切見ていません。……そこに書かれていることは、お母様からあなたに送られた世界でたった一つの言葉です。どうか、大切にして下さい」
「はい。ありがとうございます」

 凛は笑顔で頷いた。

「そういえば、大学をお辞めになったそうですね?」
「はい。……なんというのでしょうね。……自分なりにけじめをつけた。そんな感じです。あ、でもこれで立ち止まるつもりはありません。いつか父や母、鈴木先生に負けない考古学者になるつもりです」

 凛は二人に力強く答えた。その眼に迷いは一切感じられない。
 そして、墓場を後にした二人は津駅で最後の別れになった。瀬上の頼みで、吾郎とは車中で見送りとなり、時間までの僅かな時間で二人は最後の会話をしたのだった。

「……これでお別れですね」
「はい。でも、ミラを逮捕できてよかったです。………勿論、逮捕すらできない人物が一人残ってしまいましたが」

 瀬上は脳裏に鈴木通子の姿を浮かべつつ言った。

「それは仕方ありません。彼女は全くもって事件に関与していませんから。彼女のしたことといえば、坂上さんに知っていることを教えた。それだけです。それを罪に問うことはできません」
「しかし、彼女は実際に学問上のライバルである坂上とミラを排除し、悪路神の火を手にいれ、坂上の手紙がなければ凛さんも彼女の手中で今も研究をしていたのですよ?」
「でも、それは結果論ですよ。僕達に、そのことを咎める権利はありませんよ」
「しかし!」

 瀬上も当然わかっていた。それが警察の限界なのだ。自分達は犯罪者を捕まえることであり、悪人を咎めることではない。
 鈴木通子が如何なる手段を講じて現在の地位と悪路神の火を手に入れようと、それが違法でない限り、彼らには手も足もでない。
 それを十分に理解している上で、吾郎は穏やかな笑顔を浮かべて瀬上に頷くのだった。

「もう、この事件は終わりなんですよ。どんなに遺恨が残ろうと、事件は解決したんです」

 そして、瀬上は吾郎と別れ、三重の地を後にした。
 帰りの電車内、瀬上は悶々と考えるのであった。
 どんなに悪い女であっても捕まえることはできない現実について。
 どんなに危険な「G」であろうと、その危険性を知らずに別の価値を見出し、悲しみが生まれることについて。
 そして、過去に出会った様々な人と出来事について。
 やがて、瀬上が東京駅に到着した頃、彼には一つの決意が像をなしていた。




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――――――――――――――

 
 

 3月のある雨の夜。三重県地方検察拘留所の一室に窃盗団「立烏帽子」の女首領、鈴鹿御前ことミラ・ワイズの姿があった。
 事件は既に警察から検察の手に渡されており、現在は余罪に当たる田村達磨殺害容疑の追及を含めて起訴前の拘留中であった。
 鉄格子の付いた小窓の外は雨で、冬には珍しく夜の闇に雷光が薄暗い小部屋を時折照らしていた。
 また雷が光った。

「!」

 小窓を見上げたミラの顔に血の気が失せた。侵入不可能といえる拘留所の小部屋の中に全裸の男の姿があった。

「へへへ、随分と無様だな」
「南條……」
「聞いたぜ? 犯人が人間か爾落人かの区別もつかなかったんだって? 挙句が、一介の刑事に犯行を暴かれてこの様。もはや哀れだな」
「この変態が! 貴様、何をしに来た?」
「おいおい、さっきのあの青ざめた顔……別にこの姿に見せたものじゃないはずだ。俺が来た目的はわかってるだろ? 殺しってのは趣味じゃないんだが、上からの命令じゃ逆らえねぇ。悪く思うな? お前の口から組織の事が漏れるのは不味いんだ。それにどうやら機関の連中もお前が組織関係者だということに気づいたらしい。そうなると、お前が幾ら固く口を閉ざしてもその情報が漏れないという保証はない」
「いやよ……私は、死にたくない! 組織に今まで尽くしてきたでしょ?」

 後退りするミラだが、既に部屋の隅に追い込まれており、逃げ場はない。

「散々甘い汁を吸ってきたんだ。その言葉に意味はないぜ? ……くくく、随分心拍数が上がってるな。もう少し、休んだ方がいいぜ」
「いや………」

 ゆっくりと迫る男の手は彼女の胸の中に触れると、そのまま体内へと入る。

「やめてぇぇぇ……ッ!」
「おやすみ……姉御」

 ゆっくりと手を引き離すと、ミラは眼を大きく見開いたままを倒れた。
 刹那、男の姿は一切の痕跡も残さず、消えた。
 まもなく看守によってミラ・ワイズの遺体が発見されたが、死因は心臓発作による突然死と判断された。男や組織の存在に気づく者は誰もいない。




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 同じ夜、偶然ながら瀬上も三重の地にいた。今回は吾郎を含めて誰一人として彼がここに来たことは告げていない。
 雨を浴びながら、彼は眼前にある三重大学人文学部校舎を見上げて口元に微かな笑みを浮かべると、その姿は瞬く間に消えてしまった。
 そして、校舎の扉がひとりでに開き、廊下に足音だけが響き渡った。
 数分後、校舎から鈴木通子の悲鳴が上がり、新たな事件が起こった。
 彼女の部屋にあった悪路神の火は姿の見えない犯人によって奪われ、かわりに驚愕する彼女の足元に一枚のカードが残されたのだった。
 カードには次の文字が記されていた。

『悪路神の火はいただいた。
      「G」ハンター』




【終】
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