遺恨
6
夜、瀬上はメモの頼りに港周辺の商店街を歩いていた。人は恐ろしくまばらであり、店も軒並み閉店時間を過ぎて戸口を閉ざしていた。
「まるで真夜中の様相だな」
東京では決してありえない光景に苦笑しつつ、彼は目的地に足を進める。
まもなく、提灯の出された一軒のラーメン屋に辿り着いた。
「ここか……。飲み屋かと思ったら、ラーメン屋かよ」
瀬上はブツブツと苦言を漏らしつつ、暖簾をくぐった。
「いらっしゃい!」
快活な店主の声が彼を迎えた。
「あー、人と待ち合わせているのですが……」
「誰だい?」
「五井さんです」
「はいよ。吾郎ちゃんは会議室にいるよ」
店主は笑って答えた。他に客はいないところを見ると、一応聞いただけなのだろう。
「会議室?」
「その奥に階段があって、二階に座敷があるんだよ。ほら、お客様をご案内しろ!」
店主は指で店内の奥にあるドアを示して答えると、影で皿洗い中の店員に声を浴びせた。
店員はそそくさと水を止めると、裏方から出て来た。手をタオルで拭き、腰を低くして瀬上を二階へと案内しようとする。着ぐるみの様な姿をした「G」が。
「なっ!」
エプロンを付けた怪獣は、ドアを開けたまま驚く瀬上を不思議そうに大きな眼で見つめる。
「なんだ。お客さん、そいつのこと知らなかったのかい?」
「い、いや……。まさか本当の事だったとは思わなかったので……」
「ははは。初めてこいつを見たら大体そうなるさ、なぁ?」
「バラサ、バラサ」
店主は「G」に笑いながら話を振る。当の本人も独特な声を上げて笑った。
瀬上は、狐につままれた気分のまま、「G」の案内で二階の座敷に通された。
既に吾郎は座敷にいた。
「ご苦労様」
「なんなんですか、この店は」
笑顔で瀬上を迎える吾郎に彼はふらつきながら腰を降ろした。
「以前、ちょっとした騒動があってね。彼はここで働いているんだ」
「いや、その話は知っていますが……。なんなんですか? あの着ぐるみみたいな変な奴は」
「一応、イグアナの怪獣らしいよ」
水を飲みながら吾郎は答える。
「いや、そういう意味ではなくて……。その怪獣がラーメン屋で働いているんですか?」
「騒動のことを詳しくは知らないのかな? 彼はラーメンが好きでね……」
「そうではなくて! なんで、人情物語みたいな流れで彼が普通に働いているのかってことですよ! 機動隊も出動するほどの騒動になったんですよね? そもそもなんで、あの店主はラーメンを30杯も食わしたんですか?」
「ラーメン好きに悪い奴はいないっていうのが、あの親父さんの信念らしいよ。あと、金もない奴がラーメンを食うなっていうのも信念らしくて、無銭飲食で通報して事件が発覚したんだ」
吾郎の説明には、根本的に瀬上が頭を悩ませている点についての何一つ答えになっていない。
「ラーメンを注文したので、あの店主は彼を悪い奴でないと判断した。これは百歩譲って理解しましょう。……だけど、店に入ってきた時点でしかるべきところへ通報するものでしょう? それともあの店主も「G」なんですか?」
当然、店主から爾落人らしき独特の気配は微塵も感じ取れなかった。
「あぁ、あの主人も僕と同じ村の出身なんですよ」
「確か、ケンもその村の出身って言ってましたよね? 一体、その村は何なんですか? まさか、村中に「G」がいるなんて言いませんよね?」
「そんな妖怪横丁みたいな村じゃないよ。長閑な集落だよ。まぁ、ある意味では「G」が村中を歩き回っていたともいえるけど」
「はぁ?」
いよいよ意味がわからなくなってきた瀬上は、眉を寄せる。
しかし、吾郎は苦笑混じりに答えた。
「村には爾落人がいたんですよ。僕の幼馴染で親友のね。彼にもやはり力があって、かつて村を襲った「G」から村を救ったんです。それ以来、村の出身者のほとんどが「G」を単に得体の知れない存在として恐れなくなったんです」
「その結果が、パソコンに女を住まわせる男や怪獣を働かせるラーメン屋ですか?」
「まぁね」
吾郎は苦笑混じりに頷いた。村人も変わっているが、彼らをそんな風にしたその爾落人も相当な変わり者だと瀬上は思った。
「さて、余談はこの辺にして、注文はラーメンと餃子、ビールでいいですか?」
「任せます」
吾郎は襖を開けて、大声で注文を告げると、襖を閉じて座りなおすと鞄を開けた。
「じゃあ、ラーメンができるまでの間に本題を片付けようか」
「はい」
瀬上も、交通課から借りてきた資料を鞄から取り出した。
「では、先に私から。……不審な点ですが、見つかりませんでした。記録上からは、完全な交通事故死です。自身の運転する車の操作ミスによる単独事故死。事件現場は美術館に近い道にある急カーブで、現場にはブレーキ痕も確認され、運転中に速度を出しすぎた田村氏がブレーキを踏んだが間に合わずに壁に衝突。事故死という判断です」
「確かに、疑いの余地がない事故死だね」
「はい。むしろ完璧な点。そこが不審といえるほどですね。といっても、車輌からはブレーキなどに細工をした形跡は見つからなかったそうです。それと、事件当夜の行動としては美術館を何らかの理由で車で外出した際に事故発生となっていますが、館内には娘の凛が残されていました。そして、彼女の証言も昨日聞いた通りの内容が記載されており、やはり当時の警察も事件性を疑って捜査したそうです。車輌の細工の有無を調べたのもその為ですね。また、美術館内に侵入した者がいないかを調べたらしいですが、あらゆる点に侵入した痕跡がなく、更に今回同様に防犯監視カメラも調べたらしいですが、走る田村氏とそれを見つめる娘の凛が映っているだけと記録には書かれていました。といっても、既に映像は保管義務期間を過ぎており、過失による単独事故として送検されていますので、破棄されており、確認はできませんでした」
「そうだね」
「それと、当時の調書に鈴木通子の名前がありました」
「本当ですか!」
「はい。その少し前に彼女は美術館を訪れており、帰宅途中に事故の音を聞き、駆けつけたところ現場に居合わせたという話です。事故の通報は近隣住民がしており、第一発見者ではないので、主に当日の様子についての調書となった様ですね。特に不審点も有益な情報もなく、結局一度の調書で終わっています。そして、事故は本人が突然なんらかの用事を思い立ち、車を走らせた結果、過失によって壁へ衝突してしまい単独事故を発生。その結果、事故の衝撃による即死という具合で送検ですね。唯一、事件性を示唆する証言をしたのが、当時小学6年生の娘ただ一人で、物証も一切なし」
「今回の事件を経て、立烏帽子の存在が浮上した現段階においては、むしろそれは立烏帽子の痕跡を一切残さない犯行と共通するとして、事故に疑いを向けられるけど」
「まぁ当時に一切の関連性が示唆されていないのですから、仕方ないですね」
吾郎は瀬上の言葉に頷き、続いて自分の資料を出した。
「では、僕の方も。出生や経歴に関して、ほとんどの人物に不審な点はなかったんだけど、二名にそれぞれ不審点があったよ」
「田村凛とミラ・ワイズ……ですね?」
「正解。先にミラ・ワイズさんだけど。怪しいという点では、その肩書きである国際考古学会永久会員だね。元々海外の有名な大学に席を置いていたようだけど、十数年前からその立場に突然なり、更に「G」発見以降は次々とその関係した信仰や文化の研究で結果をのこしているみたいですね」
「彼女の後ろに大きな組織がついているってのがわかりますね」
「うん。その直前、エジプトで起こった殺人事件に関わっているらしいけど、それがどうやら今でいうところの「G」が背景に関わっていた事件らしい」
「そうなると、彼女が悪路神の火を研究しようとしているのは」
「悪路神の火が「G」であると考えているのだろうね。その事情については、昨日聞いた伝承とかが影響しているのだろうけど」
「そうですね」
悪路神の火そのものを見ていない瀬上にとって、それが果たして「G」か否かは判断のつかないところであるが、それを「G」と仮定して考える必要があると答えながら思った。
「続いて、田村凛さんです。彼女の出生は、故田村達磨氏と彼の別れた奥さんの間の子どもとして認知されていました。その奥さんは凛さんの生まれる半年前に田村氏と離婚。凛さんが生まれた半年後に病死しています。法律上、その女性と田村氏の間の子どもとして認知されたというところでしょう」
「つまり、実際のところはわからないと?」
「えぇ。出産した病院が県外にあり、問い合わせましたが、実際当時を覚えている方はいなくて、書類上のやり取りとなりましてね。その書類に関しては疑問点がなかった。そんなところです。それにカルテの保管期間も過ぎていますし、最低限の記録が残っていただけでも幸いというところでしょう」
「でも、そこまで不思議な話ではないですね。死亡時期がずれていない限り、出生に疑問はありませんよ?」
「えぇ。問題はその亡くなった母親です。病死なのですが、調べたところガンでした。まぁ出産時の体力消耗が死期を早めたと考えるのが妥当ですが、出産の約1ヶ月前に卵巣ガンの摘出手術をしている記録があるんです。あまり医学的なところは知りませんが、確かに卵巣を摘出しても、腕の立つ医師ならもしかしたら胎児がいても行なえるのかもしれませんが、そもそも摘出手術を行うほどに進行している状態で妊娠が可能なのか……仮にこれらが全て事実ならば、凛さんは奇跡的に生まれた女性ということになります」
「そうですね。でも記録は残っていてもカルテはもう保管されていないんですよね?」
「えぇ。しかし、調べたところ執刀医がわかりまして、連絡をとったところ覚えていないという話でした」
「じゃあ、やはり事実確認はできませんね」
「逆です。僕はその医師にその患者が当時臨月であったことを告げたのですが、彼は断言しましたよ。そんな難しい手術をしていたら忘れるはずがないので、何かの間違いだろうと」
「つまり、彼女の母親は不明?」
「そうなりますね。田村氏が既に亡くなっていますし、事故として処理されていますから、彼と凛さんが親子なのかすらも鑑定する術はありませんが、何らかの理由で彼は凛さんを別れた奥さんとの間の娘として認知していた。これだけは事実です」
吾郎は語気を強めて言った。
瀬上も頷く。これが事件の背景に潜む事実ならば、それは事件を全く違う様相へとかえてしまうことを意味する。
資料をしまい、吾郎は瀬上に告げる。
「明日はもう一度、事件を整理しなおして見ましょう。恐らく、この事件にはまだ何かが隠されています」
まもなく、例の「G」が二人の注文した品を持って襖を開いた。
翌、吾郎と瀬上は三重大学に来ていた。
「瀬上君、あのことは彼女に直接聞くの、やめておきましょう」
キャンパス内を歩きながら、吾郎が瀬上に釘をさした。無論、瀬上もそのつもりだ。
三重大学へ来る前、二人は津市郊外の住宅地に足を運んでいた。凛が大学へ登校した頃合いを見計らって田村家へ行ったのだ。
父、達磨の死後、彼女は祖父母に育てられた。数年前に祖父が他界し、現在は祖母が彼女の唯一の家族となっている。話によれば、達磨の財産や保険金などがあり、老夫婦の養育でも問題がなかったらしい。彼女自身も、達磨の生前から祖父母に預けられることが多かったらしく、家庭環境そのものに大きな問題はなかったという。
当然、彼らの来訪目的は彼女の育ちについてではなく、彼女の出生についてのことを聞くためだった。祖母も彼女の母親のことは知っており、実母は別にいると考え、戸籍上の母親の死に際し、達磨に問いただしたこともあったらしいが、当人はいずれ話すと言ったのでそれ以上の詮索をしなかったという。
しかし、実際には彼の口から実母の存在や正体について語られる前に死亡してしまったらしい。
吾郎達は仮に実母が別に存在するとしたら、それは誰かだと思うか聞いたが、祖母の口は堅く、確信もなく言うことはできないと答え、閉口してしまった。
「離婚前に関係をもっていた相手であることは逆算すればわかりますが、長く口を閉ざしていたという状況を考えると、彼にとって実母のことは絶対の秘密だった。そんな相手、鈴木通子と坂上静香のどちらかだと考えるのが妥当ですね」
「確かにね。……だけど、その事実が仮にあっても、今回の事件との関係性が示されなければ、DNA鑑定も僕達には行なえない。重要なのは、今回の事件の動機だよ。瀬上君はどう思う?」
「それは……」
物が物だけに、金銭目的とは考えにくい。瀬上は事件当日から一貫して解けない謎に直面した。
「そう。僕にもわからないんだ。一番シンプルなのは、悪路神の火を狙っていたワイズさんが犯人である場合だけど、彼女には犯行が行なえない。鈴木さんの場合は、研究対象の独占というのがあるけど、学問的な研究ならば盗むという手段は行えない。当然だけど。……まぁ、彼女が実際は純粋な学問を目的としていない研究であれば、別だけど」
「つまり、「G」として狙った?」
「そういうこと。……まぁ、彼女の口ぶりだと悪路神の火が「G」である可能性は認めつつも、それを加味した上での自分の学問研究の対象としていた印象であったけども……」
「犯人であれば、それくらいは簡単に偽れますからね」
「うん。そして、坂上さんだけど、一番動機としては掴みにくい。今の段階で考えられる動機は、悪路神の火をワイズさんに渡さない為」
「確かに、彼女が実母であれば、田村達磨の遺品である悪路神の火を守ろうとする気持ちがわからないではないですね。……ただ、自作自演で盗む必要まではない気がしますよ? 法に触れない別の手段で守る方法はいくらでもあると思いますから」
「そうだね。……もっとも、ワイズさんの持つ力がどれほどのものか、学者でない僕らにはわからないけどね」
「それにしても、あの怪奇な盗みを犯して警察を撹乱する必要もないでしょう? あの映像があったから、捜査に県警が出てきて現在も管轄署が人手を割いて今朝から森を捜索しているわけですから。普通の泥棒に見せかければ、こんな苦労はしないですよ。どうせ何も見つかりゃしないだろうに」
瀬上が、今朝吾郎から聞いた森の大規模捜索の話を思い出して言うと、吾郎は苦笑混じりに言った。
「まぁね。森の捜索を依頼したのにはある程度の見当があってのことなのだけどね」
「え? あれ、五井さんの指示なんですか?」
「えぇ。多分、まだ森にあるはずですから」
「証拠品が?」
「はい」
「一体何が?」
「それはまだ僕も断定はしきれません。事件当夜の風向きなどを考慮して範囲をある程度絞って捜索しているはずですから、今日中には見つかるはずです。僕の憶測を聞くより、それを見た方が早いと思います」
「でも、証拠品があっても、あの映像についてが……」
「いや、あの映像についてはもう調べ終わっているよ」
瀬上に吾郎は平然と答えた。驚く瀬上。
「え? どういうことですか?」
「言葉のままだよ。多分、今回の事件は今日明日に片付くよ。……でも、本当の解決をさせる為には、まだ材料が足らない」
吾郎は、校舎内に入ると鈴木通子の研究室へ向かった。
鈴木通子の研究室を後にした二人は、車に乗り込んだ。扉を閉めた途端、瀬上は徐に胸の中に溜まっていた息を吐き出した。
「……五井さん、俺の考えたことわかりますか?」
瀬上は先ほど施錠されていた研究室の扉から聞こえた息づかいと再度聞き込みした守衛が漏らした噂話から一つの想像を持っていた。
「えぇ。僕も同意見です」
吾郎は瀬上と違い、平然とした様子で車のエンジンをつける。
「……しかし、これが事実なら犯人は」
「間違いなく彼女です」
「そうですね。……しかし、我々の想像が事実なら、あの女は本当に悪女ですよ?」
「それでも、僕達の目的はあくまでも事件の犯人逮捕ですよ」
「……わかっていますよ」
瀬上が答えると、丁度吾郎の電話が鳴った。
「はい。五井です。………わかりました。ご苦労様です」
電話を切った吾郎に瀬上が問いかける。
「どうしました?」
「森の捜索が思ったよりも早く結果を結んだよ。後は分析次第だけど、これで物的証拠が手に入ると思う」
「じゃあ、逮捕状を請求することが?」
「時間の問題だね。これから任意同行を求める許可を貰おう。出方さえ間違えなければ彼女は自供すると思うから」
「そうですね」
吾郎はそう言い、車を出そうとした瞬間、突如急ブレーキを踏んだ。
「うっ!」
シートベルトに胸と腹を圧迫され、呻き声を思わず出す瀬上。
一方、吾郎は何かに気がついたらしく、青ざめた顔で電話を取り出す。
「どうじだんでずが?」
むせ込みながら瀬上が聞くと、吾郎はコールが鳴っている間に早口で答える。
「僕としたことが! この情報が彼女を警備している警官に連絡が入れば、近くにいる彼女は犯人の正体に気づきますよ!」
そう言っている矢先に、車内無線に連絡が入った。
『ミラ・ワイズが護衛の女性警官二名を気絶させ、ホテルから逃走!』
「……マズい! 彼女の身が危ない!」
吾郎はサイレンを鳴らし、車を発進させた。
夜、瀬上はメモの頼りに港周辺の商店街を歩いていた。人は恐ろしくまばらであり、店も軒並み閉店時間を過ぎて戸口を閉ざしていた。
「まるで真夜中の様相だな」
東京では決してありえない光景に苦笑しつつ、彼は目的地に足を進める。
まもなく、提灯の出された一軒のラーメン屋に辿り着いた。
「ここか……。飲み屋かと思ったら、ラーメン屋かよ」
瀬上はブツブツと苦言を漏らしつつ、暖簾をくぐった。
「いらっしゃい!」
快活な店主の声が彼を迎えた。
「あー、人と待ち合わせているのですが……」
「誰だい?」
「五井さんです」
「はいよ。吾郎ちゃんは会議室にいるよ」
店主は笑って答えた。他に客はいないところを見ると、一応聞いただけなのだろう。
「会議室?」
「その奥に階段があって、二階に座敷があるんだよ。ほら、お客様をご案内しろ!」
店主は指で店内の奥にあるドアを示して答えると、影で皿洗い中の店員に声を浴びせた。
店員はそそくさと水を止めると、裏方から出て来た。手をタオルで拭き、腰を低くして瀬上を二階へと案内しようとする。着ぐるみの様な姿をした「G」が。
「なっ!」
エプロンを付けた怪獣は、ドアを開けたまま驚く瀬上を不思議そうに大きな眼で見つめる。
「なんだ。お客さん、そいつのこと知らなかったのかい?」
「い、いや……。まさか本当の事だったとは思わなかったので……」
「ははは。初めてこいつを見たら大体そうなるさ、なぁ?」
「バラサ、バラサ」
店主は「G」に笑いながら話を振る。当の本人も独特な声を上げて笑った。
瀬上は、狐につままれた気分のまま、「G」の案内で二階の座敷に通された。
既に吾郎は座敷にいた。
「ご苦労様」
「なんなんですか、この店は」
笑顔で瀬上を迎える吾郎に彼はふらつきながら腰を降ろした。
「以前、ちょっとした騒動があってね。彼はここで働いているんだ」
「いや、その話は知っていますが……。なんなんですか? あの着ぐるみみたいな変な奴は」
「一応、イグアナの怪獣らしいよ」
水を飲みながら吾郎は答える。
「いや、そういう意味ではなくて……。その怪獣がラーメン屋で働いているんですか?」
「騒動のことを詳しくは知らないのかな? 彼はラーメンが好きでね……」
「そうではなくて! なんで、人情物語みたいな流れで彼が普通に働いているのかってことですよ! 機動隊も出動するほどの騒動になったんですよね? そもそもなんで、あの店主はラーメンを30杯も食わしたんですか?」
「ラーメン好きに悪い奴はいないっていうのが、あの親父さんの信念らしいよ。あと、金もない奴がラーメンを食うなっていうのも信念らしくて、無銭飲食で通報して事件が発覚したんだ」
吾郎の説明には、根本的に瀬上が頭を悩ませている点についての何一つ答えになっていない。
「ラーメンを注文したので、あの店主は彼を悪い奴でないと判断した。これは百歩譲って理解しましょう。……だけど、店に入ってきた時点でしかるべきところへ通報するものでしょう? それともあの店主も「G」なんですか?」
当然、店主から爾落人らしき独特の気配は微塵も感じ取れなかった。
「あぁ、あの主人も僕と同じ村の出身なんですよ」
「確か、ケンもその村の出身って言ってましたよね? 一体、その村は何なんですか? まさか、村中に「G」がいるなんて言いませんよね?」
「そんな妖怪横丁みたいな村じゃないよ。長閑な集落だよ。まぁ、ある意味では「G」が村中を歩き回っていたともいえるけど」
「はぁ?」
いよいよ意味がわからなくなってきた瀬上は、眉を寄せる。
しかし、吾郎は苦笑混じりに答えた。
「村には爾落人がいたんですよ。僕の幼馴染で親友のね。彼にもやはり力があって、かつて村を襲った「G」から村を救ったんです。それ以来、村の出身者のほとんどが「G」を単に得体の知れない存在として恐れなくなったんです」
「その結果が、パソコンに女を住まわせる男や怪獣を働かせるラーメン屋ですか?」
「まぁね」
吾郎は苦笑混じりに頷いた。村人も変わっているが、彼らをそんな風にしたその爾落人も相当な変わり者だと瀬上は思った。
「さて、余談はこの辺にして、注文はラーメンと餃子、ビールでいいですか?」
「任せます」
吾郎は襖を開けて、大声で注文を告げると、襖を閉じて座りなおすと鞄を開けた。
「じゃあ、ラーメンができるまでの間に本題を片付けようか」
「はい」
瀬上も、交通課から借りてきた資料を鞄から取り出した。
「では、先に私から。……不審な点ですが、見つかりませんでした。記録上からは、完全な交通事故死です。自身の運転する車の操作ミスによる単独事故死。事件現場は美術館に近い道にある急カーブで、現場にはブレーキ痕も確認され、運転中に速度を出しすぎた田村氏がブレーキを踏んだが間に合わずに壁に衝突。事故死という判断です」
「確かに、疑いの余地がない事故死だね」
「はい。むしろ完璧な点。そこが不審といえるほどですね。といっても、車輌からはブレーキなどに細工をした形跡は見つからなかったそうです。それと、事件当夜の行動としては美術館を何らかの理由で車で外出した際に事故発生となっていますが、館内には娘の凛が残されていました。そして、彼女の証言も昨日聞いた通りの内容が記載されており、やはり当時の警察も事件性を疑って捜査したそうです。車輌の細工の有無を調べたのもその為ですね。また、美術館内に侵入した者がいないかを調べたらしいですが、あらゆる点に侵入した痕跡がなく、更に今回同様に防犯監視カメラも調べたらしいですが、走る田村氏とそれを見つめる娘の凛が映っているだけと記録には書かれていました。といっても、既に映像は保管義務期間を過ぎており、過失による単独事故として送検されていますので、破棄されており、確認はできませんでした」
「そうだね」
「それと、当時の調書に鈴木通子の名前がありました」
「本当ですか!」
「はい。その少し前に彼女は美術館を訪れており、帰宅途中に事故の音を聞き、駆けつけたところ現場に居合わせたという話です。事故の通報は近隣住民がしており、第一発見者ではないので、主に当日の様子についての調書となった様ですね。特に不審点も有益な情報もなく、結局一度の調書で終わっています。そして、事故は本人が突然なんらかの用事を思い立ち、車を走らせた結果、過失によって壁へ衝突してしまい単独事故を発生。その結果、事故の衝撃による即死という具合で送検ですね。唯一、事件性を示唆する証言をしたのが、当時小学6年生の娘ただ一人で、物証も一切なし」
「今回の事件を経て、立烏帽子の存在が浮上した現段階においては、むしろそれは立烏帽子の痕跡を一切残さない犯行と共通するとして、事故に疑いを向けられるけど」
「まぁ当時に一切の関連性が示唆されていないのですから、仕方ないですね」
吾郎は瀬上の言葉に頷き、続いて自分の資料を出した。
「では、僕の方も。出生や経歴に関して、ほとんどの人物に不審な点はなかったんだけど、二名にそれぞれ不審点があったよ」
「田村凛とミラ・ワイズ……ですね?」
「正解。先にミラ・ワイズさんだけど。怪しいという点では、その肩書きである国際考古学会永久会員だね。元々海外の有名な大学に席を置いていたようだけど、十数年前からその立場に突然なり、更に「G」発見以降は次々とその関係した信仰や文化の研究で結果をのこしているみたいですね」
「彼女の後ろに大きな組織がついているってのがわかりますね」
「うん。その直前、エジプトで起こった殺人事件に関わっているらしいけど、それがどうやら今でいうところの「G」が背景に関わっていた事件らしい」
「そうなると、彼女が悪路神の火を研究しようとしているのは」
「悪路神の火が「G」であると考えているのだろうね。その事情については、昨日聞いた伝承とかが影響しているのだろうけど」
「そうですね」
悪路神の火そのものを見ていない瀬上にとって、それが果たして「G」か否かは判断のつかないところであるが、それを「G」と仮定して考える必要があると答えながら思った。
「続いて、田村凛さんです。彼女の出生は、故田村達磨氏と彼の別れた奥さんの間の子どもとして認知されていました。その奥さんは凛さんの生まれる半年前に田村氏と離婚。凛さんが生まれた半年後に病死しています。法律上、その女性と田村氏の間の子どもとして認知されたというところでしょう」
「つまり、実際のところはわからないと?」
「えぇ。出産した病院が県外にあり、問い合わせましたが、実際当時を覚えている方はいなくて、書類上のやり取りとなりましてね。その書類に関しては疑問点がなかった。そんなところです。それにカルテの保管期間も過ぎていますし、最低限の記録が残っていただけでも幸いというところでしょう」
「でも、そこまで不思議な話ではないですね。死亡時期がずれていない限り、出生に疑問はありませんよ?」
「えぇ。問題はその亡くなった母親です。病死なのですが、調べたところガンでした。まぁ出産時の体力消耗が死期を早めたと考えるのが妥当ですが、出産の約1ヶ月前に卵巣ガンの摘出手術をしている記録があるんです。あまり医学的なところは知りませんが、確かに卵巣を摘出しても、腕の立つ医師ならもしかしたら胎児がいても行なえるのかもしれませんが、そもそも摘出手術を行うほどに進行している状態で妊娠が可能なのか……仮にこれらが全て事実ならば、凛さんは奇跡的に生まれた女性ということになります」
「そうですね。でも記録は残っていてもカルテはもう保管されていないんですよね?」
「えぇ。しかし、調べたところ執刀医がわかりまして、連絡をとったところ覚えていないという話でした」
「じゃあ、やはり事実確認はできませんね」
「逆です。僕はその医師にその患者が当時臨月であったことを告げたのですが、彼は断言しましたよ。そんな難しい手術をしていたら忘れるはずがないので、何かの間違いだろうと」
「つまり、彼女の母親は不明?」
「そうなりますね。田村氏が既に亡くなっていますし、事故として処理されていますから、彼と凛さんが親子なのかすらも鑑定する術はありませんが、何らかの理由で彼は凛さんを別れた奥さんとの間の娘として認知していた。これだけは事実です」
吾郎は語気を強めて言った。
瀬上も頷く。これが事件の背景に潜む事実ならば、それは事件を全く違う様相へとかえてしまうことを意味する。
資料をしまい、吾郎は瀬上に告げる。
「明日はもう一度、事件を整理しなおして見ましょう。恐らく、この事件にはまだ何かが隠されています」
まもなく、例の「G」が二人の注文した品を持って襖を開いた。
翌、吾郎と瀬上は三重大学に来ていた。
「瀬上君、あのことは彼女に直接聞くの、やめておきましょう」
キャンパス内を歩きながら、吾郎が瀬上に釘をさした。無論、瀬上もそのつもりだ。
三重大学へ来る前、二人は津市郊外の住宅地に足を運んでいた。凛が大学へ登校した頃合いを見計らって田村家へ行ったのだ。
父、達磨の死後、彼女は祖父母に育てられた。数年前に祖父が他界し、現在は祖母が彼女の唯一の家族となっている。話によれば、達磨の財産や保険金などがあり、老夫婦の養育でも問題がなかったらしい。彼女自身も、達磨の生前から祖父母に預けられることが多かったらしく、家庭環境そのものに大きな問題はなかったという。
当然、彼らの来訪目的は彼女の育ちについてではなく、彼女の出生についてのことを聞くためだった。祖母も彼女の母親のことは知っており、実母は別にいると考え、戸籍上の母親の死に際し、達磨に問いただしたこともあったらしいが、当人はいずれ話すと言ったのでそれ以上の詮索をしなかったという。
しかし、実際には彼の口から実母の存在や正体について語られる前に死亡してしまったらしい。
吾郎達は仮に実母が別に存在するとしたら、それは誰かだと思うか聞いたが、祖母の口は堅く、確信もなく言うことはできないと答え、閉口してしまった。
「離婚前に関係をもっていた相手であることは逆算すればわかりますが、長く口を閉ざしていたという状況を考えると、彼にとって実母のことは絶対の秘密だった。そんな相手、鈴木通子と坂上静香のどちらかだと考えるのが妥当ですね」
「確かにね。……だけど、その事実が仮にあっても、今回の事件との関係性が示されなければ、DNA鑑定も僕達には行なえない。重要なのは、今回の事件の動機だよ。瀬上君はどう思う?」
「それは……」
物が物だけに、金銭目的とは考えにくい。瀬上は事件当日から一貫して解けない謎に直面した。
「そう。僕にもわからないんだ。一番シンプルなのは、悪路神の火を狙っていたワイズさんが犯人である場合だけど、彼女には犯行が行なえない。鈴木さんの場合は、研究対象の独占というのがあるけど、学問的な研究ならば盗むという手段は行えない。当然だけど。……まぁ、彼女が実際は純粋な学問を目的としていない研究であれば、別だけど」
「つまり、「G」として狙った?」
「そういうこと。……まぁ、彼女の口ぶりだと悪路神の火が「G」である可能性は認めつつも、それを加味した上での自分の学問研究の対象としていた印象であったけども……」
「犯人であれば、それくらいは簡単に偽れますからね」
「うん。そして、坂上さんだけど、一番動機としては掴みにくい。今の段階で考えられる動機は、悪路神の火をワイズさんに渡さない為」
「確かに、彼女が実母であれば、田村達磨の遺品である悪路神の火を守ろうとする気持ちがわからないではないですね。……ただ、自作自演で盗む必要まではない気がしますよ? 法に触れない別の手段で守る方法はいくらでもあると思いますから」
「そうだね。……もっとも、ワイズさんの持つ力がどれほどのものか、学者でない僕らにはわからないけどね」
「それにしても、あの怪奇な盗みを犯して警察を撹乱する必要もないでしょう? あの映像があったから、捜査に県警が出てきて現在も管轄署が人手を割いて今朝から森を捜索しているわけですから。普通の泥棒に見せかければ、こんな苦労はしないですよ。どうせ何も見つかりゃしないだろうに」
瀬上が、今朝吾郎から聞いた森の大規模捜索の話を思い出して言うと、吾郎は苦笑混じりに言った。
「まぁね。森の捜索を依頼したのにはある程度の見当があってのことなのだけどね」
「え? あれ、五井さんの指示なんですか?」
「えぇ。多分、まだ森にあるはずですから」
「証拠品が?」
「はい」
「一体何が?」
「それはまだ僕も断定はしきれません。事件当夜の風向きなどを考慮して範囲をある程度絞って捜索しているはずですから、今日中には見つかるはずです。僕の憶測を聞くより、それを見た方が早いと思います」
「でも、証拠品があっても、あの映像についてが……」
「いや、あの映像についてはもう調べ終わっているよ」
瀬上に吾郎は平然と答えた。驚く瀬上。
「え? どういうことですか?」
「言葉のままだよ。多分、今回の事件は今日明日に片付くよ。……でも、本当の解決をさせる為には、まだ材料が足らない」
吾郎は、校舎内に入ると鈴木通子の研究室へ向かった。
鈴木通子の研究室を後にした二人は、車に乗り込んだ。扉を閉めた途端、瀬上は徐に胸の中に溜まっていた息を吐き出した。
「……五井さん、俺の考えたことわかりますか?」
瀬上は先ほど施錠されていた研究室の扉から聞こえた息づかいと再度聞き込みした守衛が漏らした噂話から一つの想像を持っていた。
「えぇ。僕も同意見です」
吾郎は瀬上と違い、平然とした様子で車のエンジンをつける。
「……しかし、これが事実なら犯人は」
「間違いなく彼女です」
「そうですね。……しかし、我々の想像が事実なら、あの女は本当に悪女ですよ?」
「それでも、僕達の目的はあくまでも事件の犯人逮捕ですよ」
「……わかっていますよ」
瀬上が答えると、丁度吾郎の電話が鳴った。
「はい。五井です。………わかりました。ご苦労様です」
電話を切った吾郎に瀬上が問いかける。
「どうしました?」
「森の捜索が思ったよりも早く結果を結んだよ。後は分析次第だけど、これで物的証拠が手に入ると思う」
「じゃあ、逮捕状を請求することが?」
「時間の問題だね。これから任意同行を求める許可を貰おう。出方さえ間違えなければ彼女は自供すると思うから」
「そうですね」
吾郎はそう言い、車を出そうとした瞬間、突如急ブレーキを踏んだ。
「うっ!」
シートベルトに胸と腹を圧迫され、呻き声を思わず出す瀬上。
一方、吾郎は何かに気がついたらしく、青ざめた顔で電話を取り出す。
「どうじだんでずが?」
むせ込みながら瀬上が聞くと、吾郎はコールが鳴っている間に早口で答える。
「僕としたことが! この情報が彼女を警備している警官に連絡が入れば、近くにいる彼女は犯人の正体に気づきますよ!」
そう言っている矢先に、車内無線に連絡が入った。
『ミラ・ワイズが護衛の女性警官二名を気絶させ、ホテルから逃走!』
「……マズい! 彼女の身が危ない!」
吾郎はサイレンを鳴らし、車を発進させた。