遺恨

5


「おはよう。早かったね」

 翌朝、三重県警察本部捜査二課へ初めて足を踏み入れた瀬上を、吾郎はコーヒーを飲みながら出迎えた。眼の下にクマができている。

「もしかして徹夜したんですか?」
「いいや。2時間ほど寝たよ」
「それは仮眠というんですよ、五井さん」

 感心を通り越して呆れ気味に瀬上が言い、課内を見回した。人はまばらで、机が整然と並んでいる。皆、何らかの事件で出払っているらしい。

「あぁ、課長にまだ挨拶してないよね?」
「はい」

 そういえば、そうだった。
 吾郎は瀬上を連れて課長の机へ向かった。課長は如何にも管理職といった感じで書類に目を通し、判子を押していた。

「課長、紹介が遅れましたが、瀬上君です」
「ん? ……あぁ、警視庁からの彼か」

 課長は顔をあげ、瀬上を見ると頷いた。瀬上は手短に挨拶をする。

「警視庁捜査二課から研修に来ました瀬上浩介です。宜しくお願いします」
「ん。来て早々に現場直行で昨日は大変だったね。まぁ、五井君に着いて捜査をするのだから、特に問題もないだろう。彼から色々と学んで下さい」

 そして、彼は読み終わった書類に判を押す。

「ところで、五井君。さっき映像分析の結果が届いていたよ。……はい」

 課長はファイルを一冊手に取ると、吾郎に渡した。

「ありがとうございます」
「それと、例の件。交通課に伝えておいたから、大丈夫だ。まぁ、大体の事は私が責任をとれるようにしたけど、今回の事件にどれほど関わることと見ているんだい?」

 次の書類を読みながら、課長は吾郎に問いかけた。

「ありがとうございます。……まだ一切関係性を示す物は上がっていません」
「それはそうだろう。僕の知りたいのは、五井君の予想だよ。外れたところでこの三人だけの胸のうちに留めておけばいい話だ」
「わかりました。……事件の本質に関わることだと思っています」
「わかった。なら、徹底的にやってかまわない。面倒事は僕に投げてくれ。……でも女性警官達を護衛に回すのは、そう何日も継続できないよ」
「承知しています。初動捜査期間中には彼女達を解放します」
「なら、問題ないな。まぁ事件の捜査は五井君に任せたよ」

 そして、課長は再び書類に判を押した。
 課長の机から吾郎の机へ戻りながら、瀬上は思った。一見適当そうに見えるが、裏でしっかりと根回しをして吾郎を自由に動けるようにしている。あの課長、中々の食わせ者だ。
 一方、吾郎は課長から渡された書類を流し見て、瀬上に渡した。

「ご覧」

 吾郎からファイルを受け取り、内容を読む。昨日彼が言っていた美術館の犯行時の映像に関する詳細分析の結果だ。
 映像の真贋鑑定も行なっているが、それよりも要点を置いているのは映像の詳細な解析だった。具体的には、犯行時と発見時の映像で相違点を調べている。
 そして、一点の違いを指摘していた。

「犯行時にあった物が発見時には消えているんですか?」

 瀬上が驚いてきくと、吾郎は頷き、目で続きを読むように促す。
 視線を資料に戻す。その相違点とは、悪路神の火が置かれていた場所だ。勿論、犯行によって当の品は盗まれてなくなっている訳だが、問題となっているのは、犯行時に悪路神の火の代わりに別の黒色の小さな物体が残されていたことだ。
 そして、それは発見時に消えてしまっている。つまり、悪路神の火だけではなく、物証も消えていたという新たな謎が生まれたのだ。
 次のページにその物体の詳細な解析結果が載せられていた。高さ5センチほどの小さな円筒で、もっとも類似するものは折紙で作られた立烏帽子らしい。

「実は、もうこれが消えた謎は解けているんだ」
「え?」

 吾郎はパソコンの画面を瀬上に見せた。そこには美術館の防犯監視カメラの映像の電子版が表示されていた。

「昨日、所轄の人が警備会社からコピーを貰ってきてくれたんだ」
「それを徹夜で?」
「仮眠はとっているよ」
「………」
「まぁ見てほしい。これは犯行から1時間後の展示室の映像なんだけど……」

 一瞬にして悪路神の火が現れた。

「! どういうことですか? 何故盗まれたはずの悪路神の火が?」
「まだ鑑識に調べてもらってないから断定はできないけど、多分カメラの映像自体に細工をしたんだよ。恐らく、これは犯行前に録画された映像だよ」

 そして、吾郎は映像の時間を進める。約10分後、映像は再び元の犯行現場に戻った。

「恐らく、この時にあの黒い物体は回収された。……何者かにね」
「つまり、事件は二度起こっていた?」
「そう」

 吾郎は力強く頷いた。

「ただし、これが同一犯か、別の人物かは判断できない。この資料を見る限り、悪路神の火と立烏帽子は全く大きさが違う訳じゃない。被して隠し、捜査の撹乱を狙った。これを全く無視するわけにもいかない。ただし、犯行時の映像は一切の細工をされた形跡がないことはこの結果から明らかだ」
「しかし、もしも同一人物なら、なんで二度もこんな別々の手間のかかる方法を? 捜査の撹乱にしても、例の映像だけでも十分な効果がありますよ」
「そうだね。あくまでも可能性の話さ。重要なのは、あの夜に美術館へは二度侵入があり、一度目には悪路神の火を、そして二度目には同じ場所にあった立烏帽子の折紙を持ち去ったことだよ。そして、実は三重県警内で黒い折紙で作られた立烏帽子というのは、ただの折紙以上に意味を持っているんだ」

 吾郎は、画面をカメラ映像からデータベースに変えた。そして、ある窃盗団の情報を表示させた。

「窃盗団「立烏帽子」!」

 思わず瀬上は大声を上げた。課内の人間が怪訝な顔で彼を見る。

「2010年1月、丁度「G」が発見された時期に県内で暗躍した窃盗団です。彼らの呼称は、犯行現場に黒い折紙でつくった立烏帽子を残す特徴から。といっても、県内量販品で当然指紋もなく、細部まで分析しても微細な証拠すら出てこず、約一年間警察は彼らの犯行を追いかけることしかできずに、パタリと犯行が止んで以来、現在まで彼らの存在は全くの闇の中にいる」
「実質、迷宮入りですね」
「そういうことだね。量販品とはいえその折紙の製品は割り出されているし、細部まで折り方は全て同一であったから、現場に立烏帽子が残されていても、模倣犯か同一犯かの区別がついていたんだ。……だけど、今回はその肝心な立烏帽子がない」
「窃盗団が活動を再開したのか、模倣犯なのかの区別がつかないわけですね?」
「うん。……そして、目撃者というのが一度あってね。実は、この人物が……」

 2010年5月上旬の鈴鹿市内での犯行で、一人の女性が窃盗団に人質となっていた。後にも先にも、人質が取られたのはこの一度だけらしい。どうやら、防犯システムが作動し、警察がやってきたらしい。その際に、苦肉の策で彼らは現場に居合わせた女性を人質に逃走。女性は、数キロ先で解放されていた。後の証言で、彼女が防犯システムを作動させ、彼らに発見された彼女は人質にされたらしい。

「その証言者の名前をご覧」
「……ミラ・ワイズ!」
「うん。彼女の証言から、犯人の首領は女性と判明。それを聞きつけたマスコミは、その女首領を鈴鹿御前と呼称し、警察もまた鬼姫と呼称していたらしいよ」
「やけに詳しいですね? そこまで書かれてないですよ?」
「当時、僕の実家の駐在所にもその通達が届いていたんだよ。親友も当時興味を持って調べていたしね」
「ご実家も警察だったんですか?」
「うん。……当時のマスコミは、その鈴鹿御前をあまりに痕跡の残さない犯行から「G」ではないかとはやし立てていたよ」
「! まさか、今回の事件はその女首領の?」
「或いはそうかもしれないけど、時期が時期だからね。何も確証もなく、ただ良くわからないという理由だけで「G」といっていた節があるね」
「しかし、電送の爾落人であれば一度目も二度目も映像や防犯システムの細工なんて造作もありませんよ?」
「瀬上君」

 吾郎は興奮した様子の瀬上に真剣な目で見上げて告げる。

「全てを「G」で片付けてしまっては、僕達警察の存在意義はなくなるよ?」
「あっ……」
「気づいてくれればいいんだ。……管轄署に行こう。まもなく、捜査会議が開かれる時刻だ」

 吾郎は呆然とする瀬上を促した。





 

 捜査会議の後、吾郎達は美術館に足を運んでいた。
 捜査会議では、外部犯に関する聞き込みの結果、深夜一時に山の方角へと空を飛んでいく黒い物体を目撃した人物が数人いたのみで、他には目立った情報はなかった。逆に、吾郎の持ち込んだ情報は大いに彼らの興味を引いた。二度起きていた侵入も一つであるが、何よりも一度目の際に残されていたものが立烏帽子であったことが一番大きい。捜査員達は、窃盗団「立烏帽子」逮捕の機会が巡ってきたと士気をあげていた。

「休館にして頂き申し訳ありません」

 吾郎は休館と書かれた札を見て坂上に頭を下げた。

「いいえ。私も落ち着けませんし、片付けもまだ終わっていませんから。他の職員には今週一杯の休みを出しました」
「一日も早い解決につとめます。……今回の犯行は、ここの防犯システムの状況や構造を把握していなければ、まず不可能であろうとわかりました。もう一度、事件以前に来館した者で不審な人物はいなかったか、思い出して頂けませんか?」
「不審な人物……ですか?」
「はい。余程の記憶力がなければ、ここまで構造を把握できませんので、幾度となく訪れた者や、展示品でないところも撮影していた者、配置図をメモするのに……しきりに周囲を見ながらメモを取っていた者、ノート型パソコンなどを操作する者、電話で詳細に館内の様子を話す者、あぁテレビ電話でもいいですね。そういう人物です。準備の期間を考慮すると、恐らく一週間以上は以前だと思うのですが」

 吾郎の問いかけに坂上は腕を組んで考える。

「そうなると、正月より前になりますね………あっ」
「何か心当たりが?」
「……確か、昨年最後の開館日であった12月29日に男の方が一人で来館されたのですが、少し変わっていて」
「変わっているとは?」
「喪服を着ていて、タブレット端末を片手に話しかけていたんですよ。初めはテレビ電話でもしながら見ているんだとは思うのですが、終始会話をしていまして。画面がチラリと目に入ったら、若い女性が映っていたので、遠くに暮らす娘に様子を伝えているのだと思ったのですが、よくよく聞いていると恋人同士の会話に思えて、少し驚いたんです」
「!」

 瀬上はその描写がまざまざと脳裏に浮んだ。それはまさにかつて知り合った電送の爾落人ムツキとその恋人のケンそのものではないか。

「その入館者名簿ってありますか?」
「あ、はい。確か記帳してらして……そう。後で見たら二人分の名前が書かれていたので、印象に残っていたんです」

 瀬上が聞くと、坂上はそう言いながら、入口に置かれた名簿を手に取りページを捲る。

「ありました。このお二人です。もう一人の方の名前がカタカナで女性の名前だったので」
「見せてください」

 坂上から名簿を受け取ると、以前名刺で見たケンの本名とその隣にカタカナでムツキの名前が記帳されていた。

「………」
「蒲生村?」

 名簿を見た吾郎は住所を見て呟いた。瀬上が彼に聞く。

「ご存知ですか?」
「うん。僕の出身地だよ。……ケンさんも薄っすらと覚えているよ。確か、上京したまま滅多に戻らないそうだけど、昨年末にお父さんが亡くなって葬儀があったんです。僕は仕事で参列できなかったけど」
「つまり、その前後でここに足を運んだ……悪路神の火と関連性は?」
「わかりませんね。ケンさんが蒲生村で生活していたのは僕の子ども時代だから。後で父に問い合わせておきます」
「宜しくお願いします」

 瀬上は密かに拳を握り締めた。電送の爾落人と今回の事件が繋がった。
 一方吾郎は坂上に、話は変わりますが、と前置きをして問いかけた。

「今回の事件とは関係があるかわかりませんが、立烏帽子という窃盗団をご存知ですか?」
「!」

 立烏帽子の単語に彼女は異様な反応を示した。眼をギョッと見開いたのだ。

「ご存知なのですね?」
「あ、はい。……確か、10年前に県内を騒がせていた窃盗団でございますね? この世界の人間には印象深い存在でありますので……覚えております」

 吾郎の追及に坂上は上手く交わしているが、口調が早口になっている。

「はい。その通りです。実は、今回の事件の捜査線上にその窃盗団の存在が示唆されました。より端的な言い方をすれば、犯人がその窃盗団の女首領、通称鈴鹿御前である疑いがあるのです」
「そうなのですか?」
「はい。今回の犯人を捕まえるというのは、未解決の連続窃盗犯を逮捕するのと同じ意味をもつ可能性がありまして、捜査陣も俄然やる気になっています」
「それは私としても心強いお言葉です」
「はい。ただ、今回の犯行の怪奇さから、犯人の正体が実際的に二つの可能性に定まりつつあります」
「というと?」
「犯人自身が怪奇な「G」の力を持っている可能性が一つです。現実に既に「G」の力を持つ犯罪者の摘発などは存在しています」
「恐ろしいですね」
「いいえ。別に注意を怠れないというだけで、銃社会であればそれだけ犯罪が凶悪化しやすいのと同じで、「G」が社会に認知され浸透してきた現代の傾向というだけです。警察としてはそれにあわせた対応をしていくだけの話ですので。「G」発見の以前で言えば、インターネット犯罪がそれに類しますね」
「なるほど」
「つまり、捜査方針としては外部犯捜査の延長で対応していきます。そして、もう一つが通常の人間が犯人である場合です。あれほどの怪奇さを演出するというのは犯行の緻密さが必要不可欠です。構造や内情を熟知していないと難しいといえます。つまり、内部犯という可能性です」
「つまり、私達の中に犯人が!」
「そうなります。そして、この可能性で先の話と合わせて考えると、関係者の中に鬼姫……つまり、立烏帽子の鈴鹿御前がいる可能性があるのです」
「!」

 坂上は目を見開いた。しかし、既に彼女自身が吾郎の話である程度予想していたのだろう。最初に立烏帽子の名前を出した時ほどの驚きは、瀬上には感じ取れなかった。
 そして、吾郎は話を更に変える。この二日間で吾郎の捜査方法が瀬上にもわかるようになってきた。即ち、会話の中から相手の様子を観察し、情報を引き出しているのだ。様々な捜査方法が実用化されている現代の警察捜査の中でも、もっとも古典的な方法だ。

「ところで、立烏帽子が活動していた10年前というと、先代館長が亡くなられた時期ですね? これは偶然だと思いますか?」
「……確かに、何か意味がありそうですね。悪路神の火が狙われたこともそうですし」
「はい。僕個人の考えですが、この事件には10年前の先代館長の死が関係あると思っています。もっとも、交通死亡事故と盗難事件ですから直接繋がりがあるようには思えませんが」
「そうですね……」
「でも、少なくとも一人の人物が二つの事件に共通しているのです」
「どなたですか?」
「田村凛さんです。彼女は10年前の事件に美術館におり、今回も事件前にここへ来ている。偶然でしょうか?」
「なっ! あの子は10年前、まだ小学生ですよ?」
「別に犯人だといっている訳ではありませんよ。何か重要な鍵をもつ存在ではないかという意味です。まぁ、仮に今回の事件が立烏帽子に関連があれば、ワイズさんも間接的に関係を示唆することはできますが、それを言えば田村館長の教え子であったあなたと鈴木さんも関係がありますね。……あ、今回の事件の関係者は全て関係を示唆できてしまいました」
「五井さん、私を疑っていますね?」

 坂上が吾郎を睨んで問いかけた。

「まぁ事件関係者である以上は、形式上疑わざるを得ません。難儀な職業ですよ」
「………はぁ。申し訳ありませんが、私は自らの無実をあなたに証明することができません。その結果、あなたが私を疑う以上、これ以上自分を不利にするかもしれない危険を冒してまであなたに協力する訳にはいきません。お引取り頂けますか?」

 坂上は丁寧な口調で言っているが、はっきりとした敵意を感じられた。

「当然の権利ですよ。では、失礼します。……瀬上君、行こう」

 吾郎は澄ました顔で頭を下げ、そのまま二人は坂上が開ける扉を通り、美術館を出た。
 車に乗り込む前、吾郎は入口で待機する女性警官達を見て、坂上に問いかけた。

「彼女達をこのまま付かせてもよろしいですか?」
「断れば、私への疑いを強めるだけでしょう? どうせ影で張り込みめいた真似をされるのなら、このまま護衛として付いていて構いません。私にも一応世間体というのがありますので」
「わかりました」

 吾郎は微笑を浮かべつつ頷き、車に乗り込んだ。

「瀬上君、二手に別れよう。僕は関係者の素性を洗ってみます。瀬上君は10年前の田村館長死亡事故について調べてみてください」

 瀬上が車に乗り込んだのを確認すると、吾郎は車を動かしながら言った。

「わかりました。不審な点がないか、悪路神の火や立烏帽子と関連がないか、調べてみます」
「それと、田村凛さんの証言と他の事件関係者についても」
「わかっていますよ。いつ落ち合いますか?」
「夜でいいでしょう。最適な場所があるので、ここに夜8時に落ち合いましょう」

 そういい、吾郎はハンドルを握りながら、手書きの地図が記されたメモを瀬上に渡した。
 まもなく、車は管轄署に到着し、二人は分かれた。
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