遺恨

4


 田村凛は大学院修士課程の開講授業を受けていた。吾郎と瀬上は教室の入口の前で待ち、授業終了を待った。
 幸い、受講者も少数であり、彼女一人が女子であった為、すぐに声をかける事ができた。
 三人はキャンパス内の一角にあるテラスの椅子に腰を降ろし、凛から話を聞くはこびとなった。

「悪路神の火、見つかりそうですか?」

 ショートカットの髪型と童顔から一見十代半ばの中高生にも思える凛は、怯えた小動物の様な表情で吾郎に問いかけた。
 吾郎は笑顔で答える。

「必ず見つけ出しますよ。その為に、田村さんの協力が必要なのです」

 すると、彼女の顔が明るくなり、力強く頷いた。

「はい! 何でもお聞きください!」
「ありがとうございます。……昨夜ですが、美術館に行ったそうですね?」
「はい。鈴木先生と共に来年の修士論文のテーマにする予定になった悪路神の火の研究について、静香おば様……館長とお話しました」
「坂上館長とあなたは以前からお親しい間だそうですね?」
「はい! 父の弟子だったそうですが、父が死んで祖母に引き取られた私のことを気にかけて頂いて、母がいないもので、お母さんみたいな存在です。私がこの道を選んだ理由もおば様の影響が一番大きいかもしれません」

 吾郎が問いかけると、凛は眼を輝かせて答えた。

「鈴木准教授とは?」
「先生も父の教え子で、おば様の昔からのお友達と伺っています。もう二十年来の友達だとか」
「そうですか。では、彼女とも幼い頃からのお知り合いだったんですね?」
「まぁ……。確かにそうなんですが、あまり記憶にないんです。おば様と共に会っていることもあったと思うのですが、いつも遠くから見つめているだけでしたので。だから、私もずっと遠くから見ている存在って印象だったんです。綺麗な人ですし……」

 凛は少し恥ずかしそうに言った。
 その意見は、瀬上も賛成だった。通子の纏う美しさは少し近寄り難さを与える。

「なるほど。……悪路神の火は、元々お父上が管理されていた品であったのですか?」
「はい。昔からあの美術館で管理していたそうで、父も当然他と同様に管理していました」
「そうですか。お父上は悪路神の火に対して特別な思い入れがあったということはありませんか?」
「んー……。実は、父は交通事故でなくなったのですが、その時悪路神の火を泥棒が盗もうとしていたんです」
「えっ! それは、どういうことですか?」
「それが、幼い時の記憶ではっきりと覚えていないのですが、あの時私も美術館にいたらしくて、その時悪路神の火の前で何かをしようとしている女の人を見たんです。暗くて顔も見えなくて……でも、女の人だった。それからの記憶はほとんどはっきりしないのですが、その後父の声と逃げる……そう。女の人の後ろ姿と追いかける父の後ろ姿を私は見つめていたんです。当時、私はその話をしたんですが、美術館内にも父の事故現場にも何一つその痕跡がなかったので、周囲も警察も私自身も、父の死で夢と現実を混合していると判断しました。……でも、再び悪路神の火が盗まれたと聞いてから、あの時見たのは現実で、父は殺されたのかもしれない。……そんな考えが頭から離れないんです」
「確かに、それが事実なら大変なことです。……その話を誰かにしたことは?」
「いいえ。父の死の直後は、それこそ警察や祖父母の他におば様や鈴木先生にも話していたと思いますが、誰もがそれは夢だと、本気にはしていませんでした」
「まぁ、痕跡がないとなると、それも致し方ない話ではありますね。とはいえ、今回再び事件が起きた以上、それは隠蔽が行なわれた為という解釈をすることも可能です。我々で調べてみましょう」
「でも、多分私の夢ですよ?」
「現実とは思えない事件が現実に起こったのです。調べてみる価値はあります。……最後に美術館へ来訪したのは何時から何時でしょうか?」
「18時から19時半です」
「その後は?」
「その……せ、先生と一緒にいました」

 凛は突然挙動を怪しくした。不審に思った瀬上がもう一言聞いてみる。

「何時まで?」
「そ、その明け方頃までです」

 凛は顔を真っ赤にして答えた。証言に関しては一致していた。
 しかし、瀬上はむしろそれが疑惑を一層強く感じた。疑うべきは彼女ではなく、鈴木通子。彼女が凛にアリバイを強要したのかもしれない。そう考えたのだ。

「ありがとうございます。またお話を伺うことになると思いますが、ご協力お願いいたします」

 しかし、吾郎はそれ以上追及をせずに、瀬上を連れて凛の前を後にした。



 

 

 その後、二人は守衛から通子と凛のアリバイを確認して大学を後にした。

「どういうことですか? 守衛がアリバイを証明したとはいえ、巡回時に一度顔を合わせているだけですし、田村凛を追及すればボロがでましたよ?」

 車中で瀬上は吾郎に声を荒げて言った。

「しかし、それは1時の巡回。大学から美術館へはどんなに車を飛ばしても犯行時刻には到着できませんよ」
「しかし!」
「それよりも、僕達にはまだ二つ調べておかないとならないことがありますよ?」
「わかっていますよ。ミラ・ワイズのアリバイと田村凛の父の死についてですよね」
「その通り。この事件には、全員がそれぞれ何かを隠しています。それを紐解く鍵が、あの防犯監視カメラの映像の謎と、10年前の事件だと僕は考えています」

 吾郎が答えていると彼の電話が鳴った。
 車を路肩に止めると彼は電話を出た。プライベート用の電話だ。

「あ、もしもし? ……うん、ありがとう! 流石だね。………うん、……うん。そうか、確かにそういう能力ならば可能だね。ありがとう。また夜にも電話するね」

 電話を切り、吾郎は笑顔でそれを懐にしまった。

「どなたですか?」
「ん? 彼女にちょっと調べ事を頼んでいたんだ」

 今の吾郎の口ぶりは三人称としての彼女ではない。瀬上は驚いた。

「えっ! 五井さん、彼女いるんですか?」
「瀬上君、その言い方は失礼だよ。……でも、そうだよ。幼馴染で、J.G.R.C.で働いているんだ」
「あの日本最大の「G」調査研究開発企業に?」

 更に瀬上は驚いた。部署によって違いはあるだろうが、高給取りとして以前のIT業界に匹敵する業界の最大手だ。
 しかし、吾郎は至って平然と答える。

「そうだよ。で、ちょっと今回の事件を可能な爾落人……あちらの業界ではヒト「G」と呼んでいるらしいけど、その能力を調べてもらったんだ」
「それで?」
「幾つか可能性はあるらしいけど、今回の犯行の鍵が全て映像や防犯のシステムに関わっていることを考えると、一番怪しいのは電送の能力というものがあるらしい」
「電送!」

 それは瀬上も知っていた。以前神奈川県の大学で起こった事件の際に関わった者に、まさにその電送の爾落人がいたのだ。

「知っているの?」
「以前、ある事件で関わったことがあります。電送の「G」と電送の爾落人に」
「その所在は?」
「「G」の方は死滅しています。爾落人は、恋人という男の名刺を貰いましたが、東京の自宅においてあります。名前も下が確か、ケンというのは覚えているのですが、本名や職場までは……。でも確か、東京の住所でした」
「そうですか。……今すぐに判断することではありませんから、可能性の一つに留めておきましょう」

 そして、車は駅前のホテルへと向かった。





 

 ホテルに到着した吾郎達は、フロントで事情を説明し、アリバイ調べを始めた。主に、犯行時刻頃のホテル内に設置された防犯カメラの映像を見せてもらう運びとなり、彼らは警備室へと通された。

「こちらが本日深夜1時から前後1時間の全映像です」
「ありがとうございます」

 大量のデータを渡された吾郎は、早速ミラの宿泊する部屋のフロアに設置されたエレベーターホールのカメラ映像から着手した。
 早送りで流していると、まもなく肩からタオルを下げたミラがエレベーターから出て来た。風呂上りの様子だ。

「間違いなく本人ですね」

 停止した映像を確認して瀬上が言う。吾郎も頷き、映像を進める。
 しばらくして、再びミラが今度はハンドバック片手の軽装で再びエレベーターホールに現れた。犯行時刻の約30分前だ。

「現れましたね……」

 瀬上が呟く中、吾郎は通常再生で映像を進める。ミラはエレベーターに乗り込み、1階へと降りていった。

「よし!」
「まだ早いよ。……1階のエレベーターホールです」

 吾郎は映像を切り替え、同時刻の1階エレベーターホールのカメラ映像を確認する。
 ミラはエレベーターから降りると、フロントとは反対の方向へと歩いて行った。その方向にはレストランとカフェ、そして裏口がある。
 すぐに裏口の映像に切り替えるが、一向に彼女は現れない。

「じゃあ、カフェかな?」

 吾郎は映像を切り替えた。同じ時間、彼女は店内の奥へと進んで行った。

「このカメラの角度では彼女が見えませんね。……もしかしたら、なんらかのルートで外へと出たのかも!」
「早計だよ。……時間を進めよう」

 吾郎は瀬上をたしなめると、映像を倍速させていく。人の出入りはあるものの、彼女の姿は一向に現れない。
 やがて、再びミラが映像に現れ、カフェを出たのは深夜3時頃であった。

「……ふむ」

 吾郎は何か考えながら、映像を切り替え、裏口を映す。時刻は深夜1時半頃、フード付きの黒いジャンパーを被った人物が外へと出て行き、2時半頃に再び戻ってきた。裏口の出入りをしたのはこの人物だけだった。
 吾郎は再びカフェの映像に切り替える。裏口にいた人物が、それぞれの時刻にカフェから出て行き、カフェに消えていった。

「……この人物、ワイズさんだね」
「しかし、犯行時刻は1時ですよ。1時間ずれている。……カメラの時刻設定に細工を?」
「している様なら、そもそも問題の映像を消しているでしょうし、……ほら、ここをご覧」

 吾郎はカフェの中の時計を指し示した。ほとんどカメラの時刻と変わらない。

「多分、カフェの時計に誤差があり、カメラが正確。そんなところだよ。つまり、カメラに細工はされていない」
「それじゃあ、何故彼女は外へ?」

 瀬上が聞くと、吾郎は苦笑した。

「さぁ? ……でも、カメラの映像を見ていても刑事は務まらないことだけは言えるよ。カフェに行ってみよう」

 吾郎は立ち上がると瀬上に言った。





 

「あぁ、あの女性ですね。……外人さんだったんで、覚えていますよ」

 カフェのボーイは吾郎達の質問にすぐ答えた。

「こちらのカフェは注文と会計が同時に行なわれる形式なのですね」
「えぇ。まぁ……合理化って奴ですね。うちも何だかんだそういうところが厳しくて」

 ボーイは声を小さくさせて二人に言った。

「つまり、どこの席に誰がいたかはそこまで重視していないのですね?」

 吾郎が聞くとボーイは苦笑混じりに頷く。

「まぁそうですね。もともとホテルの宿泊客の為のカフェですし、夜はこうしてバーも兼ねてアルコールも出しているんですが、それ故に席を移動する方も多いので。最近はもっぱらICカード払いがここの主流ですね。ここのカードキーのICを使えば、チェックアウト時に一括会計もできるので」
「なるほど。……でも、彼女は覚えているんですよね?」
「えぇ。確か、あの一番奥の席にいましたよ。……いつの間にか姿がなくて、またいつの間にか同じ席に座っていて、カクテルを注文していたので」
「なるほど。……深夜一時頃もあの奥に?」
「いましたよ。丁度1時が自分の休憩時間で、物珍しさからチラッと見たんで。んで、その1時間後かな? 戻ってみたらいなかったんですよ。それで、それからしばらくして、注文がされていくと、彼女が戻っていた訳です」

 ボーイの返答を聞くと、吾郎は満足そうに頷いた。

「ご協力ありがとうございます。……あの時計、少しずれていますよ」

 吾郎はなんとなく気がついた風を装い、ボーイに壁掛け時計を見て言った。

「あぁ、やっぱり電池ないんだな。昨日も何回か直したんですけど、いつも少し遅れるんですよ」
「大体何分くらい?」
「いや、大したことはないんですよ。半日で5分くらいですかね」
「そうですか」

 吾郎は頷く。瀬上も、これでミラのアリバイが立証されたことを理解した。
 そして、吾郎は時計を見たまま、瀬上に言う。

「瀬上君、折角なのでこちらで一杯飲んで行って下さい」
「えっ、でも……」
「もう定時は過ぎているよ。一日目から君が無理することもないさ。それに荷物は全てこちらにあるんだから、わざわざ戻る必要はないよ」
「なら、五井さんも……」
「僕は車があるし、まだ戻ってやることがあるから。じゃあ、今日はご苦労様。……あぁ、明日は二課に来て」

 それだけ言い残すと吾郎はカフェから去ってしまった。

「……じゃ、レッドアイを頼む」

 瀬上は部屋のカードキーをボーイに渡し、注文した。

「ありがとうございます」

 ボーイが営業スマイルを浮かべて言い、奥へと引っ込んだのを見送ると、瀬上は適当に空いている席へ腰を降ろした。
 そして、手帳を広げ、今回の事件を整理し始める。
 しかし、犯人が電送の爾落人にしろ、ただの人にしろ、動機も不明であり、不審な人物すらも捜査線上に浮ばず、むしろ関係者全員が何かをそれぞれ隠している。つまり、犯人を絞り込むこともできない。唯一まともに嫌疑を晴らせているのはミラだけだが、彼女の挙動にも不審な点は残っている。

「簡単にはいかねぇな」

 頭を掻き毟る瀬上に人が近づいてきた。気配に気づいた彼がそちらへ視線を向けると、ミラが立っていた。

「捜査は進展していますか?」
「とりあえず、あなたが犯行時、ここにいた事が確認できましたよ」

 瀬上は若干皮肉めいた口調で彼女に言った。

「あら、それじゃあ私は晴れて放免という訳ね。……ボーイさん、マティーニを! ……こちらは空いているかしら?」

 先ほどのボーイに注文をすると、ミラは瀬上の向かいに腰を降ろした。

「それで、事件は解決しそうですか? いえ、犯人はどうでもいいんです。問題は悪路神の火が私の手元に戻るかです」
「解決もしますし、犯人も捕まえますが、取り返した品は館長へ届けますよ。その後にあなたの手へ渡るか否かは我々の介することではありませんので」
「民事不介入ってこと?」
「そうです」

 瀬上が答えると、ボーイがレッドアイとマティーニを持ってきた。

「じゃあ、とりあえず私のアリバイ立証を祝して」

 ミラはグラスを瀬上の前に出して言った。
 少し瀬上は憮然とした表情をしつつも、グラスを手に取った。

「「乾杯」」

 そして、一杯仰ぐと、ミラは瀬上に問いかける。

「ところで、入口で待機している彼女達は飲めないの?」

 入口を見ると、女性警官が瀬上を睨んでいた。

「さ、流石にマズいですね。彼女達は職務中なので……」
「そう。こんなおばさんと飲むよりあっちの若い子達と飲んだ方が楽しいのに、残念ね」
「いえ、そういうことはありませんよ」
「奥さんがいるの?」
「いいえ」

 答える瀬上の顔をミラはじっと見る。

「じゃあ、疎遠になっている恋人、もしくは想い人を今も引きずっている。そんなところね」
「なっ!」

 思わず、店内の照明が点滅する。
 ミラも女性警官達もそちらに視線を向けた。その間に瀬上は慌てて平静に感情を抑える。

「まぁ、そんな奴もいないわけでもいるわけでもないってことかもしれない」
「あなた、相当な玉に見えたけど、案外素直なのね」

 ミラは愉快そうにグラスを傾けて言った。
 対する瀬上も不敵に笑みを浮かべて応じる。

「別に私は何も偽りなんてしていませんよ。それはあなたの心が映ったものでないですか?」
「カマをかけても無駄ですよ。やましいことなんてありませんから、何も。……私は立場上、それなりに眼を養っているんですよ。物以外に人に対しても。あなたのその目、相当な修羅場を見てきた人のモノだわ」
「まぁ、刑事なんてそんなものですよ。……さて、これ以上刑事と関係者が酒を酌み交わすのもあまり良いものではない。彼女達に恨み言をいわれたくもありませんので、この辺で失礼します」

 瀬上はグラスの残りを一気に仰ぐと、ミラを残してカフェを後にした。
 そして、部屋に戻ると彼は再び手帳を広げるのであった。
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