遺恨
2
一同は事務所に移動し、監視カメラの映像を確認することになった。
「こちらが盗まれた悪路神の火を映しているカメラの映像です。警備会社に問い合わせて用意して頂きました」
警官が吾郎と瀬上に説明しながら映像を再生した。時刻は0時過ぎ。
映像は展示棚の前の天井に設置されている監視カメラのもので、ガラス越しに赤い石、つまり悪路神の火が認められる。展示棚の前の通路も映されており、まもなくそこを通る坂上館長の姿が確認できた。
「なるほど。この後、施錠して帰宅したわけですね?」
「はい」
確認をする吾郎に坂上は頷く。
「確認をしたところ、この約1時間後の深夜1時頃に犯行が映されていました」
警官がテープを交換する。
監視カメラのデジタル映像への加工処理対策やプロテクトは、過去20年で向上しているが、例えオリジナルを加工しても痕跡が残るアナログの映像の証拠能力は今も高い。コスト面でも、警備会社の管理でオリジナルの保存をする形式であれば、負担はさして大きく変わらない。
瀬上はそんなことを考えながら、警官に問いかける。
「そういえば、このオリジナルはどこで?」
「この事務所の隣にある小部屋が配電室も兼ねているそうで、そこに設置されている機械が自動でテープへ録画するそうです。テープの交換やバックアップ映像の転送、管理は警備会社が行なっているそうです」
「オールインワンプラン契約をしていますので」
「そうですか」
坂上の言葉を聞き、警備会社も大変なんだな、と瀬上が心中で思っていると、警官が映像を再生する。
「ありました。ここです」
「時刻は確かに1時過ぎですね。……暗いですね」
「えぇ。しかし、これでも暗所の映像としては鮮明なものだそうです。それに重要なところは映っていました」
吾郎に警官は答える。消灯されている為、非常に暗いが、確かに監視カメラとしての役割は十分に果たせる鮮明さであった。
やがて、映像にゆっくりと黒いコートと黒いツバ付き帽子を被った人物の姿が現われた。カメラに対して背を向けており、襟を立てている為、人物が男女かの判断は難しい。
吾郎と瀬上はモニターを凝視する。
人物は徐に棒状の金属でガラスを割り、悪路神の火の前に立つ。恐らくは犯行の瞬間だろうが、先の通り人物が壁になり、その手の動きは見えない。腕の動きからポケットから手を抜き、悪路神の火を取ると、ポケットにそれを入れたと考えられる。
次の瞬間、立ち去る為に人物は振り返った。思わず瀬上は拳を握った。
しかし、その顔を見て瀬上は勿論吾郎も、そして恐らく既に映像を見ているであろう他の彼らも思わず絶句した。
「顔が……ない」
うわ言の様に吾郎は呟いた。瀬上も同意見だった。
人物の顔に当たる部分はマスクで覆うこともなく晒されていたが、そこにあるべき顔が映ってはおらず、完全に透明になっていたのだ。黒い布などで隠しているわけでもない。つまり、帽子が空中に浮いているとしか思えない。
「………」
瀬上は必死に過去の記憶を探る。彼自身の爾落人の能力でもこの程度の細工は可能だ。つまり、実際に透明化する能力か、光に対して影響を与えられる何らかの能力が考えられる。
しかし、それは異能を持つ爾落人や能力者において可能な話であり、ただの人間には到底不可能な芸当であった。
「……なるほど。それでこの人物の侵入と逃走ルートは?」
吾郎は今の映像など見ていなかったかのように落ち着いた口調で警官に問いかけた。
その切り替えの早さに警官は戸惑いつつも、直ぐに別のテープを再生する。
「これは外の映像です。……館内でこの人物が映っていたのは、今のカメラだけでした」
「わかりました。お願いします」
吾郎に促され、警官は映像を再生するが、明らかに震えている。まだ怪奇な映像があるらしい。
映像は正面に設置された監視カメラのものだった。犯行時刻より5分程前だ。
しばらく何も変わったところもない夜の静寂を映していた。
しかし、突如空中から黒いものが真っ直ぐ正面玄関の屋根の下へと入っていった。大きさから鳥などではない。
「別のカメラに着地の瞬間は映りませんでしたか?」
「はい。どうやら事前にカメラの死角を調べていたようで、人物が映っていたのはこの二台だけです」
「美術館の来館記録は?」
「すでに捜査を始めていますが、恐らくこの映像では人物の特定は難しいと思います」
警官が吾郎に伝えた。瀬上も同感であった。この映像ではそもそも顔が映っておらず、男か女かもわからない。強いて言えば160センチ前後の身長であるが、この事務所にいる者の中で該当する人物は瀬上以外の全員だ。ほとんど参考にならない。
「……もう一度今の映像をお願いします。今度はコマ送りで」
「はい」
吾郎に言われ、警官は映像をコマ送り再生する。一コマ一コマ黒い影が宙を飛ぶ画像が送られる。
「止めて下さい!」
「はい!」
吾郎が一つの画像で映像をとめた。瀬上もそれを見る。
動きが早く細かい部分はわからないが、人物の着ていた黒いコートに酷似している。
「……普通の人間が鳥の様に降りることなど、可能ですか?」
「降りるなら、細いワイヤーを使えば不可能ではありません。この映像なら、ワイヤーを黒く塗ってしまえば闇に紛れて見破るのは至難の業でしょうから。……では、逃走時の映像もお願いします」
「はい」
警官は再生機を操作し、犯行から5分程後の映像を再生する。
先ほどとは逆に屋根の下から空へ飛び上がる黒い影が映っていた。しかし、角度が先ほどとは違い、屋根の下から出ると、上空へと舞い上がった。
「……普通の人間が空を飛べるのですか?」
「昨夜は月が出ていませんでしたから、影が映っていません。上空に気球やヘリなどを待機させておいて飛び上がる……というのは理屈上可能ですが、動きが少し不自然です。まるでコウモリや鳥が飛び立つ様に舞い上がっていますから」
「………」
吾郎も人間の犯行で説明するのが難しいようだ。しかし、それは爾落人においても同じだった。顔を映像から見えなくする力と空を飛ぶ力は全く接点がない。瀬上の力でも空を飛ぶことが全く不可能ではないが、実際は一定の高さで静止するといったもので、映像のように宙を舞い上がるような飛び方はできない。
「………念の為、今朝の事件発覚時の映像もお願いします」
吾郎は警官に告げた。
まもなく、8時30分頃の展示棚前の映像が再生された。既に瀬上達が現場で確認したのと同じ光景が映っている。坂上が事件に気づき、足早に展示棚の前に立つ。そして、呆然とし、消失した悪路神の火を必死に捜して展示棚の中を探る。
「すみません。狼狽してしまいまして……後で刑事さんに注意されました」
坂上が申し訳なさそうに言う。
「あぁ、指紋とかのことですね? 映像で犯人は手袋を付けていたようですし、特別現場が荒れてしまった訳でもないようですから、あまりお気になさらずに」
吾郎は映像を見つめながら言った。
瀬上も映像を見つめて考える。盗んだ美術品の売買は当然ながら正規ルートで行なうわけにはいかず、裏ルートで行なわれるが、実際プロでないとそう簡単には売買など行なえない。今回はそのプロによる犯行である可能性が非常に高いが、もう一つ美術品を盗むことで金を得る手段がある。それがいわゆる保険金であり、その場合は所有者の狂言だ。
しかし、坂上の狼狽はとても演技には思えない。信じ難い出来事に直面し、驚愕や混乱、そして狼狽して、一つ一つ事実を認識していくことで始めてそれが現実であることを理解する。仮にこの狼狽が演技であれば、今頃彼女は美術館館長でなく、大女優として赤絨毯の上を歩いていることだろう。
「念のため、もう一度お願いします。万が一にも何か証拠となるものが映っているかもしれませんので」
吾郎は警官に言い、再び一連の映像を一から確認し始めた。
一方、瀬上はその姿が哀れにすら感じられ、彼から背を向けると坂上達のアリバイを確認した。
「既にお話頂いているかと思いますが、昨夜の行動について教えてください。繰り返している内に新たな何かを思い出すということもありますので」
実際はそれ以上に証言に変化が見られないか、その信憑性についての確認という意味合いの方が強い。
しかし、彼女達は別段嫌な顔をすることもなく、答えた。
「私は先ほどお話しした様に、昨夜仕事を0時に切り上げて、施錠後に帰宅しました。一人暮らしなので、恐らくこれを証明しろと申されても難しいと思います」
まず坂上が答えた。瀬上はメモを取りながら情報を引き出そうと会話する。
「そんな鬼の様な追及は致しませんよ。就寝は帰宅後直ぐですか? もしテレビなどを見ていれば、それでもご自宅にいたことをある程度示すことができますが」
「残念ながら、昨夜はすぐに寝てしまいました。お風呂も今朝入ったもので」
「そうですか。……しかし、館長のお仕事も大変ですね。いつも日付が変わる頃までお仕事を?」
「時々ですわ。昨日はたまたま来客が続いて仕事が滞っていたものですから」
「来客?」
「はい。閉館後、18時頃に三重大学の鈴木通子と田村凛の二人が一時間半ほど研究についての打ち合わせを。二人が帰ってしばらく経った20時頃にこちらにいるワイズさんが」
「なるほど。ワイズさんの来訪の目的は、悪路神の火を大英博物館で研究管理する為の交渉……ですか?」
先ほどの二人の会話を思い出して瀬上はメモを取りながら、ミラに問いかける。
「はい。結局、話は平行線のまま一時間ほどで終わりましたが……」
「わかりました。ワイズさんがここを出た後は、こちらで仕事を?」
ミラが再び盗難についての文句を言おうとしたのを察した瀬上は、すぐさま坂上に問いかけた。
「はい。それからは来客もなく、夕食もカップ麺を用意していたのでそれで済ませました」
「その際、不審な物音などは?」
「いいえ。……もっとも、こんな事件が起こるとは思っていませんでしたから、聞いていないというよりも気づかなかったという方が正しいかもしれません」
「わかりました。……では、ワイズさん。あなたはこちらを出た後は?」
「駅前にホテルをとっていますので、そこで過ごしていました。こちらに到着後、直ぐにチェックインして、外出をしたのはここへ来た一度だけです。フロントで確認ができるはずです」
「わかりました。ホテルの名前は?」
ミラからホテルの名前を聞くと、偶然にも瀬上の手配したホテルであった。といっても、ミラの最上階の部屋と瀬上の三等室では、その宿泊料金は雲泥の差であろうが。
「ホテルではずっと部屋に?」
「いいえ。レストランや大浴場に行っていたので、深夜3時前まではホテル内を動いていました」
つまり、完全なアリバイという訳でもないらしい。部屋周辺の防犯カメラ映像を確認するという方法が一番信憑性は高いが、それができずフロントのみの証言となると、変装することで偽ることは可能だ。アリバイ自体は坂上と同じ程度と認識していた方が良さそうだと瀬上は思った。
「ありがとうございました。捜査の進展上、また同じことや何か新たなことを確認させて頂くことがあるかと思いますが、その際はご協力お願いいたします」
メモを終えた瀬上は形式的なことを彼女達に告げた。
「あぁ、あと一つご協力頂きたいことがあります」
映像を見ていた吾郎が振り返り、二人に声をかけた。
「盗まれた悪路神の火というのは、一般的な美術品よりも売買しにくいものだと考えられます。つまり、学術的な価値を証明するものがなければ、闇ルートでも売買は難しいという訳です」
「確かにそうでしょうね」
ミラも吾郎の意見に賛同した。彼はそれに頷き、言葉を続けた。
「そう考えると、犯人はその価値を証明するものを手に入れる必要があります。闇専門の鑑定士による鑑定書という可能性もありますが、これほど怪奇な事件を起こす犯人です。より確実な手段を取ろうと思えば、専門家の証明書や鑑定書を手に入れるでしょう。つまり、もう一度犯人が現われる可能性を完全に否定できません。それも、皆さん専門家の前に現れ、それを書かせる様に強要する……そんな可能性も十分に考えられます」
淡々とした口調で伝える吾郎だが、それを聞いている二人は青ざめている。
「そこで、お二人……厳密にはまだお会いしていませんが、鈴木准教授を含めたお三方に、警察の護衛を付けたいのです。いかがでしょうか?」
吾郎は不敵な笑みを浮かべて問いかけた。
しかし、瀬上には気づいていた。これは問いかけでなく牽制だと。護衛と上手く表現しているが、つまり監視する人間を置く許可を求めているのだ。恐らく、断れば捜査として張り込みを付けるつもりなのだろう。
「わかりました。宜しくお願いいたします」
「仕事の邪魔をしなければ、別に構いませんよ」
坂上とミラはそれぞれ同意した。
「ご協力ありがとうございます」
笑顔で吾郎は言うと、女性警官をそれぞれ4人呼んで2人ずつ”護衛”を付けさせると、彼女達を解放した。
それを見送ると、瀬上は吾郎に問いかけた。
「それで、五井さん。何を考えているんですか?」
「そうだね。……まぁ、とりあえずは女性警官2名を連れて、三重大学に行きましょう。まだ話を聞いていない方々がいますから」
吾郎は意味深な笑みを浮かべ、玄関前の屋根を見上げつつ言った。
一同は事務所に移動し、監視カメラの映像を確認することになった。
「こちらが盗まれた悪路神の火を映しているカメラの映像です。警備会社に問い合わせて用意して頂きました」
警官が吾郎と瀬上に説明しながら映像を再生した。時刻は0時過ぎ。
映像は展示棚の前の天井に設置されている監視カメラのもので、ガラス越しに赤い石、つまり悪路神の火が認められる。展示棚の前の通路も映されており、まもなくそこを通る坂上館長の姿が確認できた。
「なるほど。この後、施錠して帰宅したわけですね?」
「はい」
確認をする吾郎に坂上は頷く。
「確認をしたところ、この約1時間後の深夜1時頃に犯行が映されていました」
警官がテープを交換する。
監視カメラのデジタル映像への加工処理対策やプロテクトは、過去20年で向上しているが、例えオリジナルを加工しても痕跡が残るアナログの映像の証拠能力は今も高い。コスト面でも、警備会社の管理でオリジナルの保存をする形式であれば、負担はさして大きく変わらない。
瀬上はそんなことを考えながら、警官に問いかける。
「そういえば、このオリジナルはどこで?」
「この事務所の隣にある小部屋が配電室も兼ねているそうで、そこに設置されている機械が自動でテープへ録画するそうです。テープの交換やバックアップ映像の転送、管理は警備会社が行なっているそうです」
「オールインワンプラン契約をしていますので」
「そうですか」
坂上の言葉を聞き、警備会社も大変なんだな、と瀬上が心中で思っていると、警官が映像を再生する。
「ありました。ここです」
「時刻は確かに1時過ぎですね。……暗いですね」
「えぇ。しかし、これでも暗所の映像としては鮮明なものだそうです。それに重要なところは映っていました」
吾郎に警官は答える。消灯されている為、非常に暗いが、確かに監視カメラとしての役割は十分に果たせる鮮明さであった。
やがて、映像にゆっくりと黒いコートと黒いツバ付き帽子を被った人物の姿が現われた。カメラに対して背を向けており、襟を立てている為、人物が男女かの判断は難しい。
吾郎と瀬上はモニターを凝視する。
人物は徐に棒状の金属でガラスを割り、悪路神の火の前に立つ。恐らくは犯行の瞬間だろうが、先の通り人物が壁になり、その手の動きは見えない。腕の動きからポケットから手を抜き、悪路神の火を取ると、ポケットにそれを入れたと考えられる。
次の瞬間、立ち去る為に人物は振り返った。思わず瀬上は拳を握った。
しかし、その顔を見て瀬上は勿論吾郎も、そして恐らく既に映像を見ているであろう他の彼らも思わず絶句した。
「顔が……ない」
うわ言の様に吾郎は呟いた。瀬上も同意見だった。
人物の顔に当たる部分はマスクで覆うこともなく晒されていたが、そこにあるべき顔が映ってはおらず、完全に透明になっていたのだ。黒い布などで隠しているわけでもない。つまり、帽子が空中に浮いているとしか思えない。
「………」
瀬上は必死に過去の記憶を探る。彼自身の爾落人の能力でもこの程度の細工は可能だ。つまり、実際に透明化する能力か、光に対して影響を与えられる何らかの能力が考えられる。
しかし、それは異能を持つ爾落人や能力者において可能な話であり、ただの人間には到底不可能な芸当であった。
「……なるほど。それでこの人物の侵入と逃走ルートは?」
吾郎は今の映像など見ていなかったかのように落ち着いた口調で警官に問いかけた。
その切り替えの早さに警官は戸惑いつつも、直ぐに別のテープを再生する。
「これは外の映像です。……館内でこの人物が映っていたのは、今のカメラだけでした」
「わかりました。お願いします」
吾郎に促され、警官は映像を再生するが、明らかに震えている。まだ怪奇な映像があるらしい。
映像は正面に設置された監視カメラのものだった。犯行時刻より5分程前だ。
しばらく何も変わったところもない夜の静寂を映していた。
しかし、突如空中から黒いものが真っ直ぐ正面玄関の屋根の下へと入っていった。大きさから鳥などではない。
「別のカメラに着地の瞬間は映りませんでしたか?」
「はい。どうやら事前にカメラの死角を調べていたようで、人物が映っていたのはこの二台だけです」
「美術館の来館記録は?」
「すでに捜査を始めていますが、恐らくこの映像では人物の特定は難しいと思います」
警官が吾郎に伝えた。瀬上も同感であった。この映像ではそもそも顔が映っておらず、男か女かもわからない。強いて言えば160センチ前後の身長であるが、この事務所にいる者の中で該当する人物は瀬上以外の全員だ。ほとんど参考にならない。
「……もう一度今の映像をお願いします。今度はコマ送りで」
「はい」
吾郎に言われ、警官は映像をコマ送り再生する。一コマ一コマ黒い影が宙を飛ぶ画像が送られる。
「止めて下さい!」
「はい!」
吾郎が一つの画像で映像をとめた。瀬上もそれを見る。
動きが早く細かい部分はわからないが、人物の着ていた黒いコートに酷似している。
「……普通の人間が鳥の様に降りることなど、可能ですか?」
「降りるなら、細いワイヤーを使えば不可能ではありません。この映像なら、ワイヤーを黒く塗ってしまえば闇に紛れて見破るのは至難の業でしょうから。……では、逃走時の映像もお願いします」
「はい」
警官は再生機を操作し、犯行から5分程後の映像を再生する。
先ほどとは逆に屋根の下から空へ飛び上がる黒い影が映っていた。しかし、角度が先ほどとは違い、屋根の下から出ると、上空へと舞い上がった。
「……普通の人間が空を飛べるのですか?」
「昨夜は月が出ていませんでしたから、影が映っていません。上空に気球やヘリなどを待機させておいて飛び上がる……というのは理屈上可能ですが、動きが少し不自然です。まるでコウモリや鳥が飛び立つ様に舞い上がっていますから」
「………」
吾郎も人間の犯行で説明するのが難しいようだ。しかし、それは爾落人においても同じだった。顔を映像から見えなくする力と空を飛ぶ力は全く接点がない。瀬上の力でも空を飛ぶことが全く不可能ではないが、実際は一定の高さで静止するといったもので、映像のように宙を舞い上がるような飛び方はできない。
「………念の為、今朝の事件発覚時の映像もお願いします」
吾郎は警官に告げた。
まもなく、8時30分頃の展示棚前の映像が再生された。既に瀬上達が現場で確認したのと同じ光景が映っている。坂上が事件に気づき、足早に展示棚の前に立つ。そして、呆然とし、消失した悪路神の火を必死に捜して展示棚の中を探る。
「すみません。狼狽してしまいまして……後で刑事さんに注意されました」
坂上が申し訳なさそうに言う。
「あぁ、指紋とかのことですね? 映像で犯人は手袋を付けていたようですし、特別現場が荒れてしまった訳でもないようですから、あまりお気になさらずに」
吾郎は映像を見つめながら言った。
瀬上も映像を見つめて考える。盗んだ美術品の売買は当然ながら正規ルートで行なうわけにはいかず、裏ルートで行なわれるが、実際プロでないとそう簡単には売買など行なえない。今回はそのプロによる犯行である可能性が非常に高いが、もう一つ美術品を盗むことで金を得る手段がある。それがいわゆる保険金であり、その場合は所有者の狂言だ。
しかし、坂上の狼狽はとても演技には思えない。信じ難い出来事に直面し、驚愕や混乱、そして狼狽して、一つ一つ事実を認識していくことで始めてそれが現実であることを理解する。仮にこの狼狽が演技であれば、今頃彼女は美術館館長でなく、大女優として赤絨毯の上を歩いていることだろう。
「念のため、もう一度お願いします。万が一にも何か証拠となるものが映っているかもしれませんので」
吾郎は警官に言い、再び一連の映像を一から確認し始めた。
一方、瀬上はその姿が哀れにすら感じられ、彼から背を向けると坂上達のアリバイを確認した。
「既にお話頂いているかと思いますが、昨夜の行動について教えてください。繰り返している内に新たな何かを思い出すということもありますので」
実際はそれ以上に証言に変化が見られないか、その信憑性についての確認という意味合いの方が強い。
しかし、彼女達は別段嫌な顔をすることもなく、答えた。
「私は先ほどお話しした様に、昨夜仕事を0時に切り上げて、施錠後に帰宅しました。一人暮らしなので、恐らくこれを証明しろと申されても難しいと思います」
まず坂上が答えた。瀬上はメモを取りながら情報を引き出そうと会話する。
「そんな鬼の様な追及は致しませんよ。就寝は帰宅後直ぐですか? もしテレビなどを見ていれば、それでもご自宅にいたことをある程度示すことができますが」
「残念ながら、昨夜はすぐに寝てしまいました。お風呂も今朝入ったもので」
「そうですか。……しかし、館長のお仕事も大変ですね。いつも日付が変わる頃までお仕事を?」
「時々ですわ。昨日はたまたま来客が続いて仕事が滞っていたものですから」
「来客?」
「はい。閉館後、18時頃に三重大学の鈴木通子と田村凛の二人が一時間半ほど研究についての打ち合わせを。二人が帰ってしばらく経った20時頃にこちらにいるワイズさんが」
「なるほど。ワイズさんの来訪の目的は、悪路神の火を大英博物館で研究管理する為の交渉……ですか?」
先ほどの二人の会話を思い出して瀬上はメモを取りながら、ミラに問いかける。
「はい。結局、話は平行線のまま一時間ほどで終わりましたが……」
「わかりました。ワイズさんがここを出た後は、こちらで仕事を?」
ミラが再び盗難についての文句を言おうとしたのを察した瀬上は、すぐさま坂上に問いかけた。
「はい。それからは来客もなく、夕食もカップ麺を用意していたのでそれで済ませました」
「その際、不審な物音などは?」
「いいえ。……もっとも、こんな事件が起こるとは思っていませんでしたから、聞いていないというよりも気づかなかったという方が正しいかもしれません」
「わかりました。……では、ワイズさん。あなたはこちらを出た後は?」
「駅前にホテルをとっていますので、そこで過ごしていました。こちらに到着後、直ぐにチェックインして、外出をしたのはここへ来た一度だけです。フロントで確認ができるはずです」
「わかりました。ホテルの名前は?」
ミラからホテルの名前を聞くと、偶然にも瀬上の手配したホテルであった。といっても、ミラの最上階の部屋と瀬上の三等室では、その宿泊料金は雲泥の差であろうが。
「ホテルではずっと部屋に?」
「いいえ。レストランや大浴場に行っていたので、深夜3時前まではホテル内を動いていました」
つまり、完全なアリバイという訳でもないらしい。部屋周辺の防犯カメラ映像を確認するという方法が一番信憑性は高いが、それができずフロントのみの証言となると、変装することで偽ることは可能だ。アリバイ自体は坂上と同じ程度と認識していた方が良さそうだと瀬上は思った。
「ありがとうございました。捜査の進展上、また同じことや何か新たなことを確認させて頂くことがあるかと思いますが、その際はご協力お願いいたします」
メモを終えた瀬上は形式的なことを彼女達に告げた。
「あぁ、あと一つご協力頂きたいことがあります」
映像を見ていた吾郎が振り返り、二人に声をかけた。
「盗まれた悪路神の火というのは、一般的な美術品よりも売買しにくいものだと考えられます。つまり、学術的な価値を証明するものがなければ、闇ルートでも売買は難しいという訳です」
「確かにそうでしょうね」
ミラも吾郎の意見に賛同した。彼はそれに頷き、言葉を続けた。
「そう考えると、犯人はその価値を証明するものを手に入れる必要があります。闇専門の鑑定士による鑑定書という可能性もありますが、これほど怪奇な事件を起こす犯人です。より確実な手段を取ろうと思えば、専門家の証明書や鑑定書を手に入れるでしょう。つまり、もう一度犯人が現われる可能性を完全に否定できません。それも、皆さん専門家の前に現れ、それを書かせる様に強要する……そんな可能性も十分に考えられます」
淡々とした口調で伝える吾郎だが、それを聞いている二人は青ざめている。
「そこで、お二人……厳密にはまだお会いしていませんが、鈴木准教授を含めたお三方に、警察の護衛を付けたいのです。いかがでしょうか?」
吾郎は不敵な笑みを浮かべて問いかけた。
しかし、瀬上には気づいていた。これは問いかけでなく牽制だと。護衛と上手く表現しているが、つまり監視する人間を置く許可を求めているのだ。恐らく、断れば捜査として張り込みを付けるつもりなのだろう。
「わかりました。宜しくお願いいたします」
「仕事の邪魔をしなければ、別に構いませんよ」
坂上とミラはそれぞれ同意した。
「ご協力ありがとうございます」
笑顔で吾郎は言うと、女性警官をそれぞれ4人呼んで2人ずつ”護衛”を付けさせると、彼女達を解放した。
それを見送ると、瀬上は吾郎に問いかけた。
「それで、五井さん。何を考えているんですか?」
「そうだね。……まぁ、とりあえずは女性警官2名を連れて、三重大学に行きましょう。まだ話を聞いていない方々がいますから」
吾郎は意味深な笑みを浮かべ、玄関前の屋根を見上げつつ言った。