stay with me
4
一方、巨大な大猿の姿となったアーサーは、ゆっくりと体を起こした。
「まさか爾落人が「G」を封じる護符を使うとは、侮れないな」
「アーサー! 私はアポトーシスなんてやらないわ!」
大猿の右手の中でミトは叫んだ。
アーサーは彼女を睨む。
「そうか。……それならば、貴様にも俺と同じ苦しみを味遭わせ、その気を起こさせよう」
「何をするつもり……?」
「お前の信じる世界に終わりを告げさせる。愛し、守るものを失う絶望を、孤独の苦しみを味わうがよい。……ウィルを殺す」
「! させないわ!」
ミトは怒り、変成の力を使おうとする。
しかし、力は一向に発揮されない。
「えっ! ……どうして?」
「先程倒れた際に、貴様の背中に地面に散った護符を一枚貼った。どうやら痛みは伴わないようだが、その力は既に封じられている。ミト、そこで大人しくこれからの現実を見届けろ」
「………」
ミトにできることは唇を噛み、アーサーを睨み続けることだけであった。
アーサーは王宮にある戦車を蹴散らし、我が物顔で歩く。
彼の後方では新政府軍とレジスタンスの戦いが尚も続いており、空が炎で真っ赤に染めていた。
「ふっ……このまま何もせずとも争いはやがてここへも広がり、ウィルは死ぬであろう」
「させないわ」
「一度始まった争いは止まない」
アーサーがさみしげな目をしてミトに言った時、国内中に設置されたスピーカーから音が聞こえた。
『えーテステス……もう繋がってるな?』
その声は紛れもなく銀河の声であった。
そして、次の瞬間、銀河の叫び声が国中に響き渡った。
『オダカーンは死亡した! 新政府も旧政府ももう争う理由はない! 紛争を止めろ! レジスタンスも武器を捨てろ! もうお前たち大人の都合や過ちで殺し合うんじゃねぇ! 同じ国に住む者同士で争うな! 誰だって辛いことや悔しいことはある! そんな時こそ、みんな互いに愛し、助け合って幸せを目指して生きていけ! この国から紛争をなくせぇぇぇえええっ! みんな、たった一つの命をもって生まれてきたんだぁぁぁっ! 仲間なんだぁぁぁっ!』
刹那、国中で繰り広げられていた争いは止んだ。兵士達は武器や兵器を放棄し、呆然と燃える街や瓦礫を見つめていた。
しかし、一人、また一人と彼らは視界にいた負傷者のもとに駆け寄り始めた。敵味方など関係なく、目の前の負傷者の救護をしていた。
やがて燃え盛る街では、先程まで互いを殺し合う兵器を使い、火災の鎮火作業に人々は取りかかる。大人も子どもも、男も女も、着ている服も関係ない。その場にいたすべての人が助け合う。
それは首都や王宮でも同様であった。眼下で繰り広げられる光景にアーサーは震えていた。
その理由は彼自身もわからない。恐怖か、怒りか、悲しみか、苦しみか、感動か、動揺か、それともまた違う感情の為なのかわからないが、彼は確かに震えていた。
唯一彼がわかっていることは、それが自分にとって受け入れ難いものだということだけだった。
「うぉぉぉっ! 人形共めっ! 踏み殺されろぉぉぉっ!」
アーサーは巨体の足を更に巨大化させ、救護活動をする兵士達を踏み潰そうとした。
「いやぁぁぁっ!」
思わずミトは目を瞑る。
「っ!」
刹那、アーサーの体は光に包まれ、激痛に声にならない悲鳴を上げた。
眼下を見下ろすと、兵士達は敵味方関係なく、互いに手を繋いでいた。中には負傷者もいる。
そして、アーサーはその巨体を維持できなくなる直前に、気がついた。手を繋いだ人々は、自分達の体で「G」封じの方陣を描いていたのだ。
「まさか、そんなことが……」
アーサーは言い終える前に大猿の姿を消した。
「きゃぁぁぁっ!」
ミトは空中に投げ出され、落下しながら悲鳴を上げる。死を覚悟した。
「ミトォォォーッ!」
その瞬間、彼女の聴いた声は、ウィルの声であった。会いたかった最愛の人の声であった。
そして、ミトの体は地面にぶつかることなく、誰かに受け止められた。彼女は恐る恐る目を開いた。
「ミト! よかった! ……会いたかったよ、ミト」
「ウィル……」
ミトはゆっくりと地面に下ろされ、周囲を見渡した。王宮の庭園であった。近くには落下でバラバラに砕け散った装置と金の玉が地面に埋まっていた。アーサーをはじめ、他の者の姿は見えない。
「私、生きてる」
「あぁ」
「ありがとう」
「あぁ」
「争いは終わったのね」
「あぁ」
「ウィル、愛してる」
「あぁ」
同じ返事にミトが少しムッとしてウィルを見ると、彼は穏やかな笑顔で言った。
「僕も愛してる」
レジスタンスリーダーである必要のなくなったウィルは、彼女の知るかつての穏やかな口調に戻っていた。銀河が全国放送で心理を使い、紛争を終わらせる。
「私たち、幸せになれるかしら?」
「なるんだよ。もう一度言わせてほしい。僕のそばにいてくれますか? 僕にはあなたしかいないのです」
ウィルの言葉に、ミトは涙を流して彼に抱きついた。
その姿をそっと見ていた銀河と吉宗、そしてライムは足元に倒れているアーサーに視線を移した。
「これでも世界の終わりを告げさせるのか?」
「……所詮は貴様の心理がなせたことだろう? まだどちらの意見が正しいかわからない。しばらく見させてもらうぞ」
「それじゃあ!」
銀河が目を輝かせた。アーサーはゆっくりと腰を起こすと、彼らに告げた。
「諦めたとは一言も言っていないぞ。俺は見続ける。この国の行く末を、貴様達の世界の行く末を」
そして、アーサーは高く跳躍し、屋根の上に着地すると、そのまま山に向かって去って行った。
「では、私も部隊を立て直す。例え、紛争が終わっても、まだザルロフはこの国内に潜伏しているからな」
ライムも身を翻し、彼らから去って行った。
残された吉宗に銀河は話しかけた。
「王様に戻るんですか?」
「シン国王は一年前に死んだ。紛争が終わった今、ショーグンも必要ではない。氣導の爾落人、徳川吉宗に戻るだけだ。この国はもう余の手から離れている」
彼は淡々と答えた。
こうして、一年に及ぶ紛争と世界の存続がかかった戦いは終わりを迎えた。
夕焼けが国中を赤く染める頃、王宮近くにある教会にミトとウィルの姿があった。
二人の着るドレスもタキシードも間に合わせで用意した為、ボロボロであった。
しかし、二人にとっても、それを見つめる牧師も、二人を祝福する銀河達にとっても、それは些細なことであった。
「私はウィルを愛します」
「僕はミトを愛します」
そして、二人は永遠の愛を誓う口づけを交わした。
人々は一斉に歓声を上げた。
屋上にあった鐘は、一年続いた敵と味方の過ちの為に破壊され、失われていた。
しかし、その場にいる者達はそれすらも大したことに思えた。
ゆっくりと顔を離したウィルは、ミトに言った。
「例え、教会の鐘が鳴らなくとも、僕のそばにいてくれますか?」
「えぇ、勿論よ」
ミトが笑顔で頷いた。すると、次第に人々の歓声が小さくなっていた。
不思議に思う二人を余所に、遂に教会の中は静寂に包まれた。
「これって……!」
「鐘だ!」
二人の耳にも、遠くで鐘の鳴る音が確かに聞こえた。
二人は頷き合い、教会の外へと飛び出した。鐘の音の場所を探すために。
「山からだ」
「アーサーなのか?」
「あぁ。彼がこの国と、二人の門出を祝福しているんだろうな」
鐘の音が鳴り続ける山を見つめていた二人に、銀河は近づきながら言った。
銀河の後ろからついてきた吉宗も口を開いた。
「あの者はこの国を見守ることにしたのだ。この鐘は彼の願いなのだろう」
静かに言った吉宗の言葉を聞いた二人は再び山を見た。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
それを見届けた吉宗は、涼しげな表情で口笛を吹いた。
どこからともなく白馬が彼のもとにやってきた。その場にいたほとんどの人が突然現れた白馬に驚いているが、一人銀河は落ち着いた様子で彼に聞く。
「もう行くのか?」
「あぁ、二人とこの国の門出を見届けた。余はいつまでもここにいてはならぬ者だからな。それに、主らと出会って、世界をまた見て回りたくなった」
「そうか」
すべてを悟った様子の銀河に対して、ミトとウィルは彼に詰め寄る。
「どうして国を去るのですか?」
「そうです。あなたは確かに元国王であったかもしれません。しかし、この国の再建にはあなたのお力が必要です」
「いいや。余にできることはない。国は君主によってつくるものにあらず。民が国をつくるものだ。ミト、この男を支えてくれ。ウィル、この国を支えてくれ。そして二人とも、幸せな家庭をつくってくれ。余が主らに伝えられることはそれだけだ」
吉宗は優しく微笑んで二人に言った。
そして、白馬に乗ると、彼らを一瞥して頷いた。
「さらばじゃ!」
吉宗は颯爽と駆ける白馬に跨り、地平線の彼方へと去っていった。
「大丈夫だ。どんなに離れていても、みんなの心は繋がっている」
その姿を見送った銀河は、再び鐘の鳴る山を見つめると、確信を持った口調で言った。
鐘はその日、いつまでも鳴りやまなかった。
「12時間前、ザルロフと思しき人物の乗るヘリコプターが国境を越えようとし、撃墜した。その遺体も確認されたが、DNA鑑定の結果、ザルロフではないと判明した」
翌日、銀河はライムの運転する車で国境まで向かう道中、彼女からザルロフの行方についての話を聞いていた。
「影武者?」
銀河の言葉に彼女は頷いた。
「あぁ。しかし、いつの時点からザルロフが影武者に成り代わったのかはわからない。国外へ逃亡する為の囮に用意したのか、それとも我々が会ったザルロフすらもその影武者だったのか……答えは奴を捕まえない限りわからない」
「今後もGROWを復讐の為に追い続けるんですか?」
「なぜだ?」
「昨晩あなたの部下達から頼まれたんだ。あなたに心理の力でGROWへの復讐心を取ってほしいってな?」
「それで?」
「断ったよ。……今のあなたに心理は必要ないだろ? あの時に復讐心が氷解したのは、アーサーだけじゃないと俺は思っているぜ? それでもあなたが奴らを追うなら、俺にそれを止める権利なんてない」
「……追うわ」
少し溜めて、ライムは言った。
「………」
「奴らを野放しにはできない。だけど、それは一人のアメリカ軍人として。私個人としては、GROWやザルロフよりもずっと大きなターゲットがある」
「それは?」
「母になる。そして、息子にどんなバカでも天才でも苦しむことのない未来を、世界を作っていく。テロリストを相手に限られた労力をいつまでも使っている訳にはいかない」
ライムの答えに、銀河は笑顔でうなずいた。
中東の小さな国は、後に王国でも軍国でもない国となった。国民一人一人が愛し、互いの温もりを重んじあう世界でも稀な国と国際社会から評されるようになるのは、まだ遠い未来の話である。
そして、人類最初で最後の爾落人に人里離れた山奥から見守られ、人々の愛に溢れたこの国を去る銀河は、最後に大きく伸びをしながら空を見上げた。
そこには雲一つない青空が一面に広がっていた。
【fin】
一方、巨大な大猿の姿となったアーサーは、ゆっくりと体を起こした。
「まさか爾落人が「G」を封じる護符を使うとは、侮れないな」
「アーサー! 私はアポトーシスなんてやらないわ!」
大猿の右手の中でミトは叫んだ。
アーサーは彼女を睨む。
「そうか。……それならば、貴様にも俺と同じ苦しみを味遭わせ、その気を起こさせよう」
「何をするつもり……?」
「お前の信じる世界に終わりを告げさせる。愛し、守るものを失う絶望を、孤独の苦しみを味わうがよい。……ウィルを殺す」
「! させないわ!」
ミトは怒り、変成の力を使おうとする。
しかし、力は一向に発揮されない。
「えっ! ……どうして?」
「先程倒れた際に、貴様の背中に地面に散った護符を一枚貼った。どうやら痛みは伴わないようだが、その力は既に封じられている。ミト、そこで大人しくこれからの現実を見届けろ」
「………」
ミトにできることは唇を噛み、アーサーを睨み続けることだけであった。
アーサーは王宮にある戦車を蹴散らし、我が物顔で歩く。
彼の後方では新政府軍とレジスタンスの戦いが尚も続いており、空が炎で真っ赤に染めていた。
「ふっ……このまま何もせずとも争いはやがてここへも広がり、ウィルは死ぬであろう」
「させないわ」
「一度始まった争いは止まない」
アーサーがさみしげな目をしてミトに言った時、国内中に設置されたスピーカーから音が聞こえた。
『えーテステス……もう繋がってるな?』
その声は紛れもなく銀河の声であった。
そして、次の瞬間、銀河の叫び声が国中に響き渡った。
『オダカーンは死亡した! 新政府も旧政府ももう争う理由はない! 紛争を止めろ! レジスタンスも武器を捨てろ! もうお前たち大人の都合や過ちで殺し合うんじゃねぇ! 同じ国に住む者同士で争うな! 誰だって辛いことや悔しいことはある! そんな時こそ、みんな互いに愛し、助け合って幸せを目指して生きていけ! この国から紛争をなくせぇぇぇえええっ! みんな、たった一つの命をもって生まれてきたんだぁぁぁっ! 仲間なんだぁぁぁっ!』
刹那、国中で繰り広げられていた争いは止んだ。兵士達は武器や兵器を放棄し、呆然と燃える街や瓦礫を見つめていた。
しかし、一人、また一人と彼らは視界にいた負傷者のもとに駆け寄り始めた。敵味方など関係なく、目の前の負傷者の救護をしていた。
やがて燃え盛る街では、先程まで互いを殺し合う兵器を使い、火災の鎮火作業に人々は取りかかる。大人も子どもも、男も女も、着ている服も関係ない。その場にいたすべての人が助け合う。
それは首都や王宮でも同様であった。眼下で繰り広げられる光景にアーサーは震えていた。
その理由は彼自身もわからない。恐怖か、怒りか、悲しみか、苦しみか、感動か、動揺か、それともまた違う感情の為なのかわからないが、彼は確かに震えていた。
唯一彼がわかっていることは、それが自分にとって受け入れ難いものだということだけだった。
「うぉぉぉっ! 人形共めっ! 踏み殺されろぉぉぉっ!」
アーサーは巨体の足を更に巨大化させ、救護活動をする兵士達を踏み潰そうとした。
「いやぁぁぁっ!」
思わずミトは目を瞑る。
「っ!」
刹那、アーサーの体は光に包まれ、激痛に声にならない悲鳴を上げた。
眼下を見下ろすと、兵士達は敵味方関係なく、互いに手を繋いでいた。中には負傷者もいる。
そして、アーサーはその巨体を維持できなくなる直前に、気がついた。手を繋いだ人々は、自分達の体で「G」封じの方陣を描いていたのだ。
「まさか、そんなことが……」
アーサーは言い終える前に大猿の姿を消した。
「きゃぁぁぁっ!」
ミトは空中に投げ出され、落下しながら悲鳴を上げる。死を覚悟した。
「ミトォォォーッ!」
その瞬間、彼女の聴いた声は、ウィルの声であった。会いたかった最愛の人の声であった。
そして、ミトの体は地面にぶつかることなく、誰かに受け止められた。彼女は恐る恐る目を開いた。
「ミト! よかった! ……会いたかったよ、ミト」
「ウィル……」
ミトはゆっくりと地面に下ろされ、周囲を見渡した。王宮の庭園であった。近くには落下でバラバラに砕け散った装置と金の玉が地面に埋まっていた。アーサーをはじめ、他の者の姿は見えない。
「私、生きてる」
「あぁ」
「ありがとう」
「あぁ」
「争いは終わったのね」
「あぁ」
「ウィル、愛してる」
「あぁ」
同じ返事にミトが少しムッとしてウィルを見ると、彼は穏やかな笑顔で言った。
「僕も愛してる」
レジスタンスリーダーである必要のなくなったウィルは、彼女の知るかつての穏やかな口調に戻っていた。銀河が全国放送で心理を使い、紛争を終わらせる。
「私たち、幸せになれるかしら?」
「なるんだよ。もう一度言わせてほしい。僕のそばにいてくれますか? 僕にはあなたしかいないのです」
ウィルの言葉に、ミトは涙を流して彼に抱きついた。
その姿をそっと見ていた銀河と吉宗、そしてライムは足元に倒れているアーサーに視線を移した。
「これでも世界の終わりを告げさせるのか?」
「……所詮は貴様の心理がなせたことだろう? まだどちらの意見が正しいかわからない。しばらく見させてもらうぞ」
「それじゃあ!」
銀河が目を輝かせた。アーサーはゆっくりと腰を起こすと、彼らに告げた。
「諦めたとは一言も言っていないぞ。俺は見続ける。この国の行く末を、貴様達の世界の行く末を」
そして、アーサーは高く跳躍し、屋根の上に着地すると、そのまま山に向かって去って行った。
「では、私も部隊を立て直す。例え、紛争が終わっても、まだザルロフはこの国内に潜伏しているからな」
ライムも身を翻し、彼らから去って行った。
残された吉宗に銀河は話しかけた。
「王様に戻るんですか?」
「シン国王は一年前に死んだ。紛争が終わった今、ショーグンも必要ではない。氣導の爾落人、徳川吉宗に戻るだけだ。この国はもう余の手から離れている」
彼は淡々と答えた。
こうして、一年に及ぶ紛争と世界の存続がかかった戦いは終わりを迎えた。
夕焼けが国中を赤く染める頃、王宮近くにある教会にミトとウィルの姿があった。
二人の着るドレスもタキシードも間に合わせで用意した為、ボロボロであった。
しかし、二人にとっても、それを見つめる牧師も、二人を祝福する銀河達にとっても、それは些細なことであった。
「私はウィルを愛します」
「僕はミトを愛します」
そして、二人は永遠の愛を誓う口づけを交わした。
人々は一斉に歓声を上げた。
屋上にあった鐘は、一年続いた敵と味方の過ちの為に破壊され、失われていた。
しかし、その場にいる者達はそれすらも大したことに思えた。
ゆっくりと顔を離したウィルは、ミトに言った。
「例え、教会の鐘が鳴らなくとも、僕のそばにいてくれますか?」
「えぇ、勿論よ」
ミトが笑顔で頷いた。すると、次第に人々の歓声が小さくなっていた。
不思議に思う二人を余所に、遂に教会の中は静寂に包まれた。
「これって……!」
「鐘だ!」
二人の耳にも、遠くで鐘の鳴る音が確かに聞こえた。
二人は頷き合い、教会の外へと飛び出した。鐘の音の場所を探すために。
「山からだ」
「アーサーなのか?」
「あぁ。彼がこの国と、二人の門出を祝福しているんだろうな」
鐘の音が鳴り続ける山を見つめていた二人に、銀河は近づきながら言った。
銀河の後ろからついてきた吉宗も口を開いた。
「あの者はこの国を見守ることにしたのだ。この鐘は彼の願いなのだろう」
静かに言った吉宗の言葉を聞いた二人は再び山を見た。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
それを見届けた吉宗は、涼しげな表情で口笛を吹いた。
どこからともなく白馬が彼のもとにやってきた。その場にいたほとんどの人が突然現れた白馬に驚いているが、一人銀河は落ち着いた様子で彼に聞く。
「もう行くのか?」
「あぁ、二人とこの国の門出を見届けた。余はいつまでもここにいてはならぬ者だからな。それに、主らと出会って、世界をまた見て回りたくなった」
「そうか」
すべてを悟った様子の銀河に対して、ミトとウィルは彼に詰め寄る。
「どうして国を去るのですか?」
「そうです。あなたは確かに元国王であったかもしれません。しかし、この国の再建にはあなたのお力が必要です」
「いいや。余にできることはない。国は君主によってつくるものにあらず。民が国をつくるものだ。ミト、この男を支えてくれ。ウィル、この国を支えてくれ。そして二人とも、幸せな家庭をつくってくれ。余が主らに伝えられることはそれだけだ」
吉宗は優しく微笑んで二人に言った。
そして、白馬に乗ると、彼らを一瞥して頷いた。
「さらばじゃ!」
吉宗は颯爽と駆ける白馬に跨り、地平線の彼方へと去っていった。
「大丈夫だ。どんなに離れていても、みんなの心は繋がっている」
その姿を見送った銀河は、再び鐘の鳴る山を見つめると、確信を持った口調で言った。
鐘はその日、いつまでも鳴りやまなかった。
「12時間前、ザルロフと思しき人物の乗るヘリコプターが国境を越えようとし、撃墜した。その遺体も確認されたが、DNA鑑定の結果、ザルロフではないと判明した」
翌日、銀河はライムの運転する車で国境まで向かう道中、彼女からザルロフの行方についての話を聞いていた。
「影武者?」
銀河の言葉に彼女は頷いた。
「あぁ。しかし、いつの時点からザルロフが影武者に成り代わったのかはわからない。国外へ逃亡する為の囮に用意したのか、それとも我々が会ったザルロフすらもその影武者だったのか……答えは奴を捕まえない限りわからない」
「今後もGROWを復讐の為に追い続けるんですか?」
「なぜだ?」
「昨晩あなたの部下達から頼まれたんだ。あなたに心理の力でGROWへの復讐心を取ってほしいってな?」
「それで?」
「断ったよ。……今のあなたに心理は必要ないだろ? あの時に復讐心が氷解したのは、アーサーだけじゃないと俺は思っているぜ? それでもあなたが奴らを追うなら、俺にそれを止める権利なんてない」
「……追うわ」
少し溜めて、ライムは言った。
「………」
「奴らを野放しにはできない。だけど、それは一人のアメリカ軍人として。私個人としては、GROWやザルロフよりもずっと大きなターゲットがある」
「それは?」
「母になる。そして、息子にどんなバカでも天才でも苦しむことのない未来を、世界を作っていく。テロリストを相手に限られた労力をいつまでも使っている訳にはいかない」
ライムの答えに、銀河は笑顔でうなずいた。
中東の小さな国は、後に王国でも軍国でもない国となった。国民一人一人が愛し、互いの温もりを重んじあう世界でも稀な国と国際社会から評されるようになるのは、まだ遠い未来の話である。
そして、人類最初で最後の爾落人に人里離れた山奥から見守られ、人々の愛に溢れたこの国を去る銀河は、最後に大きく伸びをしながら空を見上げた。
そこには雲一つない青空が一面に広がっていた。
【fin】