決着の日~2028~
今は凌、綾、一樹の三人も束の間の休息だった。とはいえ服装は三人ともスーツを着ており、それは会社的にはボディガードとして派遣されている体になっているため。
「それでこう口説いたの。君を退屈から救いに来たんだ、って。それで…」
「…宮代君も出来上がってきたわね」
「これだけ時間経てば嫌でもお酒まわるでしょうよ」
そして今夜は行きつけの、個室の掘りごたつが特徴的な居酒屋に訪れていた。襖で仕切られていても店内のガヤが騒がしいのがかえって落ち着く、和を基調とした店。三人は上着とコートを用意されたハンガーで吊るした後に乾杯して既に二時間半は経過している。皆飲酒の過度な強要もなく各々のペースで飲酒しているはずだった。
「八重樫さんってさ…」
凌の何気ない一言でこの場にいない八重樫の話題になった。本人はというと、女池の件を翔子に報告へ向かっている。
「謎じゃない?経歴とか」
「確かに自分から過去について語らないわね。こっちから聞けば別だろうけどちょっと怖くて聞けないかも」
「確かにね。今でこそ警備員なんてオレ達とやってるけど本当は疼いてるんじゃないかな」
「傭兵からSAT、そして警備員。格落ち感は否めないわね」
「忘れがちだけど傭兵歴が長いだけで軍人だった事はないよね」
「そうそう、軍人ぽいけど軍人じゃないってね」
「本人の意思でやってるんだろうけど、俺からしたら何か勿体ないと思うわけであってさ。もしかしたら俺が弱いから八重樫さんの足手まといになってるんじゃないかって…」
「そんな事はないわよ」
凌の目が虚ろになった。生気を感じられず声がか細い。ジョッキを握る手が弱々しく、顔色が悪いのは酒のせいか何なのか。
「俺も早く成長しなきゃいけない。本人がよければしばらく八重樫さんの下で教えてもらうつもりだよ。俺は…俺は…瀬上に敗けるダメな男だからさ…」
「いや「G」ハンターは別だよ。オレらなんかより修羅場や経験が違うんだろうからさ。比べるのは間違ってるよ」
「…いいよね電脳は。やらかしても今のご時世ならいくらでも巻き返せるし、ドローンも自由に操れるんでしょ。チートだよね」
「まぁ、そうだけどさ。オレも女池の時は験司さんに迷惑かけちゃったよ」
「俺は何の役にも立ってない…女池にも存在を看破されていたらしいし…」
凌はジョッキを飲み干そうと口をつけて景気良く傾けたが、既に中身は空っぽで溶け残った氷だけが歯にぶつかってきた。我に帰るわけでもなく、力なくジョッキを机に置いた凌の肩に、隣に座る綾は片手を置くと自分の方へ抱き寄せて頭を撫でた。男気ある行動に見えるが、今は性別が逆に思える。
「考えすぎよ。今回の解決方法は光撃以外の能力が適していただけ。よくやっているわ」
「……」
「こいつ…大分酔ってやがる」
凌は俯くと一時停止ボタンを押されたかのようにピタリとフリーズした。自分だけ時が止まったかのように、瞬きすらしていないように見えた。一樹は凌の目前で手を振ってみると、目線だけは反応しているようだ。
「……」
凌は呆けたかと思うと綾の足元から全身をスキャンするように視線を動かした。何度も実際に目にした事のあるからかスーツ越しからでも想起できる、鍛えすぎずに適度に引き締まった身体。その反面平均以上のボリュームを誇る胸。タイトスカートとは違って脚のラインが包み隠さず出るパンツスーツの方が色気を感じてしまう自分は異端なのだろうか、そう思慮したがすぐにどうでもよくなった。凌は堪らず綾のベルトからはみ出していたレギュラーワイシャツの裾から手を入れると肌を直接弄り始めた。
「!」
「ふあ~~」
一樹が欠伸をしながらスマートフォンをチェックし始めたのを知ってか知らずか、凌は綾のネクタイを外しにかかる。綾は冷たい目で抗議し、迫る凌の手に両手で抵抗するが当然力が強くて敵わない。綾は仕方なく念力で手を引き剥がすと、テーブルの店員呼び出しボタンを押して牽制した。
「あれ、何頼むんすか?」
「お冷よ。…大分酔ってるみたいだから」
綾は何事もなかったかのように着崩れを直していく。しかし含みのある言い方。一樹もそこそこ酔っているのか何があったのか気づく様子もない。
「こいつ酒回るの早いけど抜けるのも早いからすぐ正気に戻るんじゃないかな」
「この子も顔に出ないし呂律もそんなに変わらないから飲みすぎるのかもね」
「戻すほど飲みすぎないだけマシかな」
端末を持ってきた店員が襖を開けてやってきた。夜も更けて客も減ってきたからかすぐに注文を取りにきたようだ。
「お冷を一つください。ジョッキで!」
店員が苦笑いしながら戻っていった後、すぐにジョッキのお冷を持ってきた。ぎっしり詰められた氷が水道水の安っぽさを誤魔化しているが、酔い覚ましにはあまり関係のない事だった。
「すぃません…」
「……」
凌はジョッキを一気に飲み干したが、再びフリーズ。それを引き笑いしながら眺める一樹。ジョッキで飲ませるより頭から浴びせて外に放り出してやった方が早いと思ってしまった。
「そろそろ出る?」
「そうっすね」
「……」
電子マネーで会計を済ませた三人は店外に出た。先程まで店内の活気や、酔いが嘘のように醒める外気温であった。一樹はたまらずポケットに手を突っ込むと姿勢を猫背にフォームチェンジした。その顔はまるでムンクの叫び。会計の際に口直しでもらった飴も口内で永遠に溶け残るであろう寒さ。
「今夜は東條君に泊めてもらうわ。この子が心配だし」
「それはそれは。どうぞごゆっくり。独り者は夜風に当たって帰りますよっと」
「宮代君寒がりでしょ」
「そうだった…」
「それじゃあまた明日ね」
綾に連れられた凌は手綱を引かれるように後をついて行く。酔いが醒めるのはまだ後だろうが、一樹には背中を見せつつもしっかりと手を振って別れを告げていた。
「さぁ、パチンコで儲けた金もあるしタクシーを捕まえ…うぐっ」
一人になった途端、胃から込み上げてきた敗北感の波。何度も経験した逆流には世の中の理不尽さと同様逆らえるはずもなく、ただ適応するしかなかった。今回の場合は口を開けるだけでそれが済んだのは幸い。
「おいおい嘘だろロロロ…」
夜のネオンに照らされた一樹の口からは七色の虹が出た。両手と両膝を着いた無様な姿のままピクリとも動かなくなる。過ぎ行く通行人に一瞥を貰い続けた。
「ちょっとお兄さん大丈夫?」
巡回中の制服警官に保護されかける爾落人。一樹は引きつった顔で断ると何事もなかったかのようにその場を後にした。