決着の日~2028~


数日後。Gnosisの面々はオフィスにて待機していた。報告書を書かされ、本来監察で使うはずだった紙資料を延々とPDFスキャンする。この作業を進めるだけでも軟禁状態だったが、あのまま女池の監察が入り続けるよりかは遥かにマシなのは変わりなかったようだ。ちなみに護衛が必要ないと判断され、凌は引き上げた。


「もうこれ、何枚目だ…」
「凌さんがいれば手伝ってもらうのに」
「護衛なのに贅沢言わないの」
「リーダー、中々帰ってこないね。兄者」
「まさか車がぶつかってきた時に怪我したんじゃあるまいな」
「それはないわね。 きっと聴取が長引いてるだけよ」
「そうかなぁ…そう言えば、宮代さんがぶつけた自動運転車の持ち主ってどうなったんですか?緊急事態とは言え可哀想な事をしちゃったけど」
「補償はされるわよ。新車を買える程度にね。ただピッキングで直接車泥棒された事になるからややこしいわね」
「回りくどいな」
「仕方ないわ。ハッキングのせいで日本のUGVが衰退するのも国益的にはマイナスだから」
「そんなもんなのか」
「そんなものよ」


国のお役所である以上損益勘定を考え、時には尻拭いもやらなければならない。それも罪のない一般人となれば必ず報いなければならなかった。Gnosisという組織の格が上がれば上がるほど遵守する決まり事が多くなる。


「リーダー!」
「ご無事でしたか」
「オレは無事だと言っただろ」


オフィスに帰ってきた験司。やや制服がくたびれた様子だったがしっかりとした足取り。皆と直接再会するのは事件があってからは初だ。


「いやでも直接会うまでは心配です」


験司はあれから防衛省に戻った後はずっと上層部に聴取を受けていた。岸田や蛍はすぐに解放されたが、験司については別の監察官からのしつこい追求が続いた。女池の敵討ちとばかりに。しかし女池は以前から亡くなっていると証明され、なりすましている者は自決したと事実確認が取れた事により解放の流れとなった。両脚骨折の言い訳が少し苦しかったが。


「…心配かけたな。オレは無事だし、女池についてはカタがついた」
「よかったです。女池殺害の濡れ衣を着せられればどうなるかと思いましたよ」
「オレもそのあたりは肝を冷やしたが、車内のレコーダーに残っている映像データを復元できたのが大きいだろうな」


また、八重樫達がマンションで見つけた女池‘‘本人‘‘を警視庁の捜査班が発見し、それの確認が取れたのも追い風になったようだ。それが女池である以上、本人が死亡しているのも明白であったから。


「上層部は大慌てだぜ。どこまで機密が漏洩していたのか、そもそも女池本人とはいつからすり替わっていたのか、どこの国の工作員だったのか、てな」
「あれ、リーダーは会話を聞いていたんじゃなかったっけ」
「聞いてはいたが言語は分からなかったぜ。しかも連絡に使っていた通信端末は奴の心肺停止に連動してメモリーが焼き切れてどうしようもなくてな。機種も世界的に流通している型でトレースできない」
「抜かりない。自分達の方こそ透明人間を相手にしていた気分です」


ここでコンドウが挙手しながらある疑問を呈した。無事に験司が戻ってきたわりにはメンバーが一人足りない。


「あの、岸田さんは…?」
「検査入院だ」
「えぇ!?どこか怪我を?」
「怪我はねぇよ。だから検査入院って言ったろ」


験司は呆れた様子でこれ以上聞くなと言った。自分の方が大変な目に遭ったのに岸田が入院するとは何事かと。病院で休みたいのはこっちの方だ。


「これあれでしょ。引田の気を引くために患部を増やしまくったら大事をとって病院送りにされたやつだな」
「とにかく怪我はしてないから大丈夫だろう」


首藤と丈が大して問題はないと頷いた直後、資料を抱えた引田も戻ってきた。


「おかえりなさい。ちょうど良かったわ、今ご遺体の情報をまとめたところよ」
「そうか、説明頼む」
「えぇ」


女池になりすましていた男の検死結果。皆が注目した。


「仮に女池になりすましていた者を工作員と呼ぶとして、工作員で確認されたバイオメトリクスは女池一美本人であると証明されたわ」
「え?本人なんですか?」


歩が混乱したように聞き返した。


「毛髪、皮膚、眼球、爪、果ては血液に至るまで女池一美であると確認が取れたの」
「え?」
「どういう事だ?女池が二人?」


蓮浦を始め、皆意味が分からない。


「皆最後まで聞け。続けろ」
「平たく言えば工作員は女池本人のガワを着ぐるみのように着ていたみたい。間違いなく通常の外科手術では不可能な移植ね。そこが今までの変身関連の「G」とは一線を画すところでしょう」
「うっ…」
「この能力の驚くべきところは他にもあって、歯の治療痕と顔の骨格まで変えられる事。これによって顔認証もパスできるから、街中のカメラの映像をどれだけ遡ってもいつ女池本人と入れ替わったか特定できないみたいね」
「だが歩容認証は誤魔化せないはずだ」


歩容認証とは歩く際の姿勢や歩幅、腕の振りなど歩き方の個性を使った生体認証の事で、精度はかなりのもの。十数年前から科学捜査方法として注目されて以降ノウハウが蓄積されており、年々信頼性は高くなっている。今度は蛍が答えた。


「そこも入れ替わる前から相当練習して完コピしていたとしか思えないわね。現に歩容認証でも検証しているらしいけど手応えはないみたい」
「ええ、そこまで徹底しているのならもう見分けがつかないわね」
「工作員は完全に自分を捨てて、対象の言動や性格を入念にリサーチしていたようだ。下手すればずっと女池として生きていく覚悟があったみたいだな」
「ひえぇ…」


戦慄するコンドウ。飲みかけのコーヒーを手に持ちながら固まって動けなくなる。非常勤ながら間近でとんでもない事件と遭遇してしまったものだ。貴重な経験と言うのは憚られるが、それよりも今は恐怖心が優っている。


「推測だけど欠点もあるみたい。なるべく対象者の身体を損壊させないで殺す必要があったのかもしれないわ。銃創や裂傷によって着るガワに傷がついてしまえば支障が出るとか。遺体の残りはしっかり保管しなくては姿を維持できないとか」
「なるほどな。マンションの部屋に隠していた女池本人の残りの遺体はそれなら説明がつく」
「そうだね。早く残りの遺体なんて処分してしまえば発見はおろかバレる事もなかったのにね」
「そうか。なんでグロックなんて持っていたのにオレを殺そうとした時も使わなかったのか合点がいくぜ」
「でもまだ謎がある。折角ガワを着られるならなんで逃げる時だけでも通行人になりになりすまさなかったんだ?」
「能力を使うのも回数が限られているのかもしれないわ。もしくは一度脱いだガワは二度と着られないとか。単に逃げる時だけの繋ぎなら通行人と片っ端から入れ替わればいいし、何より本国から指示を仰ぐ必要もない」
「だとしてもなんですぐにリーダーを始末しなかったのか。すぐに入れ替わってしまえばここまで逃げ回る事もなかったはずだろう」
「答えは簡単だ。殺して遺体を運ぶリスクより冷蔵庫まで自分で歩かせた方が楽だからだろう」
「偽名の個人契約で郊外に冷蔵庫を借りていたのも、こういう時の保険だったのかもしれないよ」
「後手にまわっていたのに結局は能力の制限に助けられたのかな…」
「そうだな。まだ融通の利く能力ならお手上げだったかもしれない。そうすればオレも今頃…」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」



一通り談義が終わり静まり返る一同。


「リーダー、今ここにいるリーダーは本当にリーダー本人なんですよね?」
「すり替わってない?」
「……」


留守番組だったコンドウや首藤、蓮浦が固唾を飲んで験司を見つめる。それにハッとするように角兄弟も験司をまじまじと見つめた。


「お前ら…」


皆共通して表情に出ていたのは疑心の眼差し。引田と蛍はため息をついた。


「それを疑わしい本人に聞くやつがあるか!そう思うならオレに悟られないようもっと用心して調べろ!もし本当にオレが入れ替わっていたらどうするんだ!」
「あぁこの感じやっぱりリーダーだ…」


いつもの浦園験司だ。その後首藤が験司の背後から首の皮を摘んで確認を取った事でさらに説教はエスカレートした。


「はぁ…とりあえずこれで一件落着!って事ですよね?」
「…まぁ、そうだといいがな」


コンドウが締めるが、験司はどこか引っかかる物の言いのようだった。
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