決着の日~2028~
「俺もいるぞ!」
「兄者!危ないよ!」
歩の叫びを背に、凌より遅れて車まで走ってきた丈は勢いを利用して窓ガラスを殴って突き破る。筋肉で補強された腕周りの厚い皮膚はガラスの破片を何とも思っていないようで、丈は内側のドアノブを掴み、そのまま力任せにドアを引き剥がした。無理矢理な力技に一瞬呆気に取られた凌だが、気を取り直すと指先だけに纏わせた光刃でシートベルトを切断する。
「早く!」
丈は岸田の膝裏と脇に腕を通して抱えあげると凌と一緒に車から走り出す。それが俗に言うお姫様抱っこであったが、気にする者はいない。本来は傷病者を運搬する方法として用いられるためにこの場面ではむしろ適切な措置であった。岸田も特に抵抗せず丈に身を預けている。離れた三人が物陰に隠れた瞬間、車は爆発した。距離を取っていた蛍達にも伝わる程の熱気に皆は思わず目を閉じた。
「岸田、怪我は?」
「ありませんよ、た…助かった~」
「大丈夫?」
今の爆発で無傷だった面々は続々と岸田の元へ集まってきた。皆丈に抱えられたままの岸田を見上げている。
「心配したわよ」
「とにかく無事でよかったね」
「あの~いい加減降ろしてもらえませんかね」
「それもそうだな」
丈は岸田を降ろした。為すがまま丈の腕の中に縮こまっている姿を引田に見られるのは岸田の、男の尊厳が許さなかった。こと引田の前では。
「あ、深紗さん。俺はこの通り無事で…ごふっ」
岸田は近寄ってくる引田の目前で足がもつれて転倒した。緊張感から解放された気の緩みが招いたのだ。仕方ない事だが女池に攫われかけた事といい、あまりにも情けない。その目から溢れ出てくる涙は顔面をアスファルトにぶつけた事だけによるものではあるまい。
「本名で呼ぶのは…今日ぐらいはいいかしら。でも可哀想に…余程怖かったのね」
「え?えぇ…怖かった…」
岸田の擦りむいた頬をを診る引田。心配そうに頬にかけられた指にどきりとした岸田は、さらに引田の真剣な表情が自分の顔に向けられている事に気づいた。彼女の赤い眼鏡に自分の顔が反射されて写り込み、まるで自分の息遣いがそのまま伝わっている気がして思わず目を逸らした。だが便乗するのは忘れない。
「脚も痛いなぁ~。あと肘も」
「ちょっと待って。頬を診た後にね」
「ん?さっき怪我はないって言っただろう」
岸田はこの瞬間から飼い主に甘える猫と成り果てた。
『消防車を手配しておきました』
「ありがとう」
「女池の行方は?」
『捉えてないよ。付近のコンビニとかの店外カメラをあたってるけどヒットはない。また盗難車を探した方が手っ取り早いかも』
「そう…」
「やっぱり警察と連携した方が…」
「それはできないわ。まだ警察にも連中の仲間が紛れているのかもしれないんだから」
「そうですよね…」
手詰まりに近い状況。蛍の落胆する姿を凌は見ていられず、思わず天を仰いだ。自分から護衛を買って出ておきながら何もできないのがこうも歯痒いとは。ここは一樹の走査が女池を捉えるか、運良く八重樫が女池を捕捉圏内に捉えるのを祈るしかなかった。