みぎうで
早朝、まだ陽が昇り始めるくらいの暗さの時間に、八重樫大輔は唐突に目が覚めた。都内に構える自宅にて就寝していたが、毎日起きる時間には目覚めてしまう。
彼には起床する度にやることがある。それは携帯している自動拳銃を右手に取ることだ。グリップを握り、引き金を人差し指で軽くなぞる。いつもと変わらない感触だった。その度に考えるのは、彼女は今もどこかで生きているということ。
「……」
目覚ましのデジタル時計を確認した。今日は2039年3月某日。
今総出でとりかかっている案件だが、監視や人探しに駆り出されるだろう。以前は劣等感を抱いていた捕捉の能力と、実戦経験を頼りにされるのは悪くない。そのためにも、出掛ける準備をしなければ。
八重樫は十数年前に警察を辞め、警備会社勤務に変えてから大分時が流れた。SATにいた頃の充実感と比べるとやはり劣りを感じてしまうが、今の生活も悪くない。まだ爾落人としての年月が浅い二人と、後天的能力者。三人に洗礼や賢い生き方を教えてやらねばならないし、まだまだ自分も学ぶことも多い。日々忙しなく更新されていく兵器や戦術の把握も、もはや自分にとっての使命であった。
八重樫には警視庁に入る以前の資産があった。稼いだ経緯からすると汚い金なのだが、使い道は善のためだと思っているので後ろめたさはない。だが未だに使いきれていない。
休日はその金で手に入れた武器の手入れとジム通いが専らだった。たまにバッティングセンターやゲーセンの音感ゲームで反射神経を研ぎ澄ましているが、野次馬不良の行列の前に満足いく訓練量をこなせない。それと食べ盛りの爾落人に飯を奢るくらいか。
以前まで世界を放浪し日本で腰を落ち着かせてからというもの、自分の交友関係の狭さに驚いた。警視庁時代の知り合いに呑みに誘われたりもするが、老けていないため顔を合わせ辛い。自然と交友関係は同じ爾落人か、事情を知る後天的能力者、もしくは事件を通して知り合った関係者くらいだ。しかし寂しさは全く感じなかった。
「……」
外行きの服に着替え、自動拳銃と護符が加工されたファイティングナイフ、バッグに自前のライフルと予備弾倉を収納した。武装はこれだけで十分だ。手を組んでいる北条翔子らと連携がとれれば軽装で済む。服装も本音は装備一式で行きたいが、今は一般人である八重樫が日本で着るには目立ちすぎる。
支度を済ませた八重樫は黒の防弾仕様の普通車ーー今の日本での普及率が高い車種ーーに乗り込み、出発した。
こうして爾落人として並みの生活を送れているのも、彼女との出逢いがあったからこそだ。八重樫は、彼女の存在を一瞬でも忘れてはならない。
1/56ページ