決着の日~2028~


監察初日が終わり、女池は自分のオフィスに戻っていた。まず彼を出迎えるのは年代物の紙資料がぎっしり詰め込まれた本棚。時代はペーパーレスであるが、未だにCDを発行し続けるのと同じで古い仕来りを尊重、悪く言えば引きずり続ける日本人の悪い癖が出ていると常々思う所以であった。女池は実際に紙資料を引っ張り出す事はほとんどせずにデータベースを活用するため、趣味の悪いインテリアと化している。


しかしこのオフィスも悪いところばかりでもない。例えば壁際に掲げられている国旗と防衛省のシンボルマーク、陸幕のエンブレムの旗。この三つが置いてあるだけで大分違う。女池は軍人ではなく官僚としての仕事をしていると認識させられるこの空間が好きであった。歴代の権力者が使っていたであろう高級品のソファの座り心地が気持ち良い。苦労して手に入れたこの身分がどれ程の価値があるのか、どれ程の人間に影響を与えられるのか、考えるだけで笑いが止まらない。


「ふっ…」


いけない。普段なら人前では笑わないのだが、一人になるとどうしても笑いを堪えきれなくなってしまう。野望が次第に実現しつつある現状も相まって最近は特にひどい。


女池の野望。もっと昇進して防衛省の実権を握る。そのためには藤防衛相の失脚は必要事項で、その火種としてGnosisの不正行動の責任をでっち上げるのが監察の狙いだった。女池は早速、監察初日の報告書を纏めようとPCを立ち上げる。すると電源を入れるのを待っていたかのようにデスクの固定電話に入電した。番号を見ると相手は防衛省でも有名になっているあの自衛官だ。彼を知らない官僚はいない。女池は受話器を手に取った。


「ご無沙汰しております。女池です」
『私だ』
「これはこれは逸見陸将、ご活躍はかねがね。一体どのようなご用件でしょうか」


要件など分かりきっている。どうせGnosisの監察を打ち切るよう圧力をかけてくるのだろう。それは女池にとって取るに足らない問題のようで、キーボードを片手で16桁のパスワードを入力しながら応対した。


『君はGnosisを監察しているそうだな』
「はい。既にご存知でしたか」


逸見の登場は想定内だった。わざと周知を遅らせるように手配したのは逸見の存在があったからだ。彼に睨まれるのは、藤防衛相を敵に回すよりある意味厄介だと思われたから。


『白々しい。誰からのリークだ』
「それは…私の口からは申し上げる事ができないとだけ」
『Gnosisの存在は防衛省上層部でも一握りの者しか知らないはず。君を含めてだ』


かなり棘のある言い回しだ。やはり自演であると見抜かれているのだろうか。


「私はしがない監察官ですよ。不正があれば組織を正す役割の…そうですね言わば軍隊の中における警察の立場です。激変する世界情勢の中国防を司る省庁として正しく使役されるべきであって…」


それから言葉による応酬は10分にも及んだ。頃合いを見計らい、来客を装って電話を切る女池。これだけで逸見の追求を逃れられるとは思えない。だが彼が何がしかの手を打つ前に監察を進め、Gnosisの粗を見つけて解散に追い込めば良い。それを火種に藤を失脚させしてしまえば逸見の人事などどうにでもできる。


「そうです。私は正義に則っている…」


女池はものの数十分で報告書をまとめると、今度は指紋認証と専用のアクセスコードで監視映像を呼び出した。省内の至る所に設置された監視カメラの映像は過去五年間分を警備が管理しており、女池の権限であれば閲覧は容易だ。しかし今までそんなものを使おうなどとは考えた事もなく、初めて操作しているのだがこれには理由がある。


「……」


今日一日を思い返すと違和感があった。Gnosisのオフィスを訪問した際に気になった人の気配。まるで見えない何かが部屋の隅に居座ってこちらを見ているかのような。相手が能力者がどうかに限らず人の気配には敏感ではないはずなのだが、一人部屋に一人で心霊番組を観た直後のような薄気味悪さを感じていた。


女池は今日一日の映像からGnosisメンバーが映っている箇所の映像全てを顔認識ソフトで抽出し、朝一の分から早送りで回していく。


「……」


作業開始から数十分後、ある箇所に違和感を感じた女池は巻き戻して再生した。Gnosisオフィス階のエレベーターホール。早朝にエレベーターから降りてくる角兄弟が映し出されている。一見すると二人が喋りながら歩いているだけに見えるが、その距離感にはぎこちなさが垣間見えた。再び巻き戻して口元の動きを注視するもこれまた違和感が。「間」だ。二人の会話のレスポンスが妙に空いている。


「……」


女池は落胆のため息をつく。残念ながら監視映像に音声までは記録されてはいない。会話の内容を調べたいがここまでのようだ。気を取り直すと、同じ時間に角兄弟が乗ってきたエレベーターのログを引っ張り出す。その時積載された重量、つまり乗っていた人数分の体重を調べ上げるのだ。


「……」


結果は違和感を裏付けるものとなった。重量は成人男性三人分だったのだ。確かに兄弟は二人とも体格的に人並み以上の体重に見えるが、それでも一人分多いように思える。まるで透明人間が相乗りしていたかのよう。二人とも手荷物すら持っていないのもおかしい。女池はさらに、先月に行われた健康診断のデータを呼び出して二人の体重を確認した。


「ふっ…ははは…」


笑う女池。エレベーターに搭載された重量から二人の体重を引き算すれば、成人男性が一人多く乗っていた事になる。女池は先程の兄弟が会話している映像を切り取ると映像解析ソフトにかけ、画質を鮮明にしようと試みる。


数分後、解析前よりやや鮮明になった映像が出来上がり、女池は再び映像に注視した。先程は労力に見合うリターンがあるのか分からなかったために敬遠していたが、映像越しに読唇術を試みるつもりだ。結果は良好。


【アサハヤクカラゴソクロウスイマセン】
【ココニハイルノハハジメテダロウナ。かーどきーガアッテモクレグレモタンドクコードーハ…】



会話の内容と二人の会話の「間」からももう一人の存在が確認できた。しかもGnosisと懇意のようだ。女池は子供騙しの悪戯を見抜く、悪者の笑みを浮かべた。
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