決着の日~2028~


「え~、女池一美ですが現在独身。既婚者でしたが結婚してすぐに配偶者の女池瞳を亡くしており、子供もいません」
「死因は?」
「溺死です。4年前に旅行で行ったスキューバダイビングの際に事故に遭ったようです」
「え…」
「そこだけ聞いていると気の毒だけど…」
「他は?」
「怪しい金の流れはなし。直近の通信履歴も不審な点はありません。なんか不自然なくらいにクリーンですよ。不正サイトの一つや二つにアクセスしてもおかしくないのに」


同時刻。八重樫以下凌、綾、一樹の四人は官舎マンションに向けて車で移動していた。前日に八重樫に命じられて女池の下調べしていた一樹が移動がてら情報を共有するが、その面白みのない経歴は彼の存在を一層ミステリアスなものにした。


「着きました」


やがて官舎マンションの近く、監視カメラの死角に綾が車を停めると他の三人が指紋を残さぬように薄手の手袋をはめる。


「いきますよ」


三人は凌の光学迷彩で透明になった。これで人目を気にせず侵入できるが、これでは凌一樹は互いを見失ってしまう。そこで八重樫以外の二人はサーマルイメージャーのゴーグルを装着し、体温を可視化する事で解決したのだ。翔子然り、姿を消せる相手を見つける事に同じ結論に至るのは必然だった。


「準備OKです」


スマートフォンを握り続ける一樹はマンション全体のセキュリティを掌握した。監視カメラの映像に割り込むと目的の部屋までの通路の映像を録画。ある程度撮りためるとループ再生して差し替えた。


「行くぞ」
「気をつけて」


タイミングを見て降車した三人。綾は車を発進させ、決めておいた周回ルートを走り、いつでも三人を回収できるように待機に入る。


「見失うな」


八重樫は住民の背後についてフロントのオートロックの扉を通過するとセンサーを遮断し、二人を招き入れた。住民は通常より数秒長く開いたままだったオートロックを気にすることなく、自室へ戻っていく。三人は逃げ場のないエレベーターを避け、非常階段に出ると足音を立てないように階段を上がっていった。


「二人とも…待って…」


北条事務所の雑居ビルとは比にならない段数の階段に序盤から朦朧とする一樹。左手に握られたスマートフォンには翔子の電話番号が表示されいつでもタップできる状態だった。何度も親指が画面に触れそうになるが、その度にあの金額が頭にチラつき踏みと止まる。先行する八重樫と凌は一樹を待ちながら上を目指す。このやり取りを何セットも繰り返す後やがて20階に到達した。


「呼吸を整えろ」


八重樫は通路の向こう側の気配を確認しているようだ。人気のないタイミングで廊下に入れるように計っているようだった。何の理由もなく勝手に開く扉を住民に見られては監視カメラを掌握した意味がない。


「はぁ…はぁ…次は翔子さんを呼びませんか。領収なんてGnosisで切ればいいんですって。往復3000万くらい国家予算ならどうにでもなりますって。いくらでも言い訳できますって。何なら月夜野さんに札束作らせりゃいいんですって」
「こんな事で月夜野さんに流血させるわけにはいかないよ」
「お前のような政治家が国を駄目にする。そろそろ行くぞ」


三人は廊下に出ると一気に女池の部屋まで移動した。一樹は扉の鍵穴に量販店のポイントカードを挿入した。当然、電子装置のランプが赤く発光して拒否を示すが、一樹が直接手を触れると緑に光って解錠した。再度人目を気にしながら扉を開け、三人は一気に入室する。


「長居しても30分だ。センサーに気をつけろ」
「隠しカメラもなさそう。広いなぁ…オレもこんなところ住みたい」
「俺は寝室からやります」


女池の部屋から読み取れる印象。それを端的に言い表すと不気味という単語が最適だ。まず、目の前に広がる空間には生活感がない。真っ白な壁には画鋲を挿した痕すらない綺麗なものだった。カレンダーすら提げておらず、
クリーム色のフローリングには家具を移動した跡の傷はない。テレビや洗濯機等の家電は一通り揃ってはいるが、年季は感じられなかった。まるで引っ越してきた直後か、普段から全く使っていないか。本当に人が住んでいるのか疑わしい、病院の一室のような潔癖さだ。女池の掴みようのない人物像が自室に滲み出ているようだった。


「……」


リビングを見回すとこの部屋唯一の特徴と言える、他界した瞳のものと思われる仏壇が置かれていた。普通なら洋室に仏壇がある事自体が違和感なのだが、最近は洋室用のものが市販されているほど普及している。しかしこの仏壇には別の違和感が。手入れが少し雑で少し埃を被っているのだ。整理整頓、掃除の行き届いている中、この仏壇のスペースのみが浮いている。


「こりゃ誤算ですね。端末どころかPCすらありませんよ。どうりでこの部屋のWi-Fiが使われてないわけだ」


部屋を一周見て回った一樹が落胆しながらリビングに入ってきた。こうなると電脳の出番はもうおしまいらしい。


「東條は記憶媒体を探せ。見つけたら宮代が複製しろ」
「それならオレが探した方がいいんじゃ?」
「お前は俺と隠し扉を探せ」
「え?」
「設計図を見る限りこの辺りに隠しスペースがあってもおかしくはない」
「そういう事ですか」


八重樫と一樹はしゃがみこみ、周辺で何か取っ手になりそうな突起物を弄る。一方で凌は引出しやクローゼットを漁り、記憶媒体を探す。着替えや日用雑貨が蓄えられている中を弄り、USBメモリになりそうな物を注視しながら確かめていく。ここで成人向けの雑誌やディスクが出てくれば人間として少しは親近感が湧くのだが、当然その類のものも出てこない。


「お!ありましたよ~」


元鑑識の意地か経験か、一樹が隠し扉を見つけてみせた。床下に繋がるそれは二人掛かりで開けてみると、そこには冷蔵庫が横向きに寝かせてあり、ファンの駆動音を上げながら無機質に自律運転している。


「開けるぞ」


その冷蔵庫は一般家庭が購入するものとは異なり、片開きの一つ扉で業務用の肉を保存するような容量と出力を誇る本格的な機種だ。そんなものが一人暮らしの、かつ隠すように置いてある事がおかしい。八重樫はトラップがないかを確認するとゆっくりと扉を開けた。


「これは…」


中にあったのは肉の塊だった。本来この冷蔵庫の用途通りならば牛や豚などといったブロック加工の食肉が収まっているのだが、それらとは似ても似つかない形状の肉が冷蔵用フィルムに包まれている。明らかに食べられそうもない、骨と皮と筋繊維がぐちゃぐちゃに乱れた塊だ。


「うげぇ…久々にこんなキツいもん見ましたよ。これ人間ですよね…」


一樹の言う通り、シルエットは人間が胎児のように丸まっているようにも見えた。フィルム越しで全容がよく見えないが、肉の血は抜き取られ、毛髪や眼球、指、歯など直接身元の特定に繋がるものはないようだ。損壊が激しすぎて性別すら特定できなかった。ギリギリ人だと推測できる程度に原型を留めているものの、何年間この状態にあるのか分からない。戻ってきた凌も遺体に気づいて軽くえずく。最初は引いていた一樹もすぐに調子を取り戻すと肉片を少し切り取る。それをボトルに入れて携行していた冷蔵パックに収納した。


「現役でもこんなキツいのは見なかったのに…」
「あそこまで故意に手が加えられた遺体は俺も初めて見たな」
「しかしこんな猟奇的な遺体を保存しているなんて女池は何者なんだろう」
「もしかして亡くなった奥さんを手元に置いているとか…」
「それキツいな…でもそれならあそこまで損壊させる理由がないよ」
「スキューバダイビングの事故だったらサメに喰われたからとか」
「あんなにピンポイントで喰らうサメ?そんなのいるわけ…」
「議論は後にしよう。東條、お前は探し尽くしたのか?」
「はい。私物が少なかったので探す場所すらなかったですよ。PC諸共持ち歩いているのかも」
「ならすぐに出る。肉の写真を念入りに撮れ」


二人は安堵した。八重樫が遺体を運び出せと言い出さないか肝を冷やしていたようだ。よくよく考えれば女池に家探しが露呈するリスクが大きいためそうしないのは当たり前なのだが。一樹は冷蔵パックを凌に預けるとデジカメで撮影を始めた。


「終わりました」


二人は隠し扉を元通りに戻す。最後に痕跡を消すと再び光学迷彩を敷き、来たルートを辿るようにしてマンションから離脱。セキュリティを元に戻し、綾の運転する車に合流した。
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