決着の日~2028~


「ようこそ日本へ。ハドソン・サンダース少佐」


ワーカーをフェンスの外で出迎えたのは、清爽な顔立ちと身だしなみをしたビジネスマン風の日本人男性だった。ワーカーの偽名を知っているこの男こそ、ヘッドが用意していた機関所属の爾落人である。


「あんたがミスターミズノ?」
「はい。名刺はいりますか?」


返事を聞く前にミズノが名刺を差し出してきた。なんだコイツはと、ワーカーは一瞬だけ呆気にとられるが、疑問形の日本語は難しいと思いながら流す事にした。名刺に目を通すと胡散臭い肩書きが羅列されており、これだけ見ているとかなり怪しい。だがミズノ本人の好青年を思わせるハッキリとした声量、後ろめたさを感じさせない澄んだ目、その誠実そうな雰囲気が妙な説得力を生み出している。


「お互い名刺なんて交換するような畏まった職業でもないだろうぜ。それにあんたの方こそ証拠なんて残したくないだろ」


ワーカーはしかめっ面を隠さず名刺を突き返した。名刺を配るような潔癖な人種から名刺をもらったのがほぼ初めてだったため、内心面食らっていたがミズノに対しては突き返した後ろめたさを感じなかった。


「すいません。それもそうですね」


ミズノは恭しく謝罪すると懐の名刺入れに収納し直した。そして営業スマイルを維持しながらワーカーを車の助手席に招く。ワーカーは迷わず車の左側に回り込むと目を丸くするミズノ。


「おや、右ハンドルの左側通行に戸惑わないんですね」
「そりゃな。イギリス圏だってこういうところや日本車は多い。仕事で何回も行けば慣れちまう」
「なるほど、仕事柄色んな国へ赴いているようですね。どうです?二回目の日本は」


ワーカーの事はよく調べているようだ。その上でこちらを試すかのような言動。ワーカーは出会って間もないミズノに対し、本能が気を許すなと訴えかけていた。敵ではないがどこか掴みようのない気持ち悪さを感じ始めていた。


「…ここは首都なのに建物が密集しすぎだ。道路も狭い。銃規制もやりすぎだし、こんな国早く出て行きてぇよ」
「純正な日本人の目の前でよくそんな事を言えますねぇ」


ミズノは純正な、の部分を強調しながら苦笑いしてみせた。その焦点はずっと正面を向いており、上辺だけ装うために動かされた表情筋が機械的に取り繕っているだけだ。その瞳の奥に垣間見えた冷たさがこのミズノという男の本質なのだと直感した。


「俺は意見をハッキリ言うだけだ。そうだな、前回の竜宮島の方が人目を気にせずぶっ放せて良かったぜ。そういう意味じゃあの島はトリガーハッピーに優しいな」


それからミズノによる当たり障りのない質問、世間話が続くが、ワーカーはできるだけ自分の情報については語らず、掘り下げさせないように努めた。逆に質問してミズノ本人の情報を聞き出そうとするが、結局素性などが明かされる事はなかった。


「日本の魅力をお伝えするためにも、観光でもしましょうか?」


よって仕草等から読み取るしかなく、それでも運転が丁寧で几帳面という事と、歩いた時の重心の偏り具合から見て武器は携帯していない事の、大して役に立つのか分からない情報しか得られなかった。少なくともヨリコやレリックとは違う、現地に置いておく諜報員に近い役割なのか。


「俺はバカンスしに来たんじゃねぇんだ。そろそろ本題に入りたい」


ワーカーの警戒心を知ってか知らずか、ミズノは車を走らせるとタブレット端末をワーカーに手渡した。画面には英語で十名の名前が表示されている。一番上に表示されている名前をタップすると、顔写真と経歴、住所等の情報が出てきた。


「こりゃなんだ?」
「私が独自に調べて作成したリストです」


ワーカーは聞き流しながら名前の一つ一つをチェックしていった。職業や性別、年齢に共通点はない。数人の顔写真から読み取れたのは、皆年不相応な解脱した表情という事。それだけであったのだが直感した。これは自分にも当てはまる共通点だ。


「こいつら爾落人か?」
「はい。これらは戸籍等の不備から爾落人の疑いのある人間です」


ワーカーから見て、日本人を始めとするアジア人は皆同じ顔の猿に見えてくる。全員分の顔をを覚えるのには苦労しそうだ。辟易しながらも最後に表示させた顔写真を見て手を止めた。


「順番と手段は問わないので始末していただきたいのです。些細な情報の不備まで見ているので全員が爾落人ではないと思いますが、念のために全員を消しておきたいですね」


見知った顔だった。島国の出身にしてはやけに殺伐とした目で、その筋の人間が見れば同業者であると露呈する。かつて傭兵として共に戦地を渡り歩いた爾落人。かつてダイスと名乗っていた男が、この画面では八重樫大輔なる人物として表示されている。


「防衛省での仕事が終われば好きにあなたを使って良いとヘッドから許可を得ています。勿論追加の報酬も用意があります」


八重樫大輔の経歴を見た。日本警察の特殊部隊を率い、警視庁篭城犯の射殺、国外線ハイジャック犯の無力化、新興テロリスト集団が起こした空港占拠の事態収束、民間企業が偽装していた破壊兵器製造工場の制圧、GROWの排除。あろうことか過去形ではあるが、体制側の手先として従事しているではないか。


「…どうかしましたか?」


ダイスは体制側に就き続けて従事するような男ではない。これもまたあの女によって操られていると疑ってやまなかった。


「このリストは上に報告してあるのか?」


ワーカーは咄嗟に、八重樫の情報が“機関”にまで到達していないか確認を取ってしまう。自分が依頼を断っても他の誰かの手によって下される事を怖れたのだ。Xデーが間近のこの時期にヘッドへ話を通せる保証もない。


「まだです。この時期に不確定な情報を上げるわけにはいきませんよ。上げるのはXデーの後で良い」
「そうか」


ワーカーは素っ気なく返したが、内心気が気でない。このままでは殺害を断っても、遅かれ早かれ“機関”に、他の刺客にダイスが殺されてしまうかもしれない。ヨリコのような強力な能力者を差し向けられてはひとたまりもないだろう。ワーカーの全身から血の気が引き、少しだが意識が朦朧とする。こんな事は生まれて初めてだ。たまらずミズノに懇願した。


「…車を停めてくれ」
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