決着の日~2028~


事務所を発った八重樫はその足で繁華街に足を運んだ。会社の終業時間を迎えたサラリーマンでごった返す人混み。飲食店の前には外まで並ぶ客が多く、この寒い中我慢して待つ価値のある店ばかりが軒を連ねているということだ。人によってはスマホを覗きながら食べ歩きアプリをチェックしている者もいる。


「女の子のいる飲み屋をお探しですか~?」


一人でスーツ姿だとカモられるらしく、八重樫に客引きが次々と声をかけてくる。無視して歩き続けると向こうも食い下がる事はない。見込みのない八重樫をスルーして、すぐに次の通行人に向かっていくようだ。


「待たせたか?」
「いや、オレ達も今来たところだぜ」


八重樫は二人と合流した。一人はギザギザ頭がトレードマークの浦園験司だった。年齢が加わりワイルドさが増した一方で落ち着きを身につけたようだ。


「急に呼び出してすいません」


もう一人は光蛍。玄武の監視任務から変わらぬショートヘアーの黒髪がトレードマーク。誰もがつい振り向いてしまう美貌には大人の女性の魅力が凝縮されている。30代後半に差し掛かっても維持されたスタイルはとても二児の母とは思えない。


「行きましょう」


験司と蛍の二人とも八重樫に合わせてスーツに着替えており、この雑踏に溶け込むにあたり違和感がない。三人はサラリーマンの群衆の中を掻き分けながら移動する。験司を先頭に蛍、八重樫が縦一列になって歩いた。連れに女性の蛍がいるだけで客引きに声をかけられにくくなり、煩わしさが軽減される。男性陣にとって一種の魔除けになったようだ。


「二人揃って俺に会いに来てよかったのか?誰かに見張られている可能性もあるだろう」


このご時世に防衛省の情報部関係の人間と元警視庁特殊部隊の指揮官が会っていたとなれば周りから痛くもない腹を探られる恐れがあった。しかし八重樫の心配も何のその、二人は飄々としている。


「夫婦で繁華街に繰り出すどこが不自然なんだっての」
「それに隣の客と偶然仲良くなるなんてよくある事じゃないですか」
「そういうものなのか」


外国ならいざ知らず、今時の日本人が見ず知らずの他人と意気投合して渡り歩くなどあるのだろうか。心理がよく分からないが、周辺に不審な動きはなかったため八重樫は最後尾で警戒しながら二人に続く。


「ここにしましょうか」


三人はカラオケ店に入る。怠そうに店番をしていた店員は一番に自動ドアを通過してきた蛍に見惚れた。髪を金に染め、大学生活を謳歌しているであろうバイト店員。下心丸見えの営業スマイルで蛍に挨拶するが、続いて入店した厳つい二人に店員の表情が強張る。見かねた蛍が二人をドリンクバーのスペースまで下がらせ、苦笑いしながら受付を始めた。今にも泣き出しそうなバイト店員に、長財布からカードを提示する蛍。ここのカラオケチェーン店に会員登録しているらしく、スムーズにワンドリンクの二時間コースを注文した。


「で…では、205号室になります…」


バイト店員は顔を引き攣らせながら三人を部屋まで案内した。店員の退室を見計らった八重樫と験司はマイクとリモコンを机の上に取り散らかすと、履歴から遡って適当に曲を予約した。映画やアーティストの宣伝が流れているテレビ画面が切り替わると、流行りの曲が流れ始める。蛍は音声のボリュームを適量に合わせると験司が本題に入った。


「早速だがコイツが爾落人であるかを調べたい」


験司は男の顔写真を懐から取り出すと八重樫に差し出す。写っていたのは童顔で中性的な顔立ちの男性だった。やや線が細くて異性からモテそうな美形、芸能人と言われると納得できそうな30代前半の年齢に見える。手に取った写真を見て違和感を感じる八重樫。
写真の男の表情には人間味が欠けていたからだ。験司が写真を入手するにあたりデータベースから男の経歴書を抜き取った経緯もあるのだが、それを差し引いても不気味と言える。


「女池一美、44歳。陸幕の監察官だ。防衛省では名前の通った曲者で、数日後からGnosisは女池の監査を受ける」
「…それで?」
「創設当初からGnosisは超法規的な権限を与えられた機密組織だった。生い立ちが土井の私用目的だったためか、藤防衛相にになった今上層部から風当たりが強くてな。省内の誰かがGnosisによる越権行為が過去に横行していたと告発したらしい。調べると女池本人が上層部を扇動し、自作自演で監察まで漕ぎ着けたようだ」
「Gnosisは存在が機密のままだったはずだろう」
「それが今はある程度のポストの人間には存在が知られているようです。恐らく一佐以上には。これも藤政権になってから変わった事ですね」


八重樫は女池の顔写真をテーブルに置いた。話の流れが怪しい。それが自分の捕捉とどう関係があるのか。


「話が見えないな。ただの派閥争いになら加担しないぞ」
「はやるな。本来なら確証もない段階で告発に監察が動くのはあり得ないんだが、祇園高校の一件を嗅ぎまわったタイミングで途端に女池が動き出し、異例の早さで監察を受ける羽目になった」
「まさか連中の回し者だと思っているのか」
「そうなんです。疑いだしたらキリがなくて…」


蛍は伏し目がちに視線を落とした。出産からの復帰早々得体の知れない存在に気が張っている上、監察に向けた資料作りの疲れが出ているのか。表面上は気丈に振る舞えてはいるがここに来て少しだけ弱みが垣間見えた。験司も同じ理由なのか普段の不躾な雰囲気からは想像できないような覇気のなさだ。蛍とは違ってそれを隠し通せていない。その光景から、数ある伝手の中四神の巫子関係者を巻き込むまいと二人が縋る思いで接触してきたのは容易に推測できた。


「…頼む」
「……」


八重樫は思案する。女池が連中の回し者だとして能力者や爾落人とは限らない。権限のある人間を差し向けるだけでもGnosisのような一組織には事足りるからだ。女池に捕捉を使っても連中の一員であると確証が得られるわけではないが、こちらから祇園高校の件を依頼した手前、助けない訳にはいかない。


「推測で議論しても始まらないな。とりあえずその女池とやらに不審なものがないか捕捉しよう。どうするかはそれ次第だ」
「助かるぜ。早速だが今から女池の官舎まで行けるか?」
「いいだろう」
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