みぎうで
ダイスに下された闇医者の診断結果は無情なものだった。傷自体は治る。だが後遺症で握力が弱くなると。手首を負傷した際の適切な処置が遅れ、応急手当てのまま右腕を酷使したのが原因だという。これでは日常生活で支障が出る程との事だ。それはナイフやハンドル、銃も持てず引き金も引けないくらいだという。昨日のサマターの前でも、右手で武器を握る事はなかった。
「……」
それからダイスの見る景色が変わった。五体満足がどんなに恵まれているのかを身を以て実感できた。今まで戦場で腕や足を失った傷病兵を見てきたが、やはり体験するとなると堪えた。身体能力が欠損しながらこれから生きていく事は死ぬより辛いことだった。今まで培ってきたもの全てが否定されたかのようだ。
ウォードは戦闘用の義手が開発されるまで待つ、それまでは隠居しろと勧めてはくれたが、それまで何年待てばいいのか、その間をどのように過ごすのか、今までやってきた生き方を急に変えても自我を保てるのかも分からない。
「……」
ダイスは朝日が昇る廃ビルの傍らで佇み、今後の身の振り方を思案しながら途方に暮れていた。自決はあり得ないが、どう転んでも惨めな生活になるのは免れない。
「まだいたのか」
ダイスの背後からハイダが姿を現した。捕捉で捉えていたため驚きはない。傭兵とハイダの協力関係は昨日で終わっていたが、まさか別れの挨拶でもしにきたのか。
「今から発ちます。協力、ありがとうございました」
「そうか。達者でやれ」
ダイスは振り向かないままだった。ハイダは何かを聞きたそうだったが、諦めてやがて歩き出す。
「これは罰なのかもな」
ダイスは気がつくと思っていた事を口に出していた。決して喋ろうとしたわけではなく、勝手に発言していた。ハイダは立ち止まる。
「罰?」
「スアレスとベイルは死に、ワーカーには裏切られた。結局残ったのはウォードと後遺症のみ。今までのツケがまわってきたようだ」
「…私を恨みますか」
意を決して、ハイダは口に出す。傭兵達の命運を変えたきっかけとなったハイダ。傭兵達は彼女と遭遇しなければブルーストーンの存在すら知らず、ただサマターを殺害して報復を終えていただろう。それだけにここまで大立ち回りした挙句、仲間を失ったのでは割に合わないとも言えた。
「それはない。二人とも覚悟の上で奪還に志願したし、どんな結果になろうと自己責任だ。それは俺もだ。ワーカーを作戦から外さなかったミス、連戦を二人に強いたミスで、俺の腕はこうなった」
ダイスは嘘偽りのない言葉を述べた。ハイダを責めるつもりはないようで、心底自分に悔いている。
「……」
ハイダは無言でダイスに右手を伸ばした。そっと、割れ物に触れるかのように、頭に手をあてがう。子供を慰めるような優しさの接触に、ダイスはそこで初めて振り向いた。
「何の真似だ」
「右手が動くように暗示をかけました」
ダイスは思わず右手を握りしめる。指が差し支えなく動く。携帯していた自動拳銃を掴める。思念の応用の深さに驚くより、ハイダの計らいに警戒した。
「お前は俺にそんなことをする道理はない」
「ありますよ。あなたの右腕には借りがある」
ハイダは言う。セーフハウスでワーカーに嵌められた時、手を差し伸べられたあの時の事だった。
「…お前の治した右手で、俺は無意味に人を殺すかもしれないんだぞ」
戸惑いを隠せないダイスの一方、ハイダは平然とした顔だった。お節介等ではない、自分は正しい事をしたまでだと。
「あの時咄嗟に私の手を握った右手を信じます」
「信じるも何も、俺の本質は人殺しで優越感に浸る奴だ。それを否定されてしまえば俺は俺でなくなる」
「そうですか?あなたは本来義によって動く人柄のはず。ただ目に見えていた世界が、周りの環境が戦意に渦巻いて侵されていただけ。昔の私と同じように」
ハイダも数百年前の出来事を戒めのように思い返す。覇権を握るための戦争、爾落人同士の戦い、双方に犠牲者を出した無益な衝突。
「生き方なんていくらでも変えられますよ。きっかけが何であれ、それが枷になるのかはあなた次第です」
「ハイダ。お前みたいな爾落人と先に出逢っていれば俺は…」
「過ちを経て出逢う縁もあります。私もそうでした」
「お前がか?」
先の戦争で敵として邂逅した時間の爾落人。今となっては恩人とも言える彼女の考え方、接し方があったからこそ自分は今もこうして生きているのだと。
「主に仕える事が正しい。例え主が間違っていてもそれに尽力する事が正しいと信じていた私を止め、交戦した私を殺そうともせずやり直すチャンスを彼女は与えてくれた。とんでもない過ちを侵す前に踏み止まれたのは彼女のおかげでした。それ以降、私は極力戦いを避けています」
「…極力か」
「長い目で見て脅威となり得る物には立ち向かう。それがどんなに強大な相手でも。そう決めて旅を続けてきました」
「……」
「ダイスと私は過ちを実行してしまっただけの違いです。私もタイミングが悪ければ同じ過ちを侵していたかもしれない」
ダイスは動かない。ただ立ち尽くす。
「私が生きている限りダイスの右腕は動く。それでは、達者で」
そう言い残したハイダは、姿を消した。聞きたい事はたくさんあった。しかし何を聞けば良かったのか。ダイスは答えが分からないまま、再び戦える力を持った右手を見つめながら、呆然とハイダを見送った。