みぎうで
ハイダがワーカーに連れていかれた先はベッドと荷物が乱雑に置いてあるそこそこ広めの部屋だった。照明が薄暗く、二人以外に人はいない。ワーカーは野戦服の上着を脱ぎ捨てると両手を挙げ、その場で回った。全身を見せびらかすかのようにコンプレッションウェア越しの肉体美と、丸腰であることをアピールする。
「なぁ相手してくんねぇか。丸腰だからさぁ」
「断る」
敵意がないからついてきたものの、これだったか。ワーカーの相手をするくらいなら軍用食を食べている方がまだマシだ。ハイダは踵を返し、元の部屋へ帰ろうとする。荷物を避けながら、出口を目指す。途端にワーカーから何かを読み取れた。その意思の奥に隠蔽された殺意を。
「なんて…な」
刹那、ハイダの足下の床が抜けた。いや、消えたのではなくあるはずの床がない。最初から床なんてなかった所を上手く誘導され歩かされた。それが床と荷物を投影したワーカーの仕業であると思索するのに数瞬だった。
「これは…!」
これは落とし穴だ。典型的かつ原始的な罠すぎて嵌められたのは初めてだ。底には気泡を発しながら音をたてる液体が溜められている。強酸性の液体か。触れたらまずい。そう直感で判断した。ハイダはすらりと伸びているその脚で壁を蹴ると、その反動に念力を上乗せし、向かい側の壁まで迫る。目の前に迫る壁をさらに蹴り、また反対側の壁へ。幸いにも穴は深かったためにそれを繰り返して三角飛びの要領で上まで上がっていく。なんとか出口まで上がれて手を掛けようとした時だった。
「お、しぶてぇな」
穴の近くには丸腰だったはずのワーカーがサイレンサー付きの自動拳銃で這い上がるハイダを狙っていた。今のハイダは自分を狙うワーカーの手元を念力で狂わせ、着弾を逸らすのが精一杯だった。狙いが外れ、明後日の方向を銃撃させられるワーカー。しかし、ワーカーに意識を向けたその一瞬で、ハイダは縁を掴み損ねてしまう。
「!」
まずい。バランスを崩してしまいここから再び三角飛びは難しい。今度こそ底まで真っ逆様だ。どうするか、落下する数秒の内に対応策を思慮しなければならない。念力で酸を弾いて着地し、再び三角飛びで這い上がれるか。そうするにしても着地の隙にワーカーに狙われるのではないか、そもそも酸は念力で弾ける量なのか、底に溜まっている酸の量が分からない以上は危険な賭けになる。他の対応策は、今は思いつかない。
「ハハッ、トドメは俺が刺してやるからなぁ!苦しみながら待っとけ!」
酸を浴びてしまえばどうなる。何回も修羅場を潜ってきたつもりの彼女だったが、こんなにもいやらしく、凄惨なやり口は初めてだ。ある意味、全身の骨を捻じ曲げられたり、電撃で黒焦げにされるより酷い。しかも即死など許されず、長く悶え苦しむだろう。どうしても失敗した時のイメージが過ってしまう。想像に難くない未来に身の毛がよだつ。だが他に打開策がない以上やるしかない。やった事もない未知の領域にハイダに焦りが見え、虚しく上へ向けられた手を、誰かに掴まれて辛うじて落下は免れた。
「上がれ!」
手を差し伸べたのはダイスだった。ハイダはダイスの右手に掴まれた手を支点に、念力で身体を飛び上がらせると穴から脱出。ワーカーに注意しながら着地した。ワーカーを見ると、ウォードが取り押さえようと格闘している最中であった。ワーカーは戸惑いを隠せていないが、応戦してもみ合っている。
「おい!」
ワーカーはウォードにより自動拳銃を持つ手を壁に叩きつけられ、一発が暴発した後に落とした。いや、敢えてすぐに放棄してウォードの意識を自動拳銃に向けさせようとしたのだ。ワーカーが反撃しようと溜めた膝蹴りを浴びせるも、ウォードは半身ずらしてかわした。大振り気味に空振った膝を、姿勢を低くして肩で膝裏から抱え上げるように体重を前傾させて押し倒す。そのまま固めようとワーカーの遊んでいる方の膝に馬乗りになるウォード。その隙にハイダは自動拳銃を念力で回収した。
「離せ!」
「落ち着け」
ワーカーの両手がウォードを引き剥がそうと抵抗するが、右手を取ったウォードがそのままワーカーの上半身を捻らせた。決まってしまった姿勢を覆す事は難しい。計算の行き届いた容赦のない制圧だ。
「石の回収なんざ俺達だけでやれる!ここで女を殺さないと、奪還後に殺されない保証はないんだぞ!」
「頭を冷やせ」
ダイスも加わってワーカーを取り押さえると、後ろ手に手錠をかけた。立ち上がらせてもなお喚き続けるワーカーにダイスが腹部に膝蹴りして黙らせると、ウォードが別の部屋へ連れて行く。ダイスは部屋の窓を開けるとハイダを連れて部屋を出た。
「酸が皮膚や目に触れてないな?」
「はい」
「外の空気を吸ってこい。酸から分泌される気泡は有害だ。早く行け」
言われるまでもなくハイダは足早に外へ出て行った。