決着の日~2028~


「っ…」


凌は死臭漂う空間に足を踏み入れた。あまりの凄惨な光景に全身を巡る血液が沸騰しそうな程の吐き気を催す。呼吸で鼻腔につく脂が気持ち悪く、死体からの蒸気で視界が歪みそうだ。凌は咳こみそうな喉を抑えながら光学迷彩を敷いたまま移動する。


「……」


凌には八重樫なしでワーカーを追跡する確実なアテはない。自分達とは逆方向に逃げるであろう敵を追っているだけだ。距離を離されるほど追跡は困難になる。だからこその制限時間もあるのだろう。だが短期決戦でケリをつける自信はあった。


「ん?」


一方のワーカーは凌の接近を察知していた。気配。熟練者なら自分以外の爾落人をある程度察知できる。しかしワーカーに与えられた天賦の才は常人より少し劣る。接近して集中しなければ感じ取れないくらい鈍感だ。だが凌の気配は一度目の当たりにすれば忘れられない独特な気配だったようだ。若い。肉体的には勿論、精神的にも未熟な熟れるには程遠いような。


「おいおい…」


姿は見えないが確かに近くにいる。紛れもなく自分を殺しに来たのだと直感した。本人は気配を殺しながら移動しているつもりだろうが殺気を隠せていない。これなら爾落人でなくても危険を察知できる。


「ハッ…来やがれ」


ならば殺される前に殺すまでだ。凌の交戦距離は把握している。近距離では無類の強さを誇る光弾だが照準器もなしに遠距離を狙えるわけがない。長くて中距離。拳銃弾程度の脅威と思えばよかった。問題は光刃と光学迷彩。光刃については背後を取ればいいとして、光学迷彩はどう対策すれば良いものか。気配で大体の位置を探れても闇雲に乱射して消耗したくない。


「…面白ぇ」


閃いた。土壇場で頭が冴えるのはある種の才能だ。ワーカーは死体からサイレンサー付きの自動拳銃を拾うと周辺の天井を銃撃しながら十数メートルを歩いた。銃声をたてないのがミソ。それだけで下準備は整ったようなもの。


「さぁ来いカメレオン。いや、ジェダイか。なんてな」


程なくして凌がワーカーまで追いついた。出迎えたのは霧の雨。屋内で降雨はあり得ず、よく見ると天井に備えつけられた噴霧装置から水が撒かれている。火災用のスプリンクラーが作動しているようだ。先程から散発する爆発に誤作動したのだろうと特に気に留めることなく歩みを進める凌。注意は前方に向いていた。


「うっ…」


床には警備と傭兵の死体がうつ伏せのまま放置されており、やや足の踏み場に困る。この区画に敵の爾落人はいない、そう判断して先を急ごうと歩みを強めた時だ。


「……」


背後から立ち上がるように水音が跳ねた。ピシャリと水たまりを踏むような足音か、気配に振り向いてみれば何かがいた。景色の向こう側を映し出している歪な何物か。見覚えがある。これは光学迷彩を使っている者の透過現象。自分の光学迷彩と比べるなら稚拙だがそれでも咄嗟の状況だと見落としかねない精度だ。


「!」


自分と瀬上以外に光学迷彩を使える者がいた事に驚愕した。現段階で光学迷彩の兵器化はありえないだろう、間違いなく爾落人か能力者。それが敵だと判断の後押しになったのがもう一つ。迷彩者に撥ねる水滴がこちらに銃を構える兵士の姿を見事に形作っていたからだ。ここで初めて凌は失策に気づく。敵がスプリンクラーで姿が浮き彫りになったということは、自分も例外ではないという事に。
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