決着の日~2028~


撤退した八重樫は凌と落ち合った。まだ防衛省の敷地内だが暫定的に安全圏。状況の確認はしておきたい。凌は床に綾を横たわらせると結束バンドを切り、目隠しを外した。しかし綾は目を閉じたままぐったりとして動かない。素人目から見ても出血は見られないため大事ではないだろうが心配になる。


「意識がない…」
「いや、生きている。回復を待てば良い」
「良かった…」


凌は安堵のあまり俯く。仲間を奪還し、攻撃をすり抜けた。山場は越えたのだ。八重樫は道中に拾った使えそうなカービン銃を手に、手持ちの残弾と互換性を確認した。


「奴らは全員死にましたか?」
「爾落人を含めまだ数人生きている。後は治安部隊でも事足りるはずだ」
「そうですか…まぁ、あの閉所であれだけの爆風をくらえば無事ではないか」
「後ろを向け」


八重樫は凌の背中のポーチからマガジンを取り出すと自分のマガジンポーチに収納していく。


「後は光学迷彩で離脱する。交代で二階堂を抱えるぞ」
「はい。なんとかして浦園さんと連絡をつけないと…」
「…待て」


一息つく暇はないようだ。先程の戦場から爾落人が移動していくのを捕捉した。


「さっきの爾落人が移動している」
「一人ですか?」
「そうだ。単独で逃げられるくらいには軽傷だったようだ」
「そんな…奴をここで始末しましょう」
「なに?」


八重樫は自分の耳を疑った。何を言い出すかと思えばとても冷静な意見とは思えない。大量の殺人に高揚し、オーバーキルになりがちな新兵が陥りやすい一過性のパニック症状か。よく観察すると凌の呼吸は荒く、八重樫の仮説を裏付けていた。


「離脱を優先をする。今の戦力ではここが引き際だろう。爾落人とはいえこいつは末端だ。こいつを殺しても司令塔を潰さなくては別の刺客が同じ仕事をするだけだ」


八重樫は自衛用の武器しか残っていない事を示した。攻めるには火力不足であると。


「八重樫さんも見たでしょう。残忍な状況、死体の山。これだけの殺戮を指示できる指揮官は潰さないと。月夜野とは違って分かり合えるはずもない。手負いの内に片付けるべきです」


その言葉は八重樫にも刺さった。自分があのまま傭兵を続けていれば今のワーカーと同じ立場だったかもしれない。ハイダと出逢わなかった過去の自分を批判されているようなもの。しかし引き際を見誤って割りに合わない損害を出してはならない。


「それも一理ある。だが…」


綾を残して出撃するのは素直に賛同しかねる。しかしワーカーを野放しにするのはよくないとも思う。一方でワーカーと今の凌を引き合わせるのも危険な予感はしていた。


「俺は行きます」
「…12分待つ。奴はさっきの場所から
東に…こちらからは逆方向へ向かっている。棟内で会敵できなかった場合か初弾で仕留められない場合でも引き上げろ。何度も言うが手負いの二階堂を連れている事を忘れるな」


凌は頷くと左手首の腕時計を八重樫に差し出した。八重樫も同様に腕時計を差し出す。


「合わせます」
「…今」


互いに12分のカウントダウンを設定させる。予備で表示されたデジタルの秒針が現実味のない時を刻み始める。それは今日という現実味のない日常から見ればあながち間違いな光景ではない。八重樫は元来た通路を引き返していく凌を見送りながら妙な胸騒ぎに襲われた。


「…聞いていたのか」


八重樫は外を警戒しながら呟いた。誰に向けたものか、答えたのは綾だった。


「最後だけ、ですよ」
「起きるな。能力の回復に努めろ」
「八重樫さん…東條君についてください…」


綾は穏やかに言葉を繋ぐ。気遣いを見抜いた八重樫だったが取り繕っているようには見えなかった。


「しかし二階堂を無防備にするわけにはいかない」
「私はいいですから…」
「言うことを聞け」


強制はしたくなかったが多少語気を強めても綾は折れない。八重樫は珍しく戸惑う。もっと強く言うべきか。それを見抜いたのか綾は畳みかけた。


「私の寿命は短くても、あの子を戦死させるわけには…東條君はこれからも…」
「……」


前から人間と爾落人の恋模様を見た事があったが、人間側がこんなにも想っているのは久しぶりに見た。どの時代にも一晩のみの関係や、自分が人間だと偽って長期間交際している者が世界中にいたのだ。正体を明かして伴侶の最期まで添い遂げたのはほんの一握り。人間は爾落人による無限の時間の前になす術なく朽ちていき、ほとんどが互いを見放す。だが綾はどうか。凌が爾落人であると受け止め、それと比べると人間の人生は蝉のように儚い。それを認識している振る舞い、関係性。短い言葉だがその説得力に突き動かされそうだ。


「……」
「…行ってください…」
「…必ず東條を連れて戻る」


熟考してしまったが八重樫は立ち上がった。この数分間は若者に流されっぱなしだ。傭兵時代からは考えられない変貌ぶりだがそれが吉と出るかは結果が出なければ分からない。だが不思議と正しい事だと思えた。ワーカーの結末がどうあれ凌を連れ戻し、その過程で綾を放置しても無事だとなんとなく思えたのだ。楽観主義は柄じゃないが今回だけは。八重樫は捕捉を駆使して最大限急ぎながら後を追う。
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