本編

7


 2035年6月、静岡県沼津市J.G.R.C.開発部一号館事務所。

「新茶がまだ入手できていないもので、去年のものになりますが、ご了承ください」

 湯のみを応接室で待機していた吾郎に差し出す関口が恐縮して言った。

「いえ、お構いなく。……かみさんから聞きました」
「あぁ。凱吾は天才だ。今まで五月の事ばかり目が向いていたが、本当の切り札は凱吾なのかもしれない。しかし、面白いもので凱吾は調べた限りどの分析結果でも、凱吾は君たち二人の息子で、当然だが何も特別な力を持たない普通の人間です。能力者となる可能性も低いし、巫子の素質も皆無に近い。父親を目の前に使う言葉ではないが、まさに棚から牡丹餅といった存在ですよ」
「凱吾もこの戦いの駒となってしまうのでしょうか?」
「避けたい気持ちはわかるが、あいつの立場は俺たちにとって、最後のピースです」
「操縦者ですか? しかし、ガンヘッドにそこまでの可能性があるんですか?」
「あぁ、話してませんでしたね。いざという時、凱吾に操縦してもらう対「G」兵器は別のロボットです。確か、今日も……」

 関口は鞄の中を漁り、一枚の設計図を取り出した。

「これは? MOGERA?」
「えぇ。対「G」作戦用飛行型機動ロボットの略称で、二つの機体が合体して一つのロボットになるセパレート方式で、一人から三人搭乗が可能としていますが、実際は凱吾と自動操縦用のAIでカバー可能でしょう。そのAIについては既に当てがあります」
「これに凱吾が……」
「安心してください。こいつは俺の持つ全ての知識と技術の結晶です。予算が膨大な額になっていますが、もうそれに対しては手を打ってあります。思惑通りにことが進めば、再来年後の夏明けにはMOGERA製造の予算も用意できます」
「法に触れる行為ではありませんよね?」
「ご安心を。投資家達に俺の技術を売り込むだけです。まぁ、その事についてはまた今度の機会として……これでも色々と調べてみたんですよ」

 話題を変え、関口は鞄からA4印刷されたバラバラになった紙をテーブルに広げた。

「一々形式をあわせる余裕がなくて、すみません」
「いえいえ、内容が重要ですから」
「見ていただければわかりますが、やはり理系には厄介なところが多々ありました」
「クマソガミしかり、プルガサリしかり、歴史に埋もれた「G」は厄介ですね」
「はい。でも、結果は出せました。クマソガミのサンプルデータを探すのに、少し危険な橋を渡りましたが」
「どちらのものを?」
「2010年頃から動いていた調査部署といえば、数は少ないですよ。特に公なところとなると」
「あぁ」
「別に法律は犯してないですよ。友人に頼み込んでパイプを繋いでもらっただけです。……それよりも、その結果です。モノ自体は全くの別物だが、イリスと非常に酷似していた。俺の手元に、ミステイカーと言われている存在の資料がないから確証はないが、クマソガミをそれらに非常に近い存在と判断して問題なさそうです」
「つまり、太古から「G」と人を融合させようとする組織があったと?」
「組織という集団なのかはわからない。爾落人や能力者の関与があれば、あるいは単独とも考えられますから」

 関口は苦笑まじりの表情で言い、懐から煙草を取り出した。

「あ、いいですか?」
「はい。どうぞ」
「では、失礼して……」

 関口は煙草を呑むと、その体を背もたれに倒した。

「……あ、昇進おめでとうございます」
「まぁ、名誉職の様なものですよ」
「またまた。課長警視といえば、刑事ドラマじゃ大御所俳優のポジションですよ。万年開発部長の俺とは雲泥の差です」
「ありがとうございます。これで、何とか必要な条件を満たしました」
「この数年間で集めた情報は、莫大だが、そこから何をどうするかは、難しいものがあります。ここからが本番ですよ」
「はい。結局、今のところ組織の個々として行った犯罪で立件可能なものも少ない上に、松田東前氏の疑いは以前濃いものの、全くとして何らかの犯罪と関わったという痕跡がありません」

 関口は紫煙を吐き出しながら、頷いた。

「そうでしたね。結局、俺達は情報を集めているに過ぎない。使える段階になっていなんですね」
「そうとも限りません。僕達には例え相手が正体不明の巨大な組織でも把握できていないことを知っています」
「……そうか。五月と後藤君か」
「えぇ。未来の情報を僕達は持っているんです。五月が生まれるのが2046年であること、銀河が僕達に協力し、2022年に時間の爾落人と共に向かうこと」
「そして、その時期は近いと?」
「さぁ? でも、準備は整いつつありますし、確定している未来は逃げることがありませんからね」
「果報は寝て待てということですか」
「まぁそういうことです。それに、次第に相手の像がはっきりとしてきました。後は、相手の像を掴むだけです。行動は、時の方から教えてくれます」

 吾郎は確信を持っていた。
 そして二年後、その時が訪れた。




 
 

 2037年6月5日、三重県蒲生村墓地。
 人気のない墓地を黒いマントを羽織った青年が歩く。
 後藤家と表記された墓の前に立ち止まると、青年は片手に持っていた桶の水を柄杓ですくい、墓石にかける。
 もう一方の手で持っていた線香を置き、懐から小さな缶を取り出し、水受けに茶色の中身を注いだ。

「じいちゃん、フェジョアーダだ」
「あんたが墓参りとはね」
「!」

 突然声をかけられ、立ち上がった後藤銀河は、墓所の参道を歩いてくる元紀と吾朗に気がついた。

「三人が揃うのは何年ぶりかしらね」
「お前ら、なんでここに?」
「それはこっちの台詞よ。何年間かかっているのよ」
「じゃあ……」
「そうだよ。毎年命日はここに来て、銀河が来るのを待っていたんだよ」
「……そうか。すまないな?」
「でも丁度いいタイミングだよ。やっとこっちにも銀河に協力を仰げる段階に来れたから」
「タイミング?」
「娘の五月のこと、銀じぃちゃんから聞いているでしょ?」
「娘と息子が生まれたことは聞いてはいるけど……」
「……五月の出生については?」
「いや、いずれ俺が関わる時が来るからその時は頼むとは言われたけど、別に出生についてどうのという話は聞いてないな?」
「………」
「銀河、五月は爾落人なんだ」
「へ?」

 きょとんとする銀河に、元紀と吾郎は溜め息をつく。

「銀じぃちゃんが言っていないというよりも、銀河の伝え方が悪かったのかしらね?」
「多分そうだね。銀河のことだから、病院の人に伝えた言葉と殆ど同じ内容だったんだと思うよ」
「ありがたいけど……ねぇ?」
「うん」
「おい、どういうことだ?」
「……つまり、銀じぃちゃんの言っていたその時が来たんだよ」

 事情が飲み込めない銀河に、吾郎は言った。





 

 それから三人は場所を後藤家に移した。

「まさか家がまだ残っているとは思ってなかったぜ?」

 雨戸を開けて、埃っぽい室内の空気を入れ代える銀河が言った。宙を舞う埃が日の光に浮ぶ。

「残しておいたのよ。一度、相続人不在で権利が手放されたこの家をわたしが代理人として買い取ったの。本当は生前贈与するつもりだったんだけど銀じいちゃんが、納得しなくて」

 元紀がペットボトルのお茶をグラスに注ぎながら言った。

「流石に水道は止めちゃってるけどね」
「別にいいさ。ここが残っているだけで、俺は嬉しい」

 仏壇の戸を開きながら銀河は笑った。
 相変わらずの写真のみが飾られた仏壇に銀河は手を合わせた。

「あ、銀じいちゃんの位牌はわたしの実家においてあるから」
「うん、ありがとう。……でも、そのままでいいよ。ここに飾ってあるじいちゃんの写真は元紀がおいたの?」
「そうよ」

 元紀も銀河の隣にくると、銀之助夫妻と後藤真理の写真に手を合わせた。

「………さてと」

 元紀は手を放すと、立ち上がりコップの用意したテーブルに向かう。

「長くなるわよ」
「予想はついてる」
「ガラテアさんは?」
「今は別行動中。ここへは俺一人……まぁ空にアマノシラトリは待機しているけど、問題にはならないから」
「じゃあ、大丈夫ね」

 そして、元紀は椅子を引き、銀河を座るように促す。銀河はそれに応じて、椅子についた。
 銀河の向かいに元紀と吾郎も座る。
 窓辺に下げられた風鈴が風に揺られて鳴った。

「こうしていると昔を思い出すな?」
「銀河は変わらないけどね」
「俺も変わったぞ? ま、吾郎達ほどじゃないけどな?」

 銀河は微笑を浮かべ、コップのお茶に口をつけた。
 眼帯を付け、瞳の色が金色になったが、銀河の外見は二十歳前後から変わっていない。対して、元紀と吾郎は今年46歳になる歳相応の皺が顔に刻まれている。

「何年経った?」
「クマソガミと戦ったのが、中三の夏だから今年で32年。銀河が旅立ったのが2010年だから、あれから27年になるよ」
「そっか………。下手したら外見じゃ親子程に違うんだな?」
「僕らはそんな歳になったつもりはないよ。……息子の凱吾は中学2年。五月は高校1年になった」
「そうか。……懐かしい時代だな?」
「うん。そして、それぞれの分岐点になった時期だよ」
「あぁ」

 吾郎の言葉に、目を閉じて銀河は頷いた。
 そこに元紀が話を切り出した。

「思い出話は後にして、娘のことよ」
「爾落人なんだったな? 息子の方は?」
「普通……という言葉が適切かどうかはわからないけど、爾落人や能力者といった類ではないわたし達の子どもよ。そして、姉の五月なんだけど、実はわたし達の子どもじゃないの」
「養子ってことか?」
「そうなるけど、事情がちょっとばかし込み入っているわ」
「詳しく話してくれるな?」

 銀河が言うと、元紀は頷いた。

「えぇ。あれは、2022年の5月になるわ」





 

 元紀は流産した事、五月を引き取った時の事、そして銀河が未来から現れた事を話した。

「……へ?」

 しばらくの沈黙の後に、銀河は身を乗り出して、間抜けな声を上げた。

「どう驚こうとそれが事実よ。銀河は過去へタイムスリップするの、近い将来にね」
「まぁ、菜奈美さんの協力があれば可能なことだな? だが、時空の爾落人なんて……! まさか、南極の時の?」
「そこについての詳しいことは、日本にいたわたし達よりも現場にいた銀河の方が詳しいはずよ?」
「たしかに。……そういえば、あの時、すぐに南極を後にしたからアレがどうなったのか知らなかったな」
「でも想像ができたでしょ? 五月がわたし達ともとても因縁深い存在から後に生まれる存在だということが」
「………」

 銀河は何も言えずに黙っていた。
 一方元紀はお茶を飲むと、銀河に言う。

「600年前と2028年の事情はすでに知っているわ。時間と空間の両方の力を持つ五月の存在が次の争いを生む要因になりかねないということもね」
「つまり、問題はその五月ちゃんが生まれる時ってことか?」
「そう言いたいけど、五月の生まれる2046年まで何事も起こらないとは思えないのよ」
「……そうだよな? 滅亡の前兆である彼女が現れたんだからな?」

 銀河は遠い目をして呟いた。

「彼女って、どういうこと?」
「いや……一瞬、思い出したんだ。成長した五月ちゃんが名乗ったレイアという名前、俺は遠い昔に聞いた……いや、会ったのだと思う。ただ、それがいつで何があったのかは思い出せない。それでも、俺の記憶にその人物が現れるのは滅亡の前兆だと刷り込まれているな?」
「仮にも人の娘を滅亡の前兆といわれるのは心外だけど、あながち間違ってないかもしれないわね。五月はその存在だけで、争いの原因になるから」
「時間と空間の力を持つということもあるけど、「G」から爾落人を生み出すなんて、紛れもないホムンクルスを生み出す行為だからね」
「いいのか? 刑事さんがそんなことに加担しちゃって?」
「五月はすでにこの世に生まれているんだ。僕に生まれると決まっている命を奪う権利はないさ。父親としても、刑事としても」
「流石だな?」

 銀河はいつの間にか父親の目をすることのできる人間になった吾郎を見て言うと、腰を直して二人に聞いた。

「五月ちゃんの身に危険が及ぶ何らかの事態が起こるかもしれないのはわかった。それで、俺は何をすればいい?」


 

――――――――――――――――――
――――――――――――――

 
 

 2037年8月末、三重県蒲生村。
 夕闇に染まる村内唯一の病院を物陰から見つめる中東系の女性、ガラテア・ステラ。

「凱吾殿、これからが本当の修行だ」

 ガラテアが凱吾のいる病室の窓を見つめて呟いた。赤く染まる白い壁に開いた窓から顔を出した凱吾を確認したのはついさっきのことだ。

「まさに、今のガラテアの言葉は彼の未来を予言しているようだな?」
「銀河殿! 今までどこにいたんだ?」

 後ろから声をかけられ、驚いて振り向いた彼女の前にいたのは3ヶ月間行方を眩ましていた銀河であった。
 彼は苦笑しつつ答える。

「少し用事ができたんだ。しかし、ガラテアが凱吾君にしてほしいことをすべてやってくれたのは予想外だったけどな?」
「それは、凱吾殿を強くさせるという意味か?」

 ガラテアが聞くと、銀河は頷いた。

「関口さんとの話は聞いているだろう?」
「ロボット操縦の才能だな。しかし、なぜ銀河殿が凱吾殿のことを? それに凱吾殿を鍛えるのはなぜだ?」
「それを説明すると長くなるから、移動しながら話すぞ?」

 銀河はガラテアと共に駅に向かって歩き出した。
 そして、これまでの三ヶ月間のことを話し始めた。





 

「いってきます……」

 ブレザーを着た少女が見送りのない廊下に告げ、玄関の扉をしめ、鍵をかけた。
 朝日に照らされた外廊下を歩き、エレベーターを待つ間、小さくため息を吐いた。
 蒲生五月の朝は夏休み中も変わらない。都内有数の進学校に通う彼女は、学校の夏期講習を受けている。そして、母は会社の重役に就いている為、彼女が寝ている間に朝食を用意して出勤し、夜は夕食を一緒にできることの方が稀だ。
 弟とは距離を置いている為、詳しいことを聞いていないが、両親の故郷に行っている。
 父親にいたっては、たまに顔を忘れてしまうほど滅多に帰ってこない。三重県警で重要な仕事をしているらしいが、詳しい事情は母も語ってくれない。
 家庭が崩壊していると五月は思っているが、不思議なほどに家族の仲はいい。自分が思春期だからなのか、それとも家族が変なだけなのか。
 そんなことを考えていると、エレベーターが上がってきた。

「おはようございます」

 ドアが開くと男が二人乗っていた。一人は日本人の青年で片目に黒い眼帯をしており、もう一人は西洋人だ。
 挨拶をしてきたのは、日本人の青年だ。

「………」

 彼らは降りる気配を見せない。
 ここはマンションの最上階で、彼らが途中階から乗ってきたのではないことは階数表示を眺めていたので知っている。
 五月はジッと二人を睨んだ。脳裏に変質者という言葉が渦巻く。

「なるほど、そう言うことですか」

 もう一人が流暢な日本語で呟いた。
 青年の方はエレベーター内の開ボタンを押したまま問いかける。

「……乗らないの?」
「忘れ物を思い出したので」

 五月は咄嗟に嘘をついた。

「そうですか。……では、失礼します」

 青年がボタンから手を離すと、エレベーターはドアを閉めて下降した。
 五月はすぐにエレベーターのボタンを押して、非常階段から一階へ降りた。その手に携帯電話を握りしめながら。
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