本編

5


 2022年5月のある日。
 元紀が退院してまもなく、日本「G」リサーチ株式会社、通称J.G.R.C. の開発部部長の関口亮は三重県蒲生村の蒲生家を訪ねていた。
 彼は元紀が入社当時世話になった二期上の先輩であり、かつて某大学清水校舎に現れた「G」に遭遇した際に後藤銀河と知り合って共に解決した過去があるなど、元紀とは縁のある人物であった。

「……まさか流れていたとは。知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしたな」

 客間で出された茶を啜ると、関口は土産の乳児用品を一瞥して頭を下げた。

「いいえ。会社への報告をしていない私がいけないんです」
「そうです。別に関口さんが気に病むことではありませんから」

 吾郎も元紀の隣で言うが、流石の関口も居たたまれない気分であるらしい。二、三会話を交わすと、腰を上げた。

「蒲生、俺の方から伝えようか?」

 玄関口まで行くと、会社に流産の事を報告しようかと関口は提案した。

「いいえ、私の口から報告します。それより、先輩、何か用件があったのでしょ?」
「いや、いつもの思いつきについての話だ。落ち着いたら嫌ってほど聞かせてやるよ」

 そう夫妻に言い、関口が玄関の戸に手をかけようとした瞬間、関口と戸の間に赤子を抱えた女性が突然現れた。

「うわっ!」
「あら、関口さん。お久しぶり……じゃないわね」

 女性は腕に抱えた赤子をあやしつつ、顔面蒼白で自分を見つめる関口に笑顔を向けて呟いた。
 それに対して元紀は冷静な口調で女性に話しかけた。

「待っていたわよ」
「お待たせしました」

 女性は微笑んで、夫妻に言った。
 一方、関口はいまだに口をパクパクとさせている。

「ど、どういうことだ?」
「……あぁ。ごめんなさい。関口さんはまだ知らないものね。私は幽霊ではないわ。別人よ」
「一応、聞かせてもらうわ。あなたは?」

 元紀が聞くと、彼女は答えた。

「時空の爾落人、レイア・マァトと申します。2046年からこの子をお二人に託しに来ました」
「2046年? 思っていたよりも先なのね」
「えぇ。この子を、育てて頂けますね?」

 レイア・マァトは確信に満ちた表情で夫妻に言った。


 

 
 

 一週間前、蒲生村唯一の病院の個室に入院する元紀を予想外の人物が訪ねてきた。

「どうぞ」

 ノックの音に、元紀が返事をすると扉が開いた。
 元紀はその人物に少なからず驚いたが、閉口していた。相手もそれを察したのだろう、黙って寝ている彼女に近付いた。
 近くで元紀の顔を見て、相手も驚いていた。それほどに彼女の顔はやつれていた。

「元紀。その、大変だったな?」

 相手は適切な言葉が思いつかず、それがやっとの言葉であった。

「まったく、世界中で色々な死を見てきたんでしょ? 相変わらずヘタレのままね、銀河は」

 元紀はぎこちない笑みを浮かべて、後藤銀河に言った。

「本当だな?」
「……で、このタイミングなのは偶然?」
「いいや。今の元紀に伝えねばならないことがあって、俺は未来からやってきた」

 銀河は心理を使って元紀に言った。その為、荒唐無稽なその発言を彼女は受け入れた。

「とうとう時間の旅まではじめたの?」
「まぁな。助っ人のお陰だ。……入ってください」

 銀河が入口に向かって声をかけると、美少女という言葉が似合う若い女性が入ってきた。

「新しい彼女?」
「違う!」
「全力で否定することもないと思うけど。ねぇ?」

 元紀は彼女に同意を求めた。彼女は曖昧に笑って誤魔化す。

「で、どこのどなた?」
「時間の爾落人の桧垣菜奈美さん。彼女にお願いして、この時間に連れてきてもらったんだ」

 銀河の言葉に合わせて、桧垣菜奈美はお辞儀をした。

「なるほどね。……で、わざわざ未来からお見舞いにきたって訳じゃないでしょ?」
「まぁな。だけど、それもあながち間違いじゃない。……元紀、娘が欲しくないか?」

 銀河は真顔で元紀に問いかけた。



 

 

「そして、この赤子が後藤君の話した娘ってことか」

 子どもを受け取った夫妻と共に居間に戻った関口は、元紀から事情を聞き終えた。

「えぇ。退院できたのも、銀河に悲しみを取り除いてもらったからです」
「だろな。しかし、この子の戸籍はどうするつもりだ?」
「そういうことは銀河の得意分野ですよ。病院の人は皆、この子がわたしの生んだ子どもと信じています」
「いいのかよ、三重県警」
「残念ながら、僕の前にも銀河がやってきてるんですよ。勿論、僕らの両親の前にも」
「抜かりはないってことか。……んで、この子は何者なんだ?」
「時空の爾落人です」
「え?」

 元紀の言葉に関口は目を見開いた。

「つまりそういうことなんでしょうね。銀河もはっきりと言葉に出して言わなかったけど、さっきこの子を連れてきたレイアが、この子の大人になった姿って考えるのが妥当よ。他の誰かがやるよりも、ずっと確実だし」
「……なるほど、そういうことか」

 関口は驚きつつも、理解をした様子でニヤリと笑った。

「蒲生、協力するぜ。わざわざ過去に戻って育ててもらう必要があったということは、この娘にはそうしなきゃならないだけの事情があるんだろうし、お前らが拒否しても俺は無理やりにもこの娘を守るだけの理由がどうも俺にもありそうだ」
「いいですよ。……でも、何を企んでいるんですか?」
「秘密だ。どうせ未来になったらわかることだろうからな。……ところで、名前はどうするんだ?」
「まだ決めてません。色々と考えてはいるんですが」
「そうか。なら、その選択肢の一つに五月って名前も入れておいてくれ」
「他人の子どもの名付け親になるつもりですか?」
「まぁそう言うな。……んじゃ、俺はそろそろ帰るとするわ」

 そういうと関口は蒲生家を後にした。
 娘は蒲生五月と名づけられた。





 

 それから月日が過ぎた、2024年冬の三重県蒲生村。

「特異点というものなのでしょうか。実に面白いですね。……かつて『神々の王』がその力の一部と人ならず存在となった哀れな者を封じた地。考えてみれば、ここは南極と同質の地なのかもしれませんね」

 表札に後藤家と書かれた家の前に立つ西洋人の男は、一人呟いた。
 彼にはかつてここで起こったすべてが視えていた。2年前の出来事も詳細は視えないものの、何かがあったということだけは視えていた。

「ん? うちに何か用かね?」

 玄関の扉を勢い良く開き、防寒着に身を包んだ後藤銀之助が出て来た。家の前に立っていた彼に気がつくと、声をかけた。

「いいえ。知人にお土産話の一つでも用意しておきたいと思いまして。……用件は今済みました」
「………外人さん、銀河の知り合いかね?」
「いいえ。そう言った名前の方は存じませんね」
「そうか。少し雰囲気が孫に似ていたもので。……申し訳ないが、ちと急いでいるので失礼させてもらうよ。あと、日本ではよそ様の家をじっと見るのは失礼に当たるぞ」

 銀之助は玄関の鍵をかけると、彼に口を尖らせて言った。

「それは失礼を致しました。……男の子ですよ」
「え?」

 銀之助が彼の横をすり抜けて歩いていこうとする際、彼は不意に言った。

「そして人々の、いえ。この星の未来を左右する運命の子です」
「そうかい」

 銀之助は彼の言葉をそっけなく返した。

「嘘を言っているとお考えですか?」
「いいや。お前さんは、孫と同じような存在なのだろう? だがな、外人さん」

 銀之助は彼に近付くと、じっとその目を睨んで言った。

「わしにとって、どんな子も、等しく特別な存在で、いつか何かをなす運命の子なんじゃ!」
「……どうやら、余計な事を言ってしまったようですね。失礼します」

 彼は少し銀之助に圧倒されつつ一歩下がると、礼をして彼に背を向けた。

「外人さん。もしあんたが孫と会うことがあったら、一度くらいは顔を見せに来るように言っておくれ」
「はい」

 彼はそれだけ返すと、バス停のある方角へ向かってその場を後にした。
 銀之助は反対側にある蒲生家に向かって足早に歩いて行った。
 ほぼ時を同じくして、蒲生家では蒲生元紀が一人の男児を出産した。
 後に、その男児は銀之助によって、蒲生凱吾と名づけられた。




 
 

 スペイン、バルセロナの街にそびえるサグラダ・ファミリア。今も世界中の建築家、美術家が完成を目指し、建築を続けている。
 日本語で聖家族教会と訳されるその前には、多くの観光客が訪れ、二世紀もの間、何代にも渡り作り継がれているアントニ・ガウディの遺産に驚きと感動を共有している。

「やっぱり間に合わなかったな?」

 観光客の中に紛れた隻眼の日本人青年が、2027年ガウディ没後100周年目、と書かれたチラシを片手に呟いた。
 長らくこの年を完成目標に建築が続けられてきたのであったが、現実は甘くなく、今の完成目標は2227年、ガウディ没後300周年目に変更されている。

「また完成の時に来れば良いではありませんか、『神々の王』」

 背後から声をかけられた彼、後藤銀河は首を後ろに向け、節目がちな隻眼を声の主に向けた。
 そこに立つ男は、3年前に銀之助の前に現れた人物であった。

「今の貴方とは、初めましてとご挨拶すべきでしょうね。以前のご立派な髭も素敵でしたが、その節目がちな東洋人顔も素敵ですよ」
「クーガーだな?」
「はい」

 クーガーと呼ばれた男は細く微笑んだ。銀河が銀河になる前、彼が旅人と名乗り、世界を巡っている時に出会った男であり、その目で全てを見ることのできる視解の能力を持つ爾落人である。

「視解の爾落人に何も語る必要はないだろ?」
「はい、37年前に貴方がその身を犠牲にした事も、今の貴方が何者であるのかも、私には見えますよ」
「だったら、俺よりもガラテアの元へ行ってやれよな? あいつは今フランスだから」
「解っていますよ。そして、明日彼女がこちらへ来ることも見えています」
「なら、何故今、俺に会いに来たんだ?」

 銀河は金色の瞳でクーガーを見つめた。彼は苦笑した。

「やれやれ。そう言う所は変わりませんね。……見えたものですから、貴方にお伝えしておこうと思いました」
「何をだ?」
「後藤銀之助さんの死期についてです」





 

 2027年6月8日、三重県蒲生村後藤家。
 喪服に身を包んだ蒲生吾郎とその妻、元紀は疲れた様子でお茶を飲んでいた。
 後藤銀之助の喪主を、所在不明の銀河に代わって担った吾郎は当然の事、元紀も妻であり、村の旧家である蒲生家の第一子という立場から、この二日間は動きっきりであった。
 銀之助の火葬を済ませ、葬儀屋が帰り、やっと一息をつけたところであった。

「銀河、結局来なかったね。まぁ、知る術がないんだから、当然だけど。また未来からくればいいのに」
「………」
「元紀?」

 吾郎は、湯のみをじっと見つめている元紀に声をかけた。

「えっ? あ、ごめん。考え事をしてた」
「仕事のこと?」
「ううん。銀河のことをね。……で、何?」
「僕も、銀河のことをね。ジイちゃんっ子だったから、葬儀に来れなくて残念だなぁってさ」
「それだけどね。……あなた、フェジョアーダのレシピがどこに行ったか知らない?」
「レシピ?」
「そう。前から、銀河が帰ったら渡すって言って、仏壇のところに手紙と一緒に置いていたレシピがないのよ」
「それって、まさか……」
「そうだったら、いいなと思ってるんだけど。もしも銀河が来たのなら、わたし達にも会っていってほしかった。そうすれば、あの子のことも話せたのに」

 元紀は視線を隣の部屋で凱吾と遊ぶ五月に向ける。

「後悔しているの?」
「ううん。そうじゃないわ。でも銀河だったら………わたし達と一緒に育って、自分の存在を知って、真っ直ぐ自分が何者なのか、その答えを求めて旅立った銀河だったら、きっと五月は勿論、わたし達も、凱吾も歩むべき道を示してくれると思うの」
「そうかもしれない。……でも、僕達は銀河じゃない。五月の将来は五月自身、そして僕達自身が決めていくべきだよ。それに、もし銀河が銀じぃちゃんと会っていたのなら、銀河は五月のことも知っているということだよ。それで、僕達と会わなかったのなら、銀河には銀河なりの考えがあったということさ」

 言い終えると吾郎は穏やかな表情で湯のみを口に運んだ。

「そうよね。……わたし、もっと上に行くわ。J.G.R.C.で知ることができることも、今のわたしはその一部しか知れない。せめて、凱吾がわたし達の選択を背負うときに、罪として背負わせないようにする為にも」
「そうだね。……元紀、実は話しておきたいことがあるんだ」

 吾郎は姿勢を正しなおした。元紀もつられて、姿勢を正す。

「今まで、僕は三重県警の捜査二課や国際捜査課に身を置く中で、「G」が関与した事件の一部だけに関わってきた」
「うん」
「でも、「G」は一様じゃない。捜査線上に「G」が示唆されても、事件捜査の専門家でも「G」に関しては素人だ。余計な時間を要し、解決が遅れてしまう」
「だけど、それは「G」を専門に扱っていない以上、当然よ」
「そう。だから、……まだ正式な辞令は先だけど、先月の警部昇進時に話があったんだ。管轄内でも他と同じように「G」が関与する事件が確認されている。その捜査を専門とする部署を新しく設立することが決まったんだ」
「うん」
「しばらくは、捜査一課の特異事件捜査係の改組といった扱いだけど、追々は刑事部の独立部署となる予定なんだ。その長として、僕が打診された。その、受けるつもりなんだ」

 吾郎は一口お茶を飲み、言葉を続けた。

「これからは、今まで以上に忙しくなると思う。多分、五月と凱吾の世話もまかせっきりになると思う」
「それで?」
「え?」
「いいじゃない。それにあなたはその為にずっと離れて暮らして来たんじゃないの。なんで、あなたはそんなに気弱な顔をしているのよ。今まで大丈夫だったんだから、きっとこれからも大丈夫よ!」

 元紀は笑顔で頷いた。

「すみませーん。お届けものでーす」
「はーい」

 話の区切りを打つように、玄関から宅配便らしき声が聞こえた。元紀はすぐさま玄関に向かった。
 まもなく元紀は小包を片手に戻ってきた。

「銀河宛だったわ」
「またどこかで活躍したの?」
「うーん、多分違うわ。差出人の住所が、北朝鮮だったところだから」

 元紀は小包を見ながら答えた。差出人は李輝香となっていた。

「じゃあ、15年前の革命の?」
「多分、あの時に銀河が迷惑をかけた人の一人だと思うわ。開けてもいいわよね? 銀河、いつ帰って来るのかわからないし」

 元紀は吾郎に確認するが、その手は既に小包を開けている。

「中身は、手紙と……あっ!」

 小包の中身は、封筒に入った手紙と紙に包まれていた能々管であった。

「能々管……だね」
「これが始まりだったのよね。わたし達の長い、長い宿題」
「うん」

 二人は能々管をしばらくの間、見つめていた。
 その2週間後、吾郎は正式に三重県警察刑事部特異犯捜査課準備室室長への異動が命じられた。
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