本編

4


「まだ痛みますか?」

 パイプ椅子に腰を下ろし、ガラテアから渡された氷を巻いたタオルを頬に当てる凱吾に、彼の前に腰を屈めたローシェが問いかけた。

「あぁ。「連合」の真スーツのお陰だ。流石の一発は効いたが」

 凱吾は赤く腫れた頬を見せて苦笑した。

「瀬上さんに感謝しなさいよ。この面子であの役回りができたのは、やっぱり彼以外にいなかったんだから」

 凱吾が冷静さを取り戻したと判断したレイアが言った。

「姉貴に言われなくてもわかってる」
「あら、愛しいお姉さん相手に随分な言い草ね」
「違う。俺は姉貴でなく、あの蒲生五月の為にここへ来たんだ」
「写し身の為ねぇ。……復讐鬼の仮面をつけたってわけ?」

 レイアが冷ややかな目を向ける。それを一瞥し、凱吾はMOGERAを見上げて言った。

「そうかもしれない。だが、それだけじゃねぇ。今までは罪悪感や憎悪とその場の流れで動いていた気がするが、本物の姉貴が現れて、瀬上とやり合って、理解した。単純な思考ほど強く刷り込めるものはないが、ただの復讐じゃ先がないだろ?」
「随分と冷静な意見ね。じゃあ、何の為に凱吾は戦ってるの?」

 レイアの問いに、凱吾は表情を変えずに答えた。

「姉ちゃんが、あの五月が生きた意味が、ただの道具でないことを示す。俺がこの戦いで月ノ民を倒す」
「写し身がつくられたのは、私の代わりで、月ノ民が勝つ為、そしてあなたを殺す為と考えるのが妥当だから、それを否定して、人間として生きた意味を与えるってことね。その方法が、復讐とそれを駆り立てる想いってことね。……昼のメロドラマみたいね」
「好きに言え」

 感情を押し殺した声で言う凱吾を見てレイアは、この戦いが終わるまで彼の仮面が剥がれることはもうないと悟った。
 そして、心配そうに二人のやり取りを見ていたローシェに近付くと、耳打ちした。

「どうやらしばらくは脈なしよ、残念ね」
「!」

 ローシェは咄嗟に彼女を睨むが、そのままレイアは涼しげな顔で出口に向かって歩く。
 そこへガラテアと鉢合わせした。

「あら、丁度二人を呼びに行こうとしたのですよ。そっちは大丈夫ですか?」
「それよりも、アイツが現れた」

 ガラテアの言葉に、真っ先に反応したのは凱吾であった。

「師匠、アイツってのは」
「あぁ。複製の「G」だ!」

 ガラテアを聞き終わる前に凱吾は外に向かって走り出した。



 

 

 かつて私立某大学で体育館として作られた格納庫の廊下を走る俺は、あの五月の事とこれまでの事を思い出していた。
 今まで混沌としていた全ての記憶が繋がった。
 彼女と出会ったのは、2039年2月。
 そう。親父が死んだという連絡が届いたあの日。霊安室で親父の遺体を確認して、アメリカから戻ってきた母がそこへ駆けつけてきたすぐ後のことだ。
 線香の香りが漂うひんやりとした地下の霊安室に設けられたパイプ椅子に座って呆然としていると、扉が勢いよく開け放たれた。
 見ると青い顔をした母が立っていた。ふらつく足取りで親父の前に向かった。

「吾郎……」
「きれいな顔してるだろ? 死んでるんだぜ、それ」
「凱吾」

 俺の淡々とした言葉に母は振り向いた。恐らく、その時初めて俺がいたことに気づいたのだろう。

「腹をナイフで一突きされたらしいんだ。傷は深かったけど、すぐに治療すれば助かったかもしれなかったんだけど、警視庁管轄の場所まで3キロ近い距離を歩いて出血死だってさ。義理なのか知らないけど、バカだろ」
「………」

 母は何も言わず、再び親父の顔を見た。
 どれくらいその状態でいたのかわからない。一瞬だったかもしれないし、一時間だったかもしれない。
 兎に角、扉の開く音が沈黙を破った。
 見ると、そこには背広を来た中年の男が立っていた。見覚えがある。

「汐見警部」

 母の言葉で思い出した。警視庁捜査一課の汐見秀という刑事だ。以前に何度か会ったことがあった。
 汐見警部は少し目をキョロキョロとさせて、言葉を選びながら告げた。

「先程、五月さんが見つかりました。無事です。管内の所轄から報告がありました。血だらけの姿で歩いているのを発見したそうです。……無事です。彼女自身の血ではありません。現在鑑定中ですが、血液型は五井……ご主人のものと一致しました」
「それって、まさか」

 母が呟いた。

「まだわかりません。ただ、精神喪失状態にありまして、現在警察病院へ移送中です」
「おい……姉貴が親父を殺したのか?」

 誰が言ったのかわからなかった。だが、二人の視線で俺が発したのだと気づいた。

「まだ断定できません……」
「断定してるだろ? 今の言い方はよぉ!」

 一度開いた口は止まらなかった。気がつくと、俺は立ち上がり、汐見警部の胸ぐらを掴んで何か発していた。

「凱吾!」
「! す、すみません」

 俺は手を離し、頭を下げた。

「いえ……」

 かなり罵倒文句を吐いた気がしたが、彼は俺にそれ以上言わなかった。
 代わりに母を見た。

「蒲生さん、病院に行きますか?」
「はい。でも……」

 母は俺を見た。俺は即座に答えた。

「俺も行く」

 そして、俺達は汐見警部の車で病院へと向かった。




 


 病院で会った姉は、もう俺の知っている姉貴ではなかった。実際この段階で既に別人となっていたのだが、その時の俺はそう思った。
 まるで抜け殻であった。虚ろな目をして、俺達を見ていた。

「まだ診断のできる段階ではありませんが、担当医の話では精神的な打撃によるものである可能性が高いとのことです」

 小声で伝える汐見警部に母は聞いた。

「何分?」

 面会の許される時間のことだ。

「3分です」

 彼の返答に対して感想を述べることなく、ただ無言で頷き、姉へと近付いた。俺も後に続く。

「五月」
「………」

 優しく呼びかけた母に対して、姉は何も反応を示さない。
 瞬きや呼吸はしているが、俺達に気づかず呆然としている。そんな印象を受けた。

「姉貴」
「………」

 俺が呼びかけてもやはり無反応だった。

「五月ぃぃぃっ!」

 突然、母は姉を抱きしめ、声を上げて泣き出した。
 流石の母も限界だったらしい。子どものように泣く母を眺める俺は、不思議と悲しみがなかった。
 親不孝者かもしれないが、親父の死も姉の事も実感がわかず、映画のワンシーンを見ているかの様な心境であった。
 そして3分が経ち、涙で濡れた顔にハンカチを当てて、母は汐見警部に会釈をし、病室を出て行った。俺も、汐見警部に促されて病室を後にした。
 その後、警視庁と犯行現場となった神奈川県警、そして三重県警による合同捜査本部を立ち上げられ、服の血液の鑑定結果や犯行現場周辺での目撃情報、発見された凶器から採取された指紋から、親父を殺した犯人は姉と断定された。
 しかし、肝心の動機が検察は解明できず、精神錯乱による衝動的殺人として立件した。





 

 いつの間にか、2ヶ月が経過していた。世間も事件を忘れ始めたが、代わりに裁判の準備の為、周囲が慌しくなっていた。現職警視殺人事件で、加害者が精神喪失状態の娘だ。検察側も慎重に慎重を重ねても足らないのだろう。
 それは弁護側も同様であったが、担当の弁護士よりもむしろ別の人間達が頻繁に母と連絡を取っていた。
 元刑事という言う連中に、汐見警部と探偵らしき男女や関口さん、更には怪しげな中年の男女までもが、家や病院の周囲に現れた。
 母に聞いても、何をしているのかも、彼らの正体も教えてくれなかった。
 俺は許される限り病院を見舞いに行った。

「姉貴」
「えぇーっと……」
「弟の凱吾」

 病室の入口に立った俺が名乗ると、姉は微笑んだ。

「そう、凱吾。……いつもありがとう」
「姉貴の為だ。当然さ」

 俺はベッドの傍に座りながら答えた。
 この2ヶ月での最大の変化は姉の状態だろう。次第に反応を示し始め、一ヶ月前から少しずつ言葉を交わし始めた。
 しかし、記憶を失っていた。いや、記憶というものを捨てた。
 事件より以前の記憶は勿論、それ以降の事も会話をする内に一時的に思い出しているようだが、次に会う時には忘れている。
 脳そのものへの損傷は確認されていないものの、著しい低下が見られるらしく、精神的なものによる可能性が高いといわれていた。

「思い出したわ。凱吾、お姉ちゃんに「G」と戦った時の話の続きをしてよ」
「あぁ」

 姉が少女の様な笑顔を向けた。俺は微笑んで頷いた。

「あれは寒い冬の夜の話だ……」

 俺はジェスチャーを交えながら、姉に「G」と戦った時の話をした。それを彼女は興味津々に聞くのだ。
 きっかけは数週間前に、思いつきでプロトモゲラでの訓練の話をしたことだった。
 姉はそれに食いつき、実際に「G」と戦ったことがあるのかと聞かれたので、師匠との話をした。そして、半年程前から数回行っていた「G」の退治について話したのだ。
 当時の俺は、都会に「G」が現れやすいのだろうと考え、関口さんにつくってもらった武器でそれらを見つけては実力を試したいという理由から戦いを挑んでいた。
 しかし、今改めて思い返せばあれは姉貴を狙って近くに出現していたのだろう。
 兎に角、当時の俺は多少の脚色を加えつつも、姉に「G」と戦った話や特訓についてなどを話し続けた。
 その日も話に華を咲かせ、気がつくと時間はあっという間に過ぎていた。

「じゃあ、明日も来るから」

 俺が告げると、彼女は微笑んで手を振った。
 警察病院のロビーから出ると、門柱の隣に植えられた桜の木が目に留まった。
 既に満開を過ぎ、桜色の中に緑色が混ざり始めていた。
 来年は姉と花見に行きたい。そんな妄想を抱きながら、俺は帰路へとついた。
 数時間後に国家規模の緊急事態が発生することなど夢にも思わずに。





 

 その夜、母は家に帰ってこなかった。
 しかし、その時の我が家の状況で俺が気にするはずもなく、夕飯を食べていた。
 夕飯のコンビニ弁当が食べ終ろうかという頃、チャイムが鳴った。

「はい………何だ、お前ら?」

 玄関の扉を開けると、目の前には宇宙服を彷彿させる完全防護の姿をした者達が立っていた。

「国家機密組織「Gnosis」の者だ。蒲生凱吾だな?」

 Gnosisの名前は聞いたことがあるが、現実に存在するとは知らなかった。
 それ以前にあからさまに怪しい。声は男の声だが、人相もシールドでまるでわからない。

「だとしたら、なんだ?」
「緊急事態だ。今すぐ、俺達と一緒に来てもらう」
「嫌だと言ったら?」
「拒否権はない」
「!」

 防護服の男が言葉と同時に俺へ注射器を刺そうとした。
 咄嗟に俺はその手を払い、男を突き飛ばした。注射器が床に落ちる。

「おっと!」

 男は後退するが、バランスを崩していない。すぐに俺の右腕を掴んで引っ張り、体を壁に叩きつける。
 空いている左手で男の脇腹を突く……が、その手は相手の右手に阻まれた。
 そのまま両手を壁に押し付け、俺の身動きを取れなくする。

「少年、なかなかやるじゃねぇか」
「おっさんもな」
「だが、遊びはここまでだ」

 男の背後に立った別の防護服の人間が俺の腕に注射器を突き刺した。

「てめぇ……」

 その言葉を吐き終わる前に、俺の意識は遠退いた。





 

 意識が戻った時、自分の身に何が起こったのかわからなかった。
 しかし、視界に入った白い天井と壁に白いカーテン、消毒液の臭いが染み付いた布団はここが病院であることを伝えていた。

「ここは……」

 ゆっくりと体を起こした。完全に覚醒できず、立ち上がると足元がふらついた。

「……どこだ?」

 片手をベッドに突いて支えながらも、俺はカーテンを開け放った。
 窓ガラスがあった。
 そして、その先に広がる景色には見覚えがあった。

「駿河湾……沼津支社?」

 青い海とその先に見える陸地、その景色は何年も見続けたJ.G.R.C.沼津支社から望む駿河湾であった。

「もう気がついたのか。ゴリラも3日は起きない動物用の麻酔を打たれて、2日と経たずに目覚めたか」

 振り返ると、カーテンの隙間から関口さんが顔を出していた。

「関口さん! ……って、そんなものを使ったんですか」
「対怪獣用の麻酔を使わなかっただけ感謝しろ」
「そんなもん使われたら、永眠するわ!」

 一先ず、挨拶代わりのやり取りを済ませ、俺は窓枠に寄りかかり、本題を切り出した。

「で、なんの真似ですか? 怪しげな国家機密組織まで使って」
「体面上は、俺達がGnosisに使われたことになってるんだがね」
「んなのはどうでもいいんです。実際、何があったんですか? それを説明して下さい」

 俺が声を荒げて言うと、関口さんは頭を掻きながら答えた。

「まぁなんだ。お前が国家規模の危機に巻き込まれたってところかな」
「「G」ですか?」
「察しがいいな」
「ここに連れて来られた理由を考えればわかりますよ。ここ、4号館ですよね? 研究部とかいう厳重なセキュリティーの施された」
「正解」
「ついでに言うと、俺と関口さんがこんな無防備に会えるってことは、俺がその「G」と関係ないとわかったんですね? あの防護服からして人体に有害な代物だろうから、薬物……いや、関口さんが関わっているとなると、生物か。一見してわからないとなると、寄生系ですか?」
「見事だ。より正確に言えば、感染だな」
「細菌型の「G」なのか?」
「それなら、よかった」
「なら、ウィルス?」
「いや、ウィルスよりも微細な「G」だ。MM88と呼ぶことにしている」
「で、何故俺が感染しているかもしれないと?」
「現在、キャリアとして確認されている人間は一人。その人物との接触があった人物だからだ」

 関口さんの言葉を聞いて、真っ先に姉の顔が浮んだ。

「……まさか!」
「あぁ。蒲生五月がMM88のキャリアだ」

 俺は、その言葉に愕然とし、膝を崩した。
 更に関口さんは続けた。

「それが判明したのが、一昨日の夕方……つまり、お前が保護される少し前の話だ。真っ先に、彼女をここへと移す手配がなされた。しかし、先手を打たれてな」
「え?」
「逃げられた。いや、正しくは連れ去られたというべきだろう」
「どういうことか、話してくれるか?」
「あぁ、話してやる。はじまりは17年前までさかのぼる」

 そして、関口さんは話し始めた。
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