本編

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 2026年12月24日、上野恩賜公園。

「雪が降りそうな天気ですね、五井さん」

 覆面パトカーの車内で、湯気を上げる缶コーヒーから口を離した男性は助手席に座る蒲生吾郎に言った。
 吾郎は、俗に言うマスオさんであり、男社会的な色が残っている警察内では、妻の助言から身分を提示する際を除いて旧姓の五井を名乗っている。

「別に敬語を使わなくてもいいよ、今は同じ警部補同士だしさ。それよりも、瀬上君はいいのかい? クリスマスイブに仕事で僕なんかと二人で張り込みなんて」

 吾郎がコンビニのおにぎりを食べながら、話かけてきた瀬上浩介に言った。

「その台詞はお子さんが二人もいる蒲生さんにそのままお返ししますよ。折角、奥さんのいる東京の本庁に長期研修で来ているのに、こういう日に限って仕事とあっては……。全く、上の奴らは何を考えているのか」
「いいさ。この一件が片付けば、正月はゆっくりと家族と過ごせそうだからね。それに、また瀬上君と組めるのは嬉しいよ」
「そうおっしゃってくれるのは、五井さんくらいですよ」

 瀬上は軽く笑うと、再び缶コーヒーを口に運んだ。
 瀬上は警視庁捜査二課の警部補で、約7年前に他県警への研修プログラムに参加し、その際に三重県警へ出向し、吾郎と組んだ過去がある。現在、彼は「G」ハンターと呼ばれる爾落人の怪盗の捜査を担当しており、新設部署への足がかりと警部昇進へのキャリアアップの長期研修の為に、警視庁へ出向してきた吾郎と再び組んでいる。

「それよりも、瀬上君は付き合っている子や好意を持っている子はいないのかい?」
「ぶっ!」

 不意に言った吾郎の言葉に思わず瀬上はコーヒーを噴き出した。好意を持っている子の部分で。

「いるなら、せめて明日は一緒に過ごせるといいね」
「い、いませんよ。好きな奴なんて……」
「ん? 電気の調子が……」

 瀬上が慌てる一方、吾郎は突然点滅を始めた車内ライトを調べる。

「おかしいな……。もしや「G」ハンターが近くにいるのかもしれないね?」
「い、いえ。多分、この車、結構古いですから、寿命が近いんですよ。きっとそうです!」

 普段の冷静さを失い、若干動揺した様子で吾郎に言った。

「そうなの? ……車両整備は、まかせっきりじゃなくて、自分でも確りとやっておいた方がいいよ」
「はい。すみません……」

 瀬上は車内ライトを消して、吾郎に気づかれないように額の汗を拭う。

「もしも好きな人が……」
「まだその話ですか?」
「いや、人生の先輩から一言だけね」
「はあ………」

 瀬上は曖昧な表情で吾郎の言葉を聞く。

「もしも好きな人が他の人を好きなのだとしても、焦ったり、悩んだりしないことだよ。応援しろとか、無理に何かしろって訳じゃない。ただ、その人が幸せになることを信じる。願う。……それだけさ。あ、一言じゃないね」

 そして笑った吾郎に、瀬上は元の冷静な表情を浮かべていた。

「奥さんが五井さんを選んだのが、少しわかった気がします」
「え?」
「誰だって、いつも自分を主役に生きようとするものですが、五井さんは違う。誰かを立て、自分はその支えに徹する。俺には真似ができないことです」
「そうかな?」
「そうです。……五井さんの様な方が上に行けば、この国は、いや世界はもっと良くなるだろうと思います。本気ですよ?」
「ありがとう。……でも、僕は知っているんだ」
「?」

 吾郎は、フロントガラスから曇り空を見上げた。まもなく日没の時刻だが、夕焼けも月や星も見えない。

「本当に世界を救うことができるのが、どんな者なのかを」
「それは、前に話していた爾落人の友人ですか?」
「三重に来た時に話したっけ? うん、親友だ。瀬上君も、きっと「G」に関わっていれば会うことがあるさ」
「………。そろそろですね。もう一度周辺を見てきます」

 薄すら暗い車内で吾郎は笑みを浮かべた。次第に影が濃くなるその顔を見た瀬上は、何ひとつ返す言葉が浮ばず、逃げるように車から出て行った。
 車から離れた瀬上は、腕時計を確認する。
 予定通りの時間であった。

「よし、ショーの時間だ」

 僅かな時間ですっかり暗くなった園内でニヤリと笑った瀬上は、闇にその姿を消した。
 瀬上浩介のもう一つの顔、「G」ハンターが聖夜に光臨した。





 

 瀬上が吾郎と三重県警の刑事部長室で初めて顔を合わせた時の印象は、大したことのない小物というものであった。
 気の弱そうな相手の顔色を伺う様な眼差しと、肉体労働といえる刑事職には不釣合いな痩せた肢体は、いじめられっ子のガリ勉を連想させた。
 それが故に、俗にキャリア組と呼ばれる幹部候補の警察官僚だと瀬上は思ったが、実際はノンキャリアの地方公務員であった。
 それを知った瀬上は吾郎に対して、一種の同情を感じた。警察組織では現場捜査員としての体力は当然のこと、陰湿とも感じられるほどの執念と聡明さが求められる。
 長い歳月を生きた爾落人の瀬上はよりシビアで卑劣かつ陰湿な人の姿を知っていた。中世時代の戦争に比べれば、現代日本の犯罪や警察の組織捜査など子ども遊びだ。
 吾郎はまさにその遊びから抜け出せない甘く幼さから脱却できない典型的な日本人と思えた。
 少なくとも、出合った当初の瀬上には。

「赤外線センサーか。バカの一つ覚えだな」

 美術館内に堂々と正面から入り、目当ての物が置かれた展示室に入ると思わず声を上げてしまった。光を歪めて他者から完全にその姿を消しているとは言え、瀬上としては迂闊であった。
 これまでの経験で赤外線センサーが「G」ハンターに効果がないことは、捜査陣もわかっている。捜査員として現場に立つ瀬上自身がそれをあえて指摘した事すらある。
 しかし、この目の前の光景はそれを活かせない日本警察の弱点を明示していた。
 周囲に立つ警官達は「G」ハンターが目の前に立っていることに気づいていない。

「………10、9、8,7」

 瀬上が小声でカウントダウンを始めた。警官達も呟いている。
 誰も気づいていない。

「……3、2、1、スタート!」

 最後の掛け声は天井に向かって叫んだ。声が反響すると同時に、館内の照明を消した。
 警官達はざわめく。「G」ハンターがすでに室内にいるとわかっていても、その場所がわからない。まずは定石だ。
 慣れた動きで、瀬上は目当てのショーケースに手を伸ばす。赤外線センサーも電子錠も彼の前には無いも同然だ。
 今宵の獲物は、中国から運ばれて特別展示中の宋時代の土人形で、「G」である可能性の高い物だ。

「まずは第一ステージクリア」

 土人形を手に取った瀬上が声を上げると、警官達は展示品が忽然と消えたことに気づき、拳銃を抜く。そういえば、発砲許可が下りていた。

「物騒だな、日本警察!」

 声を頼りに警官達が銃口を向ける。
 しかし、恐れることでもない。

「ガキ共には過ぎたオモチャだぜ」

 瀬上は語気を強めた。
 刹那、警官達は一斉に倒れた。
 勿論、気迫で倒したのではない。声と共に、スタンガン程度の電気ショックを放ったのだ。この場にいる捜査員達の身体情報はすでに確認している。この程度なら、5分程度で意識が戻る。
 気絶した彼らを踏まないように気を使いながらも、瀬上は悠々と展示室を後にした。



 

 

 館外に出た瀬上の顔に冷たいものが当たった。雪だ。
 足元を見ると、薄っすらと雪が積もっている。

「面倒だなっと!」

 足跡を残すなどという愚行はしない。周囲に積もった雪を電子レンジの要領で蒸発させ、逃げた方向をわからなくさせると、瀬上は茂みの中へと入り、吾郎の待つ車へと向かう。
 土人形の姿は消し、そのまま車に入れてしまえば、犯行完了だ。
 瀬上は如何にも慌てた様子で車へ走る。

「五井さん! 「G」ハンターが現れた様です!」

 車へ駆け寄り、ドアノブに手を触れた瞬間、瀬上の全身に激痛が走った。

「ぐっ! なんだ、これは?」

 慌てて手を離し、ドアノブを確認すると、見慣れない護符が貼られていた。

「「G」封じの方陣を描いた護符だよ」
「五井さん!」

 吾郎が車から降りて、痛みが残る手を庇う瀬上に言った。
 吾郎は淡々とした口調で、瀬上に語りかけた。

「まさかとは思ったけど、本当に君が爾落人だったとはね。能力者ではないだろう? 瀬上君の目は、相当な数の修羅場を経験しているから」
「……何を言っても通じない、よな?」

 瀬上が溜め息混じりに言うと、吾郎は苦笑して頷いた。

「その手に持っているものは証拠以外のなにものでもないからね」
「あっ」

 右手に持っていた土人形は、すっかりその姿を露わにしていた。護符の力で光学迷彩が解けてしまっていたのだ。

「「G」ハンターから取り返した、っていうにはちょっと無理があるかな」
「だろうな。やっぱりあんたは只者じゃねぇよ、五井さん」
「ありがとう。でも、大したことじゃないよ。どんなにアリバイやトリックを工作しても、タネが分かればそう難しいものじゃないから」
「そいつがすごいんだがね。……一応、お聞きしますが、俺の能力は何と考えていますか?」

 瀬上が苦笑混じりに聞くと、吾郎は穏やかな表情を浮かべて上着のポケットから折りたたんだ数枚の紙を広げ、薄く湯気の立つ車のボンネットに並べた。

「電磁波の影響に、光の特徴、リニアモーターカーの原理……。大衆向けの科学雑誌から得た情報だけで核心を突いたんですか?」
「つまり、正解だね?」
「あぁ。電磁って俺は呼んでます」
「電磁の爾落人か。……それで、「G」ハンターになったのは、やっぱり7年前の事件が原因かい?」
「直接的なきっかけはあの事件ですね。ただ、思えば600年前の百年戦争から考え始めていたのかもしれない。表立った歴史には残っていませんが、あの戦争には多くの「G」や「G」の力を持つ爾落人が関わり、沢山の人が死にました。俺も、あの戦争の中で多くの兵士を殺した。しかし、「G」に関わる者や戦いに関わる者は少なからず死ぬ覚悟はできていたが、一番苦しんだのは何の罪も無い人々だった。戦争そのものを防ぐ術は俺にはないが、無関係な人々が被害に遭うのだけは防ぎたいと考えるようになった」
「それが、警察官になった理由なんだね?」
「えぇ。しかし、あの事件で……」

 瀬上は無意識に拳を握り締めていた。
 深く息を吐き、吾郎の目を見た。

「あの一件で、ただの人間が何も知らずに「G」に触れることの危険性に気づいた。そして、人間に害を成す「G」を人間から遠ざける為に、「G」ハンターになった」
「実際に盗んだ美術品にそういった「G」はあったの?」
「多くはありませんがありましたよ。あの時の「G」に似たものもありました」
「よかった。……もう一つ聞きたいんだけど、「G」ハンターに終着点はあるの?」
「可能なら全ての危険な「G」を始末したいところですが、難しいでしょうね。ただ、探している「G」があるんです」
「探している「G」?」
「全ての存在に死を招く「G」が存在しているらしいんです。せめて、それだけでもと考えています。まぁ、それまで見逃してくれって言っても聞いちゃくれませんよね?」

 瀬上は嘆息しつつ、右手の土人形を見た。

「……そうか。わかった」
「え?」

 吾郎が発した言葉に瀬上は驚いて顔を上げた。

「わかったって、どういう意味ですか?」
「言葉のままだよ。見逃す」
「………」

 瀬上は吾郎をじっと睨みつける。相手の真意を探る。
 しかし、吾郎の目に瀬上を脅すなどの欲を感じられない。

「ただし、条件が二つある。危険な「G」でなければ、盗んだものはリスクを犯しても、元通りに戻す。それと目的を達したら、足を洗う。これを守れなければ、僕は君を捕まえる」
「そんな条件、俺が守るとは限らないし、俺が五井さんのことを話したらあなたも共犯だぜ?」
「瀬上君はそんなことをする人間じゃない。それから、もしも欲に負けて、ただの泥棒に成り下がったら、僕は捕まえるまで追うよ。どこまでも、地の果てまで」
「………」
「………」

 しばらく、二人は睨み合う。両者の体に雪が積もる。
 先に沈黙を破ったのは瀬上であった。

「……はぁ。やっぱり五井さんには勝てないな。捜査に対する執念深さは今も健在ですね」
「別に。僕はただ自分の仕事をしているだけだよ」
「犯人を見逃そうとしている人の台詞とは思えませんが、納得できますよ。……これは後で戻しておきます。どうやら「G」ではないらしい」
「宜しくお願いします」

 頭を深々と下げた吾郎に瀬上はゆっくりと深呼吸した。
 瀬上がこれまでの人生で出合った者は沢山いるが、彼の様な人間は稀であった。

「それは俺の台詞ですよ、五井さん」

 


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「……お前らの親父は凄い人だった」
「え?」

 グラウンドから闇に包まれた森をじっと見つめたまま瀬上がおもむろに言った。
 隣で真スーツレベル3を装着した蒲生凱吾が顔を向けた。
 数分前に月ノ民からの宣戦布告を受け、旅団のマタンゴと思われる多数の敵が既に彼らのいる旧J.G.R.C.開発部に迫っていた。
 瀬上と凱吾はMOGERAの格納されている倉庫前のグラウンドから周囲の様子を窺っていた。

「五井さんは、俺にとって数少ない信頼できる人間だった」
「犯罪者と刑事の友情か」
「そういうな。ま、この戦いが終わったら話してやるよ。あの人の捜査への執念と、本当の強さってのを持つ男の話をよ」
「ほぅ! 楽しみにしてるぜ。……なら、話すまで死ぬんじゃねぇぞ?」
「誰に言ってやがる……レギオォーン!」

 瀬上はニヤリと笑い、続けて右手を高く掲げ叫んだ。
 天空からマザーレギオンが飛来し、地響きと共に彼らの後ろに着地した。
 凱吾も身構える。
 森の奥から男とも女ともわからない呻き声が聞こえてきた。

「……来た! くらえぇ!」

 森の中からキノコ怪人マタンゴが次々に飛び出してきた。瀬上は声を張り上げ、電撃をマタンゴに浴びせる。

「うおぉぉぉっ!」

 呻き声を上げて倒れる巨大なキノコ。倒れると同時にカサから大量の胞子が舞い上がる。

「大・切・断っ!」

 高く飛び上がった凱吾は手刀をマタンゴに振り落とし、真っ二つに切断する。血しぶきの代わりに胞子が噴き出した。

「……なんだ、これは?」
「胞子だろ、キノコなんだから! 何があるかわからない、吸うんじゃねぇぞ!」
「それは生身のお前だ……ろっ!」

 マタンゴを切り裂き、凱吾が言い放つ。
 しかし、胞子は倒したマタンゴからだけではなく、森の中に潜むマタンゴ達からも放たれているらしい。胞子は霧のように森を含めた周囲に広がっていた。

「視界が悪いな……瀬上、大丈夫か!」

 しかし、返事は返ってこない。

「こんなあっさりやられるとは思えねぇし、この霧の影響か?」
「うおぉぉぉぉ!」
「ちっ!」

 霧の中からマタンゴは次々に襲い掛かってくる。片っ端から倒すものの、全く状況が分からない。

「うおぉぉぉぉ!」
「またかっ! ……えっ?」

 襲い掛かってきたマタンゴを切り裂こうとした凱吾の手が止まる。
 相手は、極東コロニーで世話になった整備長であった。しかも、その姿はキノコ怪人ではなく、人間の姿だ。

「凱吾、殺す気か?」
「そ、それは……」

 凱吾は動揺し、後ろに下がる。
 整備長は凱吾に歩み寄る。更に、整備長の後ろから凱吾を治療した医術師も姿を現した。

「凱吾君、やめるんだ。我々はまだ人間だ!」
「先生まで……」
「我々だけじゃない、ここにいるのはコロニーの仲間達だ」
「だが、あなた達はもうマタンゴに……っ!」

 後退りする凱吾の足に先程切り裂いたマタンゴの死骸が当たった。それに目を向けた凱吾は思わず息を呑んだ。
 倒した時は完全なキノコ怪人であったはずのマタンゴが、今はコロニーの農業について説明をしてくれた農夫となっていた。真っ二つに切断されて血溜りの中に倒れた姿で。

「嘘だ……俺が、殺した?」
「我々を殺さないでくれ」
「凱吾君」
「凱吾」

 次々と凱吾の周りに極東コロニーの人間達が集り、彼を囲って名前を呼ぶ。

「凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾凱吾………」
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 凱吾はその場に蹲り、その上に人々が覆い被さっていく。
 彼らに揉みくちゃにされていき、次第に凱吾の意識は遠退いていった。
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