本編

1


 晴天の下、庭園に一人の女性が立っていた。眺望の豊かな円形の庭園で、そのへりには時間の経過と共に順に花を咲かせる花壇があり、円の中央をのびる純白の石畳で分けられた翡翠の如く青い芝生が広がる。彼女はその中心に立ち、海を越えた遠方の地にある天高く聳える塔を眺めていた。

「海や草木の香りは同じなのね」

 彼女は風に乗って届く周囲の香りに言葉をもらした。
 塔は霞んでその詳細を見ることはできないが、針の様な細いシルエットはそれが人工物であることを物語る。
 塔の下は海と山が広がり、そこに何があるのかは全くわからない。それほどに離れているのだ。

「……誰?」

 背後から足音が近付いてきたことに気づいた彼女は塔を眺めたまま問いかけた。

「貴女の同じ存在……と申せば宜しいかな?」

 低い男の声であった。

「神官かしら?」
「察しの通りで。では、この空中庭園は例え貴女ほどの存在であっても、国の高官以上の者以外は立ち入りを禁じている……というのはご存知かな?」

 すると、彼女は振り返った。黄色の肌をした黒髪の女性であった。対して、男は勇ましくも荒々しい印象を与える髭を携え、左右の瞳の色が違う白い肌をしていた。

「いいえ。つい今しがたこの地に来たばかりなので」
「ならば、相応の身になるまでは二度とこの庭園には来ないで頂こう」
「……残念だけど、あなたの言葉に私は拘束されないわ。神の真理を言葉によって示すことを許された神官、ジェフティさん」

 途端に男は酷く動揺した。彼にとってその言葉が他の理に干渉できることが絶対の真理であったが、それを覆されたばかりか、自らの正体までも言い当てられた。思わず一歩後退りする。

「! ……やはり我と同じ神の化身たる力を宿す者か? なんだ?」
「次元を……いえ、時と場を司る時空の力を持っております」

 彼女は涼しげな笑みを浮かべ、ジェフティに歩み寄りながら答えた。
 刹那、彼らが今まで聞こえていた風の音や潮の香りが失せた。

「感じるでしょう? これが、私の力です」
「庭園を外界と隔てたのか?」
「ご明察。……これだけじゃないわ。時の流れも」

 彼女はゆっくりと手を伸ばし、体を回した。彼女の指の先にある花々が咲いていく。

「自在というわけか? 名は?」
「マァト……マイトレヤと申しましょう」
「我を知っているということは、いつか再び出会う訳だな? かつての貴女に」
「それは肯定も否定もできますわ。ただ、はっきりと今の私から申せることは、この世界の末の為に、この時代に来たということ」
「マイトレヤと言ったな? それは我が過去とも関わりのあることか?」

 ジェフティの問いにマイトレヤは微笑を浮かべ、視線を塔に向けた。

「時は全てを知っていますわ。あなたがジェフティとなる以前の業も、この先に起こる全ての業も」
「ならば、何をするつもりだ?」

 マイトレヤは彼を一瞥して言った。

「この国、アトランティス帝国はまもなく滅びます。それぞれ別の思惑を持った二人の人物と、私によって」


 

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 連絡を受けた蒲生吾郎が病院の夜間通用口前でタクシーから飛び出したのは、梅雨入り前とは思えぬ大雨の夜であった。
 ドアが開かれる時間も惜しくて、停車前に一万円札を運転手に押し付け、車内から飛び出した。釣りを断ったかも覚えていない。
 しかしながら、窓を打ちつける雨音と雷鳴、そして薄暗い廊下に響く自身が走る足音。処置室前の長椅子で顔を両手でおおいながら泣く義母と寄り添う義父の姿、赤く点る処置中の文字は鮮明に記憶していた。
 その間、義父母とどのような会話を交わしたのか、何を思い、何を考えていたのか、全く思い出せない。
 どれほどの時間を過ごしたのだろうか。わずかな時間であったのかもしれないし、数時間に及ぶ大手術となったのかもしれないが、吾郎にとってその過程はただ生き地獄でしかなかった。
 彼にとって審判の時は、地獄の終わりであった。
 何を告げられるのかは二の次だった。既に考えられるあらゆる可能性を胸に刻んでいた。少なくとも、地獄で彼に与えられていたことはそれだけであった。
 薄緑色をした冥界の使者は彼らに告げた。

「母体は一命を取り留めました」

 地獄から解放された。
 同時にしばし忘れていた五感を思い出し、自身が生きていることを少し激しさの和らいだ雨音と医師から漂う消毒薬の臭いが教えてくれた。
 視界が広がり、気づくと隣で義母は喜びと悲しみに狂い、義父にしがみついて泣いていた。
 流れた胎児は32週目の女と後に聞かされた。




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 空が明らみ薄くなった二つの月を見上げる蛾雷夜にタマミが近付いてきた。
 周囲は木々が深く茂った樹海であり、彼らが立つ「旅団」の島の背後にはやや形の崩れた富士山が紫色に染まっていた。

「富士か……久しく見ない間に随分とみすぼらしくなったものだ」
「あの山が、古来から日本の象徴として名の挙がる富士なのですか?」
「あぁ。日本という国が滅び、この地が異界となって久しいが、あの山は崩壊しようとも今もここにある。まるで己自身を見ているようだな」
「団長?」
「我は望まずもこの星に生きる者にとって神であったが、今では我もあの山と同じ、崇める者を失ったただの人だ」
「……まもなく、マタンゴ達が奴らのところへ到着します」

 タマミが告げると蛾雷夜は頷き、彼女の肩を叩いた。

「ご苦労、幻惑の爾落人」
「! ……団長、これは?」

 タマミの肩は瞬時に砕け散り、彼女は膝を突いて倒れ、蛾雷夜を恨めしく見上げた。
 それを蛾雷夜は見下ろす。

「複製の力の一部だ。分解といったところか。……お前が生きていると不都合が多いのだ」
「それも、あの和夜という爾落人の意思ですか?」
「………」
「あの約束は? 嘘ですか?」
「いいや。カブトも、お前も再び作り出す。ただし、我に忠実な駒であるが」
「団長、あなたに……幻惑が通じないのか、今わかりました。……あなたは私の力では到底塗り替えられぬほどの……幻惑に取り付かれている!」

 蛾雷夜は黙って、タマミの頭部に右手を当てた。
 刹那、タマミの体は風と共に粉末となって消え去った。

「……幻惑か。当の昔から気づいておる」

 蛾雷夜は小声で呟くと、右手を太平洋側に向けた。
 そして、沼津近くにまで迫ったマタンゴ達に、タマミから複製した幻惑の力を使って命じた。

「マタンゴ共よ。お前たちは呪われている。だが、あまねく全ての者が同じマタンゴであれば、それも気にはならない。さぁ、自らと異なるもの達を殺すがいい!」

 手を下ろした蛾雷夜は再び二つの月を見上げ、それに向かって言った。

「椅子を明け渡したのだ。我やマタンゴの様な醜い神になるのではないぞ」




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 紀元前5世紀半ば頃、かつて文明も自然も消滅した地に小さな釈迦という国に一人の王子が誕生した。
 当時、既成のバラモン教が衰退し、彼の国の周囲で争いが絶えず続いていた。ただの人として生まれた王子にはこの世にある生死の営みに潜む無常を日常的に感じていた。
 そんな三十路を前にしたある日、王子は城の東門から出る時に老人に会った。続いて、南門より出る時は病人に会い、西門を出る時は死者に会い、生ある故に老も病も死もあると無常を感じた。
 そして、北門から出た時に一人の僧侶に出会った。僧侶は、王子を見て恭しく頭を下げた。

「仏陀様」
「仏陀? 私が悟りを開くというのか?」
「さようです。目覚める者よ」
「そなたには視えると申すのか?」
「さようです。貴方様は母の右脇より生まれおちた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と仰いました。無常を感じるのもまた、貴方様の天命が故です」
「その噂は民が私の生誕を喜んだことで生まれたものだろう?」
「いいえ。拙僧は見ました。貴方様の誕生を」
「それはまことか?」
「まことでございます。貴方様の真名は、ゴゥダヴァ……。佛となる者です」
「……。そなたの名は?」
「蛾雷夜とお呼びください」

 僧侶の姿をした蛾雷夜は顔を上げ、王子の顔を見た。そして、言葉を続けた。


 僧侶の姿をした蛾雷夜は顔を上げ、王子の顔を見た。そして、言葉を続けた。

「貴方様は心残りがおありであります。しかし、それもまもなくのことです。お妃様の胎内に居られる子のことでありましょう」

 蛾雷夜の言葉に王子の顔色が変わった。
 彼の妻は身ごもっていたのだ。
 しかし、通常の妊娠ではない。6年もの間、胎児は母の中に宿り続けていた。

「子が生まれるというのか?」
「さようでございます。まもなく、次の月食の晩です」
「わかった。ならば、その言葉が誠となれば、私は出家しよう」
「ご意思のままに」

 そのまま、蛾雷夜は王子のもとから去った。
 そして、次の月食の晩、王子の妻は子を産み、それからまもない12月8日の晩、彼は王宮を抜け出し、出家を果たした。
 すべては蛾雷夜と人を「神」の段階へ昇華さそうと志す者達による計略であった。彼らは、自らを組織と呼称し、蛾雷夜の事実上配下として動いていた。
 人類の文明において、もっとも権力や支配をするものが宗教であると考える組織にとって必要なものは、神格化しえる人物の登場であった。それを蛾雷夜は複製の力によって用意した。
 それが、ガウタマ・シッダールタ王子、釈迦牟尼と呼ばれ、後に仏陀となる男である。
 妻の妊娠は、彼らの想定外であったが、蛾雷夜にはそれが想像妊娠であると見抜いていた。彼はそこに本当の胎児を宿らせただけであった。
 かくして、数十年後、王子は悟りを開き、神格化するにたる人物となった。
 しかし、彼の説いた教えは組織の思惑に大きく反してしまった。彼は崇拝や信仰による苦悩からの脱却ではなく、執着を捨てることが苦悩からの脱却と説き、超常的な事柄ではなく、万人が実践するとよい人生問題における実際的な解決を示したのだ。
 組織が彼の人生そのものに必要以上の干渉をしなかったことで、彼の持つカリスマ性が開花し、蛾雷夜達の制御できぬ思想家へと成長してしまったのだ。
 彼らは次の時代を待つことを余儀なくされた。




 
 

 約400年後、蛾雷夜は再び動き出した。新たな「神」になる人物を必要とする時代が巡ってきたのだ。
 釈迦の時とは違った。彼は悟りを開き、結果的には組織によって神格化することに至ったが、生前の彼は蛾雷夜の思惑の通りに動くことはなかった。
 人を「神」とさせるのではなく、神の子を作り、その上に「神」の存在を生み出そうとしたのだ。即ち、彼は再び自らを「神」にする道を選択した。
 蛾雷夜は当時、組織に関わるヨセフというユダヤ人大工の婚約者、マリアに目をつけた。彼女は西洋で神聖視される清い体であった。
 自らを聖霊と名乗り、マリアの胎内に男児を宿させた。同時に、組織による根回しを進めた。馬小屋で男児、イエスズが誕生した。
 しかし、その思惑は組織と対立する勢力、機関に悟られた。彼らは東方の三賢者と名乗り、当時のユダヤの支配者であるヘロデ大王に「新しいユダヤ人の王」の話を告げ、大王は自らの地位を脅かされると恐れ、全ての男児を殺害するように命じ、実行された。
 この事態を察知するのが組織は遅かった。既に、一家のいるベツレヘム村へ兵が向かっていた。村は寒村で、男児は僅かな人数しかいない為、イエスズもすぐに殺害されてしまうと思われた。
 しかし、彼らが到着した時、村は平穏な様相をしていた。蛾雷夜がユダヤ人を装い、村人に事情を聞くと、小さな宿屋を営む男が答えた。

「ヘロデ大王の差し向けた兵なら帰ったべ」
「どういうことだ?」
「そんことだが、おいらだってよくわからんだ。兵が村の二歳以下の男児さ皆殺しにすっと言い出してな。おいらも息子が生まれたばっかでそりゃ恐ろしかったども、兵は帰っていっただ」
「何?」
「ま、旅のお方のお陰だべ」
「旅の?」
「んだ。うちさ宿に泊まってた旅の方で、お供はそりゃ大層な美女だったんだべが。そういう方が付き人になるのも納得だべ、主の方が素晴らしい方でな。兵達が大王様の命令だとお触れ書きを翳して、村の男児を殺すっとそこの広場で言ってると、宿からふらっと出てきたんだべ。んで、兵達の前に歩いていって、一言だ。たった一言、『赤子を殺するな!』と言ったんだ。そしたら、兵達はそそくさと帰っていきなさった。旅のお方は、おいらや大工のヨセフ達、男児のいる親に逃げるならば、エジプトに匿ってくれるところがあるから案内すると言って、従者の女がヨセフ一家を連れてエジプトに行ったんだべ」
「……その旅人の名は?」
「そんが、素晴らしいお方で、名乗れる名前は無いと言って、村を去っちまっただ」
「……ジェフティ」

 蛾雷夜は、すぐさま組織の者をエジプトへと走らせた。
 その数日後、都市計画で偉業を残す一方でユダヤ教徒の多くから恨まれたヘロデ大王が死亡し、幼児虐殺の命令も無くなったという連絡が蛾雷夜達の元に届いた。



 

 

 エジプト以降、旅人やガラテアの気配は消え、再びイエスズは組織の思惑の上で聖人の道を歩んでいた。
 全ては順調に進行していた。当人が自称せずとも、多くの民が彼を慕った。
 しかし、組織は再び機関から大規模な工作が行われるであろうと警戒した。
 そして、それは現実のものとなるのであった。後の世にいう、受難である。
 ある晩、一人の男がローマ政府の神殿に現れた。神殿には、政府の人間、ヘロデ大王の息子であるヘロデ・アンティパス、ユダヤ教のファリサイ派などの司祭達が顔を並べていた。

「貴殿か。我々を集めたというのは」

 ヘロデが男に言った。

「さよう。今宵、集って頂いたのは他でもない。イエスズという男のことだ」

 彼の言葉にヘロデの眉が上がった。

「勘違いなさらぬように。ここに集ったものは、多少なりあの男を快く思っていない者たちだ。無論、私もその一人だ」

 驚くヘロデが、他の者たちを見る。一堂が頷いてみせる。

「……なるほど。我以外は皆貴殿の仲間ということか。父に囁いたという三人の賢者も貴殿の仲間か?」
「正しくは、私の部下達と申すべきだな」
「……貴殿、名を何と申す?」
「ヘッド。そう呼んで頂こう。貴殿は悔しいのだろう? 王と名乗ることを許されず、大工の息子が貴殿の民達の心を掴んでいることを」

 ヘロデはヘッドと彼の部下達を見回して聞いた。

「貴殿達には、何か策があるのだな?」
「それには貴殿の協力が必要だがな」
「何を企てている?」
「イエスズには当人すらも気づいていない者達がついている。その者達の思惑によって彼は神の子、メシアへと仕立て上げられている。我々はそれを利用する」
「つまりは?」
「イエスズにユダヤの王を名乗り、自らを神の子、メシアを自称した罪を科し、磔にする。つまりは、冤罪で処刑する」

 それを聞いたヘロデは一度驚きの表情を浮かべたが、すぐにそれは狂喜の笑みに変わった。
 神殿に彼らの笑い声が響いた数日後、イエスズを捕らえよと命令が各国に広まった。
 そして、イエスズは自ら名乗りでて、十字架を背負い、その命の火を消した。



 

 

 イエスズの死から三日後、彼を偲ぶ弟子達が墓を見つめていた。
 その中の一人が口を開いた。深くかぶったローブで顔を隠した声の高い青年であった。

「主殿は死んでおりません」
「しかし、主は天に召した。お前が三日間それを主張しようとも、その事実は変わらん」

 弟子の一人が彼に言った。

「……見た事実が真理とは限らんぞ?」
「何?」

 弟子が青年を睨むと、彼はすくりと指でイエスズの墓を指し示した。

「!」

 彼はその眼を疑った。墓に盛られた土が動いていた。
 そして、ついに土は周囲に飛び散り、墓に大きな穴が開いた。

「そんな、バカな……」

 驚く弟子とは裏腹に青年は真っ直ぐ墓に向かって歩いて行った。
 青年は墓穴の前で頭を垂れた。
 ゆっくりと墓穴からイエスズが出てきた。青年はイエスズに言った。

「ご苦労様です、主殿」
「何、容易いことだ。それよりも、首尾よく事は進んだか?」
「無事に彼は、妻と共に。後は、主殿と入れ替わるだけです」
「ご苦労。……くっ、久しぶりの再生は体に響くな?」

 彼は首を回しながら言った。
 青年は微笑んで答えた。

「仕方がありません。彼此、1300年ぶりの再生ですから」
「有無。次は肉体自体を変化させたいところだな? 中年の体には辛いものがある。……まぁ余談は後にしよう。ガラテア、イエスズのところへ案内してくれ」
「はい」

 そのまま、彼らは姿を消し、数時間後、イエスズは人々の前に姿を現した。
 旅人にとっても、蛾雷夜にとっても、それが間接的とはいえアトランティス滅亡以来の協力であった。



 

 

 イエスズの復活から数世紀後、蛾雷夜は日本の地にいた。
 組織と旅人により、イエスズは人々の中で「神」とすることに成功した。
 更に、ガラテアの影響を受けたイエスズは変化の力を僅かながらも引継ぎ、自らの触れている間だけは物質を変化させる触変の能力者となり、水をワインに変えたり、水の上を歩いたりと多くの奇跡を起こした。
 しかし、イエスズを「神」とさせても、それは蛾雷夜の本当の目的を達する為の布石に過ぎなかった。彼の目的は、あくまでも本当の「神」の復活であった。
 それでも、キリスト教の誕生は組織に影響力の及ぶ場所を与え、政府への影響力を広める機関への牽制に大きな貢献をしている。蛾雷夜は、兼ねてから用意していた複製人間を組織の代表者に置き、自らは西洋から退いた。
 日本を訪れた目的は三つあった。まず、アトランティス人の末裔がこの地にいること。次に、四神を封印したアトランティスに継ぐ地球の「G」のメッカであること。そして、旅人が東洋へと移動したことであった。彼は日本を第二のアトランティスとしようと考えたのだ。
 蛾雷夜が腰を下ろした場所は、当時日本最大の力を持つ大和国と隣接する熊襲国であった。

「ヤマトタケルが我が国討伐に動いている」

 ある日、クマソタケルが蛾雷夜の元へ訪れた。
 蛾雷夜は、熊襲国で祈祷師を勤めていた。「G」の力を持つ存在を見つけるには都合のよい場所であった。
 更に、敵国の大和国の情報も内部以上に詳細に得られた。かつての大和国は今以上に広大な領地を持つ邪馬台国であったという。そして、当時の女王は神を使役していたという。
 蛾雷夜はその神についての話から、その正体が四神の白虎であると見抜いていた。
 クマソタケルは女王と同じ素質を持つ血を引き継いでいた。目の前の大男を見上げ、蛾雷夜は笑みを浮かべた。

「主よ、猛将ヤマトタケルも所詮は人の子だ。恐れもあれば、死もある」
「妙案があるのか?」
「さよう。主よ、お前は神となりたいか?」
「神、だと?」
「熊襲の神になれるとすれば、お前はなるか?」
「無論だ。俺はこの国の戦神だからな」
「心得た。ならば、大いなる力をくれてやる!」
「!」

 蛾雷夜は、クマソタケルの胸に右手を押し付けた。右手から彼の全身に力を注ぎ込んだ。
 彼の血管は赤く熱を帯びて浮き上がり、蛾雷夜から離れて呻き声を上げた。

「ぐはっ! 貴様、何を?」
「お前の望みを叶えた。他の命も力も奪い去る吸収の力だ」

 そして、蛾雷夜はそのまま倒れたクマソタケルを残し、自らの姿を消した。
 その後、クマソタケルは起き上がり、蛾雷夜を探すがその姿は見えず、憤りながら屋敷に戻った。
 翌日、クマソタケルは異変に気づかず、宴をはじめた。
 そして、踊り子に扮したヤマトタケルによって殺された。
 死体が転がる宴会場に姿を現した蛾雷夜はクマソタケルの死体を見下ろした。
「愚かな。折角力を与えたのに、その力を使えず無残に死ぬとは」

「………死んでいない! 貴様、我に何をしたぁ!」

 蛾雷夜の目の前でクマソタケルの肌はどす黒く染まり、血管が浮き上がり、衣服は破れ、頭髪は抜け落ち、見るも恐ろしい鬼へと変容した。

「失敗か。……せめてもの情けだ。その心まで化け物に成り下がる前に」

 蛾雷夜が手を鬼神となったクマソタケルに触れようとするが、彼は口を開き、周囲に倒れていた死にかけの兵士達が次々に絶える。

「悪あがきを!」

 蛾雷夜は容赦なくクマソタケルの胸に右手を押し当て、その体を瞬間的に分解した。
 塵となったクマソタケルに背を向けて蛾雷夜は宴会場を後にした。
 外に出ると、周囲には死体と炎を上げる家屋が広がっていた。血と煙の濃い臭いに鼻を覆いつつ蛾雷夜は歩き、そしてクマソタケルの姿を思い出し、繰り返し呟いた。

「やはり、複製では駄目なのか……。複製では、「神」をつくれんのか……。複製では………」

 彼の背後では大和勢が勝利の狼煙を上げていた。
 その一方で、蛾雷夜は複製の力への憎悪と、複製ではない唯一のモノへの執着が肥大化していた。
 そして、歳月は流れ、2010年に「G」が歴史の表舞台へと現れた。
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