本編

13
 

 同時刻、静岡県J.G.R.C. 沼津支社1号館開発部事務室。

「どうしてちゃんと見張っていなかったの!」

 事務所に元紀の声が響いた。
 彼女の前には、研究部と開発部の職員、そして警備員が立っていた。
 元紀の後ろに立っていた銀河と八重樫が彼女をなだめる。

「元紀、少し落ち着くんだ。相手は関口さんだぞ? ここの内部構造も熟知している上に、あらゆる工作をされていたら、彼らにも防ぎようがないだろ?」

 銀河の力で、少し冷静さを取り戻した元紀は深く息を吐くと、机に両手をついてうなだれた。

「……やっぱり先輩を泳がせたのは失敗だったわね」
「いや、そこに責はない。確かに、蒲生さんの残した資料で関口亮が黒となっていたが、具体的に彼の行ったことは証拠もなく、罪にも問えるものはない。拘束することもできない。泳がすしかなかった」
「八重樫さんの言う通りだろ? 関口さんが麻美氏の共犯だってことをとっても、それはいずれ俺達も同じことをするんだろ? 結局、それを罪として問うことはできないなら、関口さんへ重要な情報を流さないように対策をして泳がす以外にないだろう?」
「そうね。……五月を生み出すのも、MOGERAを作るのも、先輩以外には不可能なんだものね。……だけど、だからといって、先輩が五月の写し見と凱吾を連れ去っていいということにはならないわ! 八重樫さん、警察は何をしてるの? 誘拐よ!」

 元紀は八重樫に言い放った。

「俺はもう警察でない。それから、その関口が一筋縄でいかない男だということは承知しているだろう? うちの警備会社をここの警備に当てていたことも、自分そっくりの顔をつけたロボットを使って尾行を撒いたことも、防犯カメラのひとつにわざわざ息子と二人連れ立って歩いている映像を記録させていたことも……恐らく、彼の計画のうちだ。確固たる誘拐の証拠を作らず、あくまで凱吾の意思で共に逃走したことにしている」
「わかっているわよ。……Gnosisはどうしたの? これは彼らの失態でしょ?」
「浦園さんから連絡を貰ったけど、どうやら政治家と官僚達から昔の話を蒸し返されて身動きがとれない状態になってるらしいぞ? 都合よくこんなタイミングでな?」
「先輩の仕業でしょ! どうせ静岡県警が動かないのも何か仕込んであるのよ! こんなメモを図々しく残しといて!」

 元紀は関口の机に残されていたメモを懐から取り出して言った。
 メモには、『蒲生、しばらく留守する。ここの事は任せたノシ 関口』と書かれていた。
 メモを手に取った銀河は、深く溜め息をついて呟いた。

「……嫌な予感しかしねぇな? 関口さんは本当に敵に回したくねぇ」





 

「……着いたぞ」

 車の運転席から関口さんが後部座席にいる俺に振り返って告げた。
 既に日付は変わっており、高速道路を降りて以降は街灯も少ない田舎道を進んでいた。大雑把な場所はわかるが、正確な現在位置は全く見当がつかない。30分ほど前から道も舗装されているのかわからないような田舎道で、ここから少し手前に錆びて朽ちかけた鉄格子の門があった。
 つまり、ここは目的地の敷地内なのだろう。
 しかし、窓の外は長くひたすら闇に包まれた雑木林とも森ともつかない景色であり、車の前方に唯一の人工物が見える。薄暗いが、そのシルエットはそれを見た誰も者が何かの研究施設であろうと連想する。そんなコンクリートの建築物があった。
 月下に怪しく浮ぶ四角いシルエットの箱。それが、目的地だった。

「何をしている。降りるぞ」

 助手席に座っていたナカムラ顧問が告げた。既に関口さんは車から降りていた。
 俺も、促されるまま車から降りた。肌に触れた湿った空気はひんやりとしていた。
 直に見ると、一段とその建物の不気味さが際立って感じられた。
 見上げると、建物の壁面には4つの窓が縦に並んでいた。4階建てらしい。

「行くぞ」

 関口さんが建物の一階部に埋め込まれた鉄扉の前に立って言った。その隣にはナカムラ顧問も立っている。
 俺は慌てて後を追った。
 鉄扉は滑りの悪い音を立てて開き、青い光が俺達に差し込んだ。
 中は外部からの印象とは裏腹に明るい。
 しばらく目を細めつつ、関口さん達に続いて中へと入っていた。

「病院……」

 思わず呟いた。病院だった。廊下に漂う消毒液の臭い、白い壁、緑色の床、それら要素は全て病院を連想させるものであった。

「当然だろ? ここは病院だ。……もっとも、医師会のどこにも所属していない上に、もともとは破棄された組織の研究施設だから、医療施設であるが正規の病院ではない」

 関口さんが廊下を進みながら言った。

「え!」

 俺が眉間に皺を寄せると、ナカムラ顧問が補足した。

「安心しろ。わしは医師免許を持っている。それにここの設備は、あの警察病院よりも遥かに優れている」
「………」

 それ以上は何も言わず、俺は黙って彼らの後に続いた。
 廊下の両側には複数の部屋があり、それぞれが処置室や手術室などと書かれていたが、一部には何も書かれていない部屋もあった。それらが何の部屋なのかを調べる気にもならず、俺はそのまま彼らと共に廊下の突き当たりにあるエレベーターに進んだ。

「4階に彼女はいる」

 ベッドも入れる程の広さがあるエレベーターに入ると、4階のボタンを押した関口さんが俺に言った。

 



 

「この部屋だ。……俺達はここで待っている」

 エレベーターを降りてすぐ手前にある部屋の前に立った関口さんが俺に言った。
 俺は頷き、扉をゆっくりと開いた。
 真っ先に俺の目に飛び込んできたのは、病室のベッドに寝る彼女の姿であった。彼女はやはり気怠そうに天井を見つめていた。

「姉貴……」

 俺は、もっとも慣れた呼び方で彼女に声をかけた。
 彼女はゆっくりと視線を俺に向けた。
 一瞬、驚いて目を見開いたが、すぐに元の虚ろな目に戻り、また天井に視線を向けて口を開いた。

「貴方の前から消えるつもりだったのに、こんな形でまた会うとはね。……あまり近づかない方がいいわ。一応、濃厚接触でも体液を介さない限り感染はしないみたいだけど、まだはっきりと正体も掴めていない奇病中の奇病だから」

 道中、関口さんからMM88についての話を聞いた。ウィルスよりも小さい病原体であり、蛾雷夜が彼女を作り出した段階で彼女の体内に宿らせた「G」だという。
 それは、彼女が姉の偽者だとわかった時点で、あらゆる検査を行い、最終的には視解の爾落人が彼女の正体と体内のMM88に気づき、血液や細胞などのあらゆる検査を行なったらしい。もっとも、結局は医療機関の検査ではMM88の特定はできず、母が関口さんに依頼して発見するに至ったのだという。
 それほどの厄介な「G」であるが、微細であるが故に、考えられる感染経路は体液感染のみだという。
 つまり、何を目的に蛾雷夜が仕込んだ、どのような「G」なのか、今も謎に包まれている存在こそ、MM88なのだという。

「だからどうした。「G」を恐れてどうする」

 俺は全てを敵に回してもお前を守る為に来たんだ。その体内の「G」に恐れてどうする。
 本当は、そう言いたかったが、それを飲み込んで俺は言い放った。
 彼女はゆっくりと視線をゆっくりと俺に向けた。今度はちゃんと俺の目を見つめている。
 やっと彼女は俺を見てくれた。
 そして、彼女はか細く微笑んで言った。

「またたくましくなったわね、凱吾は」
「姉貴が、……姉ちゃんが弱くなっただけだ」

 俺が下唇を噛みながら答えると、彼女はそんな俺の目をじっと見つめたまま頷いた。

「そうかもね。……でもね。一人で強くなっても、孤独になるだけよ。それは、貴方が一番よくわかっているはずよ?」
「……それでも、俺はこうすることでしか生きていけない。それに、姉貴は俺が救う」
「貴方でも、無理よ。例え「G」を素手で倒せたり、「G」の技術を使いこなせても、私の命を蝕むこの「G」から私を救うことなんて、できないわ」
「………」

 それでも、救う。何としても。
 しかし、その言葉を口にすることは、俺にできなかった。
 まだ、俺は強く成らねばならなかった。力は勿論、心も。そうでなければ、存在しないはずの、生そのものが不確かな彼女を守ることも、救うこともできない。
 しばらく無言が続き、やがて俺は何も彼女に告げずに廊下へと出た。

 


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「……本当に一瞬で本社だわ」

 元紀の第一声はそれだった。その後ろで口にこそ出さないが、共に転移された爾落人の銀河と八重樫も少なからず驚いている。
 翔子は驚くのも無理はないと思いつつも彼女達に言った。

「当然だ。それが私の力だからな」

 ここは、J.G.R.C.本社の社長室であり、連絡を受けた翔子が沼津にいた彼らを転移させたのだ。
 一方、椅子に腰をかける社長の斎藤和美は、脇に控えている榊原と警備会社の制服を身に纏った凌の二名に視線を向けた。
 二人は頷き、翔子に近づいた。

「彼らには、すでに事情を説明しています。北条さん、申し訳ありませんが二人を沼津へお願いします」

 斎藤が翔子に言った。

「わかった」

 翔子は頷き、次の瞬間、彼ら二人の姿が忽然と消えうせた。
 それを見送ると、斎藤は元紀に視線を戻した。

「蒲生部長、沼津は榊原課長とあのヒト「G」……警備員に任せれば大丈夫でしょう。やはり関口部長が凱吾君を?」
「どうやら間違いありません。といっても、二人が一緒にいるという以外、何一つわかっていませんが」
「こっちもわかったことがあるわ。ブラジルに帰国しているはずのナカムラ顧問が自宅にいた可能性が高いと、彼の仲間から」

 斎藤は銀河を一瞥して言った。すぐに銀河が聞いた。

「クーガーか?」
「えぇ。どうも関口部長は巧妙に追跡をできないようにしているみたいだけど、一度ナカムラ邸に凱吾君と共に訪れていたのが視えたそうです」
「なるほどな? 確かに、関口さんなら視解を防ぐ細工を車にすることができても不思議じゃないけど、ナカムラ顧問の家までは細工できなかった
わけだな?」
「恐らくは。それで、ナカムラ邸前で待機する彼らからの連絡で、八重樫さんでしたね? あなたにも追跡に回って欲しいと」
「わかった。そこの場所は?」

 八重樫が頷き、問いかけると翔子が答える。

「それなら、私が転移させるから問題ない」
「わかった。頼む、能力者」
「はいよ。……全く、今日は忙しいねぇ」

 八重樫を転移させた翔子は自分の肩を揉みながら呟く。
 しかし、すぐに翔子は「あっ」と呟き、銀河を見た。

「後藤銀河、彼からの伝言だ。どうやら松田東前は今回の一件とは無関係らしい」
「フルネームかよ? まぁいいや、やっぱり……。吾郎の推測は真実を射ていたってことだな?」
「恐らくな。しかし、組織も無関係とは考えにくいから、組織の元施設を片っ端から回ってみるとのことだ」
「そうだな? 五月ちゃんの状態を考えると施設が一番最適な場所だろうからな?」
「補足で伝えておくと、ナカムラ顧問は俗に言うところの国際医師の資格を持っています」

 銀河と翔子の会話に耳を傾けていた斉藤が、淡々とした口調で告げた。
 銀河は頷き、元紀に言った。

「元紀、爾落人達を信じて、今は吉報を待とう」

 元紀はその言葉に頷いた。







 一方、俺は再び病室で眠りについている姉貴の傍らに座っていた。
 廊下で話をしている際に関口さんは言っていた。
 今の姉貴に巣くうMM88は記憶喪失、あるいは認知症に似た症状として彼女を蝕んでいるらしい。自分が写し身で、親父を殺したという記憶はすでに無くなっているという。
 恐らく、他のことも忘れ続けているというが、それでも俺はそれを幸せなことだと思った。
 そして、もしも俺も同じように彼女を純粋に一人の女として愛せれば、どれほど幸せなことだろうかと考えずにはいられなかった。
 病室へ戻る前に、関口さんは俺に告げた。

「俺達の乗っていた車には、「G」を無効化させたガイガンを元にした細工をしているから、奴らも捜索には手こずっていると思うが、それも時間の問題だ。……今日一日、隠し通せるかどうかだと思っていてくれ」

 関口さんの言葉を思い出して、俺はじっと自分の拳を眺めた。
 彼ははっきりと言葉に出さなかったが、それから先、彼女を守るのは俺の役割なのだ。
 未来の戦いの事を無視はできない。それで俺がMOGERAに乗って戦わなければ、姉貴が生まれないかもしれない。
 しかし、今の俺にとって、目の前の彼女を守ることが第一となっていた。
 ゆっくりと立ち上がり、俺は窓を開いた。病室に夜風がそよぎ、カーテンレールに取り付けられていた風鈴がリンと響いた。不安と混乱で満たされた心がすっと晴れた気がした。

「凱吾……」

 か細い声が俺の背中にかけられた。
 振り向くと、姉貴が今までに見たことのないほどに弱々しい目を俺に向けていた。それはまるで捨て犬のそれを彷彿させるものだった。

「姉貴……」
「凱吾、ここはどこ? 私、どうなっちゃったの?」
「姉貴……姉さん、大丈夫だ。俺がいる」

 俺が笑顔に努めて答えるが、彼女はそれでも俺に縋ろうと手を宙に伸ばす。
 俺は彼女の手を掴み、ベッドの端に腰を下ろした。

「凱吾、私……恐いの」
「大丈夫だ。俺を信じろ」

 気がつくと、俺は彼女を抱きしめていた。言葉にうそはなかった。それどころか、俺自身も自分以外に信じられるものがない。
 そんな俺の心を見透かしたように彼女は耳元で囁いた。

「わかったわ。……凱吾、私も信じて。不安なの」
「あぁ。信じる」

 俺は彼女の目をじっと見つめて答えた。思考が鈍くなる一方で、心臓は激しくなっていく。
 その瞳に吸い込まれるように、俺は顔を近づけた。
 そして、俺達は不安も恐怖も捨て去り、晒された心を互いに包み合った。





 

「もうすぐ夜明けですね」

 関東地方の外れにある私道を進む車中でクーガーが青くなってきた空を見て言った。
 クーガーと共に後部座席につくガラテアが彼を咎める。

「クーガー殿、のん気なことを言っている場合ではない」
「そうです。ダイスがこの先に捕捉した大量の「G」の気配が外れだったら、我々は無駄足になるんですよ」

 助手席に座るハイダも後ろを向いて言った。

「それならば、あなたもナカムラ家に残っていた思念を読み取ってこの地域を捜索することになったのですから、ほぼ確定ですよ。ハイダさん」
「その根拠は?」
「そうですね。彼もここを疑ったということでしょうか?」

 クーガーは道の先を指差して答えた。
 一同もその指が示した方向を見る。

「なんだ、これは?」

 運転席の八重樫は車を止めて、呟いた。
 それは無理もないことであった。彼らの進む道の先には、至るところに侵略者ゼノモーフの死骸が散らばっていたのだ。

「どうやら、間違いなさそうだな」

 四人は車から降り、徒歩で道の先にある施設を目指した。



 

 

 空が次第に明らみ、朝焼けに染まり始めた頃、施設の前に辿りついた四人のもとへ翔子が銀河と元紀を連れて転移してきた。

「ん? アイツは?」

 翔子が周囲を見回して聞いた。

「彼は、松田東前に動きがあった事を察知してそちらへ向かいました」
「そうか」
「会社の方は大丈夫なのか? 松田東前に動きがあったというのは、今回の一件が影響しているのは間違いないだろう? 危険はないのか?」

 八重樫が聞くと、翔子が答える。

「その心配は及ばない。我が事務所の優秀な助手達と、お前の仲間の能力者が警備に来た」
「わかった」

 その後ろで、私道を眺めていた銀河が呟く。

「しかし、派手にやらかしたな?」
「銀河殿に言われたくない」
「しかし、これではっきりとしましたよ。ニューヨークでも突然宇宙から衝撃もなく大量の侵略者が送り込まれたことも、あの侵略者がここにいたことも、複製の爾落人とは別の爾落人が宇宙から侵略者を操っているということを意味します。そして、ナカムラ氏に通じているのもその爾落人。蒲生吾郎さんの推理は全て当たりだったということです」
「丁寧な解説をありがとう。……それで、ここからどうするの?」

 元紀が問いかけると、八重樫が告げた。

「建物には現在、能力者が一人、微細な「G」が二人の人間にいる」
「他は?」
「いない。誰か一人は既に逃げている」
「ナカムラ氏ですね。おぉ、一人出てきます。能力者ですね」

 クーガーが答えた。
 まもなく、扉が開かれ、両手を挙げた関口が出て来た。

「おー流石は爾落人軍団だな。降参だ降参!」

 すぐさま関口は八重樫によって拘束された。

「痛てて。俺は逃げやしねぇよ!」
「嘘つきの言葉は信用できないな。自分の正体にお前は気づいているだろう?」
「まぁな。と言っても、能力については俺もわかっていない。頑丈というか、怪我をしてもすぐに治る、そんなところだ。加齢もするしな」
「クーガー?」

 関口と八重樫のやり取りを見ていた銀河がクーガーに視線を向けた。
 彼はすぐに答えた。

「彼はとても珍しい能力者ですよ。人間の肉体に命が能力として入り込んでいます。巫師の体質だったのでしょう。怪我や死をその命が代わりに受けて彼を守っています」
「なら、それは身尽だ。今その男が言った通りなら、俺はその力を受けているだけで、他人に使うことは出来ないということになるが。……彼女の事は知ってるんだろ?」

 関口は元紀と銀河を見て言った。二人は頷く。

「五月は彼女の細胞を元に作るつもりだ。だから、あの五月が写し身だろうと、黙っているわけにもいかないのさ。……それよりも、蒲生。三島さんに連絡を入れておいてくれ。凱吾を敵の罠にまんまとかからせておく訳にもいかねぇ」
「どういうことですか?」
「凱吾は写し身の色香にかかった。蛾雷夜の仕込んだMM88なら、間違いなくアイツの体内に感染している。だから、相手の罠を利用しろ。MM88の害を除けば、あれは擬似的な巫師に人間をさせるだけの力がある」

 その時、弾けるような音が周囲に響いた。
 関口の頬を元紀が叩いたのだ。

「痛ぁ……。すまねぇな、蒲生。だが、蛾雷夜の罠にかからずにいたら、あれは次に何を仕掛けるかわからない。ならば、敵側でも利害の一致がある和夜に協力し、こっちもそれを利用するしか術はないだろう?」
「合理的ですね?」
「何とでも言ってくれてかまわねぇよ。ただ、こっちもさっさと動かないと、和夜も蛾雷夜も何かしら仕掛けてくるぞ」

 関口が言った直後、それを裏付けるかのように地中から一体のグラボウズが現われ、更にその穴から侵略者が次々と出てきた。

「うわ!」
「なんだ?」
「これは、グラボウズ……以前砂漠地帯で確認されたことがある「G」だわ」
「悪臭が酷いぞ!」
「それよりも、一度にこの数は厄介だ!」

 一同は車の上によじ登り、各々が戦闘態勢に入るが、実際に戦闘に慣れているのは、ガラテアと翔子と八重樫の三人であった。ハイダと銀河も身構えるが、他の者を守るのがやっとであった。

「しまった! 病院を占拠された!」

 ガラテアが叫んだ。侵略者は素早く病院の壁面によじ登り、あっという間に占拠していた。

「……少し困ったことになっていますよ」

 クーガーが病院を見上げて言った。すぐさま、銀河が聞く。

「どうした?」
「写し身の五月さんの「G」が暴走を始めています。……ほほう! 全身の細胞を加熱させて、人体自然発火現象を引き起こそうとしているようです。「G」の力で、一気に凱吾さんも巻き込まれますね」
「なんだって! ……畜生! 関口さん、恨むなら俺を恨んでくれるか?」
「そこで問いかけてしまうのが、君の弱さだよ。後藤君」

 関口に言われ、苦笑をした銀河は一度息を深く吸い込むと、車の天井に立ち、右手を振り上げ、指を鳴らすと同時に叫んだ。

「イクサガミィィィィッ!」





 

 朝日に赤く染められた病室に風鈴の音が広がった。

「風が冷たくなったな。……窓、閉めようか? 姉さん」

 俺は部屋の窓枠に手をおいて彼女に振り向きざまに聞いた。個室の真ん中に置かれた夕焼けに色付かれたベッドに黒い陰を刻んで、彼女がその身を縮こまらせていた。
 ほんの一瞬で彼女の容態は急変した。

「姉さん!」
「うぐぐ……熱い、熱いよ……!」
「姉さん……!」

 俺は彼女に駆け寄り、もがくその肩を掴んだ。だが、その肌の熱さに思わずその手を引っ込めた。まるで焼けた石のように熱く、白い肌からは湯気が立ち上っていた。

「うぐ……あぁ!」

 彼女が呻き声を上げると同時にその服と布団から炎が上がった。

「うわっ!」

 炎は瞬く間に大きくなり、彼女の体を包み込む。病室全体に炎は広がり、俺は熱風にその身を床へと叩きつけられた。
 炎が立てる轟音の中で、窓ガラスや蛍光灯の割れる音が聞こえた。床に倒れる俺の目の前に風鈴の欠片が転がった。
 火災報知器のベルの音とスプリンクラーの水が俺と彼女を包む。しかし、燃え移った火は消えても、彼女を包む劫火は消えない。

「姉さん……」

 熱さに動くこともできないにも関わらず、不思議と俺の体はこの炎の中で火傷の痛みはない。あまりの熱さで感覚が麻痺しているのかもしれない。いずれにしても、燃えたぎる炎の中で、俺と彼女だけがいた。それは、どこか心地の良い時間であった。
 ぼんやりとした意識の中で、俺は炎の衣を身にまとい、部屋の真ん中に立つ彼女に見とれていた。燃え盛る炎の中にいることすら忘れるほどに彼女の肌は瑞々しく、炎の衣の下に透けるその体はビーナス像の如く美しかった。

「綺麗だよ、姉さん」

 俺が呟くと、彼女は微笑んだ。周囲が砕ける音が遠く俺の耳に届く。視界の隅にある風鈴の欠片は水飴のように溶けていた。
 このまま世界が終わるとすら思えた。

「終わりの時間だ」

 どこからか声が聞こえた。
 そう考えた直後、天井を貫いて巨大な剣が彼女を斬った。豆腐を切るように、その身体は音もなく、あまりにあっさりと真っ二つに切り裂かれた。縦に半々で分かれたその体は、そのまま床に崩れた。
 床に転がった彼女の体は一瞬にしてみれば黒く焼けていく。

「……うわぁあああああ!」

 刹那、全身に激痛が走った。もがき、床を引っ掻く真っ赤に肥大した手が見えた。俺の手だ。
 咳き込み、涙で視界が歪む。その眼が見るのは、黒い炭となった彼女と、彼女を殺した巨大な剣。
 しかし、ぼやける視界だが、確かに俺は見た。剣が光の粒子になって消滅し、一人の男が代わりに現れた。
 黒いマントを首から被ったその男は、黒い髪から覗かせた金色の眼を俺に向け、口を動かした。

「お前にはまだ生きてもらう」

 この記憶だけは、MM88に犯された俺から決して消えることはなく、俺ははっきりとこの瞬間に抱いた感情を覚えていた。
 俺は、この男を、後藤銀河を許さない。
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