本編
9
「ただいま。用は済みました」
銀河と菜奈美が過去へと行った直後、部屋の障子が開き、銀河達が戻ってきた。
「ご苦労様です」
「結構疲れた顔してるな?」
「久しぶりに細かい時間の移動をしたからね」
「でも助かりました。元紀達それぞれに心理をかけて、五月ちゃんの力を封じる。この全てが片付きましたから」
瀬上の隣に座り込む菜奈美に、インスタントのお茶を渡しながら銀河は言った。
「時間を気にせずに移動できるとはいえ、草津から蒲生村への往復は疲れるな?転移が使える人の便利さが今、改めて理解できたぜ?」
銀河はお茶に口をつけてしみじみと言った。
菜奈美もお茶を啜り、ふーっと息を吐いた。
「それで、これからどうするつもりですか?」
「勿論、五月ちゃんの存在を引き金にして争いが起こらないようにしないとな?」
「だけど、さっきので解決したんじゃないの?」
「そうもいかないだろう? 時空の爾落人が既に生まれていて、その存在にも手を打っているのにも関わらず、お前らは動いている。それに南極の事は2029年で、その爾落人が生まれたのが2022年じゃ計算があわない」
「コウさんのおっしゃる通りです。時空の爾落人が誕生するのは、2046年になります」
「そして、わざわざ過去で育ててもらうということは、2046年には時空の爾落人に対しての争いが起こったと考えられるんだ」
「それから、既にその戦いは始まっているともいえます」
「というと?」
「私が視解した限り、先程の侵略者は宇宙からの「G」ですが、それを生み出した者は地球の爾落人です」
「もしかして、複製の爾落人?」
思わず菜奈美が聞いた。
「おい、あいつがあんな怪物を野放しにする訳ないだろ?」
すかさず瀬上が口を開いた。クーガーも頷き、補足する。
「複製の爾落人も関与していますが、私達が知っている人物ではありません。本物の複製の爾落人です」
「本物?」
「殺ス者の対に位置する存在です。あらゆる意味で生を与える存在です」
「それなら、想造の方が近い気がするんだけど」
菜奈美の意見にクーガーは首を振った。
「想造は違うベクトルに存在します。存在の有無を司る力がある下に、有と無のそれぞれが存在します。有とは既存の物が元にならなければ存在できません。無は有を奪ったものですが、完全なる無からの有は無も司らなければいけません」
「え?」
「それは、0を認識しないと0は存在できないってことか?」
「流石ですね、コウさん。その通りです。無も無という存在が無ければ存在できません。逆に2も、1と1が存在し、数が存在しなければ存在できません。複製は有が存在するという前提に存在するのです」
「そんな概念の話が出てくるような大昔の話が、今、そして未来の戦いに繋がっているってことか?」
「そうです。それなら、非常に納得ができると思いませんか? 旅人が文明の進歩と危険を理解していると思える行動は私にとって長く謎でした。特に、後藤銀河と生まれ変わった理由はどうしても理解できませんでした」
「人の世界で生きる道を選択したんじゃないの?」
菜奈美が口を挟むと、クーガーに代わって銀河が答えた。
「いいや。俺は覚えている。旅人は、後藤真理に接近する前にクーガーに視解を依頼した。クーガーはそのことを言っているんだろ?」
「はい。私が見たことをお伝えすると、彼は決心した様子で、ガラテアさんに後藤真理さんへ力を使うことを頼みましたね」
「あの時、クーガーに旅人が視解してもらった人物は二人。後藤真理と麻美帝史で、旅人は麻美帝史がかつて出会った和夜という爾落人のことを聞いて、後藤真理の子どもとなることまで考えをめぐらした。だろ?」
「はい。その瞬間に、旅人の未来も見えました。そして、彼は別れを私に告げた」
「2027年に俺と会うことも、その時から決めていたのか?」
「私の力をそこまで過大評価しないでください。しかし、蒲生村に行けば、次の動きが見えるとは思っていたので」
「まぁ実際に会えたんだからいいんじゃないか?」
「んで、旅人が生まれ変わってまで警戒した和夜ってのは何者なんだ?」
「それが、あまりに昔過ぎて、その名も姿も覚えていないんだ」
「おい、一体どれくらい昔の話なんだ?」
瀬上が聞くと、銀河は頭を掻きながら答える。
「多分、紀元前10000年頃だろうな? 俺が辛うじて記憶している時代は、既にエジプト文明の中にいて、神々の祖とか神々の父と呼ばれていた頃だから、逆算すればそんなところだろうな?」
「紀元前10000年って、もしかしてアトランティス?」
「他に該当しそうなものはないからな? それに、かすかにバベルの塔らしきものを庭園から眺めていた記憶があるんだ。なんでも、近年になってバベルが実在していた説に新しい仮説があるらしいんだ。それがアトランティスと関係があるとかでな?」
「確か、アトランティス文明の起源にバベルの塔の存在が示唆されたっていう胡散臭い説だろ? 何年か前の大晦日に学者達がテレビで討論してたな」
瀬上が腕を組んで記憶を辿らせつつ言うと、菜奈美が眉を寄せる。
「あんた、そんなの見てたの?」
「お前がその前の番組を見たまま眠ってたんだ! ……動くと起こしちまうだろ」
「………うっ!」
「はて、その説は初耳ですね。瀬上さんが見た番組ですね……」
「ダメ! 絶対に許さない重要機密事項よ!」
「クーガー、察してやれ? 問題はその説に関してじゃないだろ?」
思わず銀河が彼らの間に入ってクーガーの視解を防いだ。
赤面しつつ安堵する菜奈美を尻目に、クーガーは話を戻した。
「それもそうですね。アトランティスにいた人物が、後にエジプトへ行き、旅人となったというのは十分に考えられますし」
「まぁ相手の事は、いずれはっきりしてくるだろう? 吾郎が色々と調べているみたいだしな?」
「五井さんが?」
「あぁ。まぁ当人も気をつけているし、俺達もいるから大丈夫だとは思う」
「しかし、意外なところが問題になるかもしれませんよ」
クーガーはポツリと言った。
「どういうことだ?」
「五月さんに好意を抱いている者がいるようです」
「別にいいじゃない。素敵なことだと思うわよ?」
「その人物が弟でなければ、私は気にも留めませんがね」
「それって禁断の恋じゃない!」
菜奈美が目を輝かせて言った。
それを見て瀬上が呆れ気味に言う。
「おまえ、時々少女趣味なことを言うよな。俺の倍も生きてるくせに」
「歳のことは言わないで!」
「……何にしても、そいつは状況を面倒なことにしている以外に表現のしようもないだろ」
「それにその弟、凱吾君も俺達にとっては重要な鍵だと思う」
「というと?」
「彼は対「G」ロボット兵器の操縦者として訓練を受けているんだ。その指導をしている知り合いの話では、彼は天才らしい」
「天才パイロットってことか。……確かに、重要な鍵というだけのことはあるな」
「でも、今までにも対「G」ロボット兵器がなかった訳じゃないんでしょ?」
「あぁ。実際に、元紀から聞いた話では、アメリカ陸軍に、対「G」部隊を新設する計画がまだ非公式の段階だけど進んでいるらしい。……で、俺はそれについてこの後、調べてみるつもりなんだ」
銀河はお茶の残りを飲み干すと、立ち上がった。
「もしかして、今から行くんですか?」
「あぁ。とりあえず用件は済んだからな? それに思い立ったら吉日というしな?」
「えっ!」
「おい、そっちは窓だぞ!」
菜奈美達が驚いている間に銀河は窓から外へと出て、アマノシラトリに乗って飛び立ってしまった。
呆然と立ち尽くす菜奈美達の隣でクーガーは平然とした様子で空の湯のみを片付ける。
「蒲生村出身の方は皆さん仕事熱心のようですね。……あ、お茶のおかわりはいりますか?」
その後、アメリカへ行った銀河は、対「G」部隊の事実上責任者という士官と会ったところ、それは以前に中東の内乱で窮地に陥ったところを彼が助けた部隊の女性兵士、ライム・ギムレットであった。
思い出話に花を咲かせた後、その部隊の対「G」兵器開発のサポートに、関口さんと元紀を経由してJ.G.R.C.を紹介、そのパイプを繋げた。
そして、アメリカを後にした銀河は、2027年に朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が合併した国コリアの北部、平壌の北に位置する安州市郊外を訪ねていた。
かつては炭鉱山として発展した安州だが、郊外は山から流れる川がなだらかに曲線を描く盆地が広がり、田畑には作物が緑色の葉を生い茂らせている。
「今年は豊作だな?」
田畑は一つの園として研究、管理されていた。銀河が園の中の道を歩いていると、訪問した彼を応対した学生らしき少女が走ってきた。少女は朝鮮語で銀河に言った。
「園長を連れてきました」
「ありがとうございます」
銀河も朝鮮語で礼を告げると、道の先から歩いてきた婦人に会釈をした。
「25年ぶりですね。本当にお変わりがないのですね」
「輝香さんもお元気そうでよかったです」
銀河の前まで歩くと、李輝香は日に焼けた顔の汗を拭い笑顔で挨拶した。
「張様の事はご存知で?」
「えぇ。一年早く顔を出せばと悔やまれます」
革命以降南北統一までの15年間、北朝鮮の代表を務めてきた張真実女子は昨年の夏に体調を崩し、半年前に死去していた。銀河も外国でその事を知り、銀之助の墓参りに向かった一因にもなっていた。
「それで、本日は?」
「実は、プルガサリの由来について知りたいと思いまして」
「やはりそうでしたか」
「ご迷惑でしたか?」
「いいえ。実は、私も革命以降、プルガサリの……いいえ、正煥の祖先のことを知りたいと思いまして、長年調べていたんです」
「そうでしたか」
「はい。畑違いですが、何事も長く続けるものですね。その研究に纏わる書の訳を5年ほど前に発表しました。もともと日本にも伝わった有名な中国の書なのですが」
「中国?」
「えぇ。……あらやだ。歳をとると立ち話も長くなって嫌ですね。あちらにこの園の事務所兼自宅があるので、そちらで続きを話しましょう」
その後、銀河は輝香からプルガサリが南宋王朝時代の中国から渡来したものらしいと聞いた。
翌日、銀河は中華人民共和国西部の内乱地域を訪れていた。
丁度戦闘は収まっている間だったらしく、民間人が買い物に通りを往来している。
しかし、至るところに武装した者が立ち、壁や柱には戦闘の爪あとが残っていた。
「……ここか」
銀河はマントのフードを深く被り、町を歩きまわった後、目的地に到着した。
長年紛争地域を旅した経験から、無用な警戒を避けて情報を収集しながら歩く術を学んでいた。もっとも、情報収集そのものは心理を使うので簡単なことであるが。
「悪いな? ……俺を中に入れろ!」
建物の前で警備をしている兵士が銀河に身分証の提示を求めたが、彼の前にその手の問答は障害とならない。
すんなりと建物内に入った銀河の目に飛び込んだのは、床中に寝かされた負傷者であった。
「銃こそが人類最大の大量殺人兵器ってことか?」
負傷者の大半は武装した市民であるが、中には女性や子どももいる。武装した者ではなく、流れ弾や爆発に巻き込まれた一般人であろう。銀河はこれまでの経験から、負傷箇所を見て思った。
周囲の会話から、数日前に対立部隊が大規模な攻撃をしたらしい。事前の告知や相手側への限定的な攻撃ではなく、少数の目標のために多数の犠牲者を出した非人道的な行為だったらしい。
「ここから探すのは結構大変かもな?」
銀河はマントの隠しから写真を取り出して呟いた。
写真に写っているのは、中国人の青年であった。
数時間前、中国へ渡った銀河は、かつて南宋の首都が置かれていた臨安市へ向かった。
25年前に朝鮮半島を後にした銀河が立ち寄った地域であり、懐かしさからその際に相続問題で揉めていた旧家を訪ねた。再会に喜ぶ婦人をはじめとする家族であったが、どこか表情が暗い。
銀河が理由を訊ねたところ、NGOに属している彼女の息子がこの地で支援活動を行っていたが、先日の攻撃で行方不明になったのだという。
そのNGOは治安維持側だけでなく、反乱を起こした市民側にも支援をする中立な立場であった為、探しに行くことができないらしい。口には出さなかったが、表向き息子は勘当されているらしい。
そこで銀河が代わりに捜索へ向かい、息子はこの病院へ運ばれたという情報を得たのだ。
「……公民館みたいなものかな?」
病院として使われているが、もともとは違う用途で使われている建物らしい。壁の貼り紙は地域の情報などであり、公民館的活用がされていたらしい。
「水が足りません! ……雨水で構いません! 後、塩を!」
廊下の奥から女性が声を張り上げていた。
銀河が患者の間を抜けて、声の主を見ると白衣を着た若い日本人女性であった。
それだけではない。銀河が彼女から感じ取った気配は紛れもなく、「G」であった。
「……よし! 水が必要なのか?」
銀河は声を張った。女医も声に気づき、視線を向けた。
一瞬で瞳の色が紺色に変わった。
「貴殿に用意できるのかしら?」
殺伐として、騒々しい廊下の中でも聞き取れるはっきりとした声で女性は聞いた。
銀河も廊下の反対側にいる彼女に聞き取れるように声を張り上げて答えた。
「どれだけ用意すればいいんだ?」
「5……10リットルです」
「飲料用でない水でいいんだな?」
「構いませんわ」
「わかった!」
銀河は力強く頷くと、外へと飛び出した。
数分後、銀河はつづら一杯の水を背負って戻ってきた。
「これでいいか?」
女医は一瞬驚くものの、すぐに頷いた。
「十分です。ありがとうございます!」
彼女は即座にペットボトルに水を汲み取り、薬包紙に用意されていた塩を投入すると、それをかき回した。
その後、彼女はそのままチューブを繋ぎ、患者への点滴に使用してしまった。
「お、おい。それ、滅菌してねぇぞ?」
銀河が思わず口を挟むと、彼女は再び瞳を紺色に変えて振り返った。
「すでにこの水の穢れは浄化しております。愚問ですよ」
「ぐ……」
銀河が言葉を詰まらせている間に、女医は手際よく患者の対応を進めていく。
「後は包帯を巻いて……」
彼女が患者の付添い人に説明しようとすると、銀河が手際よく包帯を患者に巻き始めた。
「大抵の処置は俺もできる。あなたはあなたにしか治せない患者を助けてやれよ? 浄化の爾落人さん」
「宜しくお願いします。……それから私は爾落人ではなく巫子ですよ、爾落人さん」
「そうか。あと、俺は後藤銀河だ。あなたは?」
銀河が言うと、彼女は再度瞳を紺色にして答えた。
「……ナンパならお断りですが、特別に教えてあげます。私は紺碧。この体は、三島芙蓉です」
「なるほどな? さ、ここは任せろ」
その後、紺碧を宿した巫子、三島芙蓉と銀河はひたすら治療を続けた。
嵐の様な時間が落ち着いたのは、日が落ちた後であった。
それから、銀河は目的の息子の無事を確認した。
内乱はその数週間後、完全に鎮まった。
その背景に、メラネシアの島でモスラと伝えられていた三聖獣の内の海を司る「G」、紺碧とその宿主であり、2010年に南極へ行った調査隊の一人の三島芙蓉、そして後藤銀河もとい謎の人物、青島三十郎が関わっていたのは、言わずもがなである。
――――――――――――――――――
――――――――――――――
三重県警特異犯捜査課に戻った吾郎は、室内に人がいないことを確認すると、ソファーに倒れこんだ。
時刻は既に21時を回っている。
ソファーの下にだらしなく脱ぎ落とした革靴の底は磨り減って、下地が露出している。
吾郎は、今日もこのまま署に泊まろうと考え、ふと一週間に4泊はしていることに気づいた。
「ごほっ……ごほっ……」
ソファーに倒れたまま咳き込み、胸を押さえながら、上着のポケットから錠剤を取りだすと飲み込んだ。
「っ! ………ふーふー……はぁ」
吾郎は汗ばんだ額を腕で拭うと、ふらつく足取りで水道の蛇口を捻り、直接口を流水に運びグビグビと水を食道へと流し込んだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……。あと10年とは言わない、5年だけもってくれ。それまでに、このヤマのけりをつける」
流し台に凭れて床へ座り込んだ吾郎は、ポケットから取り出した鎮痛用の錠剤を見つめて呟いた。
肺ガンは2037年の医療技術でも早期治療以外は転移と進行を遅らせる処置が限界であった。
持病のことは、まだ彼自身以外は知らない。まだ知らせるつもりもなかった。
「ん?」
その時、ノックがした。吾郎は、身だしなみを整えながら、扉へ向かった。
扉を開くと、そこには銀河とガラテアがいた。
蒲生村で合流した二人は、三重県警に向かったのだ。
「あぁ銀河か。それに、ステラさんですね?」
「どうした? ビショぬれじゃないか?」
「あぁ、外から戻って暑かったからさ」
「若くないんだから、風邪引くぞ?」
「銀河に言われると悔しいなぁ」
吾郎が濡れた髪を掻きながら笑った。濡れた白髪が蛍光灯に輝く。
吾郎に促されて銀河とガラテアは課内のソファーに腰を下ろした。
「まずは俺から話そうか?」
「うん。頼む」
吾郎が頷くと、銀河は道中にガラテアに話した過去3ヶ月間の行動について説明した。
「……という具合に俺がやったのはそんなくらいかな?」
銀河の話を聞き終わった吾郎は、呆れ半分の苦笑混じりに言う。
「うん、十分だね」
「私も吾郎殿と同意見だ。まぁ、銀河殿の行動パターンを考えれば容易に想像がつくが」
銀河の隣でガラテアも呆れた顔で吾郎の感想に同意する。
「そう言うなよ? 俺にできることをしただけだぜ?」
「銀河のそういうところが昔と変わってなくて安心したよ」
「そうか? あぁ、捕捉をすると、芙蓉さんはしばらく中国に滞在を続けて、完全に医療体制が落ち着くまで活動を続けるらしい。今までも飢饉や内戦に苦しむ人達の前に現れてはそういう活動を続けていたらしくて、辺境のナイチンゲールなんて名前でまことしやかに噂されているらしいな?」
「まるでどこかのサンジューローだな?」
ガラテアがボソリと呟くが、銀河は聞こえないフリをして話を続ける。
「……それと、ここへ来る前に元紀と電話で話した様子だと、既に関口さんと元紀がJ.G.R.C.の斎藤社長とアメリカへ渡って具体的な話をする準備を進めているらしい。その中で、どうやら再来年……早ければ来年中に、こちら側の全てが一同に会して、一勢力として組織する案が出ているらしいぞ?」
「その勢力というのは、つまり……」
「相手はあらゆる組織、機関、団体を隠れ蓑にしているのは間違いなさそうだろ? 多分、歴史ある宗教団体や某大学も含まれるな? なら、こっちも敵味方、人も爾落人も、国も組織も関係なく集う必要があるだろ?」
「しかし、そんなことをすれば件の組織のみならず、世界中に暗躍する組織から目を付けられるのではないか?」
ガラテアが指摘した。出る杭は打たれるのは、いつの時代もどんな世界でも同じだ。
しかし、銀河は首を振った。
「まだクーガーの視解以外の情報はないが、既に相手側はなんらかのアクションを始めていると思うぜ?」
「侵略者という「G」か?」
「あぁ。しかし、それは数少ない相手側の正体を掴むヒントであり、恐らく侵略者と関係性のある複製の爾落人は、歴史上少なくとも一度、その名前が刻まれているみたいだ」
「プルガサリを渡した人物だね?」
吾郎が言った。銀河は頷き、続ける。
「あぁ。輝香さんに調べてもらった話では、プルガサリはもともと古代中国から朝鮮半島へと持ち込まれたものらしい。その人物が正煥さんや日民さんの祖先に当たるみたいだな? そして、その人物がかつて獄卒をしていた時にあった出来事が記されているのが、諧史という書らしい。ここに現れる賊の我来也という人物が件の複製の爾落人である訳だが、どうやらこの人物をモチーフにしたのが日本の歌舞伎にも登場する義賊、自来也やその派生にある蝦蟇の妖術を使う忍者、児雷也になったみたいだな?」
銀河は、輝香から受け取った研究書の諧史の訳が書かれたページのコピーを吾郎に渡した。
輝香の丁寧な文字で書かれた日本語訳が添えられたそれを吾郎は流し読みする。
「だけど、義賊というイメージは、世界を支配するような組織や侵略者を作り出した爾落人のイメージとかけ離れている気がするなぁ」
「そこは、賊が偽っているのか、歴史が偽ってるのか、本当に義賊なのか、会ってみなけりゃわからないだろ?」
「そうだね」
「まぁ、問題になるのは、誰がその我来也の今の姿なのか? それこそ相手が児雷也なら、宿敵の大蛇丸はここにいるのにな?」
「銀河殿!」
すかさずガラテアが目くじらを立てて怒る。対して銀河はへらへらと笑って誤魔化す。
「冗談だよ、冗談」
「都合よく力を使わないで下さい」
溜め息混じりにガラテアは言う。
「その手がかりを掴んだかもしれないよ」
二人のやりとりを微笑んで眺めていた吾郎がさらりと告げた。
「へ?」
「どういうことだ?」
驚く二人に吾郎は説明する。
「やっとJ.G.R.C.の根っこに辿り着いたんだ。2021年に元紀が調べたことの更に先、麻美帝史氏とマリオ・カルロス・ナカムラ氏の属していた組織と銀河のお母さんのいたカトリック系キリスト教団体の双方、そして2010年に南極調査を行い「G」を発見した桐生篤之氏の研究、その他様々な研究組織へ某大学総長、松田東前氏が個人的出資をしているということは、既に把握できていたんだけど、彼個人と「G」についての関係がわからなかった」
「それが判明したのか?」
「うん。松田家が静岡県の三保に某大学の前身となる技術学校を創設する更に前の話になる。松田家は長く政治や学問の世界にその名前が刻まれ続けていた。しかし、肝心の松田家そのものは不可思議でね。全てが分家筋になっているみたいなんだ」
「全てが分家? おかしな話だな? 蒲生家だって、本家ありきの分家だろ?」
「しかも、その殆どが一、二代ともたずに絶えているんだ。そして、これまでの全てが記録上のこと。……何を言いたいか、わかるよね?」
「あぁ。爾落人が社会の中に溶け込むなら、数十年おきに子どもや孫に成りすまして表舞台に出るのが一番簡単だな? 顔が似ていても不思議ではないし、物事も運びやすいからな?」
「うん。恐らく、松田東前は爾落人だ。そして、旅人が銀河となったように、相手も別の存在に生まれ変わり、巧妙にその足跡を辿れないようにしている。当人が爾落人なら、「G」と関わりがあっても何一つ不思議はない」
「よく調べたな? ……吾郎、無茶はするなよ?」
「命令しなかったことを感謝するよ、銀河」
吾郎は微笑すると、腰を直し、銀河に頭を下げた。
銀河は突然のことに当惑する。
「お、おい!」
「これは一人の父親としての感謝だ。銀河、五月を守ってくれてありがとう!」
「いや……俺は、吾郎と元紀に頼まれたからやっただけのことだぞ?」
「だけど、過去へ行って真理を使うことまでは頼んでいない」
「まぁ、そうだけどな?」
「ありがとう」
感謝を受けることに慣れている銀河も、吾郎からの感謝は痒いものを感じた。
「ただいま。用は済みました」
銀河と菜奈美が過去へと行った直後、部屋の障子が開き、銀河達が戻ってきた。
「ご苦労様です」
「結構疲れた顔してるな?」
「久しぶりに細かい時間の移動をしたからね」
「でも助かりました。元紀達それぞれに心理をかけて、五月ちゃんの力を封じる。この全てが片付きましたから」
瀬上の隣に座り込む菜奈美に、インスタントのお茶を渡しながら銀河は言った。
「時間を気にせずに移動できるとはいえ、草津から蒲生村への往復は疲れるな?転移が使える人の便利さが今、改めて理解できたぜ?」
銀河はお茶に口をつけてしみじみと言った。
菜奈美もお茶を啜り、ふーっと息を吐いた。
「それで、これからどうするつもりですか?」
「勿論、五月ちゃんの存在を引き金にして争いが起こらないようにしないとな?」
「だけど、さっきので解決したんじゃないの?」
「そうもいかないだろう? 時空の爾落人が既に生まれていて、その存在にも手を打っているのにも関わらず、お前らは動いている。それに南極の事は2029年で、その爾落人が生まれたのが2022年じゃ計算があわない」
「コウさんのおっしゃる通りです。時空の爾落人が誕生するのは、2046年になります」
「そして、わざわざ過去で育ててもらうということは、2046年には時空の爾落人に対しての争いが起こったと考えられるんだ」
「それから、既にその戦いは始まっているともいえます」
「というと?」
「私が視解した限り、先程の侵略者は宇宙からの「G」ですが、それを生み出した者は地球の爾落人です」
「もしかして、複製の爾落人?」
思わず菜奈美が聞いた。
「おい、あいつがあんな怪物を野放しにする訳ないだろ?」
すかさず瀬上が口を開いた。クーガーも頷き、補足する。
「複製の爾落人も関与していますが、私達が知っている人物ではありません。本物の複製の爾落人です」
「本物?」
「殺ス者の対に位置する存在です。あらゆる意味で生を与える存在です」
「それなら、想造の方が近い気がするんだけど」
菜奈美の意見にクーガーは首を振った。
「想造は違うベクトルに存在します。存在の有無を司る力がある下に、有と無のそれぞれが存在します。有とは既存の物が元にならなければ存在できません。無は有を奪ったものですが、完全なる無からの有は無も司らなければいけません」
「え?」
「それは、0を認識しないと0は存在できないってことか?」
「流石ですね、コウさん。その通りです。無も無という存在が無ければ存在できません。逆に2も、1と1が存在し、数が存在しなければ存在できません。複製は有が存在するという前提に存在するのです」
「そんな概念の話が出てくるような大昔の話が、今、そして未来の戦いに繋がっているってことか?」
「そうです。それなら、非常に納得ができると思いませんか? 旅人が文明の進歩と危険を理解していると思える行動は私にとって長く謎でした。特に、後藤銀河と生まれ変わった理由はどうしても理解できませんでした」
「人の世界で生きる道を選択したんじゃないの?」
菜奈美が口を挟むと、クーガーに代わって銀河が答えた。
「いいや。俺は覚えている。旅人は、後藤真理に接近する前にクーガーに視解を依頼した。クーガーはそのことを言っているんだろ?」
「はい。私が見たことをお伝えすると、彼は決心した様子で、ガラテアさんに後藤真理さんへ力を使うことを頼みましたね」
「あの時、クーガーに旅人が視解してもらった人物は二人。後藤真理と麻美帝史で、旅人は麻美帝史がかつて出会った和夜という爾落人のことを聞いて、後藤真理の子どもとなることまで考えをめぐらした。だろ?」
「はい。その瞬間に、旅人の未来も見えました。そして、彼は別れを私に告げた」
「2027年に俺と会うことも、その時から決めていたのか?」
「私の力をそこまで過大評価しないでください。しかし、蒲生村に行けば、次の動きが見えるとは思っていたので」
「まぁ実際に会えたんだからいいんじゃないか?」
「んで、旅人が生まれ変わってまで警戒した和夜ってのは何者なんだ?」
「それが、あまりに昔過ぎて、その名も姿も覚えていないんだ」
「おい、一体どれくらい昔の話なんだ?」
瀬上が聞くと、銀河は頭を掻きながら答える。
「多分、紀元前10000年頃だろうな? 俺が辛うじて記憶している時代は、既にエジプト文明の中にいて、神々の祖とか神々の父と呼ばれていた頃だから、逆算すればそんなところだろうな?」
「紀元前10000年って、もしかしてアトランティス?」
「他に該当しそうなものはないからな? それに、かすかにバベルの塔らしきものを庭園から眺めていた記憶があるんだ。なんでも、近年になってバベルが実在していた説に新しい仮説があるらしいんだ。それがアトランティスと関係があるとかでな?」
「確か、アトランティス文明の起源にバベルの塔の存在が示唆されたっていう胡散臭い説だろ? 何年か前の大晦日に学者達がテレビで討論してたな」
瀬上が腕を組んで記憶を辿らせつつ言うと、菜奈美が眉を寄せる。
「あんた、そんなの見てたの?」
「お前がその前の番組を見たまま眠ってたんだ! ……動くと起こしちまうだろ」
「………うっ!」
「はて、その説は初耳ですね。瀬上さんが見た番組ですね……」
「ダメ! 絶対に許さない重要機密事項よ!」
「クーガー、察してやれ? 問題はその説に関してじゃないだろ?」
思わず銀河が彼らの間に入ってクーガーの視解を防いだ。
赤面しつつ安堵する菜奈美を尻目に、クーガーは話を戻した。
「それもそうですね。アトランティスにいた人物が、後にエジプトへ行き、旅人となったというのは十分に考えられますし」
「まぁ相手の事は、いずれはっきりしてくるだろう? 吾郎が色々と調べているみたいだしな?」
「五井さんが?」
「あぁ。まぁ当人も気をつけているし、俺達もいるから大丈夫だとは思う」
「しかし、意外なところが問題になるかもしれませんよ」
クーガーはポツリと言った。
「どういうことだ?」
「五月さんに好意を抱いている者がいるようです」
「別にいいじゃない。素敵なことだと思うわよ?」
「その人物が弟でなければ、私は気にも留めませんがね」
「それって禁断の恋じゃない!」
菜奈美が目を輝かせて言った。
それを見て瀬上が呆れ気味に言う。
「おまえ、時々少女趣味なことを言うよな。俺の倍も生きてるくせに」
「歳のことは言わないで!」
「……何にしても、そいつは状況を面倒なことにしている以外に表現のしようもないだろ」
「それにその弟、凱吾君も俺達にとっては重要な鍵だと思う」
「というと?」
「彼は対「G」ロボット兵器の操縦者として訓練を受けているんだ。その指導をしている知り合いの話では、彼は天才らしい」
「天才パイロットってことか。……確かに、重要な鍵というだけのことはあるな」
「でも、今までにも対「G」ロボット兵器がなかった訳じゃないんでしょ?」
「あぁ。実際に、元紀から聞いた話では、アメリカ陸軍に、対「G」部隊を新設する計画がまだ非公式の段階だけど進んでいるらしい。……で、俺はそれについてこの後、調べてみるつもりなんだ」
銀河はお茶の残りを飲み干すと、立ち上がった。
「もしかして、今から行くんですか?」
「あぁ。とりあえず用件は済んだからな? それに思い立ったら吉日というしな?」
「えっ!」
「おい、そっちは窓だぞ!」
菜奈美達が驚いている間に銀河は窓から外へと出て、アマノシラトリに乗って飛び立ってしまった。
呆然と立ち尽くす菜奈美達の隣でクーガーは平然とした様子で空の湯のみを片付ける。
「蒲生村出身の方は皆さん仕事熱心のようですね。……あ、お茶のおかわりはいりますか?」
その後、アメリカへ行った銀河は、対「G」部隊の事実上責任者という士官と会ったところ、それは以前に中東の内乱で窮地に陥ったところを彼が助けた部隊の女性兵士、ライム・ギムレットであった。
思い出話に花を咲かせた後、その部隊の対「G」兵器開発のサポートに、関口さんと元紀を経由してJ.G.R.C.を紹介、そのパイプを繋げた。
そして、アメリカを後にした銀河は、2027年に朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が合併した国コリアの北部、平壌の北に位置する安州市郊外を訪ねていた。
かつては炭鉱山として発展した安州だが、郊外は山から流れる川がなだらかに曲線を描く盆地が広がり、田畑には作物が緑色の葉を生い茂らせている。
「今年は豊作だな?」
田畑は一つの園として研究、管理されていた。銀河が園の中の道を歩いていると、訪問した彼を応対した学生らしき少女が走ってきた。少女は朝鮮語で銀河に言った。
「園長を連れてきました」
「ありがとうございます」
銀河も朝鮮語で礼を告げると、道の先から歩いてきた婦人に会釈をした。
「25年ぶりですね。本当にお変わりがないのですね」
「輝香さんもお元気そうでよかったです」
銀河の前まで歩くと、李輝香は日に焼けた顔の汗を拭い笑顔で挨拶した。
「張様の事はご存知で?」
「えぇ。一年早く顔を出せばと悔やまれます」
革命以降南北統一までの15年間、北朝鮮の代表を務めてきた張真実女子は昨年の夏に体調を崩し、半年前に死去していた。銀河も外国でその事を知り、銀之助の墓参りに向かった一因にもなっていた。
「それで、本日は?」
「実は、プルガサリの由来について知りたいと思いまして」
「やはりそうでしたか」
「ご迷惑でしたか?」
「いいえ。実は、私も革命以降、プルガサリの……いいえ、正煥の祖先のことを知りたいと思いまして、長年調べていたんです」
「そうでしたか」
「はい。畑違いですが、何事も長く続けるものですね。その研究に纏わる書の訳を5年ほど前に発表しました。もともと日本にも伝わった有名な中国の書なのですが」
「中国?」
「えぇ。……あらやだ。歳をとると立ち話も長くなって嫌ですね。あちらにこの園の事務所兼自宅があるので、そちらで続きを話しましょう」
その後、銀河は輝香からプルガサリが南宋王朝時代の中国から渡来したものらしいと聞いた。
翌日、銀河は中華人民共和国西部の内乱地域を訪れていた。
丁度戦闘は収まっている間だったらしく、民間人が買い物に通りを往来している。
しかし、至るところに武装した者が立ち、壁や柱には戦闘の爪あとが残っていた。
「……ここか」
銀河はマントのフードを深く被り、町を歩きまわった後、目的地に到着した。
長年紛争地域を旅した経験から、無用な警戒を避けて情報を収集しながら歩く術を学んでいた。もっとも、情報収集そのものは心理を使うので簡単なことであるが。
「悪いな? ……俺を中に入れろ!」
建物の前で警備をしている兵士が銀河に身分証の提示を求めたが、彼の前にその手の問答は障害とならない。
すんなりと建物内に入った銀河の目に飛び込んだのは、床中に寝かされた負傷者であった。
「銃こそが人類最大の大量殺人兵器ってことか?」
負傷者の大半は武装した市民であるが、中には女性や子どももいる。武装した者ではなく、流れ弾や爆発に巻き込まれた一般人であろう。銀河はこれまでの経験から、負傷箇所を見て思った。
周囲の会話から、数日前に対立部隊が大規模な攻撃をしたらしい。事前の告知や相手側への限定的な攻撃ではなく、少数の目標のために多数の犠牲者を出した非人道的な行為だったらしい。
「ここから探すのは結構大変かもな?」
銀河はマントの隠しから写真を取り出して呟いた。
写真に写っているのは、中国人の青年であった。
数時間前、中国へ渡った銀河は、かつて南宋の首都が置かれていた臨安市へ向かった。
25年前に朝鮮半島を後にした銀河が立ち寄った地域であり、懐かしさからその際に相続問題で揉めていた旧家を訪ねた。再会に喜ぶ婦人をはじめとする家族であったが、どこか表情が暗い。
銀河が理由を訊ねたところ、NGOに属している彼女の息子がこの地で支援活動を行っていたが、先日の攻撃で行方不明になったのだという。
そのNGOは治安維持側だけでなく、反乱を起こした市民側にも支援をする中立な立場であった為、探しに行くことができないらしい。口には出さなかったが、表向き息子は勘当されているらしい。
そこで銀河が代わりに捜索へ向かい、息子はこの病院へ運ばれたという情報を得たのだ。
「……公民館みたいなものかな?」
病院として使われているが、もともとは違う用途で使われている建物らしい。壁の貼り紙は地域の情報などであり、公民館的活用がされていたらしい。
「水が足りません! ……雨水で構いません! 後、塩を!」
廊下の奥から女性が声を張り上げていた。
銀河が患者の間を抜けて、声の主を見ると白衣を着た若い日本人女性であった。
それだけではない。銀河が彼女から感じ取った気配は紛れもなく、「G」であった。
「……よし! 水が必要なのか?」
銀河は声を張った。女医も声に気づき、視線を向けた。
一瞬で瞳の色が紺色に変わった。
「貴殿に用意できるのかしら?」
殺伐として、騒々しい廊下の中でも聞き取れるはっきりとした声で女性は聞いた。
銀河も廊下の反対側にいる彼女に聞き取れるように声を張り上げて答えた。
「どれだけ用意すればいいんだ?」
「5……10リットルです」
「飲料用でない水でいいんだな?」
「構いませんわ」
「わかった!」
銀河は力強く頷くと、外へと飛び出した。
数分後、銀河はつづら一杯の水を背負って戻ってきた。
「これでいいか?」
女医は一瞬驚くものの、すぐに頷いた。
「十分です。ありがとうございます!」
彼女は即座にペットボトルに水を汲み取り、薬包紙に用意されていた塩を投入すると、それをかき回した。
その後、彼女はそのままチューブを繋ぎ、患者への点滴に使用してしまった。
「お、おい。それ、滅菌してねぇぞ?」
銀河が思わず口を挟むと、彼女は再び瞳を紺色に変えて振り返った。
「すでにこの水の穢れは浄化しております。愚問ですよ」
「ぐ……」
銀河が言葉を詰まらせている間に、女医は手際よく患者の対応を進めていく。
「後は包帯を巻いて……」
彼女が患者の付添い人に説明しようとすると、銀河が手際よく包帯を患者に巻き始めた。
「大抵の処置は俺もできる。あなたはあなたにしか治せない患者を助けてやれよ? 浄化の爾落人さん」
「宜しくお願いします。……それから私は爾落人ではなく巫子ですよ、爾落人さん」
「そうか。あと、俺は後藤銀河だ。あなたは?」
銀河が言うと、彼女は再度瞳を紺色にして答えた。
「……ナンパならお断りですが、特別に教えてあげます。私は紺碧。この体は、三島芙蓉です」
「なるほどな? さ、ここは任せろ」
その後、紺碧を宿した巫子、三島芙蓉と銀河はひたすら治療を続けた。
嵐の様な時間が落ち着いたのは、日が落ちた後であった。
それから、銀河は目的の息子の無事を確認した。
内乱はその数週間後、完全に鎮まった。
その背景に、メラネシアの島でモスラと伝えられていた三聖獣の内の海を司る「G」、紺碧とその宿主であり、2010年に南極へ行った調査隊の一人の三島芙蓉、そして後藤銀河もとい謎の人物、青島三十郎が関わっていたのは、言わずもがなである。
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三重県警特異犯捜査課に戻った吾郎は、室内に人がいないことを確認すると、ソファーに倒れこんだ。
時刻は既に21時を回っている。
ソファーの下にだらしなく脱ぎ落とした革靴の底は磨り減って、下地が露出している。
吾郎は、今日もこのまま署に泊まろうと考え、ふと一週間に4泊はしていることに気づいた。
「ごほっ……ごほっ……」
ソファーに倒れたまま咳き込み、胸を押さえながら、上着のポケットから錠剤を取りだすと飲み込んだ。
「っ! ………ふーふー……はぁ」
吾郎は汗ばんだ額を腕で拭うと、ふらつく足取りで水道の蛇口を捻り、直接口を流水に運びグビグビと水を食道へと流し込んだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……。あと10年とは言わない、5年だけもってくれ。それまでに、このヤマのけりをつける」
流し台に凭れて床へ座り込んだ吾郎は、ポケットから取り出した鎮痛用の錠剤を見つめて呟いた。
肺ガンは2037年の医療技術でも早期治療以外は転移と進行を遅らせる処置が限界であった。
持病のことは、まだ彼自身以外は知らない。まだ知らせるつもりもなかった。
「ん?」
その時、ノックがした。吾郎は、身だしなみを整えながら、扉へ向かった。
扉を開くと、そこには銀河とガラテアがいた。
蒲生村で合流した二人は、三重県警に向かったのだ。
「あぁ銀河か。それに、ステラさんですね?」
「どうした? ビショぬれじゃないか?」
「あぁ、外から戻って暑かったからさ」
「若くないんだから、風邪引くぞ?」
「銀河に言われると悔しいなぁ」
吾郎が濡れた髪を掻きながら笑った。濡れた白髪が蛍光灯に輝く。
吾郎に促されて銀河とガラテアは課内のソファーに腰を下ろした。
「まずは俺から話そうか?」
「うん。頼む」
吾郎が頷くと、銀河は道中にガラテアに話した過去3ヶ月間の行動について説明した。
「……という具合に俺がやったのはそんなくらいかな?」
銀河の話を聞き終わった吾郎は、呆れ半分の苦笑混じりに言う。
「うん、十分だね」
「私も吾郎殿と同意見だ。まぁ、銀河殿の行動パターンを考えれば容易に想像がつくが」
銀河の隣でガラテアも呆れた顔で吾郎の感想に同意する。
「そう言うなよ? 俺にできることをしただけだぜ?」
「銀河のそういうところが昔と変わってなくて安心したよ」
「そうか? あぁ、捕捉をすると、芙蓉さんはしばらく中国に滞在を続けて、完全に医療体制が落ち着くまで活動を続けるらしい。今までも飢饉や内戦に苦しむ人達の前に現れてはそういう活動を続けていたらしくて、辺境のナイチンゲールなんて名前でまことしやかに噂されているらしいな?」
「まるでどこかのサンジューローだな?」
ガラテアがボソリと呟くが、銀河は聞こえないフリをして話を続ける。
「……それと、ここへ来る前に元紀と電話で話した様子だと、既に関口さんと元紀がJ.G.R.C.の斎藤社長とアメリカへ渡って具体的な話をする準備を進めているらしい。その中で、どうやら再来年……早ければ来年中に、こちら側の全てが一同に会して、一勢力として組織する案が出ているらしいぞ?」
「その勢力というのは、つまり……」
「相手はあらゆる組織、機関、団体を隠れ蓑にしているのは間違いなさそうだろ? 多分、歴史ある宗教団体や某大学も含まれるな? なら、こっちも敵味方、人も爾落人も、国も組織も関係なく集う必要があるだろ?」
「しかし、そんなことをすれば件の組織のみならず、世界中に暗躍する組織から目を付けられるのではないか?」
ガラテアが指摘した。出る杭は打たれるのは、いつの時代もどんな世界でも同じだ。
しかし、銀河は首を振った。
「まだクーガーの視解以外の情報はないが、既に相手側はなんらかのアクションを始めていると思うぜ?」
「侵略者という「G」か?」
「あぁ。しかし、それは数少ない相手側の正体を掴むヒントであり、恐らく侵略者と関係性のある複製の爾落人は、歴史上少なくとも一度、その名前が刻まれているみたいだ」
「プルガサリを渡した人物だね?」
吾郎が言った。銀河は頷き、続ける。
「あぁ。輝香さんに調べてもらった話では、プルガサリはもともと古代中国から朝鮮半島へと持ち込まれたものらしい。その人物が正煥さんや日民さんの祖先に当たるみたいだな? そして、その人物がかつて獄卒をしていた時にあった出来事が記されているのが、諧史という書らしい。ここに現れる賊の我来也という人物が件の複製の爾落人である訳だが、どうやらこの人物をモチーフにしたのが日本の歌舞伎にも登場する義賊、自来也やその派生にある蝦蟇の妖術を使う忍者、児雷也になったみたいだな?」
銀河は、輝香から受け取った研究書の諧史の訳が書かれたページのコピーを吾郎に渡した。
輝香の丁寧な文字で書かれた日本語訳が添えられたそれを吾郎は流し読みする。
「だけど、義賊というイメージは、世界を支配するような組織や侵略者を作り出した爾落人のイメージとかけ離れている気がするなぁ」
「そこは、賊が偽っているのか、歴史が偽ってるのか、本当に義賊なのか、会ってみなけりゃわからないだろ?」
「そうだね」
「まぁ、問題になるのは、誰がその我来也の今の姿なのか? それこそ相手が児雷也なら、宿敵の大蛇丸はここにいるのにな?」
「銀河殿!」
すかさずガラテアが目くじらを立てて怒る。対して銀河はへらへらと笑って誤魔化す。
「冗談だよ、冗談」
「都合よく力を使わないで下さい」
溜め息混じりにガラテアは言う。
「その手がかりを掴んだかもしれないよ」
二人のやりとりを微笑んで眺めていた吾郎がさらりと告げた。
「へ?」
「どういうことだ?」
驚く二人に吾郎は説明する。
「やっとJ.G.R.C.の根っこに辿り着いたんだ。2021年に元紀が調べたことの更に先、麻美帝史氏とマリオ・カルロス・ナカムラ氏の属していた組織と銀河のお母さんのいたカトリック系キリスト教団体の双方、そして2010年に南極調査を行い「G」を発見した桐生篤之氏の研究、その他様々な研究組織へ某大学総長、松田東前氏が個人的出資をしているということは、既に把握できていたんだけど、彼個人と「G」についての関係がわからなかった」
「それが判明したのか?」
「うん。松田家が静岡県の三保に某大学の前身となる技術学校を創設する更に前の話になる。松田家は長く政治や学問の世界にその名前が刻まれ続けていた。しかし、肝心の松田家そのものは不可思議でね。全てが分家筋になっているみたいなんだ」
「全てが分家? おかしな話だな? 蒲生家だって、本家ありきの分家だろ?」
「しかも、その殆どが一、二代ともたずに絶えているんだ。そして、これまでの全てが記録上のこと。……何を言いたいか、わかるよね?」
「あぁ。爾落人が社会の中に溶け込むなら、数十年おきに子どもや孫に成りすまして表舞台に出るのが一番簡単だな? 顔が似ていても不思議ではないし、物事も運びやすいからな?」
「うん。恐らく、松田東前は爾落人だ。そして、旅人が銀河となったように、相手も別の存在に生まれ変わり、巧妙にその足跡を辿れないようにしている。当人が爾落人なら、「G」と関わりがあっても何一つ不思議はない」
「よく調べたな? ……吾郎、無茶はするなよ?」
「命令しなかったことを感謝するよ、銀河」
吾郎は微笑すると、腰を直し、銀河に頭を下げた。
銀河は突然のことに当惑する。
「お、おい!」
「これは一人の父親としての感謝だ。銀河、五月を守ってくれてありがとう!」
「いや……俺は、吾郎と元紀に頼まれたからやっただけのことだぞ?」
「だけど、過去へ行って真理を使うことまでは頼んでいない」
「まぁ、そうだけどな?」
「ありがとう」
感謝を受けることに慣れている銀河も、吾郎からの感謝は痒いものを感じた。