本編
『ピンポーン』
聞き慣れた電子音が来客の存在を報せる。このアパートに住んで3年目のこの女性は、聞き飽きた電子音に半ば怠そうに向かう。
チェーンを付けたまま扉を解放した女性を待っていたのは、初見の男だった。
短い黒髪が似合う若干幼い顔立ちの好青年の男。細身なスポーツマンのような印象だ。初見ながら好感を持ったが、この男を女性は知らなかった。
「どちら様ですか?」
「警察の者ですが、証拠品の返還に伺いました」
外にいるだけでも汗だくになる夏日だというのに、訪れた男はスーツにネクタイという服装だ。逆に女性にとってはそれが疑惑を深める要因となってしまう。
「本当に警察の人ですか?」
「失礼」
男は懐から警察手帳を広げると、顔写真と紋章が見えるように掲げる。女性は手帳の写真と男の顔を見比べるように一瞥すると、ふと目に入った名前を呟いた。
「東條…巡査長……」
「以前付近一帯で発生した窃盗事件ですが、裁判が終わったので証拠品を返還します」
そう言った凌が専用の袋に入れられた証拠品を鞄から取り出した瞬間、場が凍った。
女性は奪い取るように証拠品を掴み取り、小さな声で礼を言うと素早く扉を閉めた。
「……」
扉の前に残された凌は、俯き気味で覆面パトカーに戻る。運転席に座った凌はエンジンをかけてエアコンのスイッチを入れると、ハンドルにもたれかかった。
「終わった…」
凌の口から漏れたのは、ひどく気疲れしたような声だった。