本編


2022年8月


「次ッ!高田ッ!吉村ッ!」



ここは、警視庁警備部が保有する屋内用訓練施設だ。主にSATが訓練に使うが、今日は八重樫の隊が訓練に励んでいる。



今、八重樫は1つのエリア全体を見渡せる鉄骨の高台にいる。部下の隊員は2人1組となり、テロリストを排除しながらエリアを制圧していく訓練だ。
なお、このエリアはホテルのロビーを模しており、八重樫は備え付けの装置を使ってテロリスト他に扮する人形を、飛び出す場所、人数、タイミングを操作しつつ、それぞれ制圧に要した時間とスコアを記録している。
また、隊員が細かいミスをする度に八重樫の檄が飛ぶ。


八重樫に指名された高田と吉村がスタート地点、即ちホテルの出入口に相当する場所に着く。



「俺は正面と左面をカバーする。お前は右面と後方の警戒を頼む」
「分かってる」



実弾以外、実戦と同じ装備品で身を包み、ゴーグルをかけた2人は扉の前で構える。同じく支援班の隊員も扉を破る準備を整えた。支援班も扉を破るタイミングや実働隊員との連携も兼ねているのだ。



『準備はいいな』
「いつでもどうぞ」



支援班の隊員がバッティングラムを振りかぶった。


『突入開始』
「行くぞ!GOGOGO!」



バッティングラムに衝突された衝撃で鍵を砕かれた扉が勢いよく開かれ、高田が踏み込んだ。進行方向の安全確認がてら武装した人形数体を撃つ。弾丸は頭を捉えた。
続いて突入した吉村は前進する高田について行きつつ後方を警戒する。



数十秒後、2人からは死角となる柱の陰から武装した人形が飛び出してきた。
高田は突撃銃で応戦したが、人形が多くて対処しきれない。数瞬遅れて吉村が高田を援護する。



『吉村ッ!援護遅いぞ!』



人形を掃討した2人は受付を通過した。吉村は後方を警戒すると、階段の入口から非武装の人形が出てきた。この意味を考えるよりも先に、吉村は人形に発砲してしまう。



『やめろ。訓練中止だ』



突如八重樫の呆れた音声が入る。その時、吉村は自分のミスに初めて気付く。



「馬鹿野郎、一般人を撃つ奴があるか。訓練だがこれで何度目だ?」
「…すまない」



高田が咎めるも、吉村の意識は誤って発砲してしまった人形を向いていた。


八重樫は部下全員を整列させた。隊員は全員武装させており、八重樫は全員の目の前で発言する。
その声、その振る舞いは警察官というより軍人と表現した方が正しい。


「俺達の行動方針は何だ。佐々木、答えろ」



佐々木はSAT入隊時に脳全体に刻み込まれた文章を復唱した。



「被害者・関係者の安全を確保しつつ、事態の鎮圧、被疑者の"検挙"を実施する。であります」
「そうだ。その方針に失敗は許されず、ただ撃てばいいのがSATの仕事ではない。もし誤って人質や一般人を射殺した場合、吉村はどうやって遺族に詫びるんだ?」



吉村は答えられない。八重樫が吉村を修正しようと拳を振り上げた時、高田が呟いた。



「だったら、八重樫隊長が手本を見せてくださいよ」



この言葉に場の空気が凍った。上司の八重樫に向かってそのような口を聞くのもそうだが、万が一に八重樫が同じメニューに挑戦して失敗しようものなら後の上下関係が複雑なものになる。


他の隊員たちは発言した高田を冷や汗をかきながら一瞥した。



「いいだろう。高田、お前が上で操作しろ。」



八重樫は淡々と、自分の装備品の確認を行いながらスタート地点に向かった。
隊員たちは数少ない上司の実力を垣間見るチャンスに、生唾を呑んだ。
この訓練は本来、一人でやるものではない。
一応、相応の実力があれば出来ない事はないが、一人で遂行するには確実性に欠ける。部隊単位ではなく個人の手腕が問われるのだ。


八重樫はゴーグルをかけると、自動小銃のマガジンを抜いて目視で実装弾数を確認する。八重樫の銃の選択に、先にスタンバイしていた支援班隊員が聞いた。



「突撃銃ではなくていいのですか?」
「装弾数が多ければ良いというものでもない。大事なのは正確に当てて無駄弾をなくすことだ」



自動小銃の撃鉄を起こし、安全装置を解除する。左胸ポケットにマウントしている無線機のスイッチを入れた。



「八重樫だ。いつでもいい」
『では、突入開始』



支援班が破った扉に飛び込む八重樫。まず目にしたのは4、5人の一般人に紛れるテロリストだ。武装による人形の重心の偏りからテロリストを割り出し、左胸を撃つ。さらに遮蔽物になりそうな障害物も移動する毎にチェックしながら進む。



高田の人形の操作は、極端に言えば意地が悪かった。一般人の人形を多用しては八重樫の判断ミスを誘う。しかし、それを素早く確実に処理する判断力がある八重樫にとっては、逆に上司の腕を証明してしまう結果となる。



「所要時間57.49秒、無駄弾なし、人形の全てにヘッドショットか左胸撃ち。…やっぱり凄ぇな」



高田の口から素直な感想が漏れる。やはり隊長の肩書きは伊達ではない。この男がSATの隊長であると認識せざるを得なかった。

なお、これは能力を使用していない八重樫自身の実力である。特殊部隊の長に相応しいと力で見せつけた瞬間だった。



「これで満足か?」



背中で語る八重樫に、部下の隊員たちは尊敬と畏怖の眼差しを向けた。
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