本編


「そっちのヤマはどうだ?」
『思ったより早く片付きそうです。そちらは?』
「無駄足だった。捜査は振り出しだ」



同夜。通り雨が過ぎ去った直後の都内を走行する覆面パトカー。使い古された感のある黒い覆面パトカーに、伊吹と木内は乗っていた。運転は木内で、伊吹は助手席で同格の刑事、汐見に電話をかけながらラジオのチャンネルを合わせていた。



本日何度目かになる赤信号で車を停車させた木内は、おもむろに横断歩道を歩く人々を眺める。家族、カップル、仕事仲間、学生、客引き。老若男女の雑踏の中に、見覚えのある男を見つけた。



「ん? ……ああああっ!」
「悪い、切るぞ」



伊吹は汐見に断ると電話を切った。携帯電話をポケットにしまうと驚く木内に問いかける。



「いきなり叫ぶな。どうしたんだ?」



木内は効果音が付きそうな勢いで対象に指を指す。伊吹はそれを咎めようとしたが、とりあえずその先にいる対象を見ると咎める場合ではないと悟った。



「あの男、榎本雄二ですよね!?」
「……こりゃ驚いたな」



榎本雄二。スタルカ・ザルロフを最高指導者とする世界的テロ組織、GROWの構成員として指名手配されている男だ。夜なのにサングラスをかけ、貧乏揺すりをしながら信号待ちする男は確かに榎本に違いない。



「確かに榎本だな。毎日手配書の顔を拝んでいれば嫌でも目に焼き付く」
「どうします?」
「追うに決まってるだろ。捕まえれば総監賞クラスの大物だぞ」



榎本は伊吹達の存在を知ってか知らずかタクシーを呼び止めると乗り込み、急発進する。木内は慌ててアクセルを踏み覆面パトカーはタクシーの尾行を開始した。



木内が運転に集中する中、伊吹は再び汐見の携帯電話にかける。



『もしもし』
「今、榎本が乗ったタクシーを尾行している」
『榎本って、GROWの榎本ですか!?』
「その通り」
『偉く唐突ですね』
「俺も部下が発見した時にはかなり驚いた」
『電話したという事は応援が欲しいと?』
「察しが良くて助かる。タクシーは今―――」



榎本が向かった先は祭りで賑わう公園だった。タクシーを降りた榎本は辺りを見回し尾行がないかを確認するが、スモークの車内にいる2人を察知することはできない。
木内は適当な場所に車を停め、伊吹はタクシーの会社名とナンバーを控えた。



「こんなに混雑する場所で一体何を…」
「遊びに来た訳じゃねえだろ」



伊吹と木内は車を降りると榎本を追う。この時2人は自分達以外にも榎本を追う集団に気が付かなかった。


榎本は腕時計を気にしながら公衆電話近くのベンチに深々と座る。手荷物もなく、爆発物は持っていなさそうだがナイフか拳銃、いずれの武装の可能性があった。



「待ち合わせ、でしょうか。」
「そのようだな。少し様子を見よう。」



2人はある程度離れた街頭から人混みを利用して榎本を監視する。
途中、汐見から着信があり現在位置を詳細に教えた。



それから数分すると伊吹の肩を誰かが叩く。伊吹は振り向くも、相手は分かりきっている。汐見だ。
汐見は3人の部下を率いており、こちらの人員は6人に増えた。



「早かったな」
「所轄署の帰りからそのまま来ました。1課から応援も呼んでいます。榎本は?」
「あそこのベンチの男だ」



汐見とその部下は榎本を一瞥する。榎本を視認した汐見は気を引き締めた。丸腰でテロ組織の構成員に肉薄するのは危険だ。全員に緊張が走る。
それからすぐ、木内の予想通りにロシア人らしき外人が榎本に接触した。



「あれもGROWの構成員ですかね?」
「多分な。役者が揃ったんだ、そろそろ行くとするか」



捜査1課の応援が間に合わないのは心細いが、2人まとめて押さえるには今しかない。犯罪者がこちらの都合に合わせた試しはないが、特に汐見は不安を感じていた。



「榎本は俺と汐見で捕まえる。他は外人を捕まえてくれ」
「え?」



伊吹の指示に何より驚いたのは木内だ。てっきり伊吹と一緒に榎元を捕まえると思い込んでいた木内を察した伊吹は、すぐにフォローを入れる。



「外人は体格が違う。若者4人がかりの方が良いだろ」



そう言って木内の肩を叩いた。
伊吹と汐見、木内達はそれぞれ二手に分かれると、極力目立たぬよう、人混みに紛れて榎本らに接近する。が、正念場で力んでいた木内は外人と目が合ってしまう。



「!」



外人は感づき、榎元に身振りで知らせると別々に逃げ出した。



「やべぇ!」
「チッ!」
「追うぞ!」



伊吹と汐見、木内達もそれぞれを追う。



外人は体格を活かして人込みを掻き分け、時に通行人を突き飛ばして逃走した。外人が切り開いた道を木内達が少し遅れて追跡する。



榎本は逃げ足が速く、人と人の間を縫うように巧みに走る。だが走力に自信のある伊吹と汐見が追いつくのも時間の問題だ。



「俺が引き倒す。お前が手錠かけろ」
「はい!」



伊吹と汐見が距離を詰め始める。しかし、逮捕劇は予期せぬ展開で終息を迎えた。
伊吹らに気を取られていた榎本は進行方向にいた集団に数人がかりで取り押さえられたのだ。さらに、追い付いた伊吹と汐見もその集団に取り押さえられる。



「な、何で!?」
「馬鹿野郎! 俺は警察だ!」



伊吹はもみくちゃの中、警察手帳を掲げながら叫ぶ。すると集団のリーダーらしき男が冷静に返す。



「我々も警察だ」
「はあ!?」
「こっちは公安だ」
「お前ら公安かよ!?」
「こ、公安…」



普段は関わりのない公安部員に汐見が息を呑む反面、伊吹は敵意剥き出しで公安のリーダーを睨みつけた。公安部員が榎元を連行する傍ら、リーダーの男は伊吹と汐見に歩み寄って来た。



「我々は最初から榎元をマークしていた。もう邪魔をするなよ」
「警視庁の日陰者が何を言う」
「ちょっと…」



公安部員に口答えする伊吹を止めさせようとする汐見だが、伊吹は止めない。



「裏でコソコソと盗聴や違法工作する公安部殿は言う事が違うな」
「勘違いするな。日本の治安を守っているのは我々公安部だ。刑事部は大人しく捜査ごっこに徹していろ」



そう言ったリーダーの男は踵を返す。



「日本の治安を守っているのは公安部だけではない、刑事や制服警官の犠牲の上に成り立っているのを忘れるな!」



伊吹の怒号を背に、公安部員は撤収した。佇む伊吹が落ち着いたのを見た汐見は語りかける。



「良かったんですか? あんな事言って」
「お前も自分に正直に生きた方が良い。でないと早死にするぞ」



数分後、伊吹は同じく公安部に外人を連行された木内達と合流した。
11/42ページ
スキ