本編
その日に定時で上がった綾と凌が訪れたのは、高級そうなレストランだった。
到着した2人は窓際の見晴らしの良いテーブルに案内された。席に着いた凌は慣れない雰囲気に店内を見回す。
周りの客は正装した男女がほとんどで、カップルか親しい間柄である事が推測できる。凌と綾が互いにスーツなのは釣り合いが取れていた。
「こういうところ、あまり行かないの?」
「そうですね。皆で食べに行くとしても居酒屋とか丼ものですし。それにしても…」
凌はテーブルに置かれたフォークとナイフを難敵を見るような眼差しで見つめる。この光景から綾は察した。
「もしかして、テーブルマナーは心得てないとか?」
「…分かります?」
「まぁ、最低限はね」
それから凌は運ばれて来る料理に、綾から指導を受けながら食していく。人生のほとんどの食事を箸に依存してきた経歴を改めなければならない瞬間だった。
2人はイルミネーションを眺めながら会話に花が咲く。学生の頃の話、警察学校時代の苦労話、TVで見た心霊体験話……話の種は尽きない。
能力者と爾落人が同じ空間で食事をしているというのに、この事実を知らない周りの客は、パートナーと思い思いの時間を過ごしている。第三者から見た凌と綾は、この光景に完全に溶け込んでいた。
しばらくしていい時間になった頃、綾が伝票を持って立ち上がった。会計だ。凌は会計時にやっぱり悪いからと折半しようとしたが、それでは礼にならないと言う綾に、今度は凌が折れた。
会計を済ませて外に出る頃には雨が降りだしていた。本降りではないが、傘がなければ地味に濡れる雨だ。
「あら?」
「雨…ですね」
今夜の天気予報は曇りで降水確率は低かった。2020年代でも天気予報は時折外れている。
凌は仕方なしに折り畳み傘を取り出す。
「あれ?」
「備えあれば、ってやつですよ」
凌はあまり使い慣れていないのか、少し覚束ない手つきで折り畳み傘を広げると綾に差し出す。綾は怪訝そうな表情で凌を見上げた。
「使っていいですよ」
「ありがとう。でも東條君は?」
「俺は傘なしで大丈夫です」
凌に差し出されるがまま傘を受け取る綾だったが、他人の傘に自分だけ入るのは気が引けた。
なるべく濡れないよう雨の中に飛び込もうとする凌に、今度は綾が傘を差し出す。
「入る?」
「え?」
「だって、それはさすがに悪いから」
「…では」
凌は綾の厚意に甘え、同じ傘に入った。肩と肩が触れ合うような距離に、凌の動悸は早まる。この鼓動を綾に悟られまいと、凌は必死に平静を装おうと奮闘した。
雨は、所謂通り雨だったが2人が車にたどり着くまで降り続いた。