本編
4
「こちらにいましたか」
本部の廊下の窓から修練場での凱吾と警備担当官の試合を眺めていた私に話しかけてきたのは、凱吾の精密検査を頼んでいた医師であった。
「ここからだと見えるから。……あの警備担当官、相当の腕ね」
「あぁ、イヴァンですか。……個人名だけではローシェ様もわかりませんね。Jのイヴァンですよ、彼が」
それを聞いて彼の正体に初めて気が付いた。スーツを装着している姿でしか知らなかったとはいえ、名前に気が付かなかったのは代表として情けない。
彼はこの極東コロニー最強とうたわれる戦闘者だったのか。
「……え? では、凱吾はJのイヴァンに勝ってしまったの?」
「その様ですね。しかし、これからご報告する内容をお聞きになられれば、納得も出来るでしょうね」
彼は一度微笑むと、表情を戻し、データを表示させた。凱吾の血液についての詳細検査結果だった。
「MM-88? 初めて聞くわ」
「既に撲滅されたとされている一種の「G」です。2000年代にその存在が確認されているので、彼がキャリアであっても、稀ではありますがありえない事ではありません。また、史上最小の「G」と考えられる存在で、その特徴から体液感染のみと考えられている為、凱吾さんがコロニー内を動くことに問題はありません」
「それが彼に確認された「G」の反応の正体?」
「そう考えて問題はありません。それに既にその機能は失われています。検査に時間がかかっていたのも、彼の血液自体にそれが存在していたのではなく、血中の細胞内、具体的にはミトコンドリアの中に存在していた為です」
平面画像のデータとは別にミトコンドリアの立体モデルを表示させて医師は説明をする。
「それで、この「G」に感染すると何があるの?」
「まだ情報収集中ですが、発症レベルによっては深刻な問題も起こるようです。一つは細胞死。アポトーシスといわれる一種の自己防衛システムを暴走させてしまい、健康な生体組織の壊死があるようです。それが脳で起これば、アルツハイマー症候群と総称される記憶障害が引き起こります。稀有なケースですが、更に全身が発火する……人体自然発火現象が誘発される様です」
「なっ! 凱吾は大丈夫なの?」
話を聞いて私は血相をかいて聞くが、彼は涼しい顔で答えた。
「先程お伝えした様に、彼の「G」はすでにその機能を失われています。恐らく、何らかの治療を受けているのでしょう。全く、謎の多い方ですよ、凱吾さんは」
「つまり、どのような治療を受けたのかもわからないのね?」
「はい。そもそも、当時の医療技術で治療は愚か、その発見すら難しい存在だと思います。一応、記録に残っている以上、当時でも発見は可能かもしれませんが、治療ができるとは思えません」
「つまり、治癒の「G」が関わったということ?」
私が聞くと彼は頷いた。
「それも、MM-88の機能を失わせ、尚かつ巫師でも能力者でもない彼に「G」を受容できる媒体となるようにわざとミトコンドリアに取り込ませている……明らかに何者かの意志で行われた処置です」
「そんな事が?」
「できるできないの問題はこの際置いておきましょう。はっきりと言ってしまえば、彼に関するあらゆる事が有り得ないことなんですよ。……お陰で、もう一つの結果にもさして驚きませんでした」
彼は苦笑した。
もう一つ、それが何か私にはわからなかった。
「何ですか?」
「精密検査なので、当然現在のコロニー住人に行うあらゆる検査項目も網羅させています。それは、本来巫師の力が強い者に対して行う項目も含まれていました。……先日、イヴァンに「連合」中で最適任者と判断が下された数値をあっさり上回り、適合者と判断されました」
彼の言葉に、何の数値かという説明がなかったが、それはもはや必要のない説明であった。
「真の適合者なのですか?」
「はい。それも、レベル3です」
「……この話、適任者のイヴァンには?」
「まだです。しかし、彼の事は心配いりません。元々真の装着には乗る気ではありませんでしたし、彼の、Jの特性を考えれば、真での実戦は彼に向いていません」
「……そうね。事情説明は私から凱吾にしましょう。イヴァンには、あなたからのがいいでしょう」
「私もそう思います」
私は頷くと、整備長に連絡を入れた。
騒がしい声が聞こえる中応じた彼に私は用件だけを伝えた。
「明日までに中央コロニーから送られた真の……レベル3の整備をすませておいて下さい!」
「様子は如何かしら?」
夕日が治療室の窓から差し込む頃、ローシェが訪れた。
「既に回復しているそうです。わざわざ申し訳ありません」
治療用のカプセル型のベッドに横になっていたイヴァンが答えた。
俺は今朝の手前、彼女の顔を見て話す気にはなれなかった。結局、まだ俺は大人になりきれない。
「そう。……凱吾、彼に話す事があるの。あなたには後で話すから、今は席を外してもらえるかしら?」
その頼みを拒否する理由はないが、俺はイヴァンの顔を見た。
彼は頷いた。
「わかった」
俺はローシェの横を抜けて廊下に出た。
しかし、俺は時間を潰す場所など知らない。ここにいて立ち聞きしていると思われるのもよくない。
結局、俺は地下の格納庫に行くことにした。
俺が格納庫の整備区画へ行くと、整備長達の姿はなく、閑散としていた。時間も夕暮れだ。既に今日の仕事が終わっているかもしれない。
そんなことを考えつつ、ガンヘッドとG動力炉のところへ歩いていく。すると、その前に人の気配を感じた。
「……ちっ」
ガンヘッドの前にいた人物が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。怪しい。
「そこで何をしているんだ?」
「それはこっちの台詞だ。こんなところで何してんだ?」
背格好と声から相手が男であるとわかる。彼は振り返らずに質問で返してきた。
「話をするときは人の目を見て話せって言われなかったのか? 顔を見せろ」
「細かいことをうるさいやつだ。仕方がない。ま、お前には俺の顔が見ることができないけどな!」
「なっ!」
振り向いた男は、後姿では確かに存在していた首から上が消えていた。しかし、俺には顔が見えなかった。
「爾落人?」
「だったら?」
「何の用だ!」
「この状況から察しが突くだろう? 蒲生凱吾!」
「なんで俺の名前を!」
「なに、お前の親父とちょっとした知り合いだっただけさ」
「何者だ!」
「爾落人」
「そういうことを聞いているんじゃねぇ!」
俺は煙に巻く男にイラつき、歩み寄る。
「おっと、これ以上近づくなよ? お前、俺の能力がわかっていないんだろ? 俺には、こいつを破壊することだってできるんだぜ?」
男は右手をG動力炉に当てて言った。
俺は歩みを止めた。彼の言っていることが本当か嘘かわからない。しかし、万が一本当にアレを破壊できる能力を持っているとすれば、それを許すわけにはいかない。
こいつの能力は一体何か、俺は記憶を辿るが、わかっているのはこの男の顔が見えなくなった事だけだ。……まさか。
「心理? ……いや、真理の爾落人? だが、そんなはずは!」
「俺の正体もわからずに、そんな断定ができるのか? 真理か……、面白い。試してみようか?」
「やめろ!」
俺は叫んだ。相手は少しの間何もしなかったが、やがて手をG動力炉から離し、肩を落とした。
「やっぱりただの人間か。……あいつらが切り札にしていたんだから、もっと期待していたんだが、仕方ないな。安心しろ、今日のところは下見だ。……あ、俺の正体については、次に会うときまでの宿題だ。せいぜい、考えておくんだな?」
男は悠々とした足取りで俺の横を歩いていく。俺は男を捕まえようと手を伸ばす。
「待て!」
「動くな!」
「うっ!」
全身に激痛が走り、男に伸ばした手は愚か、全身が石のように動かない。
「それから、そいつを多くの「G」が狙っていることを覚えておけ」
男が俺の背後で告げると、男の足音はだんだんと遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
男の気配が消えると、俺の全身を縛る痛みは消え、体が床に崩れた。
「なんだったんだ、今のは?」
私が夕食を代表室で食べていると、凱吾が訪ねてきた。
「ローシェ、このコロニーの中に爾落人が入っている」
彼は開口一番に言い、私の前に歩きよってきた。
「それは本当?」
「あぁ。俺のG動力炉を狙っている」
「……その正体に心当たりは?」
「ない。ただ、もしかしたら心理の能力をもっているかもしれない」
「心理? ……稀な能力ね。情報を確認しないと確かなことは言えませんが、この100年間、心理の能力を持つ存在は確認されていません」
「………ならば、真理は?」
「え?」
彼の発した言葉は確かに、真理を意味するものであった。
私は眉を寄せた。
「真理の能力という意味ですか?」
「そうだ。日本語では心理と同じ発音のSINRI。基本的には心理と同じで、発した言葉が概念そのものに影響を与えるが、その対象は言葉を聞いた者だけでなく、物質、空間……いや、世界そのものに及ぶ。……知らないのか?」
呆然とする私の表情に気づいた凱吾が聞いた。私は頷く。
「えぇ。私の知識は万能ではありませんが、その真理という能力は……信じられません。言葉だけで世界の概念そのものに影響を与えるなんて」
「実際に存在している。……少なくとも、2000年前には一人」
「そうですか……」
私は目の前に画面を表示させ、「連合」のデータベースから真理の爾落人についての情報を検索した。
「……凱吾、真理の爾落人という存在は本当?」
「どうした?」
「真理の爾落人という存在は、記録にありません。……2000年前にも」
「え?」
「勿論、現在のデータベースが構築されたのは、つい200年前ですが、その元となるデータは2010年以降に存在した国家や企業のものを用いています。欠損が存在したとしても、存在自体が記録に残っていないというのは……存在していないとしか」
「そんな筈は……後藤銀河だ!」
「後藤銀河……記録に残っていないわ」
私は検索結果を見て首を振った。
「記録にない? ……そんな馬鹿な。21世紀の四半世紀は、歴史の表舞台で存在した爾落人の一人だったはずだぞ?」
「いいえ、存在の痕跡すらありません」
「一体どういう事なんだ?」
凱吾が頭をかきむしる。しかし、その手は止まった。
「そうか、後藤銀河は偽名を多用していた。……しかし、少なくともJ.G.R.C.のデータにはあった。ローシェ、ガンヘッドはデータにあったんだよな?」
「えぇ」
「見せてくれないか?」
「ちょっと待ってて」
私はガンヘッド507のデータを表示させた。それを凱吾は覗き込む。
「……基本はアメリカ軍のデータみたいだが、やっぱりJ.G.R.C.のデータも使われている。……ということは、J.G.R.C.のデータもこのデータベースには引き継がれている。……それで、後藤銀河の情報が存在していない」
凱吾は一人ぶつぶつと呟いて考えている。
しかし、彼の独り言を聞いていて何となくではあるが、状況が飲み込めた。
「つまり、その人物の情報は、意図的に削除されたという事ではないでしょうか?」
「! ……そうか、母さんが」
「心当たりが?」
「あぁ。……だが、記録にその痕跡すら残っていないということがあるのか?」
「本当なら、到底考えられないことです。……でも、それが心理の能力に近い存在でしたら、ありえます」
「心理の力で関係者の記録から後藤銀河の存在を消させた」
「はい。それに、真理という特異な能力があるとすれば、記録そのものが消えるようにすることも可能なのではないでしょうか?」
「その可能性はあるが………」
一度は私の意見に納得した様子を示した凱吾だったが、なにか腑に落ちない様で腕を組んで考える。
「何か気になることでも?」
「まぁな。……確かに、心理や真理があれば、記録から後藤銀河や真理の能力の存在を消すことは可能だが、それを行ったとすれば、俺がこの時代へ来た後でのことになる」
「正しくは、あなたがその人物のデータを確認した後ということですが」
「だからだ。……あの日、俺がニューヨークでアイツと会った時、俺は真理の爾落人、後藤銀河のデータを見た。……やはり、後藤銀河によるものではない!」
「なぜそれを断言できるの?」
私が聞くと、彼はじっと視線を壁に向けた。まるで壁の先にかつての出来事が映し出されているかのように、じっと壁を見つめ、そのまま彼はポツリと答えた。
「あの日から後藤銀河という爾落人はこの世にいない」
「それって………何?」
私が凱吾から更に詳しい話を聞こうとしたが、それを遮るように緊急連絡がかかった。
「どうしました?」
『緊急連絡です』
私が連絡に応じると、相手は管制官であった。彼は冷静な表情を崩さずに口を開いた。しかし、その額には薄っすらと汗が滲み出ているのを私は見逃さなかった。
彼は、言葉を続けた。
『10分前、「帝国」の極北コロニーが「G」により破壊されました』
「なんですって!」
「「帝国」っていうのは、確かアメリカ大陸にある爾落人が統治しているって国だよな?」
通信を終えたローシェに俺は聞いた。
彼女は青ざめた表情で頷く。
「そうよ。しかも、今破壊されたという「帝国」の極北コロニーは、条件的には極東コロニーと近い環境に存在し、そこで暮らす爾落人、能力者の人数は「帝国」で二番目に多いといわれているわ。……つまり、現在の世界で二番目に多くの戦力を持つコロニーが破壊されたということよ」
ローシェは俺が見える位置に世界地図の画面を表示させ、「帝国」極北コロニーの位置を示しながら説明する。場所は、21世紀でのアメリカ合衆国アラスカ州の内陸地であった。地図を見て、ローシェが世界一の大国と言い換えられる存在に「帝国」が存在する意味がわかった。「帝国」はかつてのアメリカとカナダの領土を基礎にしているようだ。同様に、「連合」は旧ソビエトの領土を基礎にしているように見える。
「世界の勢力図は変わらないんだな」
「え?」
「いや、こっちの話さ。……しかし、数が多くても所詮多勢に無勢ってことなんだろうな。相手が「G」ならば、戦力は足し算だけで決められない」
「それは事実ですが、極北コロニーの戦力は世界中のコロニーの中でもトップクラスです。攻撃に適した能力以外にも、予知やテレパシーなどの能力の質も他のコロニーとは比にならない高さです。危険を事前に対策する防衛力も相当高いのです」
「だが、所詮は火を起こす能力、風を起こす能力、物体を動かす能力とか、そういう類だろ?」
「それはそうですが……」
ローシェは俺の意見に反論が出来ない。どうやら俺の予想は当たっているようだ。
「本当に強力な能力ってのは、万物の本質に関わる力だ。空間の支配、時間の支配、変化の支配、自然物の支配………そういう存在だ」
「しかし、そんな強力な爾落人は皆……」
「コロニーに定住していない。つまり、単独で世界を旅しているか、「旅団」とやらに属しているってことなんだろう? あまりにも桁が違いすぎる能力は、能力者にすら恐れられる。ましては普通の人間には、怪獣との区別すら難しい存在に思われているだろうからな」
「う……」
俺の意見に、彼女は自分の発言を思い出したのか、反論できない。予想は当たったらしい。
つまり、今回のコロニーを破壊した「G」と戦えるとすれば、「旅団」などに属する特殊な爾落人ということだ。距離として決して近くはないが、このコロニーが件のコロニーから二番目に近いコロニーであることは、地図を見てわかる。一番近いコロニーは「帝国」のコロニーだが、山脈を越えた先にある。そちらのコロニーでなく、このコロニーを「G」が次の標的にする可能性は高い。
不意に俺の脳裏に、整備区画で会った男のG動力炉を狙うものを示唆する言葉が浮ぶ。
「まさかな……」
俺がぼそりと呟いた。
ローシェが怪訝な顔をしていたが、彼女が口を開く前に新たな通信が入った。
「はい、ローシェです」
『「旅団」の緊急通信です。お繋ぎしますか?』
「「旅団」? ……いいわ、繋げて」
彼女が答えると、画面の映像が切り替わった。穏やかな表情をした男性の顔が現れた。
『突然の連絡、失礼致しました。私は「旅団」の長、蛾雷夜と申します。既に「帝国」の極北コロニー破壊の連絡は受けていると思います』
「はい」
『我々は、件のコロニーの近くにいた為、難民の救援を引き受けました。残念ながら、「G」はすでに移動した後でしたが』
「なるほど。それで、用件はなんでしょうか?」
『うむ。実は、「帝国」の救援部隊も「G」による攻撃を受け始めた段階で向かっていたらしく、避難民の救助活動を行っている。しかし、必然的に「帝国」の重要な財産でもある爾落人と能力者の救助が優先される為、一般の人を救助する人手も収容できる乗り物もない。故に、彼らの難民として我々が救助した。しかし、我々は通常のコロニーとは違う為、長期の多数の人員を収容するだけの余力がない。そこで、「連合」極東コロニーに、難民の引き受けの要請を求める次第です。勿論、「帝国」から既に、状況が落ち着き次第、避難民の受け入れ態勢を整えるという約束を得ている。この避難民の引き受けは一時的なものであるということは、仲介に立ったこの蛾雷夜の名誉をもって保証します』
「……わかりました。人数は? こちらの余力にも限界があります」
『ありがとうございます。当然でしょうとも。人数は正確な集計がまだですが、およそ200名です』
「その程度ですか? 極北コロニーは、確か数十万人規模の人間がいたはずですが?」
『コロニーは破壊されたのです。我々が救助したのは、コロニーから脱出した避難民です。……状況、お察しいただけますね?』
「それほどの被害なのですか」
青ざめているローシェに蛾雷夜は頷いた。
『詳しい状況、事情はそちらへ到着してから説明致します。既に我々は航路を貴コロニーにむけておりますので、明日の朝までには到着するかと思います。そちらの準備、よろしくお願いいたします』
「わかりました」
通信を切り、ローシェは机にうなだれた。
その姿を見ながら俺は、今の話に嫌な予想が浮び、それを拭えずにいた。俺がこの時代に来るきっかけとなったニューヨークのマンハッタン壊滅と今回の事は非常によく似ている。まさかとは思うが、あの「G」が現れたのかもしれない。そんな予想が、いつまでも俺の頭の中を渦巻いていた。
「こちらにいましたか」
本部の廊下の窓から修練場での凱吾と警備担当官の試合を眺めていた私に話しかけてきたのは、凱吾の精密検査を頼んでいた医師であった。
「ここからだと見えるから。……あの警備担当官、相当の腕ね」
「あぁ、イヴァンですか。……個人名だけではローシェ様もわかりませんね。Jのイヴァンですよ、彼が」
それを聞いて彼の正体に初めて気が付いた。スーツを装着している姿でしか知らなかったとはいえ、名前に気が付かなかったのは代表として情けない。
彼はこの極東コロニー最強とうたわれる戦闘者だったのか。
「……え? では、凱吾はJのイヴァンに勝ってしまったの?」
「その様ですね。しかし、これからご報告する内容をお聞きになられれば、納得も出来るでしょうね」
彼は一度微笑むと、表情を戻し、データを表示させた。凱吾の血液についての詳細検査結果だった。
「MM-88? 初めて聞くわ」
「既に撲滅されたとされている一種の「G」です。2000年代にその存在が確認されているので、彼がキャリアであっても、稀ではありますがありえない事ではありません。また、史上最小の「G」と考えられる存在で、その特徴から体液感染のみと考えられている為、凱吾さんがコロニー内を動くことに問題はありません」
「それが彼に確認された「G」の反応の正体?」
「そう考えて問題はありません。それに既にその機能は失われています。検査に時間がかかっていたのも、彼の血液自体にそれが存在していたのではなく、血中の細胞内、具体的にはミトコンドリアの中に存在していた為です」
平面画像のデータとは別にミトコンドリアの立体モデルを表示させて医師は説明をする。
「それで、この「G」に感染すると何があるの?」
「まだ情報収集中ですが、発症レベルによっては深刻な問題も起こるようです。一つは細胞死。アポトーシスといわれる一種の自己防衛システムを暴走させてしまい、健康な生体組織の壊死があるようです。それが脳で起これば、アルツハイマー症候群と総称される記憶障害が引き起こります。稀有なケースですが、更に全身が発火する……人体自然発火現象が誘発される様です」
「なっ! 凱吾は大丈夫なの?」
話を聞いて私は血相をかいて聞くが、彼は涼しい顔で答えた。
「先程お伝えした様に、彼の「G」はすでにその機能を失われています。恐らく、何らかの治療を受けているのでしょう。全く、謎の多い方ですよ、凱吾さんは」
「つまり、どのような治療を受けたのかもわからないのね?」
「はい。そもそも、当時の医療技術で治療は愚か、その発見すら難しい存在だと思います。一応、記録に残っている以上、当時でも発見は可能かもしれませんが、治療ができるとは思えません」
「つまり、治癒の「G」が関わったということ?」
私が聞くと彼は頷いた。
「それも、MM-88の機能を失わせ、尚かつ巫師でも能力者でもない彼に「G」を受容できる媒体となるようにわざとミトコンドリアに取り込ませている……明らかに何者かの意志で行われた処置です」
「そんな事が?」
「できるできないの問題はこの際置いておきましょう。はっきりと言ってしまえば、彼に関するあらゆる事が有り得ないことなんですよ。……お陰で、もう一つの結果にもさして驚きませんでした」
彼は苦笑した。
もう一つ、それが何か私にはわからなかった。
「何ですか?」
「精密検査なので、当然現在のコロニー住人に行うあらゆる検査項目も網羅させています。それは、本来巫師の力が強い者に対して行う項目も含まれていました。……先日、イヴァンに「連合」中で最適任者と判断が下された数値をあっさり上回り、適合者と判断されました」
彼の言葉に、何の数値かという説明がなかったが、それはもはや必要のない説明であった。
「真の適合者なのですか?」
「はい。それも、レベル3です」
「……この話、適任者のイヴァンには?」
「まだです。しかし、彼の事は心配いりません。元々真の装着には乗る気ではありませんでしたし、彼の、Jの特性を考えれば、真での実戦は彼に向いていません」
「……そうね。事情説明は私から凱吾にしましょう。イヴァンには、あなたからのがいいでしょう」
「私もそう思います」
私は頷くと、整備長に連絡を入れた。
騒がしい声が聞こえる中応じた彼に私は用件だけを伝えた。
「明日までに中央コロニーから送られた真の……レベル3の整備をすませておいて下さい!」
「様子は如何かしら?」
夕日が治療室の窓から差し込む頃、ローシェが訪れた。
「既に回復しているそうです。わざわざ申し訳ありません」
治療用のカプセル型のベッドに横になっていたイヴァンが答えた。
俺は今朝の手前、彼女の顔を見て話す気にはなれなかった。結局、まだ俺は大人になりきれない。
「そう。……凱吾、彼に話す事があるの。あなたには後で話すから、今は席を外してもらえるかしら?」
その頼みを拒否する理由はないが、俺はイヴァンの顔を見た。
彼は頷いた。
「わかった」
俺はローシェの横を抜けて廊下に出た。
しかし、俺は時間を潰す場所など知らない。ここにいて立ち聞きしていると思われるのもよくない。
結局、俺は地下の格納庫に行くことにした。
俺が格納庫の整備区画へ行くと、整備長達の姿はなく、閑散としていた。時間も夕暮れだ。既に今日の仕事が終わっているかもしれない。
そんなことを考えつつ、ガンヘッドとG動力炉のところへ歩いていく。すると、その前に人の気配を感じた。
「……ちっ」
ガンヘッドの前にいた人物が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。怪しい。
「そこで何をしているんだ?」
「それはこっちの台詞だ。こんなところで何してんだ?」
背格好と声から相手が男であるとわかる。彼は振り返らずに質問で返してきた。
「話をするときは人の目を見て話せって言われなかったのか? 顔を見せろ」
「細かいことをうるさいやつだ。仕方がない。ま、お前には俺の顔が見ることができないけどな!」
「なっ!」
振り向いた男は、後姿では確かに存在していた首から上が消えていた。しかし、俺には顔が見えなかった。
「爾落人?」
「だったら?」
「何の用だ!」
「この状況から察しが突くだろう? 蒲生凱吾!」
「なんで俺の名前を!」
「なに、お前の親父とちょっとした知り合いだっただけさ」
「何者だ!」
「爾落人」
「そういうことを聞いているんじゃねぇ!」
俺は煙に巻く男にイラつき、歩み寄る。
「おっと、これ以上近づくなよ? お前、俺の能力がわかっていないんだろ? 俺には、こいつを破壊することだってできるんだぜ?」
男は右手をG動力炉に当てて言った。
俺は歩みを止めた。彼の言っていることが本当か嘘かわからない。しかし、万が一本当にアレを破壊できる能力を持っているとすれば、それを許すわけにはいかない。
こいつの能力は一体何か、俺は記憶を辿るが、わかっているのはこの男の顔が見えなくなった事だけだ。……まさか。
「心理? ……いや、真理の爾落人? だが、そんなはずは!」
「俺の正体もわからずに、そんな断定ができるのか? 真理か……、面白い。試してみようか?」
「やめろ!」
俺は叫んだ。相手は少しの間何もしなかったが、やがて手をG動力炉から離し、肩を落とした。
「やっぱりただの人間か。……あいつらが切り札にしていたんだから、もっと期待していたんだが、仕方ないな。安心しろ、今日のところは下見だ。……あ、俺の正体については、次に会うときまでの宿題だ。せいぜい、考えておくんだな?」
男は悠々とした足取りで俺の横を歩いていく。俺は男を捕まえようと手を伸ばす。
「待て!」
「動くな!」
「うっ!」
全身に激痛が走り、男に伸ばした手は愚か、全身が石のように動かない。
「それから、そいつを多くの「G」が狙っていることを覚えておけ」
男が俺の背後で告げると、男の足音はだんだんと遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
男の気配が消えると、俺の全身を縛る痛みは消え、体が床に崩れた。
「なんだったんだ、今のは?」
私が夕食を代表室で食べていると、凱吾が訪ねてきた。
「ローシェ、このコロニーの中に爾落人が入っている」
彼は開口一番に言い、私の前に歩きよってきた。
「それは本当?」
「あぁ。俺のG動力炉を狙っている」
「……その正体に心当たりは?」
「ない。ただ、もしかしたら心理の能力をもっているかもしれない」
「心理? ……稀な能力ね。情報を確認しないと確かなことは言えませんが、この100年間、心理の能力を持つ存在は確認されていません」
「………ならば、真理は?」
「え?」
彼の発した言葉は確かに、真理を意味するものであった。
私は眉を寄せた。
「真理の能力という意味ですか?」
「そうだ。日本語では心理と同じ発音のSINRI。基本的には心理と同じで、発した言葉が概念そのものに影響を与えるが、その対象は言葉を聞いた者だけでなく、物質、空間……いや、世界そのものに及ぶ。……知らないのか?」
呆然とする私の表情に気づいた凱吾が聞いた。私は頷く。
「えぇ。私の知識は万能ではありませんが、その真理という能力は……信じられません。言葉だけで世界の概念そのものに影響を与えるなんて」
「実際に存在している。……少なくとも、2000年前には一人」
「そうですか……」
私は目の前に画面を表示させ、「連合」のデータベースから真理の爾落人についての情報を検索した。
「……凱吾、真理の爾落人という存在は本当?」
「どうした?」
「真理の爾落人という存在は、記録にありません。……2000年前にも」
「え?」
「勿論、現在のデータベースが構築されたのは、つい200年前ですが、その元となるデータは2010年以降に存在した国家や企業のものを用いています。欠損が存在したとしても、存在自体が記録に残っていないというのは……存在していないとしか」
「そんな筈は……後藤銀河だ!」
「後藤銀河……記録に残っていないわ」
私は検索結果を見て首を振った。
「記録にない? ……そんな馬鹿な。21世紀の四半世紀は、歴史の表舞台で存在した爾落人の一人だったはずだぞ?」
「いいえ、存在の痕跡すらありません」
「一体どういう事なんだ?」
凱吾が頭をかきむしる。しかし、その手は止まった。
「そうか、後藤銀河は偽名を多用していた。……しかし、少なくともJ.G.R.C.のデータにはあった。ローシェ、ガンヘッドはデータにあったんだよな?」
「えぇ」
「見せてくれないか?」
「ちょっと待ってて」
私はガンヘッド507のデータを表示させた。それを凱吾は覗き込む。
「……基本はアメリカ軍のデータみたいだが、やっぱりJ.G.R.C.のデータも使われている。……ということは、J.G.R.C.のデータもこのデータベースには引き継がれている。……それで、後藤銀河の情報が存在していない」
凱吾は一人ぶつぶつと呟いて考えている。
しかし、彼の独り言を聞いていて何となくではあるが、状況が飲み込めた。
「つまり、その人物の情報は、意図的に削除されたという事ではないでしょうか?」
「! ……そうか、母さんが」
「心当たりが?」
「あぁ。……だが、記録にその痕跡すら残っていないということがあるのか?」
「本当なら、到底考えられないことです。……でも、それが心理の能力に近い存在でしたら、ありえます」
「心理の力で関係者の記録から後藤銀河の存在を消させた」
「はい。それに、真理という特異な能力があるとすれば、記録そのものが消えるようにすることも可能なのではないでしょうか?」
「その可能性はあるが………」
一度は私の意見に納得した様子を示した凱吾だったが、なにか腑に落ちない様で腕を組んで考える。
「何か気になることでも?」
「まぁな。……確かに、心理や真理があれば、記録から後藤銀河や真理の能力の存在を消すことは可能だが、それを行ったとすれば、俺がこの時代へ来た後でのことになる」
「正しくは、あなたがその人物のデータを確認した後ということですが」
「だからだ。……あの日、俺がニューヨークでアイツと会った時、俺は真理の爾落人、後藤銀河のデータを見た。……やはり、後藤銀河によるものではない!」
「なぜそれを断言できるの?」
私が聞くと、彼はじっと視線を壁に向けた。まるで壁の先にかつての出来事が映し出されているかのように、じっと壁を見つめ、そのまま彼はポツリと答えた。
「あの日から後藤銀河という爾落人はこの世にいない」
「それって………何?」
私が凱吾から更に詳しい話を聞こうとしたが、それを遮るように緊急連絡がかかった。
「どうしました?」
『緊急連絡です』
私が連絡に応じると、相手は管制官であった。彼は冷静な表情を崩さずに口を開いた。しかし、その額には薄っすらと汗が滲み出ているのを私は見逃さなかった。
彼は、言葉を続けた。
『10分前、「帝国」の極北コロニーが「G」により破壊されました』
「なんですって!」
「「帝国」っていうのは、確かアメリカ大陸にある爾落人が統治しているって国だよな?」
通信を終えたローシェに俺は聞いた。
彼女は青ざめた表情で頷く。
「そうよ。しかも、今破壊されたという「帝国」の極北コロニーは、条件的には極東コロニーと近い環境に存在し、そこで暮らす爾落人、能力者の人数は「帝国」で二番目に多いといわれているわ。……つまり、現在の世界で二番目に多くの戦力を持つコロニーが破壊されたということよ」
ローシェは俺が見える位置に世界地図の画面を表示させ、「帝国」極北コロニーの位置を示しながら説明する。場所は、21世紀でのアメリカ合衆国アラスカ州の内陸地であった。地図を見て、ローシェが世界一の大国と言い換えられる存在に「帝国」が存在する意味がわかった。「帝国」はかつてのアメリカとカナダの領土を基礎にしているようだ。同様に、「連合」は旧ソビエトの領土を基礎にしているように見える。
「世界の勢力図は変わらないんだな」
「え?」
「いや、こっちの話さ。……しかし、数が多くても所詮多勢に無勢ってことなんだろうな。相手が「G」ならば、戦力は足し算だけで決められない」
「それは事実ですが、極北コロニーの戦力は世界中のコロニーの中でもトップクラスです。攻撃に適した能力以外にも、予知やテレパシーなどの能力の質も他のコロニーとは比にならない高さです。危険を事前に対策する防衛力も相当高いのです」
「だが、所詮は火を起こす能力、風を起こす能力、物体を動かす能力とか、そういう類だろ?」
「それはそうですが……」
ローシェは俺の意見に反論が出来ない。どうやら俺の予想は当たっているようだ。
「本当に強力な能力ってのは、万物の本質に関わる力だ。空間の支配、時間の支配、変化の支配、自然物の支配………そういう存在だ」
「しかし、そんな強力な爾落人は皆……」
「コロニーに定住していない。つまり、単独で世界を旅しているか、「旅団」とやらに属しているってことなんだろう? あまりにも桁が違いすぎる能力は、能力者にすら恐れられる。ましては普通の人間には、怪獣との区別すら難しい存在に思われているだろうからな」
「う……」
俺の意見に、彼女は自分の発言を思い出したのか、反論できない。予想は当たったらしい。
つまり、今回のコロニーを破壊した「G」と戦えるとすれば、「旅団」などに属する特殊な爾落人ということだ。距離として決して近くはないが、このコロニーが件のコロニーから二番目に近いコロニーであることは、地図を見てわかる。一番近いコロニーは「帝国」のコロニーだが、山脈を越えた先にある。そちらのコロニーでなく、このコロニーを「G」が次の標的にする可能性は高い。
不意に俺の脳裏に、整備区画で会った男のG動力炉を狙うものを示唆する言葉が浮ぶ。
「まさかな……」
俺がぼそりと呟いた。
ローシェが怪訝な顔をしていたが、彼女が口を開く前に新たな通信が入った。
「はい、ローシェです」
『「旅団」の緊急通信です。お繋ぎしますか?』
「「旅団」? ……いいわ、繋げて」
彼女が答えると、画面の映像が切り替わった。穏やかな表情をした男性の顔が現れた。
『突然の連絡、失礼致しました。私は「旅団」の長、蛾雷夜と申します。既に「帝国」の極北コロニー破壊の連絡は受けていると思います』
「はい」
『我々は、件のコロニーの近くにいた為、難民の救援を引き受けました。残念ながら、「G」はすでに移動した後でしたが』
「なるほど。それで、用件はなんでしょうか?」
『うむ。実は、「帝国」の救援部隊も「G」による攻撃を受け始めた段階で向かっていたらしく、避難民の救助活動を行っている。しかし、必然的に「帝国」の重要な財産でもある爾落人と能力者の救助が優先される為、一般の人を救助する人手も収容できる乗り物もない。故に、彼らの難民として我々が救助した。しかし、我々は通常のコロニーとは違う為、長期の多数の人員を収容するだけの余力がない。そこで、「連合」極東コロニーに、難民の引き受けの要請を求める次第です。勿論、「帝国」から既に、状況が落ち着き次第、避難民の受け入れ態勢を整えるという約束を得ている。この避難民の引き受けは一時的なものであるということは、仲介に立ったこの蛾雷夜の名誉をもって保証します』
「……わかりました。人数は? こちらの余力にも限界があります」
『ありがとうございます。当然でしょうとも。人数は正確な集計がまだですが、およそ200名です』
「その程度ですか? 極北コロニーは、確か数十万人規模の人間がいたはずですが?」
『コロニーは破壊されたのです。我々が救助したのは、コロニーから脱出した避難民です。……状況、お察しいただけますね?』
「それほどの被害なのですか」
青ざめているローシェに蛾雷夜は頷いた。
『詳しい状況、事情はそちらへ到着してから説明致します。既に我々は航路を貴コロニーにむけておりますので、明日の朝までには到着するかと思います。そちらの準備、よろしくお願いいたします』
「わかりました」
通信を切り、ローシェは机にうなだれた。
その姿を見ながら俺は、今の話に嫌な予想が浮び、それを拭えずにいた。俺がこの時代に来るきっかけとなったニューヨークのマンハッタン壊滅と今回の事は非常によく似ている。まさかとは思うが、あの「G」が現れたのかもしれない。そんな予想が、いつまでも俺の頭の中を渦巻いていた。