本編








『はっ・・・!い、樹!お前、なんて格好をしているんだ!』





7年前、樹は自分が小学校の同級生達と幾つか違う所があるのに気付いた。




『えっ?これ、前におじいちゃんにもらったのを着てみたんだ!ぼく、やっぱりこっちがいい!』




男物の下着の方が、着心地が良い事に。
逆にスカートを履くのが恥ずかしい事に。
自分を「わたし」と呼ぶより、「ぼく」と呼んだ方が気分が良い事に。
「おんなのこ」より、「おとこのこ」がいい事に。
そう、樹は女の体に男の心を持った、「性同一性障害」だったのだ。




『お、お前は女だろう!それなのに、何故男のような振る舞いをする!』
『だって、こっちの方がいいんだもん!ぼく、がっこうでもなんか女の子といるとどきどきしちゃうけど、男の子といたらどきどきしないんだ。だから・・・』
『黙れ!お前は確かに女の子なんだ!女がそんな格好でそんな事を言ったら駄目なんだ!分かったなら、もう二度とそんな真似をするな!』
『は・・・はぁい・・・』




父の圧力に押されて頷きはしたが、樹の心からモヤモヤが消える事は無かった。




ーーなんで、そんなひどいこというんだよ・・・
ぼくは、しょうじきに話しただけなのに・・・
とうさん、どうして・・・?






そして翌日、「それ」は何の前触れもなく訪れた。




『ううっ・・・とう、さん・・・!おじいちゃん・・・!』
『い、樹!!』




突然樹の体を襲う、激しい苦痛。
助けを請う呻きを上げる事しか出来ない我が子、祖父の元治は持病の悪化で入院中・・・
ただ1人でこの事態に直面した亨平の頭はパニックに陥り、居ても立ってもいられず島中の病院を駆け回ったが、巫子の拒絶症状などと言う理解すらされない、病気からでは無いこの苦しみを治せる者がいる筈がなかった。




『樹、待ってろ!必ず俺が助けてやる!』
『ち、ちがうんだ・・・すざくが、ぎゃおすが・・・よんでる・・・』
『朱雀?確か四神とか言う伝説の生き物の名前だったな。だが何故・・・んっ!?』




夕陽に照らされ、樹を背負いながら家へ走る亨平は何かに気付き、つい立ち止まる。
亨平の脳裏に、一週間前に樹と姫神島に行った時の記憶が甦り、そこから亨平は何かに気付いた。
あの時、洞窟に入ったっきり帰って来なくなった樹を迎えに行くと、樹が入院前に元治から貰った勾玉を手に持ち、何も無い壁を見つめていた。
あの勾玉は逸見家に先祖代々伝わる由緒正しい御守りで、昔からオカルトを信じない自分の性分故に、受け取りながら放置していたものを、元治が樹に渡した物だったが・・・




『・・・そうか。そうだったのか。オカルトだの霊験あらたかだのを信じなかったが・・・もし、全て「G」の仕業なのなら・・・!』
『とうさん・・・?』
『樹、お前はこれから家を出るな。学校にも行かなくていい。勉強なら俺が教えてやる。』
『えっ?どうして・・・?』
『今のお前は「G」のせいでおかしくなっているんだ。だからお前は女なのに、男みたいになりたいなんて思ってしまうんだ。そんなお前を、学校にいる誰も受け入れるわけがない。お前が傷付くだけだ。だから、お前は正常になるまで家から出るな。』
『ち、ちがうよ。だって・・・』
『それから、勾玉は俺が預かる。その勾玉がお前をおかしくしたに違いないからだ。親父には俺から全て言っておく。だからお前は何も心配する事は無い。』
『とうさん、ぼくは・・・』
『いいな?』
『・・・うん・・・』




苦しみからでない、悲しみの涙を樹は流す。
自分の事を分かってくれない、信じてくれない、見てくれない・・・
それはこの体の痛みよりも辛い、心の軋みを樹は感じた。




『とう、さん・・・どうして・・・?
ぼく、とうさんをみてるとくるしいよ・・・
たすけて・・・ぎゃおす・・・!』






翌日、亨平は樹から取り上げた勾玉を壊そうとしたが、どんな方法を用いても傷一つ付ける事は出来なかった。
仕方なく勾玉を元々入っていた桐の箱にしまい、姫神島の洞窟に埋めた。
それが入院中の元治が亨平の意見を聞く、最低限の条件だったからだ。
未だに残る痛みから動けない樹は亨平の口から勾玉は捨てたと聞き、無気力のまま布団に横たわっていた。
もう学校に行けない、もう自分らしく生きられない、もう姫神島の洞窟の中で聞いた、あの声を聞けない・・・
その事実は、樹の心に絶望を蓄積させて行った。




『・・・かあさんがいたら、いいのに・・・』






『だから、この爾落のエキスを使えばあんたの子供の拒絶症状を抑えられんだ!別に代わりに実験させろとか、データを取らせろとかじゃねぇ。方法があるから言っているだけで・・・』
『ほざけ!そんな得体の知れないものを娘に使わせるか!今すぐ出て行け!』
『このまま放置しても、虚弱体質になっていくだけなんだぞ!こっちにも同じ症状になった奴がいたが、こいつを使って症状を抑制するのに成功してんだよ!子供の事を大事に思ってんなら・・・』
『黙れ!Gnosisか何か知らないが、若造が偉そうにするな!貴様らの力など、誰が借りるか!さぁ出て行け!さもなくばこの事を証拠に貴様らを糾弾してやる!とっとと消えろ!二度と姿を見せるな!この愚者共がぁ!!』
『・・・愚者は、お前の方だろ・・・!』




一年程して、樹の噂を聞いたGnosisが爾落のエキスを持ってやって来た。
本当の目的は朱雀及び巫子の確保だったが、拒絶症状で苦しんでいた紀子の事を知る験司は樹の事を放っておけず、先に拒絶症状の抑制を優先した・・・が、亨平はそれすらも拒否した。




『「G」、絶対に許さん・・・!俺の「娘」を狂わせよって・・・!俺は「G」など認めない・・・!報復してやる、必ずな・・・!』




亨平の呪詛の言葉を障子の隙間越しに聞きながら、樹の口からも言葉が漏れる。
父への、呪詛の言葉が。



『・・・あの人がなおしてくれるなら、ぼくは別にいいのに・・・
父さんは、ぼくがどうなってもいいんだ。女の子じゃないぼくなんて、きらいなんだ。
だからぼくをとじこめて、べんきょうはおじいちゃんにおしえさせて、いつも家にいないんだ。
姫神島に行くなって言ったのも、ギャオスがきらいだからだ。
そんな父さんなんて・・・いらない。いなくなればいいんだ。
会いたいよ、母さん。
会いたいよ、ギャオス・・・』




その日、樹の「家族」にまだ見ぬギャオスが増え、父親が消えた。
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