本編




 2021年2月、東京。

「お待たせしました」

 榊原は行きつけの居酒屋の奥の座敷席に顔を出すなり、待っていた元紀に挨拶した。

「気にしないで、わたしが呼び出したんだから」
「久しぶりですね。課長から俺をここに呼び出すなんて」
「ちょっとわたし一人じゃ限界になってしまってね。ん、……あ! 熱燗下さい! お猪口2つで」

 元紀は榊原に座るように促すと、丁度通りかかった店員に注文をした。密談をする際、元紀は追加注文の回数が少ない熱燗などの日本酒類を注文するのが通例となっていた。
 榊原も、彼女の注文を聞いた時に、この密談が込み入ったものであると理解した。

「先に概要も聞けない感じですか?」
「残念ながらね。……でも、触り程度で、この資料に目を通しておいて」

 元紀は榊原に言うと、鞄から取り出したファイルを渡した。

「………なるほど。これを調べていた訳ですね」

 ファイルの中身は南明日香村の事件についての概要を纏めたものであった。
 丁度、店員が熱燗とお通しの煮物を持ってきた。元紀はそれを受け取ると、襖を閉めた。

「さて、概要は掴めたかしら?」
「まぁ流し読みですが、昨年末に南明日香村で起きたヒト「G」の戦いと盗難事件について、大まかには」

 榊原はファイルを一度閉じると答えた。ちなみに、ヒト「G」というのは、爾落人と能力者の区別をつけて議論をする必要性の低い海外調査課での爾落人と能力者を総じた俗語である。

「いいわ。……わたしが調べている事、見当はついた?」
「どちらを調べているのか、…にもよりますが、わかりますよ。ガラテア・ステラの情報は俺が調査したものですからね。……ですが、この親子は地雷ですよ?」
「もう既に確信の域についているわ」

 元紀は言い終わると、別のファイルを榊原に渡した。中身は翔子に依頼して調べた事と、この数日中で集められた後藤真理の資料だ。

「………参りましたね。流石は課長です」

 今度は時間をかけて資料の細部までじっくりと目を通すと、感嘆と取れる口調で榊原は言った。

「確かに、偶然の一致と片付けるには、出来過ぎてますね。まず、この事件のヒト「G」と社長親子が同一人物と考えて間違いないでしょうね。……問題はこの後藤真理という女性と社長達の関連性ですね。確かに社長と彼女が顔見知りである可能性の示唆は有り得ます。……しかし、彼女の情報があまりにうさん臭い」
「具体的には?」
「まず、処女出産ですね、言わずもがな。ヒトが精子と卵の受精によって発生するのは、今時中学生でも知ってる真理ですよ?」
「まぁ、それに関してはわたしも完全には信用していないわ」
「それと、肝心な項目がないですよ? 出産した子どもは、今どこに? 死亡したんですか?」
「……それについては、今は伏せさせて」

 元紀は今回、意図的に銀河に関する情報を掲載させなかった。

「………まぁいいですが、多分その情報がどうしても必要になると思いますよ」
「話して」
「後藤真理の子どもの父親が社長というのならば、納得できます。しかし、社長の娘さん、外見年齢についてはともかく、実年齢から考えても、後藤真理の死亡後、6年近い歳月が経過してからの子どもです」
「そうね」
「まぁ、実際ヒト「G」疑惑のある娘さんですから、戸籍を信じる事自体、あまり意味を感じませんがね。先のガラテア・ステラという爾落人も三千歳以上みたいですから」
「でも、斎藤専務の事もあるから、その可能性についての議論はまだ情報が少ないわ」
「段々俺に協力を求めているのがわかって来ました」

 榊原は煮物に箸をつけながら、苦笑混じりに言った。そして、空になっていた元紀と自分のお猪口に熱燗を注ぐと、言葉を続ける。

「しかし、この資料を見る限り、課長は娘さんが「G」となった時期として2012年1月と推定してますね。つまり、爾落人として定義した上の先の俺が言った、戸籍に関する意見は戸籍を信じる方がよい。そうなってしまいます。また、仮に彼女が爾落人であっても、それが後藤真理と瓜二つである理由にはなりません。変身能力などがあるのかもしれませんが、それを仮定すると際限がない」
「そうね」
「例え、非現実的でも実際的な可能性を考えた方がこの場合、いいですね。更に、俺をわざわざ呼んだ事……しかし、課長。「G」の細胞や遺伝情報を入手するのは非常に難しいことを知ってますよね? DNA鑑定とかは不可能に近いですよ?」
「可能性を議論している段階なのだから、入手しにくいものから採取する必要はないわ」

 元紀はクスリと笑い、まだ湯気が薄らと漂う酒を口に流す。榊原はすぐに言葉の意味を理解し、苦笑する。

「既に後藤真理の子どものDNAサンプルがあるんですね。……社長もですか?」
「まぁね。前に話したでしょ? 私の彼、刑事をしてるって。ちょっとお願いして、鑑定に回したわ」
「つまり、課長は俺にこの意見を引き出す為に呼んだのではない」
「まぁ理解が先にきてもらえて良かったわ。荒唐無稽な考えだから」
「娘さん、麻美睦月の資料を見れば可能性は十分示唆されてますよ。先天的な免疫不全、瓜二つの死亡時期の合わない女性、医学の世界的権威ある場所で共通する社長達、しかも麻美睦月の誕生は1996年。否応なしに頭を過ぎりますよ」
「まぁね……。でも、これはもう神に近い行為よ」
「いえ、むしろ「神」に成りたかったんですよ。……でも鑑定結果は課長の予想通りだと思いますよ」

 そして、榊原は一気に酒を煽ると、顔全体を歪めた笑みを浮かべて続けた。

「その子どもと社長の娘、クローンですよ」





 

 クローンという言葉の語源はギリシャ語で小枝を意味するKlonだが、現在では遺伝的に同一である個体や細胞の集合を表す用語として一般的になっている。
 クローンを生み出す方法は二つに大別される。一つは受精後発生初期の細胞を使う方法で、人工的に双子を生み出す方法であり、同じ遺伝子を持っていても実際に発現する遺伝的特徴が全く同じになる保障はない。もう一つは、皮膚や筋肉など成体の体細胞を使う方法で、元となる個体とほぼ同じ遺伝的特徴を発現すると考えられている。SF映画などで登場するクローンは後者を指す。
 しかし、哺乳動物の体細胞クローンは机上論のみで、現実不可能というのが生物学の常識となっていた。
 その常識を覆し、世界中にクローンの名を知らしめるきっかけとなる発表がなされたのは、1997年2月22日の事である。
 それは、イギリスのロスリン研究所ウィルムット博士の研究室で、1996年7月5日にクローン羊ドリーが生まれていたという内容であった。
 このドリー誕生により、遺伝子工学を代表するバイオテクノロジー分野は注目され、発展する事になるが、このクローン羊ドリーには様々な先天的な異常を抱えていた。
 その中でも、クローン動物は細胞分裂に必要なテロメアが短い、つまり生まれつき老化している事が明らかになっている。
 このドリーは、2003年2月14日に死亡が確認された。直接の死因こそ、先天的異常によるものではなかったものの、クローン人間を生み出す事は倫理的にもこの先天的な異常が存在する事から、禁止するべきであるという議論が続けられていおり、2021年現在もクローン人間誕生の報告はない。

「クローン羊が誕生する半年前に、既にクローン人間が誕生していた。……やっぱり荒唐無稽ですね」

 榊原は冷めてしまった熱燗の最後の一滴を飲むと、苦い顔をして言った。
 しかし、元紀は首を振り、その意見を訂正する。

「違うわ、6年前よ。1990年の後藤真理の子どもが、誕生こそしなかったけれども、史上最初のクローン人間よ」
「やはり死亡しているんですね。……でも、納得出来ません。何故、課長は後藤真理の存在を知り、そしてクローンという可能性と子どものDNAサンプルを入手出来たんですか? 同郷というのは、理由には少し弱いですよ」
「………」

 元紀は目を瞑ってしばらく思案し、やがて意を決して目を開いた。そして、鞄から2枚の写真を取り出し、榊原に渡した。

「……後藤銀河。そして、麻美帝史の10代の写真よ」
「瓜二つですね」

 榊原は感想を述べた。銀河の写真は中学卒業時に元紀達三人で撮ったもので、麻美の写真は3日前に再び翔子へ依頼して入手したものである。翔子の転移を使えばこれは朝飯前で、その場で入手出来た。
 写真の麻美は今の印象とは違い、伏し目がちのひ弱な印象の少年であるが、もう一つの写真で元紀に吾郎と共にのしかかられて不機嫌な顔をする銀河と、同一人物と見違える程に似ている。

「社長のクローンは死亡しているとすると、この銀河という少年……課長の同窓生ですよね? 彼、「G」ですね?」
「えぇ。わたしの親友で、爾落人よ」
「死亡していた胎児の姿を模したと考えていいんですね?」
「えぇ。その理由や存在そのものに関しては彼自身も探して旅をしているわ」
「なるほど。……皮肉な話ですね。クローン人間が二人とも「G」になっているとは。……いや、本来存在しない人間であるのだから、元々「G」であったとも言えますね。もしくは、クローン人間は「G」になる運命にあるとも考えられますね。………失礼しました。課長のご友人でしたね」

 毒舌の癖が出た榊原は、素直に謝った。彼は相手を選ぶ人間なのだ。

「気にしないわ、彼には人の偏見なんて意味がないから。……わたしが榊原に調べて欲しい事、わかるわね?」
「クローン人間を生み出すなんて、相当の裏が無ければ不可能。そして、そこに社長と後藤真理の共通点があり、麻美睦月の「G」の謎、更には後藤銀河の謎にも繋がる。……表向き、俺は課長からの指示で別の調査をするが、実際はその裏側にあると考えられる組織の調査をする。ということですね?」
「えぇ」
「わかりました。……一つお聞きしてもいいですか?」

 榊原は表情を曇らせつつ、しかし視線は真剣なまま聞いた。

「なに?」
「課長はこれを調べる目的はなんですか?」

 首をかしげる元紀に榊原は疑問を言った。すると、元紀はフッと表情を緩めると、まっすぐとした眼差しで言った。

「知りたいから、かしらね」
「知りたい?」
「えぇ。多分、この謎を調べる事はJ.G.R.C.や社長に隠された秘密を知る事になると思う。だけど、わたしはそれを得た上で、答えを見つけたい」
「…………どうやら俺は信用するに足る上司に恵まれた様だ。課長、お話しておかなければならないことがあります」

 榊原はしばらく思案を巡らせる仕草をした後、真剣な顔で元紀に言った。




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 2006年3月、三重県蒲生村。
 雪も溶け、新緑が芽吹き始めた小高い丘の一際大きい木の枝に腰を下ろした学生服姿の少年、銀河はそこから見える中学校を見下ろしていた。

「やっぱりここにいた。こらぁ銀河! 卒業式までサボるきぃ?」
「やっぱ来たか……」

 銀河は伏目がちな目を一層に伏目にしてつぶやいた。彼の足元にはセーラー服姿の元紀がいた。
 腰に手を置いて仁王立ちで見上げる元紀に銀河は渋々木を降りる。

「……っていうか、元紀も卒業式サボってるじゃねぇか?」
「残念でしたぁ。わたしは副学級委員の吾郎の代理で、銀河を連れ戻しに来たのよ」
「だけど、お前皆勤賞だろ?」
「そうよ、だから早く行きましょう!」

 口では銀河の同意を求める様なことを言っているが、その手は銀河の襟を掴んで引っ張っている。

「おい! 引っ張るなよ?」
「どうしても嫌ならわたしに言えばいいじゃない。俺を連れて行くな、って。それで片付くでしょ?」
「それはできねぇよ」
「……なんで?」
「別に卒業式を全部サボるつもりはないさ。校長と村長のだらだら長い話だけフけて、こいつらに別れを告げたかっただけさ」

 銀河は今登っていた木を見上げて言った。

「別に同じ村にいるんだから、いつでもこれるじゃない」
「でも違うだろ? 俺はもう中学生じゃない。明日から元紀の家で先生のもとで勉強する。多分、俺はもうここに来ないと思うんだ」
「ふーん。……銀河も大人になったじゃない」

 元紀はにんまりと笑い、銀河の腕にしがみついた。

「ちょっ! バカ離れろよ?」
「何? 銀河、照れてるの?」

 目の下をほのかに赤く染める銀河の二の腕に頬を乗せた元紀は悪戯な笑みをして言った。

「お、俺は風紀委員だぞ?」
「そうだっけ? でも、学年で一番遅刻欠席多いし、興味の無い授業は全部サボるし、それなのに学力調査模試は学年一番だし、一番風紀を乱しているのは銀河じゃないの?」
「最後のは別に風紀関係ねぇし」
「そう? 銀河の癖に学年一番なんて生意気よ?」
「……それ、昔に吾郎に言ってた台詞だろ?」
「疑問形に疑問形で返さない!」
「俺の場合、仕方ないだろ?」

 銀河が片眉を上げて言うと、元紀はケラケラと笑い出した。同時に銀河の腕をギュッと握り締める。

「はあー…っ! 大丈夫よ、銀河。わたしも吾郎も外の高校に行くけど、通いよ。毎日会えるわ。……それに、多分わたし達の中で一番最初にこの村を出て行くのは銀河だと思うわ」
「そうかもな? ……よし、そろそろ卒業証書を貰いに行くか?」
「そうこなくっちゃ! あっ! 銀河、卒業式終わったら、三人で記念写真を撮るからね!」
「あぁ」

 穏やかな口調で同意した銀河の肩に顔を寄せ付けた元紀は小声で囁いた。

「…………ね」
「ん? なんか言ったか?」
「べっつにー」

 聞き返した銀河に元紀はすました表情をして彼の腕から離れると、すたすたと歩き始めた。

「お、おい!」
「早く戻んないと卒業証書貰えないわよー」

 元紀は後を追う銀河に振り返らずに言った。当然、足も止めない。そのだらしなく笑顔を垂れ流している今の表情を銀河に見せる訳にはいかなかった。
 しかし、それとは裏腹に元紀は歩きながら、何度も繰り返し先ほど囁いた言葉を頭に浮かべていた。

『ずっとそばにいてね』

 蒲生元紀、15歳の初恋であった。
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