本編
2021年2月14日。何年も前からこの日は恋人達の記念日である。
この日、元紀は仕事を定時で切り上げ、賃貸契約をしているマンションに足早に帰った。
世の恋人達と同様に、彼女も愛する人とのひとときを過ごす為に料理の準備をしようと思っているのである。
部屋の掃除は既に昨晩のうちに済ましてある。もっとも、開始したのは夜でも終わったのは明け方近くになっていたのであるが。
12月24日のクリスマス・イブに元紀は吾郎からプロポーズをされ、その場でそれを受けた。既に正月の帰郷で、互いの両親への挨拶は終わっている。その為、今回は彼が上京してくる事になった。
今回は式場選びの相談などもある為、ある意味忙しい時期ともいえる。
インターホンの音が部屋に響いた。
「はーい!」
元紀は野菜を切る手を休めた。壁に吾郎の姿が映る。彼女は玄関に走った。ドアを開錠すると、見慣れた顔が彼女の前に現れた。
「待った?」
「ううん。まだ料理を作っている途中だから大丈夫よ! さ、上がって」
元紀は彼の荷物を受け取ると、リビングに運び入れた。
夕食を終えた元紀は洗い物を手早く済ませ、リビングに戻る。
「あ、式場選びの前に見せておきたいものがあるんだ」
テーブルの上にパソコンを出した吾郎が元紀に言った。
「ん?」
「もしかして忘れたの?」
「あ! 写真の解析終わったの!」
「うん」
元紀が聞くと、吾郎は笑顔で頷き、モニターを彼女に見せた。
画像処理ソフトのウィンドウが開いており、ペンダントの写真が映し出されていた。
「意外に時間がかかって、最終的には鑑識課の友達に手伝ってもらっちゃったよ。でも、完璧に解析し終えたよ」
自信満々に吾郎が言う横で、元紀はモニターを見つめた。
吾郎が操作し、写真が加工される。
「古くなった写真の粗を取り除いて、色を復元するとこうなる」
色が変わり、見え難くなっていた背景もはっきりと見えるようになった。真理の姿も鮮明になった。美しい女性だ。しかし、不思議な既視感を元紀は写真に感じた。
「………」
「そして、この背景と人物を分離して、この背景と一致する景色を調べたんだ。すると………」
眉間を険しくして真理の写真を見ていた元紀に気がつかず、吾郎は画像の処理を進める。真理の姿が消え、背景のみが残った。
そして、別の画像が現れた。そこに映る建物は写真に映る物に酷似している。
更に、その画像の建物が図形描写に転写され、角度と大きさが調整される。その図形を移動させ、背景と重ねる。
「一致した!」
「間違いなく、同じ建物だよ。………正直、この結果を出した時にびっくりしたよ。銀河のお母さんの話は今までほとんど聞いた事がなかったけど、それこそ天才といえるほどに頭がよかったみたいだよ」
「一体、どこの建物なの?」
元紀が聞くと、吾郎は黙って先ほどの画像の掲載されているウェブページを表示させた。
「NIH?」
「アメリカ国立衛生研究所のことだよ。アメリカで最古の医学拠点といわれているメリーランド州に本部がある。この写真はそこで写されたものなんだ」
「医者や研究者だったの?」
「わからない。でも、銀じいちゃんの話だと、語学留学生で渡米したのが起点らしい。だから、職員とは違うと思うよ」
「……ん? ちょっと、待って」
元紀は突然首を傾げたかと思うと、パソコンを吾郎から奪い取った。
「どうしたの?」
「メリーランド州…って確か」
吾郎が聞くと、元紀は呟きつつ別のウェブページを表示した。
表示されたのは、J.G.R.C.社長の麻美帝史の略歴であった。
「見て。社長の最終学歴」
「私立ジョンズ・ホプキンス大学医学部中退」
「メリーランド州にあるハーバード大と肩を並べるほどの医学世界最高峰の大学よ。ノーベル賞受賞者もゴロゴロいるらしいわ」
「えっ! あの社長ってそんなに凄い人なの?」
「そうでもなきゃ、会社設立から一、二年で事実上日本一の「G」研究調査企業にした人物になりえないわよ。聞いた話だと、この頃の人脈が世界シェア獲得にもつながっているそうよ」
「確か、メーザー兵器の開発だっけ?」
「正確には、マイクロウェーブ照射システムよ。兵器流用を考える軍が多いから、丁度わたしが入社した時は評判が色々と悪くなってたけど。で、それよりも見て! その中退の年」
元紀はモニターを指差した。1990年とかかれていた。
「そして入学が、1988年。………丁度同じ頃に銀河のお母さんも同じ州の、しかも同じ医学関係の施設にいたのよ。これって、ただの偶然って言うには……!」
言葉を発している途中で元紀はハッとした。大きい目を更に大きくさせ、口を開き、そこから息が音を立てる。
怪訝そうな顔をして元紀を見る吾郎の肩を、彼女は唐突に掴んだ。
「そうよ! 銀河のお母さんよ!」
「えっ? な、何が?」
元紀の興奮している理由がわからない吾郎は当惑するが、そんなことをお構いなしに元紀は自分の鞄を取り、中を漁る。
「これ!」
鞄から取り出した紙をモニターに再び表示させた真理の写真の横に並べた。
「……ん? 銀河のお母さんの似顔絵? そのわりには少し似顔絵の方が若過ぎる気が………」
「違う! この似顔絵は、麻美睦月よ! 社長の娘なのよ!」
翔子から貰った似顔絵を手で叩いて瞳孔を開かせ、興奮した様子で元紀は言った。
「ただいまー」
「お帰りなさい、アナタ」
口元に付いた皺が42歳になる年齢を感じさせる男性が自宅マンションの玄関に入ると、ホログラムスクリーンにボブヘアーの美少女が映し出された。高額ながらも少しずつ一般市場で販売がされているホログラムスクリーンを購入したのは、彼ではなく今玄関で彼を出迎えた彼女の希望である。
「宅配で届いていたんだが、これはオマエが頼んだのか?」
「そうよ。開けてみて」
言われるまま箱を開けてみる。最近デコレーションで話題になっている人気のチョコレートであった。
「これは?」
「今日、バレンタインじゃない。プレゼントよ、ちゃんと内職で稼いだのよ」
少女は胸を貼る。最近音声資料などのタイピングをする内職を始めたと言っていたことを彼は思い出した。
「ありがとう。……だけど、内職して通販で夫へのプレゼントを用意するって、随分と所帯臭いよな。何年か前まで電送の幽霊だの爾落だって呼ばれてたのに」
「アナタ、一言多いわよ。それ以上言ってもいいけど、来月分のお給料は全部貯金に回すわよ?」
「それだけは……ご勘弁を!」
彼は両手を合わせて彼女に謝った。給料がネット銀行への振込み形式になっている為、家計は彼女の手に握られている。
会社内では数年前の部署異動以来、中堅層の星と言われることもある実力者にまでなったケンであるが、家庭では実体を持たない妻のムツキの尻に敷かれている。
「それよりも夕飯ができているから食べてみて。今晩は完璧な配合だと思うのよ」
ムツキはそういい、夫をダイニングに促す。ダイニングに向かうとキッチンの接したテーブルの上に金属製のトレイに乗った料理があった。その先にあるキッチンにはコンロ類の代わりに大きな金属製の棚のような機械が置かれていた。
老人および身体障害者の介護用全自動調理器。数年前のある日、ムツキがケンに提案したもので、それを会社で彼が言ったところ、大当たりをし、彼は開発部に異動、現在では部長次席の地位に就いている。
「データはもうまとまっているから、味に問題がなければ、明日更新プログラムとして送信して」
「いつもすまないな」
「それは言わない約束でしょ」
漫才のやり取りのような会話を交わし、テーブルについたケンはトレイに乗る料理を自分の前に置いた。向かいには薄型モニターが置かれており、現在はそこにムツキの顔が映っている。
「うん、旨い! これはいけるぞ」
リゾットを食べたケンは口元を緩めて言った。ムツキの顔に笑顔が浮ぶ。
「やったね。これで少しはボーナスも増えるかしらね」
「そればっかりは俺にもわからないな。うん、スープも旨い」
料理を次々に口に運びながらケンは何度も頷きながら食べていった。そんな彼を少女は画面の中で頬杖をついて眺めていた。
「でも、私も便利な時代に生きててよかったわ。これも一応愛妻の手料理だもの。次はアンドロイドかしら、勿論ちゃんと女性の機能を持った……提案してみたら?」
「………今でも一切家に人を上げない独身貴族の変人って社内で通っているんだ。そんなことを提案してみろ、本当に変態と言われるだろ」
「大丈夫よ、今も16歳の少女を画面の中に囲っている変態だから」
ムツキの言葉に思わずケンはワインを噴き出した。彼女のモニターに飛散した。
「きったなーい! 早く拭いてよぉ!」
「すまないすまない。……だけど、その外見は俺の趣味じゃなくて、オマエの趣味だろ?」
モニターを布巾で拭きながらケンは言った。
「いつまでも心身共に若く美しくいたいというのは全女性の永遠の夢なのよ」
「少なくとも中身は25歳の主婦だけどな」
「まだ25なんだからいいじゃない。それに、やっぱりこの姿は私の理想でもあるの。前にも何回か話したでしょ?」
「あぁ、その姿は間違いなく自分自身の姿だけど、死ぬ間際はボロボロの老人みたいな状態だったから本来の姿でいたいって話だろ? だったら、そのまま25歳くらいの姿になればいいだろ?」
「…………やっぱり、老けるのは嫌。……そうね、ケンが皺くちゃのおじいちゃんになったら、私も同じようにおばあちゃんになってあげる。それもうんと可愛らしいおばあちゃんにね!」
「わかったよ」
ケンは苦笑してそれ以上言うのをやめた。ムツキは生前の話をしたがらない。何という病を抱えていたのかも、どこに住んでいたのかも、両親のことすら彼女は口を開こうとはしない。
彼女の話すことは、生まれつき病弱で16歳で肉体が死んだ事と、幼少の頃によく聞いたという現代版竹取物語の様な話だけである。
ケンも始めはムツキの過去を気になったが、今はそれでいいと思う様になり、聞かないことにした。
なぜなら、彼女は今目の前にいるのであるから。
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2020年12月、三重県南明日香村。
山間にある村の外れにある川原に古びた鳥居と祠があり、その前に一人の女性が立っていた。
彼女の名は、ガラテア・ステラ。変化の爾落人にして、王の守護者である。
金のカチューシャを木洩れ日の光で輝かせ、彼女は祠の小さな扉を丁寧に開いた。
「………」
祠の中から取り出したのは、剣であった。刃の半分以上が失われた短い、一見して石とも金属とも区別のできない古びた剣だ。
「それが、十握剣か」
唐突に声をかけられたガラテアは、振り向きざまに片手の爪を鋭利に伸ばした。
「………! 何者だ? つけたのか?」
ガラテアは言った。彼女の視線の先、川原の反対側には車椅子に乗る少女と中年の男がいた。
「わざわざキミの入国という情報を得て、後をつけたのだから、僕達がどういう者かもわかっていると思うが?」
「これが何か、わかっているのだな?」
「具体的な正体はまだ確信を得てはいない。しかし、それが僕達の目的の物に繋がる鍵であるとはわかっている」
「つまり、あなたは私の敵だな? ……その娘、私と同じ存在だな?」
ガラテアは車椅子の少女を一瞥すると聞いた。男は細い目で穏やかな表情をして答える。
「そうだ。……だが、ただの爾落人ではない」
「だから、申した。私と同じ存在だと」
ガラテアの言葉に男は口許を歪めた。
「なるほど。……人類殲滅の伝説は本当だったか」
「それを知っていて、なおアレを狙っているのだな?」
「あぁ」
「ならば、長話は無用だ」
刹那、ガラテアは男に飛び掛かった。鋭利な爪の先から炎が上がる。
「………」
「くっ!」
ガラテアの爪は男を傷付ける事は出来なかった。
突如、彼女と男の間に熱線が放たれ、爪先の炎がかき消されたのだ。間一髪のところでガラテア自身は攻撃を回避し、男と間合いを取ると、熱線の元を見た。
「ほぅ」
車椅子の少女の背中から一本の橙色の触手が伸びていた。熱線はその先端から放たれたらしい。
「美しいイリスよ、相手をしてあげなさい」
「ほぅ」
男の言葉に少女は微笑んだ。そして、触手の先端に火花が迸り、その閃光は収束し、熱線となってガラテア目掛けて放たれた。
「…! 電磁波かっ?」
今度は熱線を見切り、回避すると呟いた。
「それだけではないよ」
「ほぅ」
男が言うと、少女はゆっくりと車椅子から浮上った。同時に背中から二対の薄膜状の羽が伸びる。
そして、少女が空中に浮ぶと、周囲に落ちていた落ち葉が舞い上がり、眼下にいるガラテアへ落ち葉が襲いかかった。
「ちっ! 今度はかまいたち……」
全く系統の違う攻撃に、僅かに表情を変えつつも、彼女は小川の水を瞬時に氷の壁に変え、身を守った。
「やはり場数が違うな。それともエが悪いのかな」
氷壁を蒸発させるガラテアを見て男はぼやいた。
「エ……餌か?」
「あぁ。そう簡単に強力な能力を持つ「G」を用意して上げられなくてね」
「……吸収の爾、だな?」
「ほぅ」
問い掛けたガラテアに、少女はあどけない微笑みを浮かべた。
「そうなると話は代わる。……イリス殿と言ったな。私の能力を吸収させる訳にはいかない」
ガラテアは言い終えると同時に彼女の周囲に激しい閃光と衝撃波と爆音が発生した。
一瞬にして剣を持つガラテアは姿を消していた。
「……煙幕代わりに極小規模な爆轟を起こしたか。まぁいい、撃てたな? イリス」
「ほぅ」
空中にいる少女は男の問いに微笑みで応えた。それに男は満足したのか、頷くと車椅子を目で示した。
少女はゆっくりと車椅子に腰を降ろした。
「行こう。力は別の方法で探そう。……何、『神々の王』はエジプトに近づき、その守護者がこうして動き始めているんだ。すぐに情報は手に入る。それよりも、次に彼女と会うまでに強力な力を得ておかなければな」
男は車椅子を押しながら、少女に語りかけた。
「ほぅ」
高く心地の良い少女の声を残して、親子は現場を後にした。