本編




 鏡開きも終わり、街のイルミネーションはバレンタインムードを演出し始めていた。
 アーケード内に並ぶ商店は軒並み店先にバレンタイン関連の商品を広げている。そして、その周囲には沢山の女性達が各々の思いを心中に商品を見ている。
 元紀もそんな多くの女性達の一人であった。

「こちらは今年の新作で、一見ショコラの一口チョコなのですが、中身は当店自慢の生チョコがたっぷりと入っております」

 店頭に立っていた女性販売員の女がはっきりとした口調で、同じく店先に置かれたショーウィンドウ内のチョコを見ていた元紀に話しかけた。アルバイトなのだろう、若くて可愛い顔立ちだが、笑顔が営業スマイルと一目瞭然だ。

「試食ってできますか?」
「はい。こちらです」

 元紀が聞くと、彼女は嫌な顔一つせずに小さな皿を手前から出した。対応がマニュアルにあるのだろう。
 元紀は更に並べられたチョコを一つ摘み、口に放り込んだ。確かに、わざわざ勧めてくるだけはある。癖のない甘味と絶妙な苦味で、外側の歯ごたえと生チョコの舌触りが実に丁度良い。

「これを一つプレゼント用に……ともう一つ自分用に包んでください」
「ありがとうございます」

 元紀が言うと、彼女は笑顔で箱の包装を始めた。今度は素の笑顔だ。年相応の可愛い笑顔だ。

「あ、失礼ですが、プレゼント用は……」
「婚約者への本命です」

 元紀も最前の彼女の笑顔に引けをとらぬ笑顔で告げた。

「はい! ありがとうございます!」

 元紀の言葉を聞いて自分も嬉しくなったらしい、店員は笑顔で答えた。
 まもなく商品の代金を支払い、包装された商品の入った袋を手渡された。

「どうも」
「ありがとうございましたぁ!」

 彼女は元紀の背に挨拶で送った。営業スマイルは彼女に似合わない。そんなことを元紀は考えながら、アーケード内を歩いていった。

「バレンタインとは、意外に俗なのだな?」

 アーケード内の喫茶店の前を元紀が通りすがると同時に声をかけられた。女性の声だ。
 元紀はすぐに声の主がわかった。足を止め、喫茶店に顔を向けた。

「何かわかったんですね?」

 元紀が問いかけると、喫茶店の店先に置かれたテーブルについて、コーヒーカップを片手に金属製の椅子に座る女性は頷いた。そして、店内を目で示した。店内で話すという意味だ。
 元紀は頷いて、店内に入った。女性もその後から店内に入った。




 

 喫茶店は大手チェーンで、店内で先に商品を注文し、料金を支払う形式になっている。注文したホットコーヒーを片手に元紀は、女性の先導で二階席の奥にある対面席に座った。

「やはりお仕事が早いですね。うちの部下にその爪の垢を煎じて飲ませたいわ」

 元紀は一口だけ啜ったコーヒーをテーブルに置くと、対面に座る女性に言った。

「……いや、移動が一瞬でできるからロスが生じないだけだ。実際、今回は思った以上にてこずった」

 女性はいつの間にか片手に納まっていた煙草にライターで火をつけると言った。ライターもいつの間にか彼女の手にあった。そして、慣れた様子で手を動かすと、その手にあったライターが一瞬にして店のマークが描かれた灰皿に変わった。ちょっとした手品だ。

「………ん? あぁ、これが私の力だ。転移と呼んでいる」

 呆気にとられている元紀に気がついた彼女が言った。

「あ、すみません。人の「G」を見る機会はあまりないので」
「……だろうな。しかし、あまりということは、何度かは見ているのだな?」

 紫煙を吐き出した彼女は微笑を浮かべて言った。
 一瞬、元紀の目が泳いだ。しかし、すぐに目を彼女に向けた。

「とはいえ、仕事とは違うところです」
「別に追求はしないさ。それにあんたの部署が噂で聞く研究部署と縁のないということも理解している」
「一応同じ会社の社員なので一言申しますが、爾落人がいたとされる研究棟は当社が提携している医療施設の協力を得ていたものです。ネット内で噂されていた様な人権無視の研究はしていません」

 少し元紀は強い口調で言ってしまった。これも一種の愛社精神なのかもしれない。

「棘のある言い方と思ったのなら申し訳ない。職業柄の事だ」
「いえ、わたしも大人気がありませんでした。創設から僅か2年で大手株式上場企業に成り上がったのもまた事実ですから、色々な噂も出ると思います」
「さて、この辺で本題に移ろう」

 一度灰皿に火種を押し付けて煙草の火を消すと、その女性、北条翔子は話を切り出した。




 

 元紀が北条翔子に出会ったのは僅か3日前である。
 彼女は「G」関連の事件調査の第一人者として、その世界では名の知れた人物である。元紀も仕事の中で彼女の存在は聞き知っていたが、対面を果たしたのは都内某所の駅近くにある雑居ビルの最上階に構える彼女の事務所に依頼人として訪れた3日前が初めてであった。
 依頼の内容は、三週間前に蒲生村で話された事についてである。

「依頼された二点について、まず一点目の南明日香村での事件調査についてだ。確かに現場にいた女性はこの写真の女、ガラテア・ステラでした。結局その後の消息はわからなかったが、その後の地元警察の捜索でこれが近くの森の中から見つかったらしい」

 翔子が言いながらおもむろにテーブルの前に出したのは、ガラテア・ステラの写真で彼女が頭につけている金のカチューシャであった。
 ガラテアの写真は、正月明けに榊原が韓国から入手してきた。北朝鮮の護衛特別官をしていた当時の写真である。

「じゃあ、彼女は生きているんですね?」
「これを落としたのがいつのタイミングなのか。それにもよるけどな」
「ちなみに、これ……いいんですか?」

 元紀は透明なビニール袋に入ったカチューシャを指し示して聞いた。袋の隅に証拠品番号が書かれたシールが貼られている。

「あぁ、忘れるところだった。気がつかれる前に戻さねば」

 袋を持ちそう言うと、翔子はそれを懐にしまう。しかし、服の胸元はカチューシャが入っている様には見えない。元の場所へ転移させたのだろう。

「この爾落人の力についてはあんたの方が詳しいだろう?」
「えぇ。部下が正月に韓国へ出張して調べてもらったから」
「それは大変だな」
「そうでもないみたいよ。大いに韓国の正月を楽しんできたみたいだから。………あ、彼女の力だったわね。直接当人を知る人物との接触ができなかったみたいだけど、2012年当時の大統領の王龍皇から話を聞けたらしいわ」
「いいのか? あんたの部下といえば、まだ新米社員だろう?」

 唐突な大物の名前の登場に翔子が不安気な顔をして聞いた。元紀は苦笑して答える。

「うちの部下、とんでもない狸だからその辺は問題ないわ。王氏自身、当社との関係は当時からあったらしいし、日本人に友好的みたい」
「確か、在韓米軍縮小の為に今も活動を続けていると聞いたな」
「その為にも親日は必要なのでしょうね。……それで聞いたところ、かなり彼女のことも当時の北朝鮮のことも詳しかったそうよ。まぁ政治的にも色々あるみたいで、必要な情報以外は教えてもらえなかったらしいわ。残念だけど」

 元紀は悔しそうに言った。それが仕事ではなく好奇心からの興味だというのは明らかだ。

「事情はわかったわ。それで、ガラテア・ステラは何者なんだ?」

 翔子に促され、元紀は先を続けた。

「自称、王の守護者らしいわ。その意味はよくわからないけど、近衛になった理由もその守護者だかららしいわ。そして、変化の爾落人」
「変化?」
「自在に万物の変化を操れるらしいわ。勿論、不可逆的な変化を覆すことはできないらしいけど、化学変化を利用して炎を出したり、爪を自在に鋭利に伸ばしたりすることができるらしいわ」
「………恐ろしく強い力だな。私の知る限りだが、それほど万能に近い力は極めて少例だ」
「わたしも同じよ。あの玄武だってそこまでの力はないと思うし」
「それこそ現れるだけで争いを収めるという噂の三十郎という爾落人並に信じがたい存在だ」
「そ、そうね……」

 その人物が銀河と知る元紀はぎこちなく笑って誤魔化した。

「しかし、これではっきりした。爆発は攻撃を受けたものではなく、彼女が起こしたものと考えるべきだな。その目的が攻撃か、撹乱かはわからないが、彼女の爾落ならばそれは造作もない。そうなると、状況から推測して剣を盗んだのは彼女と考える方がいい」
「わたしも同意見よ」
「盗んだ剣、十握剣は「G」と考えるのがいいな」
「可能性は高いと思うわ。念のため、あれから剣についても調べてみたわ。剣の正しい名前は、蛇韓鋤剣。これはスサノオがヤマタノオロチを倒した剣の日本書紀での名称の一つなのだけど、奈良県の石上神宮に奉納されたと云われているわ。もっとも、その現在の所在は不明らしいけど」
「つまり、その剣が今回の剣であった可能性があるということか」
「そういうことね」

 一言だけ言うと元紀はコーヒーを口に含んだ。大分冷めてきてしまった。

「……ガラテア・ステラについてはこの辺だ。せめて警察の情報以上の報告をしたかったのだが、申し訳ない。しかし、もう一点の依頼は十分な成果だと思います」

 新しい煙草に火をつけた翔子はそう前置きをすると、A4の紙と写真を一枚ずつテーブルの上に出した。

「これは麻美睦月の中学校の卒業アルバムに載っていた写真のコピーだ。そして、こっちが現在の麻美睦月の写真」

 それは全く同じ容姿をした少女の写真であった。二枚を見比べる元紀に翔子が続ける。

「二つの写真の撮影された時間には約10年間の差がある。高校入学後の写真を入手することができなかったが、当時の彼女を知る同窓生に確認を取れた。彼女は生まれつきの病弱でほとんど出席できずに2012年の年明けで高校を中退したらしいのだが、その直前の年末にクラスの数名と共に見舞いに行った時、彼女は衰弱していたそうだが、この卒業アルバムの写真よりも成長していたらしい。そして、この最近の写真とはまるで時を止めたかの様に容姿が変わっていないと言っていた」
「つまり、9年間も容姿が変わっていないのね」
「通常ではありえない話だ。確か、麻美睦月は何年も人前に姿を見せていないらしいな」
「えぇ。社長をはじめとした上層部の数名は会っているらしいのだけど、他の社員は何かの偶然で目撃しただけ。麻美睦月は何年も容姿が同じだという噂はそうした目撃証言から社内で囁かれていたのよ。車椅子に乗っている社長の娘は「G」だと」
「なるほど。実はその同級生から更に面白い話を聞けた」
「え?」

 翔子の言葉にカップに残ったコーヒーを流し込んでいた元紀は目を見開いた。

「高校を入学した直後はまだ学校に通えたらしく、短い期間ではあったらしいが彼女も教室の一員として過ごした時があったそうだ。その同級生もその時期に交友を持ったらしいのだが、彼女の性格は年相応の愛想があり、明るかったそうだ。ところが、中退の話を聞いて再び見舞いに行った際の彼女は、まるで別人の様に無口で無愛想になっていたらしい。唯一変わっていなかったのは、容姿と時折見せる笑顔だけだったと言っていた」
「北条さん。今度はわたしの方がお聞きしたいのですが、成長の途中で「G」の力を得た場合、爾落人になることはあるのでしょうか?」
「本来ありえない話だ。私自身も後天的な「G」の能力者で、爾落人ではない」
「やはりそうですね。ただ、これは想像なのですが、「G」が一体化する…いえ、むしろ「G」が人を取り込む形で「G」の力を得た場合、その人は能力者ではなく、爾落人になるのではないでしょうか?」
「………それについては私にも答えを言うことはできない。ただし、それに類似した噂を耳にしたことはある」
「可能性はゼロではない、という事ですね?」

 元紀の問いに翔子は返事の代わりに素っ気無く頷いてみせた。
 そして、灰皿でフィルターの手前まで近付いた火種を消すと、翔子は更に新しい紙をテーブルに出した。

「麻美睦月と「G」の関連についてはこういうところだ。問題の事件と彼女の関連だが、知人の刑事の紹介という形で奈良県警に似顔絵を作成する様に頼んだ。それが目撃者の高校生の協力で作成した空を浮んでいた少女の似顔絵だ」

 その顔は麻美睦月と酷似していた。

「………」

 しかし、元紀は麻美睦月とは別でこの似顔絵に似た顔を見た様な気がした。似顔絵を手にとって見たが、結局それが誰なのかはわからなかった。

「麻美睦月と考えていいだろう。これで警察を動かそうと思えば、似顔絵と麻美睦月の顔が似ていると匿名で連絡するだけでいい。元紀、あんたの存在が相手にわかることはない」

 翔子は微笑を浮かべて言った。彼女としても今後J.G.R.C.社員と繋がりを持っていて利があるのだろう。
 そして、翔子はカップを手に取ると、残りのコーヒーを一気に飲み干し、それをテーブルに戻し、立ち上がった。

「一応、依頼については以上だ。追加で調査をして欲しい場合はまた事務所に連絡をしてくれ。……しかし、必然的に彼女と例の研究棟の噂を関連させたくなるな。どうも、謎の多い会社らしい、元紀のいるところはな」
「………」

 元紀が何も言わずに翔子の顔を見つめていると、彼女はそのまま壁にその身を消してしまった。自分自身を転移させたのだろう。
 元紀はしばらくテーブルに残された数枚の紙と二つのコーヒーカップを見つめていた。



 
――――――――――――――――――



 
 2011年12月24日、クリスマス・イブ。この年は例年稀に見る寒波の影響により、全国的に降雪の予報がなされ、事実都内にも夜が更けるにつれて夜景に白い雪がちらほらと見え始めた。

「注射の時間だ」
「パパ、外を見て。ホワイトクリスマスよ!」

 ショートボブの髪型をした美しい少女がリクライニングベッドを起こし、窓の外を目で示して言った。
 注射道具が乗ったトレイを持つ父親も外を見た。彼は小さく微笑んだ。

「もしかしたら睦月が生まれて始めてかな?」
「んー……多分、お母さんが生きていた頃に一回位あったかな? 霙みたいなのが」

 睦月と呼ばれた少女は首をかしげながら、笑顔で言った。首はそのまま折れてしまいそうなくらいに細く、笑顔も今にも壊れそうな弱々しいものだ。目じりに皴が付いている。化粧をしているらしい。

「化粧を落としていいんだよ? お友達が帰ったのは夕方だろう?」
「今日はいいの! クリスマスよ。お化粧とか……外しちゃったら、また病人に戻っちゃうじゃない! 私は心身ともに綺麗でいたいのよ」

 少女は気恥ずかしいのか窓の外を眺めたまま言った。
 しかし、父親は知っていた。彼女が自分の美しさを失いたいのではなく、娘の醜い姿にその運命に嘆き、彼女の先に見る別の人物を重ねてしまう彼を悲しませたくないという彼女の優しさであることを。

「……そうだな。今日だけはいいよ。ただ、明日からは駄目だよ」
「わかっているわよ。お父さんの会社の病院に行くんでしょ? 私だって歌って踊れる明るく元気で超健康な病人になっちゃうんだから、その為にもちゃんと治療は受けるわ」
「病人じゃ超健康とは言えないんじゃないかい?」
「うーん……」

 父親の指摘に少女は口を尖らせて眉間に皺を寄せて唸る。

「じゃあ、病人だと思われない様な元気な美少女になって、それでありのままの私を受け入れてくれる人を見つけて、結婚して……お父さんを式場で泣かせてやるぅ!」

 少女はさも偉大な大発見をしたかのような自信満々な表情で父親に言った。彼は複雑な表情を浮かべつつそれに答える。

「それはお父さんが寂しいな。睦月はいつまでもお父さんの娘だよ。それに、睦月は今でも十分に美少女だよ」
「それを父親に言われてもねぇ」

 少女は首を竦めると言った。そして、父親が注射の準備が出来上がったことに気づくと、布団の中から左腕を出した。枝のように細く、血色も艶も悪い腕だ。

「ねぇお父さん、またあのお話を聞かせてよ」

 細い腕に注射の針を刺す父親に少女は言った。

「あの話?」
「とぼけないでよ。宇宙から来たお友達の話!」

 腕から針を抜く父親に少女は言った。父親は腕に消毒された絆創膏を貼ると、静かに頷いた。

「やったー!」

 少女の笑顔は満面に広がった。

「その代わり、ベッドを倒すよ。あまり起き続けていると風邪を引いてしまう」

 言い終わる前に父親はリクライニングを倒し始めた。少女は角度の変わっていく窓の外の景色を眺めていた。しかし、外に見える景色はいつまでも黒い背景の前を舞う白い粒だけであった。

「星が見えないのが残念。……雪が降っているに贅沢ね、私。でも、やっぱりこのお話を聞く時は星が見えて欲しい」
「次に聞く時は星が綺麗な日にするといいよ。じゃあ、始めるよ」

 そして、父親はゆっくりと彼が少年時代に体験した不思議な友情物語を話し始めた。
 しかし、結果として彼女がその話を聞くのはこれが最期となった。
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