本編

3


 銀河の出世の秘密を聞いた元紀は、クマソガミの封印されていた洞窟に来ていていた。

「もう11年目か……」

 元紀は洞窟内に設置された照明器具を見て呟いた。
 2010年に南極で「G」と呼ばれる存在が発見され、世界中で「G」に関する論争とその存在についての調査が始まった。日本もその例外ではなかったらしい。
 J.G.R.C.もその流れの一つであるが、同時期に国家機密組織も組織され、蒲生村で2005年に起きた事件を聞き付けて調査に来た。今となればその組織はGnosisだったのかも知れないが、元紀にとってそれは問題ではなかった。

「……調査は洞窟を荒して、銀河の旅立ちのきっかけを与えた」

 それは無自覚の内に自分自身も同じ事をした事があるかもしれないという戒めの意味があった。

「ん? これは………」

 元紀は封印の解かれたクマソガミがいなくなって空いた穴を不意に覗くと、穴の中にペンダントらしきものがある事に気がついた。
 元紀は慎重に穴の中へ手を伸ばし、ペンダントを取ろうとした。しかし、ペンダントは穴の底に近い所に落ちているので届かない。

「う……ぐぅ………きゃあ!」

 思いっきり身を乗り出した元紀は、逆立ちの体勢のまま穴に落ちてしまった。

「痛たたた………」

 幸い少し手を捻っただけであった。
 元紀は手を摩りながら、穴の中を探った。穴の中は比較的細身体型の女性である元紀でも身動きが難しい程の狭い空間で、暗い穴の中でペンダントを探すのは予想以上に手間取った。

「あったぁ!」

 やっとの思いでペンダントを見つけると、元紀はそれをポケットに仕舞い、ゆっくりと立ち上がった。

「………深い」

 かつて2メートル近い身長のクマソガミが封じられていた穴である。日本人女性の平均的な身長の元紀には両手を伸ばして何とか穴の外へ手を出せる位であった。

「はぁ。この歳でやりたくないなぁ………よっと!」

 元紀は両足を穴の側面に踏み込み、壁登りの要領で穴を登った。
 幸いハイヒールでなく、スニーカーを履いていた為、スムーズによじ登ることができた。

「………何、やってるの?」
「ご、吾郎……」

 元紀が穴から顔を出すと、そこには目を点にした彼女の婚約者である五井吾郎の姿があった。

「………」
「………」

 二人の沈黙は、長かった。




 
 

「事情はわかったでしょ?」

 吾郎に穴から引き上げてもらった元紀は、必死で穴にいた理由を説明した。

「わかったよ。相変わらず元紀は元気なんだって」
「だぁかぁらぁー!」
「あぁ、ちゃんとわかっているよ! だから、怒らないで!」

 元紀の表情に怒りを感じ取った吾郎は慌てて言った。この上下関係は何年経っても変わらない。

「それで、そのペンダントは?」
「あぁ、これよ」

 吾郎に聞かれ、元紀はポケットの中からペンダントを取り出した。改めて見るとかなり古いものであった。金属製のそれは、全体的に煤けて金具部分は腐食した形跡すらある。

「20年か30年は昔のものだね。前にここを調査した組織の人が落としたんじゃないかな?」
「いや、多分違うわ。あの後、この穴も含めてわたしも調べたから」
「そうか。……中、写真が入っているんじゃないかな?」
「そうね! 見ちゃいましょう!」

 吾郎に聞かれ、元紀はペンダントを躊躇なく開いた。隣で吾郎が複雑そうな顔をしている。

「躊躇、しないんだね?」
「何を言っているのよ。三重県警の刑事さんがそんなのでよく昇進するわね」
「それと僕の昇進は関係ないと思うよ?」
「まぁいいじゃない。遺失物の確認は、持ち主に届ける為には必要なことよ。……あぁ、写真に土がついてる」

 元紀は吾郎の意見を言葉巧みに誤魔化しつつ、ペンダントの写真に付着している土を慎重に爪を使って取り除く。写真に写っている人物の顔が見えるようになった。女性の写真らしい。

「あれ? この人………」
「ん? この女の人って銀河のお母さんじゃなかったけ?」

 横から覗き込んだ吾郎が言った。元紀も頷いた。つい先ほど、線香を供えた仏壇に飾られた写真の女性、銀河の母の写真がペンダントの中に収められていた。

「………まさか!」

 一言呟くと、元紀は洞窟を出口目指して走り出した。

「あ、待って!」

 吾郎も慌てて後を追った。


 



「それで銀河が蒲生村に訪れて落としていった物じゃないかと思った訳だね?」

 縁側でお茶を啜ると、銀之助はのんびりとした口調で言った。元紀は頷いた。彼女の背後には吾郎が息を切らせて膝をついている。

「確かに、あの子のペンダントには真理……、あの子の母親の写真が入っている。そして、このペンダントに映るのも真理に間違いない。だけど、これは銀河のペンダントじゃない。わしの記憶だけど、この写真の真理は多分銀河が生まれる前。さっき話しただろ? 一度真理を勘当した、あの頃の写真だと思う」
「じゃあ、これは銀河のものでもじっちゃんのものでもないんですか?」
「そういう事だね。一体、誰のものだろう? あの頃の写真となると、蒲生村は愚か、日本国内で撮られたものとも考えにくい。……この写真の背景を調べれば何かわかるんじゃないかい? なぁ、刑事さん」

 銀之助は息が整ってきた吾郎に話かけた。

「あっ! は、はい。多分、写真の背景を見るくらいなら、家庭用のスキャナと画像解析ソフトでもできると思います!」

 油断していたところに話しかけた吾郎は挙動不審な反応をしつつ、答えた。

「じゃ、吾郎。お願い」
「へ?」
「へ? じゃないわよ。何、銀河みたいな声を出してるの。それ、吾郎できるんでしょ?」

 元紀は笑顔で聞いた。吾郎は眉を下げて頷いた。

「う、うん。一応………」
「じゃ、お・ね・が・い!」

 元紀は満面の笑みで吾郎にペンダントを押し付けた。

「うぅ………」

 吾郎はペンダントを渋々ポケットにしまった。

「ところで、吾郎は何をしにきたの? こんなことになったけど、元々すぐに家に戻る予定だったのに。あっ、婚約の解消って慰謝料を払わないといけないの、知ってた?」
「な、なんで僕が婚約を解消しなきゃいけないんだよぉ」
「冗談よ。で?」

 からかわれて動揺する吾郎の反応を楽しむと、元紀は先を促した。吾郎は腑に落ちないという顔をしつつ話を切り出した。

「いや、ちょっと仕事の話なんだ」

 途端に元紀の顔つきが変わった。

「「G」?」
「うん。奈良県警の知り合いに相談をされたんだよ」
「話して! 「G」の種類は生物? 物質?」

 元紀は吾郎に襲い掛かるような勢いで聞いた。その勢いにおされ、吾郎は後退りする。

「どうやら人って話だよ。それで警察が動いたんだけど……」

 それを聞くと、元紀の表情が曇った。

「爾落人……。そうなると力になれないかもしれないわ。うちは結局一般の調査企業だから、銀河みたいな人の「G」は嫌煙するの。人権とかもあるし、わたし達とのトラブルにもなる可能性があるから」
「そうなんだ」

 吾郎は少し落胆した表情をした。

「でも、話だけでも聞かせて。調査対象の「G」として扱っていないだけで、実際にはさっき銀じぃちゃんにSanjuroの話をしたけど、「G」と関連を示唆される人として対象にする場合もあるし、仕事柄そっちを専門に扱っている人の情報もあるから」

 元紀が言うと、吾郎の顔がパァっと明るくなった。

「事件自体は盗難事件なんだ。現場は奈良県南明日香村の祠。被害はその祠に祀られていた十握剣。目撃情報などから、事件の関係者と思しき人物が3人上がっているらしいんだ」
「それが「G」の能力者かそのものって可能性があるってことね?」
「うん。一人は中東系の女性。後の二人は日本人の親子で、父親は中年、娘は車椅子に乗った少女だったらしいよ」
「「G」は中東系の女性ね?」
「うん。でも、車椅子の少女というのも、そうらしい」
「……目撃情報って、具体的にどうだったの?」
「近隣に住む高校生で、祠の前に小川が流れているらしいんだけど、そこに綺麗な女性がいた為、何となく通り過ぎながら見たらしいんだ。それが、次の瞬間に爆発をしたらしい。驚いた彼は恐る恐るその場に近付くと、空中に浮ぶ少女を目撃したらしい。恐ろしくなった少年はその場を慌てて離れて帰宅したらしい」
「他の目撃情報は?」
「祠近くに住む老人で、祠へ向かう道を歩いていく中東系の綺麗な女性と、車椅子に乗る少女とそれを押す父親らしき中年男性の姿、そして先ほどの下校途中の少年を目撃して、しばらくした後、爆発音を聞いたらしい。他にもバラバラに女性や親子の祠へ向かうまでの目撃情報や爆発音を聞いたという情報はあったらしいんだけど、具体的に事件に関わりがあるのは、この情報だね。通報も、少年から目撃した事について、老人から爆発音についてだったらしいよ」
「その後の捜査で被害がわかった、というところね?」

 元紀が聞くと、吾郎は頷いた。

「事件後の彼らの目撃情報は?」
「それが、全くなかったらしいよ。その為、爆発を起こした女性の安否などは一切不明。そこで地元警察は手が詰まったみたい」
「………」

 元紀は吾郎の話を聞くと、腕を組んで黙り込んだ。

「元紀はなにか心当たりがあるようだね?」
「え?」

 今まで黙って聞いていた銀之助が元紀に言った。吾郎が驚いて元紀を見た。元紀は頷いた。

「中東系の女性が2012年に起きた北朝鮮の革命時に「G」の関連を示唆する噂があったの。最近になってやっと国家が安定してきたらしくて、情報の収集ができてきたの。それで、今まで放浪の革命家などと呼ばれていたSanjuroという人物が「G」との関連の深い人物と……まぁ、結果的にはそれが銀河だった訳だけど、判断したのよ」
「え、銀河?」

 先ほどの会話を知らない吾郎が驚いた。

「ごめん。吾郎、銀河については一先ず置いておくわ。……当時の首領、金日民が「G」の力を持っていたという噂は比較的有名だけど、彼の護衛をしていた中東系女性も「G」の力を持っていた可能性があるの。あまり有名な人物じゃないけど、プロの兵の大量殺戮を一人で行ったという噂が現地の北朝鮮やその情報収集を行っていた韓国や中国の人の中では実しやかに囁かれていたそうよ。そして、その人物の詳細情報は今、部下が収集しているところなの。まぁ、上手くいけば顔写真と名前くらいは手に入るかもしれないわね」
「なるほど。その人物が今回の女性という可能性は高いの」
「そうだね。その人の情報、収集できたら教えてもらえるかな?」
「それは職権乱用よ? わたしだって、課長としての立場があるんだから………まぁ、この事件とその情報の内容次第ね。考えておくわ」

 元紀は仕事の時の顔で吾郎に言った。彼女なりの公私の境があるらしい。
 とりあえず、話を終えたという顔をした元紀を見て、吾郎が手帳の内容を再度確認し始める。このままこの事件についての話は終わる、そう吾郎が思った。

「もう一組の親子に関する話をまだ聞いておらんぞ?」

 唐突に口を開いたのは銀之助であった。
 一瞬、目を見開いて驚いた元紀だったが、すぐに肩をすくめた。

「やっぱり銀じぃちゃんを誤魔化すことはできないか」
「じゃあ、親子の事も心当たりがあるの?」

 吾郎が驚いて聞くと、元紀は頷いてみせた。

「というよりも、先にこの親子についての心当たりがあった。それをわしに言われて、女性の話したという気がするな。ま、偶然にもその人物も一致していた様だけど」
「流石ですね。敵わないなぁ……。その通りです。それに、女性とは違って、その親子は素性もわかっています」
「何者なの?」

 吾郎が聞くと、元紀は少し躊躇しつつも、やがて口を開いた。

「麻美帝史と麻美睦月。J.G.R.C.社長とその娘です」
 


 
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 都内の高層マンションの最上階からの眺めは絶景であり、その気分は恍惚とさえしてしまう。

「やっぱりここの眺めは最高だ………。そう思うだろう、睦月?」

 ベランダに出た中年の男、麻美帝史は下界に広がる夜景を見渡しながら、室内にいる車椅子の少女に言った。少女の名は麻美睦月。彼の娘である。

「……いや、二人の時はイリスと呼ぶべきだね」

 帝史は目を細め、愛娘の顔を見ると言った。
 かつて彼の娘であったそれは、女神の様に美しく、そして艶かしい微笑みを彼に返した。

「今宵は部下達が調達してきた素晴らしい獲物がある。喜んでくれるかい?」

 帝史はリビングの片隅に置かれた金属製の箱を見た。
 まだ幼さも残る顔をしたそれは箱を見る。そして、再び彼の顔を見ると、微笑んだ。

「ほぅ」
「喜んでくれるかい? ……さぁ、おいで。その美しい躰をもっと近くでみせておくれ」

 彼は冬の寒気の漂うベランダにも関わらず、ネクタイを解き、シャツの前を開けて胸元を露わにした。年齢を感じさせない、細身の外見から想像する以上の筋肉質な肉体であった。その満たされている表情は肌に突き刺さる寒気すらも快感としていると思わせる。
 それに応え、彼女のゆっくりと腰を浮かした。ゆっくりと、少女は車椅子から立ち上がった。同時に、肩と背中から二対の薄膜状の羽が伸びる。照明の灯りを受けて、七色を帯びる美しい衣の様な羽だった。
 少女の躰は四枚の羽と共に風になびき、宙に漂う様に、緩やかで今にも消えてしまう様な儚さでその場にいる。重力を感じさせないその姿は、立っているというよりも浮いているという表現に近い。
 裸足で床に立つ少女であったが、次第に踵が浮き上がる。血管や筋が浮き上がらず、つま先に力を与えずに躰が浮き上がっていく。
 やがて、床から少女の白い肌に被われた足は完全に浮き上がった。
 少女はそのまま宙を舞い、そよ風になびく様に帝史に近付いてきた。

「イリス……、君は今宵も美しいよ」

 彼は彼女の差し出した手に指を絡めると、微笑みを浮かべて言い、その手をそのまま自分の体に引き寄せた。
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