本編




「課長ー! 榊原、恥ずかしながら帰って参りましたぁー!」

 日本「G」リサーチ株式会社、通称J.G.R.C.の第二調査部オフィスに元気溌剌とした声が響いた。部内全員の視線が入口に立つ黒い短髪の青年に集中する。
 同時に、入口から一番遠い位置にある第二調査部海外調査課の女性課長はため息をついた。ショートカットの似合う比較的美人の女性だ。
 そして、ゆっくりと書類から顔を上げて、背広に登山鞄を背負った格好で入口にて、主人の迎えを待つ犬の様に待っている青年に目配せする。幸い彼はそれに気付き、すぐさま課長席にやってきた。

「いやぁー! 成田まで直通便があって、行きよりは楽だったんですが、今度はエコノミークラス症候群が心配になりましたよぉ!」
「榊原! 開口一番の私への報告がそれか?」
「あっ、失礼しましたっ!」

 青年、榊原裕太は慌てて登山鞄を降ろし、中を漁り始めた。
 そんな様子を見て、課長の蒲生元紀は再びため息をついた。三十路を迎えた為か、彼女のため息は日に日にその回数を増やしている。

「あぁ! ありました! 飛行機の中でトムとジェリーを見ながら仕上げてきましたよ!」
「……榊原。仕事、楽しいか?」
「課長の下で働けて日々幸せです!」

 元紀は仏の様な笑顔を崩さないで榊原から書類を受け取った。ゴシック体の文字が並ぶ書類の右上端に、何故かネズミとネコのグラフィックが描かれている。

「……これだけ? 10日も太平洋の反対に出張させたのよ?」
「それが国防省が出てきて、予定していたフォート・デトリックの陸軍感染症医学研究所で門前払いを食らっちゃたんっすよ!」
「部長は?」
「幾つか掛け合って貰ったんですが、ダメだったみたいで。……そのまま故郷が近いからって帰ってしまいました」

 元紀はまた一度、ため息をついた。

「それで部長は一緒じゃなかったのね。あの人もよくわからない人だから……」
「まぁ、南米も色々大変らしいっすから」
「南米って言っても広いのよ? 部長の出身はブラジルの大西洋側。……大陸の革命が対岸の火事って無関心な日本とそんなに変わらない地域よ」
「はぁ……。あ、でも」

 榊原は一度言葉を区切ると声を潜めて、元紀に言った。

「例の別件について調べられました。……詳しくは今晩、いつもの店で」
「わかったわ」

 元紀が頷くと榊原は登山鞄を背負った。

「では、榊原! 報告書提出の任を終えましたので、これにて早退致します!」

 榊原も大声に他の課の人々が不愉快そうな目を向けるが、彼は一切気にしない様子でスタスタと部屋から出て行った。




 

 夜、仕事を終えた元紀がJR線沿線にある行きつけの居酒屋に行くと、榊原が店の奥にある半畳程の狭い座敷で熱燗と魚の煮物を注文して待っていた。
 この狭い座敷は、榊原が部下になった時に初めて彼女が連れて来た場所であり、二人が密談に利用する馴染みの場所でもある。

「待たせた?」
「いいえ、課長の退社時間はわかってますから」
「……一応、わたしは婚約者持ちよ?」
「自分も愛妻がいますからご安心を。課長とはビジネスパートナーですよ」
「全く、相変わらず口達者ね。……で、もう一つの調査結果は?」

 元紀が聞くと、榊原の顔つきが一瞬で堅実そうなものに変わり、先ほどとは違う資料をこっそりと差し出した。

「ビンゴです。……社長を筆頭に社の要人の名前がぞろぞろ出てきましたよ」
「よくこの資料を手に入れられたわね」

 元紀は名簿がコピーされた資料を見ながら囁いた。

「これは部長の同行を感謝しなきゃいけませんよ」
「……部長が連絡した先を当たったのか?」
「そんな所です。実際は直接当たると部長に悟られる可能性もある場所もあったので、幾つか別の……公的な文書の閲覧から探し出しました。今回の出張の名目があれ程役立つとは思いませんでしたよ」
「まぁ、宇宙からの飛来物と「G」の関連について、疫病や新薬開発の疑惑をチラつかせば、国家機密は門前払い。代わりに、公的なモノは気の済むまでどうぞ……ってなるわよね」
「流石は課長ですよ」
「ま、子どもの頃からこういう考えだけは得意だったから………」

 そう言い、元紀の表情が固まる。

「どうかしましたか?」
「いえ、……別の気掛かりを思い出して」
「………」

 目を伏せた元紀に榊原は無言で待った。案の定、すぐに元紀は顔を戻した。

「……それよりどうだった?」
「見当がついていたとはいえ、ちょっとビビりましたね。結論から言うと、その資料の元は1988年のものでした。部長から探し出しただけあって、社長の名前よりも簡単に見つかりましたよ」
「社長…麻美帝史の名前は?」
「2枚目の資料……1990年の末席にいました。……多分、これが一番課長にはショッキングなものですよ」

 榊原に言われながら、元紀は名簿に書かれた英字名の羅列を目で追った。
 そして、最下部に並ぶ名前を見た時、彼女の目はギョッと見開かれた。

「………わたしが採用されたのは、これが理由だったのね」
「それはわかりませんよ。でも、出世した背景にはこれがあったのかもしれませんね」

 榊原は熱燗を最後の一滴まで猪口に注ぐと言った。

「もう一度聞くけど、今回の事、上には悟られていないでしょうね?」
「いないと思いますよ。……今回の根回しには自信があるので」
「榊原、これ以上はわたし一人でやるわ。あなたにこれ以上は……」
「ここまでやらせておいて、それは言わないで下さい。……俺も知りたくなったんですから、社長の秘密を」
「………後悔、するかもしれないわよ?」

 元紀が真顔で榊原に念を押すと、彼は冷め始めた熱燗の残りを一気に口へ流し込んだ。

「それは、課長の方でしょ?」
「そうね」

 榊原に言われ、元紀は苦笑した。





 

 2021年正月。
 毎年恒例の故郷にある祖父、蒲生源一郎の墓参りを済ました元紀は、幼馴染みである後藤銀河の実家を訪ねていた。

「相変わらず、日課は続けているんですね」

 元紀は遺影しかない仏壇に線香を供える老人、後藤銀之助に言った。彼は銀河の祖父に当たる人物で、銀河が旅に出て以来、一人で暮らしている。

「あぁ。わしがこうしてこの日課を続けている限り、銀河の帰る場所はあるからね………」

 仏壇の前で銀之助は寂しげな表情をして言った。

「アイツから、手紙とかはないんですか?」
「便りがないのは元気の便りって言うが……。代わりにこういうものが届いている」

 銀之助は仏壇から封筒の束を手に取ると、元紀の前に持って行き、それを手渡した。

「これは?」
「銀河へのお礼の手紙らしい。一番古いものは……、2013年だから8年前か。中国の武道家の娘さんからだね。どうやら跡取り問題を解決したらしい」
「何やってるんだか………」

 元紀は手紙の束を見ながら呟く。便箋は全てエアーメールで、大半がアジア諸国からのものである。その中からアメリカ合衆国からのものを見つけた。

「これは?」
「ん? ……あぁ、中東のどこかの国に駐留していた米軍隊員の女性だそうだよ。現地住人との軍事衝突の危機回避に協力したらしい」
「……銀河はフーテンのテキ屋にでもなりたいの?」
「さてな」

 銀之助は苦笑しつつ言った。元紀はそのまま手に持っている女性隊員からの手紙の文面に目を通した。
 銀之助も特に止めようとしなかったので、元紀はそのまま筆記体で書かれた英文を流し読みする。

「………Sanjuro!」
「ん? どうした、急に叫んだりして?」

 手紙を両手に握りしめて、驚きのあまり口を開いたままになっている元紀に銀之助は聞いた。

「シルクロード周辺で争いを鎮める謎の東洋人の噂が数年前から囁かれているんです。……始まりは、2012年に北朝鮮であった革命。それ以降、中国や中東で「G」が関わった出来事で時々現れ、その都度、苗字を変えて名を三十郎と名乗っている……ウチの海外調査課で「G」との関連性を疑って追っている人物です。……まさか、それが銀河だったなんて」
「三十郎……か。わしのビデオをよく見ていたあの子らしいな」
「でも、やってる事は用心棒というよりも水戸の御老公って感じですよ? むしろ、さっきも言ったけど、寅さんとか金田一耕助みたいだし」
「まぁ、銀河らしいじゃないか。それに、元紀も一つ謎が解けたのだし、よかったじゃないかい」

 手紙の文字を見つめながらぼやく元紀に銀之助は微笑んで言った。

「そうね。……うん。わたしがこの仕事を選んだのは銀河に追いつきたかったから! わたしはわたし、海外調査課長として「G」を調査したかった!」
「そうだね」

 銀之助は笑顔のまま頷いた。
 元紀は正座をして銀之助に向き直ると、真顔で言う。

「………お願い、銀河について。2005年の蒲生村で確認されたクマソガミとは別の、もう一つの「G」について、教えてください」

 元紀の言葉を受けて、銀之助の表情は笑顔から真剣なものになった。そして、その瞳で元紀の瞳をじっと見つめると、やがてゆっくりと語り始めた。

「さて」

 それは2005年にクマソガミが現れた夜、銀河に話した彼の出生に関する話であった。




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「本当に合ってるんだろうなぁ?」

 空に浮ぶ無数の星と煌々と輝く満月の下、見渡す限りの一面に広がる砂漠を二人の男が歩いていた。
 砂漠気候のエジプトとはいえ、12月の夜間は冷え込む。この防寒の為に服を何重にも着込んでいる為、動きが鈍い。疑問をもう一人に投げ掛けた男も、寒さ以上に疲れが大をしめるようになっていた。

「間違いない。……俺が十数年前に来たのはこのルートだ!」

 振り向いた男は鬼気迫る相で彼に言った。

「だけど、殺人事件の犯人として服役してたんだろ? うさん臭い……」
「いいんだぞ? 俺を信用しなければ、幻の遺跡には辿り着けないだけだ。……以前はアイツに邪魔されて宝を取れなかったが、今はアイツの正体もわかってし、武器もある! ……安心してついてこい」

 男は肩に背負った大きな荷物を示して言った。
 男の台詞に彼は改めて、不安を募らせた。彼らがこれから行うのは、遺跡荒し。
 男は十数年前まで、闇の世界ではそこそこ有名なトレジャーハンターで、闇市場の魔女も協力を求めたらしい。もっとも、その際に男は殺人事件の犯人として捕まったらしいが。
 生活に困った彼は、この男と出会い、遺跡に隠された秘宝を、発見する前に盗もうと決めた。男も、今なら行けると言って、現在砂漠を歩いている。

「見えたぞ! ……あれが、人工衛星でも存在を確認できない。……近付かなければ見えない遺跡、魔都だ」

 男が示した先には、決してギザのクフ王の大ピラミッドほど大きくはないが、美しい角錐のピラミッドがそこにそびえていた。

「細かいピラミッド史は知らないが、それでもこれが当時の技術の限界に挑戦したものである事はわかる」
「あぁ。……本来のピラミッドのあるべき姿をしている」

 彼は己がよく知っているピラミッド本来の姿で今も残っている事に、今の立場も忘れて感動した。
 ピラミッドは本来、直線の四角錐で描かれ、全ての面が太陽光を反射するほどに綺麗に研磨されて石灰岩の化粧石で覆われている。
 しかし、表面は時と共に風化する為、ギザの三大ピラミッドでもカフラー王のピラミッドの頂上部に僅かに確認する事ができるのみである。元々は同じように化粧石で覆われていたといわれるクフ王の大ピラミッドは、高さと長さが黄金比となっており、最大にして最高のピラミッドとして人々の心を奪う。
 今彼は、それ以上に美しい建造物を目にして感動と驚きを隠せずにいるのである。

「一体、これはいつ築かれたものなんだ……つい最近完成したものと思ってしまうほどに美しい」
「驚くのはこれからだ。………今度こそ、アイツの息の根を止めてやる!」

 男はおもむろに荷物を広げた。荷物の大半が黒光りする金属だった。

「それは?」
「俗に云われる対戦車砲の類だ」
「一体、あの遺跡に何がいるんだ?」

 彼が聞くと男は、銃を組み立てながら答える。

「……当時、俺にもわからなかった。そして、遺跡とアイツの存在に恐怖し、人を殺した。正しいか間違いだったかは、この際どうでもいい。一つ言えるのは、当時の俺にはそれ以外に手段を知らなかったというだけだ。……だが、今は状況が違う。今はアイツに、名前が与えられている」

 組上がった対戦車砲を構え、男は言葉を区切った。彼は男の視線を追った。
 同時に男は言い放った。

「「G」という名がな!」

 そこにいたのは、翼長数十メートルもの巨大なコンドルであった。
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