本編
1997年、三重県蒲生村。
「ふぁいなる、ふゅーじょんっ! しょーにん!」
神社の境内でランドセルを前につけて目を半分くらいしか開いていない男の子が叫んだ。
「出たな、勇者王! げん…じゃないっ、ボクに勝てるかな?」
新聞紙を丸めた筒を持った女の子が言った。彼女の髪は三つ編みを外したらしく、ウェーブがかかっている。
「待ったぁ! ぼくだって、今は3なんだぞ!」
坊主頭にひっくり返した黄色のシャツを被って長髪に見立てた男の子が主張した。
彼らは今、勇者のスーパーロボットと世界を革命する少女剣士と宇宙最強の超戦闘民族なのだ。
三つ巴の戦いが神社で始まろうとしていた。初めに動いたの勇者王だった。
「でぃばいでぃんぐ、どらいばぁー!」
勇者王はランドセルから飛び出していたリコーダーを抜くと叫ぶ。
しかし、少女剣士は素早い。リコーダーを摺り足でかわし、新聞紙を持つ手を捻り、リコーダーを持つ勇者王の手を思いっきり新聞紙で叩いた。
「小手ぇー!」
「いてぇ!」
ハエを叩いたかの様な軽快な音を立て、少女が走り抜けた地面にはリコーダーが落ちる。
「波ぁー!」
戦闘民族の戦士は少女に広げた両手を突き出して叫んだ。彼の手からは必殺技が放たれたのだ。
「遅いっ!」
少女は横跳びの要領で体を横に映し、戦士の必殺技を回避する。彼は俗にいう飛び道具系の攻撃なので、叫んだ時に突き出した手の直線上に相手がいない場合は外れの判定が下されるのだ。
少女が回避した為、後ろで叩かれた手を擦る勇者王に必殺技が直撃した。
「えっ? ……やられたぁ~! ジュウゥ、キュウゥ………」
解説しよう。攻撃による死亡判定や必殺技を受けた場合は、如何に無敵のヒーローであっても、ゆっくり10秒を数えなければ復活できないのである。
「かぁ~めぇ~」
「溜めの長さが命取りよ!」
少女は必殺技の構えをする戦士に走りながら、新聞紙を頭の上に構える。上段の構えだ。
「めぇ~」
「面っ!」
「波っ…たぁ~っ!」
一瞬の差で、戦士の必殺技は少女の横を霞めて空を貫き、少女の新聞紙は彼の頭をおもっきり打ち付ける。ピシャリという音が響き、彼の頭に生える超戦士の証である金髪は新聞紙に押されて空を舞った。
「またつまらぬモノを斬ってしまった……」
少女がボロボロになった新聞紙を突き出して違う漫画の決め台詞を吐いている後ろで、黄色い服は虚しく地面に落ち、ただの坊主になった戦士は赤くなった額をおさえて、力なく膝を落とした。
「また元紀の勝ちね! 勇者も戦士も大したことないわね」
勝者である少女は、もはや悪の帝王の如く、高らか笑いながら言った。
「大体、少女革命はそんなのじゃないだろ?」
「何よ、銀河。元紀に文句あんの? 良い度胸じゃない!」
ボロボロになった新聞紙を石段に放っていたランドセルにしまうと、蒲生元紀は指を鳴らして言った。ランドセルを背中に背負い直す元勇者、後藤銀河はその迫力に後退りする。
「何か、元紀ちゃん。どっちかというとジャイアンみたい」
「何よ、吾郎の癖に生意気よ!」
「ごめんなさい!」
完全なジャイアニズムで元紀は、坊主頭の五井吾郎に難癖をつける。吾郎の素早い謝罪はのび太君以上だ。
「大体、吾郎は何で溜めの長いキャラにするのよ」
「名前が似てるから……」
「確かに似てるけどー」
いつの間にか、吾郎のダメ出しを始める元紀を尻目に、銀河は図書室で借りたアリの生態を写真で紹介する薄い本をランドセルから出し、日陰で眺める。
上級生向けの本であったが、既に彼はひらがなを完璧に習得しており、画数の多い名前が自分を含めて多い為、漢字にも自信があった。
「……ちょっと銀河、本なんか読んでるのよ! ガリ勉!」
オスアリと女王アリの空中での交尾を映した写真のページを開いた時、銀河の手から本をヒョイっと持ち上げられた。この犯人と声の主は、元紀以外にいない。
「何するんだよ…」
「きょーちょーせーを銀河は身に着けるべきよ」
「……意味をわかるのか?」
無理に難しい言葉を使っているのが見え見えの元紀の発言に、銀河が手を頭の後ろに組んで聞いてみる。本に対する反撃である。
「な、何よ! 銀河はわかるの?」
「一応ね」
「じゃあ、30秒以内に90文字以上100文字以内で説明しなさい!」
「へ?」
「よーい、ドン!」
元紀の掛け声で、銀河は文句を言うよりも、文章を慌てて考える。90文字以上100文字以内の文章というのは、30秒で考えるには地味に難しい。
「ブブー! 時間ぎれ~! 勉強できたって、実用できなきゃダメなのよ!」
元紀は勝ち誇って銀河に指を突き付けて言い切った。
ガクッと両手を地面について、銀河は勝利の悦に浸る元紀を見上げた。敵わない、圧倒的な存在がそこにいた。
銀河は生まれて初めて敗北を実感した。
「銀河、元紀も鬼じゃないわ。『元紀様は超ウルトラスーパーミラクルデラックス百億万位最強です』って土下座して言ったら、この本を返して上げようかしら」
もはや、元紀を止める事はできない。吾郎が哀れみの目で見る中、銀河は頭を下げた。
「元紀様は超ウルトラスーパーミラクルデラックス百億万位最強です……あっ」
銀河が屈辱的な言葉を元紀に言い、顔を上げて元紀の顔を見ようとした時、一陣の風が舞った。
風にまかれた元紀のスカートは捲れ、パンツが露わになった。勿論、吾郎もしっかり見えていたが、銀河は特等席で見えた。
「…………」
「……吾郎、やるぞ」
「……うん」
元紀が硬直する前で、銀河と吾郎は同時に、代々上級生から受け継がれる男子の伝統をする。
「「パンッ、ツー、丸、見え!」」
二人の動きも声も完璧なシンクロであった。
「………」
丁度、神社の鐘がボーン! と鳴り、その音は元紀の頭を何度もこだまする。彼女は、生まれて初めて敗北感のある勝利を経験をした。
彼らが小学校1年生の時の事であった。
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2021年春、イスラエル・ガザ郊外。
「うがっ!」
「どうした、サンジューロー? 幾ら状勢が落ち着いているとはいえ、崩れる程の居眠りってのは良くないぜ? 特に運転手である俺に対してな?」
後部座席で体勢が崩れた後藤銀河に運転手の青年は言った。彼はガザの自治隊員で最近まで武装勢力と戦っていた若き戦士である。
「俺の口癖がすっかりうつっているぞ?」
「ははは。そりゃ、この数ヶ月の間、ずっとあんたといたんだ。口癖くらいうつるさ。……サンジューロー、夢でも見ていたのか? 何だか寝言を言っていたぞ?」
「昔の夢だったかな? ……故郷の、幼馴染との思い出だ」
「お、色恋に興味なさ気なサンジューローにも、故郷には女がいるのか?」
「別にそういうのじゃないさ。……そういえば、もう内乱は収まったんだ。三十郎じゃなくて、本名で呼んで良いんだぞ?」
銀河は身に纏う黒いマントを直しながら、彼に言った。長らく武力勢力との衝突による内乱が続いていたこの国に来た銀河は、この青年と出会い、内乱の一時終結に協力していた。その際に名乗った偽名が大空三十郎だった。
「そういえば、なんで大空三十郎だったんだ?」
青年は不意に銀河に聞いた。銀河は伏目がちな顔を一層伏目にして、呟いた。
「……いい天気だったから」
「へ?」
「俺が名乗った時、大空が清々しい晴れ渡ったいい天気だったから。……大空三十郎にした」
「……お前、敵味方から思慮深い奴だと思われていた割りに単純な性格してるよな?」
「うるせぇ! 戦争始めさせるぞ?」
「やめてくれ、そういう冗談は!」
「すまないすまない」
銀河がボサボサの頭を掻きながら笑って言うと、青年も笑った。
数年前からシルクロード周辺の諸国で実しやかに囁かれている噂が存在する。争いの地にどこからともなく現れた東洋人はサンジューローと名乗り、彼が去った後は何年も続いていた争いも終結する。しかし、噂を知っている者は数多くいるが、そのサンジューローが後藤銀河という日本人で、心理の爾落人という「G」であるという事を知っているのは極少数の人間だけであった。
銀河を乗せた車は、まもなく国境へと到着しようとしていた。
国境の先は、エジプト・アラブ共和国である。