女神
2027年6月6日、わたしは子ども達を連れて最終列車に揺られていた。
最近は幼稚園に入った為か偉そうな事を言うことが増えた長女も、今はわたしの膝の上で2歳下の長男と二人揃ってすやすやと眠っている。可愛いものだ。
仕事と子育てに追われる日々は正直楽ではない。しかし、この二人の天使の顔を見れるだけでどんな疲れもたちどころに消えてしまう。
この幸せを感じる一瞬一瞬を夫と共有できないのは、本当に申し訳ないと思う。
J.G.R.C.第二調査部部長という肩書きを持つわたしは、三重県警に勤める夫と別居生活を強いられている。数年前まではお互いも仕事の融通が利くように調整をしていたのだが、娘の幼稚園入りとわたしと夫の昇進が重なってからはそうも行かなくなった。
幸い、実家の方を夫が、子育てをわたしが行っているこの特殊な状況に不満も疑問も抱かない家族であったので、現在のところ夫婦生活は円満なものとなっている。
今日は親友の祖父が亡くなられ、ちょっとした事情から喪主を夫が親友の代理で行うことになった。そのお陰というと、罰当たりだが、仕事を休んで子どもを連れて夫の元へ電車に揺られているのだ。
そうしている間に、わたし達の下車駅に列車は到着した。
「ほら。五月、凱吾、着いたわよ」
「うぅーん、ねむいょ」
「………ずずぅ」
「五月、寝ぼけないの。お姉ちゃんでしょ? さ、起きて。こら、凱吾……仕方ないわね」
わたしは完全に眠っている長男を抱きかかえ、着替えの入ったスーツケースを持ち、長女を連れてドアの前に立った。
ドアが開き、暗いプラットホームにわたし達は降りた。
入れ違いに違うドアから乗車する客がいたことに気がついたわたしは、ちらりとその乗客を見た。同時にドアがしまる。ドアのガラス越しではあったが、一瞬だけ客の顔が見えた。
「!」
目を疑った。客はわたしの知る人物であった。生きているとは思っていなかった人物であり、その目が現実の世界を見ていないものであった事に落胆と安堵がわたしの心の中に浮かんだ。
客はかなり老け込んでいたが、わたしの親友を老けさせた顔と同じということもあり、彼を間違えるはずはなかった。
彼は両手で金属製の箱を大事そうに抱えていた。
「ママ、パパが待っているよぉ」
「う、うん」
わたしは長女に裾を引かれるまで、電車の走り去った線路を眺めていた。
わたしはあの箱の中身が何かわかっていた。
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終電が発車した後の駅前に止まっていた車が、蒲生村に向かう県道を走り去った。
「……よかったのか? 彼女達とはあれ以来だろう?」
その光景を峠の上から見下ろす女性がもう一人の男性に聞いた。
彼は首を振った。
「いいんだ。それに、まだ能々管を回収するという機会があるんだ」
「それはわざとだろう?」
「まぁな? でも、あいつらにはまた会えると思う」
彼は口元に笑みを浮かべて言った。
女性もそれにつられて微笑んだ。
「それに、帰郷をしたのは別れをするためだからな?」
「再会を一緒の時にしたくないんだな?」
「あぁ。きっと再会の方がうれしくて、印象に強く残る。そうしたら、じぃちゃんとの別れをした時のことを忘れてしまうかもしれない」
「大丈夫。あなたは忘れない。あなたが、彼から貰ったそのレシピの味を忘れない限り」
「あぁ……」
彼は頷き、手に持つメモ用紙を見つめる。
「そういえば、その料理は何と言うのだ?」
女性が不意に聞いた。
彼は思わずクスリと笑うと、答えた。
「フェジョアーダ」
【第二幕・了】
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