本編




「もう……涙も涸れそうよ」

 擦れた声で元紀は銀河の亡骸に呟いた。
 銀河の表情はとても穏やかで、外傷もない為、眠っているかの様に綺麗な状態だ。しかし、死んでいるのだ。

「嘘みたいだな。……生命活動を行っている生から死に変化させる。これも変化の力の一つということか」

 榊原は銀河の亡骸の上に置かれていた蛇韓鋤剣と眼帯を手にとって言った。
 ムハンマドも絶望を全身から漂わせ、外を眺めている。

「……なんで眼帯なんだ? あぁ、旅人は片目を失っていたんだったな。せめてもの手向けという事か……。ふっ、こいつはまだ後藤銀河であって、旅人じゃないのに」
「! ……そうか!」
「え?」

 榊原の言葉を聞いて、突然立ち上がったムハンマドは元紀を銀河の遺体から離し、それを両手で持ち上げた。

「ちょ、おい!」
「どうしたの?」
「これは、ガラテア様からのメッセージだ!」
「え?」
「『神々の王』の帰還の儀、第三の方法を行えという、メッセージだ!」
「第三の方法?」
「あぁ。最終手段とも言い換えられる。それは、万が一帰還の際に既に旅人がこの世にいない時に行う方法だ」
「それって………」
「再生。黄泉の国より帰還し、現世の姿を再び得る方法。つまりは」
「死者蘇生……」
「その通り!」

 元紀が言うと、ムハンマドは力強く頷いた。
 そして、銀河を持ち上げたまま、砂漠へ出て行く。元紀達もその後を追う。

「でも、どうやって?」
「死者の書と『神々の王』の半身と……、それらを使う」
「半身って」
「今まで、長らく不可能と第三の方法は言われていた。それは、まず旅人の魂を一度引き止める心臓を持つ器が必要であったからだ。しかし、それが長らく行方不明になっていた。だが、今はそれが可能だ。ルクソール博物館にご帰還致している」
「ラムセス1世?」
「そうだ。ラムセス1世の、『神々の王』の半身を蘇らせ、旅人の再生を行う!」

 ムハンマドが言った刹那、地鳴りが起こった。

「くっ! ガラテア様から封じられたセクメトの、破壊神の力を解放したか! 急げ!」

 ムハンマドに急かされ、元紀達も砂漠を走る。丘を越えたところで、魔都が崩れた。

「魔都が!」
「目覚めさせてしまったか! 早くヘリへ!」
「あぁ!」
「うん!」

 三人が乗り込むと同時にヘリコプターは発進した。

「あぁ、魔都が……完全に崩れた」
「ん? 何か……いる!」

 榊原と元紀が窓から砂漠に消える魔都を眺めていると、粉塵の中に巨大な何かが蠢いていることに気がついた。

「アレが、ガラテア様、いやセクメトのもう一つの姿。破壊神、ヤマタノオロチの姿だ」
「「!」」

 大蛇にも似ている巨大に長く伸びた首を計八本もうねらせ、炎によって燃え盛る山の様に赤い鱗で覆われた全身を持つ。それは、日本神話に登場する八つ首龍、ヤマタノオロチそのものであった。

「何でエジプトでヤマタノオロチ?」
「日本にヤマタノオロチの話を持ってきたのが、蛇韓鋤剣を持ってきた旅人ってことじゃないですか?」
「恐らく事実、そうなのだろう。……最強最悪といわれるヤマタノオロチが目覚めた。時間はない!」

 床に置かれた銀河の死体を一瞥すると、ムハンマドは言った。
 ヘリコプターはルクソールを目指した。その後方では、巨大な八つ首龍が蠢き、活動しようとしていた。




 
 

「お呼びでございますか、主殿」

 最深部の大部屋に現れたガラテアが言った。
 麻美は天叢雲剣を片手に握り、頷いた。

「あぁ。セクメトよ、目覚めの時だ。この剣に封じられし、そなたの本当の姿を解放する。そして、私に王の力を与えよ」
「主殿の、お望みのままに」

 離れたところでサーリムがその様子を見つめる。
 ガラテアは両手を広げ、体を反らした。その目の前に立つ、麻美は両手で天叢雲剣を天に突き上げ、その刃を下に向けた。
 そして、ガラテアの胸元に天叢雲剣の刃をゆっくりと下ろした。その切っ先が、ガラテアの肌に触れた瞬間、剣全体が光を放つ。
 思わずサーリムは目を細める。
 麻美はそのまま腕を下げていく。刃は光を放ちながらガラテアの中へとずんずん入っていく。

「うぅ………」

 軽くガラテアが呻いだが、麻美は気にせず、そのまま刃を奥へと進めていく。既に、半分以上が彼女の体を貫いたが、その刃は背中から貫通しない。

「………!」

 遂に、全ての刃が彼女の体に入り、最後に柄までも入っていった。そして、右手のひらを彼女の胸元に当てた状態で、完全に天叢雲剣は彼女の躰に入り、軽く彼女の躰がはねた。

「………」
「セクメトよ、その真の姿を見せるがよい」
「あぁあああああああ!」

 ゆっくりと反らした体を起こしたガラテアに、麻美は言った。
 刹那、ガラテアは絶叫した。
 そして、彼女の手が、首がうねり、割れる。彼女の顔も伸び、鱗が現れ、その顔も割れる。服も破け、巨大な赤い胴が現れた。足も形を変え、長く巨大な尾が生える。計8つに割れた首はそれぞれ伸びていき、それらの形は人のものではなく、龍の顔になっていく。
 同時に、魔都全体が揺れ、崩壊が始まった。

「うわあああ!」

 慌ててサーリムは麻美の所へ駆け寄る。目の前では八つ首の赤い龍が体をよじらせながら、更に大きくなっていく。
 それは、もうガラテアではなく、ヤマタノオロチそのものであった。




 
 

 ヘリコプターから降り、ルクソール博物館に入った時には、既に八つ首龍の「G」が現れたニュースが流れ、人々は避難を開始していた。

「今更、こいつを蘇らせてどうにかなるんですか? 大きさが人間とは桁違いですよ?」
「今はムハンマドを信じるしかないでしょ! それとも、子ども達と一緒に助けを求める? 来てくれるかもよ、玄武が」
「それは冗談なんですか?」
「冗談のつもりよ」

 榊原と元紀が冗談を言っている内に、彼らは展示されているラムセス1世の前に着いた。
 ムハンマドは銀河の死体をラムセス1世の前に寝かせると、自らの上着を脱いだ。

「それは!」
「死者の書だ」

 ムハンマドの背中に刻まれた古代エジプト文字で描かれた文章を見て、元紀達が驚く中、ムハンマドは両手を仰いだ。そして、呪文を唱えた。

「……! ラムセスの魂よ、今こそ肉体に還れ! 我が身を犠牲にし、旅人の魂と共にその選ばれし肉体へ還るのだ!」
「え?」
「まさか!」
「………ふっ! 死者の書とラムセス1世の肉体、そして術者の命を犠牲にして、旅人の再生は行われる。……後は、……任せた……ぞ」

 元紀達に言い残すと、ムハンマドの体は煙の様に消滅した。

「ムハンマド!」
「そんな!」

 元紀達が立ち尽くす中、ガラスに囲まれた展示台の中にいるラムセス1世のミイラが震え始めた。

「うわっ!」
「成功……したの?」
「ぐはぁあああ!」
「「うわああああ!」」

 突然、ラムセス1世のミイラは両手を突き上げた。そして、暴れる。元紀達は絶叫した。

「gへいあlkdj?」
「何か聞いてる?」
「何を言ってんだ?」

 ラムセス1世は目の前にいる元紀達に気がつき、何か言っているが、全く言葉がわからない。

「……第三の方法を行ったのか?」
「うわっ! 突然の英語?」
「銀河か、ムハンマドか、もしくは旅人の経験があるからかもしれない」
「どうなんだ? 第三の方法を行ったのか?」

 ミイラのラムセス1世がガラスを叩いて聞いてきた。元紀は思わず飛び跳ねた。

「は、はい! 第三の方法を行いました!」
「そうか……彼は、死んだのか?」
「そうです。あなたは……」
「如何にも、ラムセスだ。これは珪素による造形物か?」

 ラムセスがガラスを叩いて聞いた。

「はい」
「ならば、容易いな」

 元紀の返答に満足したのか、ラムセスは右手をガラスに翳した。
 刹那、ガラスが水の様に床に落ちた。そして、再びガラスに固まった。

「いっ、一体何を?」
「この様な物は、悠久の時間から見れば、ただの液体だ。液体が垂直に存在していられるはずがないだろ?」
「時間を操ったの?」
「正しくはない。液体という事実を強調させただけだ」

 ラムセスは展示台から出ると、元紀の疑問に答えながら銀河の死体の前に立った。

「これは?」
「銀河……旅人の今の姿よ!」
「なるほど。それで第三の方法を行ったのか?」

 一人納得したのか、ラムセスは元紀を見て頷いた。

「ふん。ミイラとなっている我が肉体と比べては仕方のない話だが、この男の体は実にやわだな? この時代の勇者は実に軟弱とみた」
「勇者?」
「そうだ。旅人は、司祭であり、王であり、戦士であった。我は彼を勇者と称した。……まぁ、いい。我が魂を得れば、肉体が屈強か軟弱かなど、意味がないからな? 時に、その女よ」
「なに?」
「時間はどれほど猶予があるのだ?」
「ほとんどないわ。既にヤマタノオロチは目覚めているから」
「……そうか。少し、時間がかかるかもしれない。万が一のときは、何があってもこの肉体を守るのだぞ? この者が目覚めたら、アマノシラトリの元へ急げと言え。すぐに理解する」
「はい……」
「では、女よ。短い出会いであったが、これにて失礼する」

 ラムセスが別れを告げると、その体は一瞬にして砂に変わり、渦を巻き、銀河の遺体に入り込んだ。

「入った!」
「……課長、ここまで見ると物理の法則って何でも良くなりますね」
「榊原、同じものさしで彼らを見てはダメよ」

 銀河の遺体を眺めたまま、二人は言った。
 まだ、銀河の体に変化は起こらない。

 


――――――――――――――――――
――――――――――――――


 

 俺は、多くの時代を旅してきた。
 各地で、各時代で、それぞれ名前を名乗ってきた。中でも、旅人という名前は特に長く使ってた。
 真名がないわけではない。しかし、そんな名前もエジプト王朝に身を置くようになってから、捨ててしまい、いつしか神の一つになってしまった。
 俺は王朝から離れた場所に住んでいた。いつしか、人々との暮らしがわずらわしくなったのかもしれない。
 しかし、如何に俺でも、やはりさびしいという感情はあるらしい。孤児を見つけた時、彼女を拾い、育てることにした。少女はすくすくと育っていた。そんな彼女の日々の成長を見るのが、俺の最大の楽しみとなっていた。
 しかし、そんな平和も長くは続かなかった。王が老人となり、力を失い、反乱が各地で起こった。
 その戦火に彼女も巻き込まれ、死んだ。
 俺は、絶望に打ちひしがれた。元々、この文明の基礎を初めに教えたのは俺だったからだ。俺は己の過ちを己の手で正そうと決めた。
 勝手な復讐と言えば、それまでだ。しかし、俺は許すことが出来なかった。だから、王、ラムセス1世と融合し、『神々の王』と名乗った。そして、その左目を娘と融合させ、セクメトとした。
 後に後悔し、彼女の力を封印することにした。
 セクメトの力、それはヤマタノオロチという最強最悪の八つ首龍の姿になり、全てを破壊する姿である。俺は彼女の好きな酒を多く用意し、彼女を眠らせた。
 そして、俺の力で彼女の体から力を剣の形で抜き取り、封じ込めた。それを、魔都に残し、我が力の一部、相手が攻撃することを止めてしまう抑止の力を持つ鳥の姿に残した。
 俺は『神々の王』でいることをやめ、ラムセスの体を彼に返し、元の肉体になった。
 俺は旅人と名乗った。セクメトも俺に仕えると言って、王の守護者と名乗り、ついてくることになった。
 だから、何かがあった時、俺は再び『神々の王』となる為に、決め事をした。それが、墓守に伝わる『神々の王』の帰還の儀だ。
 最後に、俺は力の一部をもう一本の剣にした。セクメトと同じ様に、自分の傲慢な部分、大きすぎる力を封じ込めたかったのかもしれない。
 俺はそれを片手に、セクメトと旅に出た。
 後に彼女はガラテア・ステラと名乗った。ガラテアは女神ガラテアからとり、同時に海神アプロディテを元にした人になった像を意味している。ステラは、アプロディテが金星の女神を意味する様になり、聖母マリアを意味するアベェ・マリス・ステラからとった。
 時には彼女ともに行動し、また時には別々に行動した。
 しかし、同じ体から生まれたものであるからか、彼女も俺もお互いがわかっていた。
 日本、当時はまだ大和や倭国と呼称されていた島国にも行った。そして、その王朝に剣を託した。
 そして、もう一本、剣の半分の形を変え、筒状にしたものを、近くの集落で暴れる鬼神を封じる為に使った。
 これだけ力を分散すれば、二度と大きすぎる力となることはないだろう。そう考えた。
 長い時間の中で、様々な争いも見た。中には俺たちと同様の力を持つもの同士の争いもあった。
 ある時は俺と同じ様に争いを終わらせる為に鉄を食い大きくなった魔神もいた。そして、戦いを終えて、俺はそれを封じた。
 争いは、かつての愚かさを曝け出した出来事の原因である為か、許すことが出来なかった。
 俺は争いをやめさせる事と、そして大きすぎる力、神の域に達する力を人が得る事を防ごうとした。
 必ずしもそれが成功するわけではない。20世紀では、世界的な争いが起き、その混乱の中で、先の島国に禍の火、核兵器を使わせてしまった。
 この後悔は深い。俺はそれから核兵器を使ったアメリカに注意を払った。
 そして、俺は「神」になろうとする人の思惑を知った。




 
 

 1990年、アメリカ合衆国メリーランド州。
 街の中でも一際目立つ大きな教会が見える喫茶店で、褐色のコートを着た髭を携えた男が店内の窓側席に近付いた。席には既に中東系の美女が座っていた。

「相変わらず、その服装なのだな?」
「それは主殿も変わらないだろう」

 持っていたコーヒーカップをテーブルに置くと、ガラテアは主である旅人に言った。
 ガラテアの服装は、相変わらずの赤いロングスカートと麻布の服だ。

「俺はコートにしているぞ? それにシャツにネクタイもしているのだが?」
「服の色合いの話だ。主殿は下地が白、上に褐色のものを羽織るという組み合わせ以外、まともに見たことがない」
「……なら、紺か黒のコートにしてみるか?」
「そういう意味で言ったのでは……。いえ、いいです。なら、次に着る上着は、紺か黒にしてください」

 少し諦めた様な口調でガラテアは言った。旅人は気にする様子もなく、やってきた店員にコーヒーを注文した。

「ガラテア、結果を話してくれ」
「はい。この州の教会で流れた第二の聖母マリア出現の噂を調べた結果、あの教会の保護を受けている後藤真理殿がその人物でした」
「やはりな」
「主殿の口ぶりからして、やはり何者かの思惑によって生み出されたものですね?」
「あぁ。思いのほか、時間がかかってしまったが、既に生まれている人間の細胞から同じ容姿を持つ人間を生み出す、体細胞クローン人間を生み出そうとしている組織が存在した。そして、そのクローンを宿した母体こそ、後藤真理らしい」
「彼女はその事実を?」
「知らないらしい。それはどういう意味だと考える?」
「彼女も利用されているという事ですね。しかし、このままでは……」
「あぁ。このままではいけない。クローンは生ませない。だから、彼女をさらい、ガラテアの力で赤子の命を奪い、彼女の記憶を俺が消すというものを考えている。どうだろう?」
「………」
「ガラテア?」
「主殿の考え、確かに素晴らしいと思います。彼女の命を守り、苦しみも与えず、そして相手の思惑も阻止できる。……でも、それで全てが解決できるのでしょうか?」
「ん?」
「今回が成功しても、恐らく何度でも相手は同じ事を繰り返すでしょう。そして、何よりも、どんなに苦しくても、子どもを忘れる事ほど母親にとって悲しいことはないと思います」
「……それは、ガラテアの女性としての考えか?」
「はい。それに、彼女が母であり、クローンの母として死ねる事が、次の悲しみを生まない方法になると思うのです」
「………確かに、ガラテアの意見も一理あるな? 処女懐胎による胎児が死ぬ、今の時代ならばDNAを鑑定する事も考える可能性が大いにある。それならば、確実に組織は存在できなくなり、抑止力となるだろうな? だが、俺にはその選択が残酷に思える」
「確かに残酷です。しかし、あなたは少なくとも、一つの命を奪うのです。……そして、主殿の考えは、その罪を背負わないようにする、自分を守ろうとする考えだと思うのです」
「………変わったな。いや、変わったのは俺だな? 多くの争いと、悲しみを見すぎたのかもしれないな? 全ては俺が人類を一度でも滅ぼそうと考えてしまった愚行を悔いる為なのに、いつしかその行為を正当化させてしまっていた! ……ガラテア、俺は罪を背負うべきだな?」
「はい。そして、私もその罪を背負います」

 ガラテアは優しく微笑んで頷いた。

「わかった。一つだけ、聞きたい。彼女も、やはり母としての記憶を失うよりも、母として苦しんで死ぬ運命を望むのだろうか?」
「はい。彼女が、私と同じ女性ならば!」
「わかった。……ガラテア、力を使い、彼女に不治の病を与えよ。そして、そうだな、一ヶ月程で胎児が死ぬようにしろ」
「はい」

 ガラテアは返事を言うと立ち上がり、店を出て行った。彼女は、そのまままっすぐに教会へ向かった。
 その姿を見送りながら、旅人は唇をやるせない表情で噛んでいた。





 

 1990年8月、三重県蒲生村。

「悔いているのか?」

 夜の森で、木の上に立つガラテアに、隣に立つ旅人は聞いた。
 彼女は頷いた。

「悔いています。これでは、彼女の苦しみは何も意味のないものです」
「それほど、人は愚かであったという事だな?」

 旅人はガラテアを抱きしめると言った。
 彼らが見下ろす先にある家屋の庭には、真理がいた。彼女は酷く衰弱しきった様子で、虚ろな目をして腐り始めている肉塊を抱いていた。死んだクローンの胎児だ。
 彼女は、旅人達の思惑とは違い、組織からも、愛する者からも捨てられ、この遠く離れた故郷の地で希望であった子どもを失い、心身ともに限界に達していた。

「組織もこの失敗が起因となって力の衰退が起きているらしい。しかし、そのような事で、あの娘に与えてしまった悲しみに意味などないな?」
「はい。私達は、大きな間違いを起こしました。………あの組織は、彼女も胎児すらも、どうなったのか確認すらしていません。これでは、彼女があまりにも……悲しすぎます」
「しかし、彼女から記憶を消し去っても、それに意味はないだろうな?」
「はい。どんなに記憶を奪っても、彼女がその体に宿した命を失った事実は決して拭い去れることではありません」
「俺達は、また過ちを犯してしまったのだな?」
「そうですね」

 二人は悔しく、そして悲しい表情を浮かべ、変わり果てた真理の姿を眺めることしかできない。

「………もし、死んでいるはずのクローンが生きており、それが人間ではなく、本当に神と呼ばれていた者であったしたら」
「え?」
「そうしたら、それはクローンという存在をその存在をもって否定し、なおかつクローンを生み出そうとする者への対抗する手段になるのではないか?」
「つまり、クローンという人の力で生み出した人間は存在できない。しかし、神が生み出した人間ならば、当然ながら存在できるということですか?」
「そうだ。クローン人間という姿を借り、科学ではなく、神の力によってこそ、それが存在できるという事実を証明する」
「処女懐胎を否定し、人の力も否定する。しかし、存在しないはずの子どもは存在する。そして、その存在そのものが、人には神の真似が出来ないという事を証明する証拠となるのですね?」
「そういうことだ」
「……という事は、その役目は!」
「俺しかいないだろう? ガラテアには、俺に変化の力を使う役目がある。それに、最終的に対峙する役割は俺がならなければならない。これは代役が立てられないことだ。……代わりに、ガラテアにはこれから俺の意思を継いでもらうぞ?」
「はい」
「なに、同じ目的だ。いつかまた出会える。もしかしたら、それが帰還の時かもしれぬな?」
「はい。……私は、いつも主殿の、王の守護者です」
「あぁ。恐らく、俺の記憶はなくなる。後のことは俺自身を信じるしかない。だが、俺は俺だ。俺自身が俺を信じなくて、ガラテアに信じてもらえるわけもない」
「大丈夫です。私は、あなたを信じます」
「あぁ。……あの女性に、せめて幸せな余生を過ごしてもらいたい。……それが、決して許されることのない、俺の罪のせめてもの償いであり、願いだ」
「はい。……主殿、いいですか?」
「あぁ、やってくれ! ……ガラテア、今までありがとう! また、会おう!」
「はい」

 旅人にガラテアは笑顔で頷くと、彼に変化の力を使った。彼は見る見るうちに幼児化し、光となって真理の抱く胎児の遺体の元に飛んでいった。
 そして、遺体は一瞬にして燃え、その姿に化した旅人は、赤子になった。

「……確かに私は彼女の笑顔を見ましたよ、主殿」

 涙を流し、笑顔で赤子を抱く真理の姿を確認すると、ガラテアは呟いた。
 次の瞬間、一陣の風が吹き、ガラテアの姿も蒲生村から消えていた。
 赤子は、後藤銀河と名づけられた。
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