本編




「それで病院に行ったのだけど、一足差で社長が連れ去った後で、連れてきたのがそこのムハンマドさんだって院長を問いただしたら教えてくれて、今の居場所を聞き出したら、多分ルクソール博物館向かったはずだって言われたのよ。そして、博物館に来たら、丁度ラムセス1世の前で人垣が出来ていて、見たら銀河だったって事」

 一先ず、場所を博物館から移し、レストランに切り替えた銀河達は、昼食を食べながら元紀と榊原の話を一通り聞き終わった。ムハンマドの仲間は一度、砂漠に戻り、今は4人だ。

「とりあえず、俺もその「G」との遭遇の話は知っているぜ? 小さい頃にじいちゃんに話してもらった。母さんが死ぬ前によく俺に聞かせくれた話らしくてな?」
「やっぱり。わたし達の考えていたことは当たっていたのね」
「まさか、その話が俺の分身の体験談だってのはびっくりだけどな? ……あの時の気持ちまでは思い出せないけど、旅人だった俺は1990年の蒲生村にいた。そして、ガラテアにこれから先のことを託して、今の俺になったのは覚えている」
「え?」
「では!」
「ムハンマドの言っていた第二の方法は、一応成功したみたいだぜ? とりあえず、必要な記憶は思い出したかな? どうせ、大コンドルがいるんだし、のんびりと追えば追いつくだろ? お前らもゆっくり食っとけよ? ……俺はちょっと風に当たってくる」

 そういうと、銀河は席を立ち、店の外へと出て行った。元紀は口を拭くと、彼の後を追って外へ出た。

「銀河!」
「ん? いいのか? 腹が減っては戦はできねぇぞ?」
「なによ。如何にも話したそうに外に出て行ったのは誰?」
「………なぁ、俺を怨んでたか?」
「はぁ」

 銀河の問いに元紀は大きな溜息を吐いた。

「あんた、外見も年取らなくなったと思ったら、中身も子どものままなの?」
「あん?」
「確かに、はじめの頃は身勝手なあんたに怒りも覚えたわよ。挙句、今の言い回しだと、あの事を気にしてずっと蒲生村に帰ってこなかったみたいだし……」
「うぅ……それはぁ……」
「呆れた、本当に。そんなの、2年も経てば忘れるわよ。わたしは、わたしなりの方法で「G」や銀河の謎を調べようと思って、この会社に入ったのよ。どうやら、大正解だったみたいだけど」

 元紀は柵に寄りかかる銀河の隣に座り込むと、クスリと笑って言った。

「……吾郎、元気にしているか?」
「元気よ。今、三重県警で刑事をしているわ」
「へ? あの吾郎が?」
「似合わないでしょ? 精々、蒲生村のおまわりさんだと思ったら、意外と管理職向きみたいで、巡査で入っているのにどんどん出世してるわよ」
「確かに、変なところの勘は良かったからなぁ? ……って、吾郎の事を詳しいってことは?」
「婚約者よ。……この一件が終われば、本格的に式の話とかを進める事になるわ。多分、年内に結婚するわ」
「そうか。……よかった」
「何よ、諭した感じで。言っとくけど、別にあんたの所為じゃないからね? これは、わたしの気持ちよ! それに、銀河とのこともわたしの大切な思い出よ。何一つ後悔はない。だから、あんたもいつまでも昔の話を思い出して心を置いていかないの!」
「あん?」
「何年来の付き合いだと思っているの? みりゃわかるわよ。左目が見えなくなっただけじゃないんでしょ?」
「流石だな? あぁ、ほとんどの記憶が戻っていると思う。感情は思い出せないのは事実だけど、多くの悲しみを見て、多くの美しい景色を見てきた……俺の旅人だった時の記憶だろうな? だけど、これ以上思い出したら、俺は……旅人に戻って、後藤銀河だということを忘れそうで、不安なんだ」
「バカ……あの時もわたしに言ったじゃない。銀河は、銀河でしょ?」
「……そうだな?」
「銀河、わたしはあの時のこと、後悔していないわ。あの時、銀河に言われた言葉も覚えている。でも、それが全てじゃない。今わたしが愛しているのは、五井吾郎よ。これは、わたしの本心よ」
「………わかった。ありがとう」

 銀河は元紀に微笑んだ。後ろで、会計を済ましたムハンマドと榊原が店から出てくるのが見えた。
 銀河達は彼らに向かった。



 
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 2010年7月、三重県蒲生村。
 この村にはかつてクマソガミという鬼神が現れた。そして、この年の1月に南極で「G」と呼ばれるものが見つかり、世界は新たな時代に突入した。クマソガミも、「G」という呼称が与えられた。

「お邪魔します」
「あら、銀河君じゃないの。いらっしゃい、蔵を使うの? ちょうど元紀もお盆で帰っているわよ」
「そうですか。……能々管を取りに来ました」
「じゃあ! ……そうね。その時が着たんじゃないかと予想はしていたわ。蔵よね?」
「はい。一言、ご挨拶だけはしておこうと思いまして」

 銀河は丁寧に蒲生の婦人、元紀の母に挨拶をすると、蔵へ向かった。借りている合鍵で蔵の錠前を外し、中へ入った。約5年間、彼が毎日の様に使った蔵は、今日も埃とカビの匂いが充満していた。

「ここへ来るのも今日が最後か……」

 銀河は埃の積もった古い書籍を手でなぞりながら奥へ進む。奥には畳が敷かれた小さな座敷になっており、その更に奥には古びた木箱が置かれていた。
 持っていた荷物を置くと、銀河は正座をし、恭しく礼をすると、木箱を開けた。中には能々管と護符が入っていた。護符は、今日までに銀河が練習で書いてきたものだ。

「痛っ! いい出来だな? 先生、時が来ました」

 銀河は木箱に残った蒲生家秘書を見つめて言うと、木箱の蓋を閉じ、元の位置に戻した。

「銀河!」
「……元紀か?」

 銀河は振り返らずに言った。入り口にいる元紀の声を聞いただけで、彼女が泣いていることは銀河にもわかった。
 元紀は蔵の中に入ってきた。銀河は構わず蔵の荷物整理を始めた。元々整理整頓を心がけていたので、数冊の本を棚にしまうだけで終わる。

「銀河!」
「………離れてくれよ? 棚の扉が閉められないだろ?」

 銀河は後ろから抱きついた元紀に優しい口調で言った。
 彼の背中に顔を押し付けた元紀は首を振った。彼の服に涙がつく。

「嫌だ……。なんで、なんで銀河が旅立つのよ! 余所者がクマソガミを調べに来ているからって、この村の人は誰も銀河のことを「G」だなんて言わない! それはあんたが一番よくわかっているでしょ?」
「これは一つの転機なんだよ? もうクマソガミは蒲生村で怪奇な事件を起こした鬼神じゃないだろ? 「G」という世界中の論争の中心に存在する、それは元紀もわかっているだろ? そして、俺も「G」だ」
「何よ! あんたは自分で心理の爾落人だって名乗ってたじゃない!」
「そうだ。俺は、心理の爾落人で、「G」だ。……昨日、クマソガミを調べているという男の二人組みが俺の家に来たんだ。「G」の力を調べていたみたいだった。どうも、彼らにはそれなりにカードがあるみたいだった。多分、俺みたいな存在の関与もあるんだと思う……。時間の問題だろ? 俺がこの村にいては、後々みんなにも迷惑をかけるかもしれない。だから、俺はこの村を出る!」
「……ズルい、言い切った」
「じゃないと、俺は蒲生村から出られないだろ?」
「………本気なのね?」
「あぁ。俺は、俺のやり方で「G」の謎を調べる旅をする。もしかしたら、蒲生村にはもう帰ってこないかもしれない。じいちゃんには、昨晩の内に話した」
「じいちゃん、許したの?」
「うん」
「そんなの……嘘よ!」
「ごめん、本当だ」
「銀河………」

 嗚咽を上げながらも、ゆっくりと背中から離れた元紀の顔を銀河は見た。

「おいおい、泣きじゃくって酷い顔だぞ?」
「別に、銀河なら今更こんな顔くらい……」

 そう言いつつも、元紀の顔は真っ赤に染まっている。それが恥ずかしさからなのか、泣きすぎた為なのか銀河には判断がつかなかった。
 元紀は片手に持ってた布を銀河に渡した。

「これ、本当は銀河の誕生日に渡すつもりだったんだけど……」
「ん? あ、マントじゃん!」

 銀河は受け取った布を広げて言った。黒いマントであった。

「今まで使ってたの、古くなってたから。旅立つんなら、その餞別……の一個目よ!」
「ありがとう! ……どうだ? 似合うか?」

 銀河は笑顔でマントを羽織って見せた。元紀は微笑んで頷いた。そして、首周りの布が寄っていたところを直す。

「あ、すまない」
「それから、もう一個の餞別……」
「……!」

 元紀は言葉を言い切ると同時に銀河の唇に口づけをした。
 最初は戸惑う銀河だったが、恐る恐る手を元紀の背中に回した。薄い布地の下に下着の触感が指先に伝わる。一瞬、元紀が空気を吸った。そして、銀河の唇と前歯に柔らかいものが触れる。元紀の舌だ。
 銀河の脳髄がしびれるような感覚にとらわれる。自分自身の舌も彼女の舌に触れそうになった瞬間、彼は現実を思い出した。
 次の瞬間、銀河は元紀の両肩を掴んで、身を離していた。

「………ごめん」
「何、謝ってんの? ……好きよ、銀河。ずっと前から」

 元紀は顔を紅潮させて微笑んで言った。

「なんで、先に………」
「だって、力、使うんでしょ? わたしのファーストキスだもの、後悔したくないから。伝わったでしょ? わたしの気持ち」
「……許してくれ。お前に、辛い思いはさせたくない。昨年から、体に変化がなくなった。髪もこの長さ以上に、ほとんど伸びてない。爪も……。多分、俺はこの姿のままもう変わらない。元紀は、人間と幸せになってくれ……」

 違う! 銀河は心の中で叫んだ。確かに、元紀に辛い思いをさせたくはなかった。恐らく、何年も経てば老化が彼女には起こる。そして、自分はそのままの姿で、彼女は自身と比較して、苦しむことになる。だから、一緒にはいられない。
 しかし、それは表面的な感情だった。銀河はわかっていた。彼女に辛い思いをさせてしまう自分が嫌だという事を理解していた。
 それでも、彼は次の言葉を言う決心を、彼女のキスを最後まで受け入れなかった時に、つけていた。たとえ、それが彼女の心を裏切ることになっても。

「銀河、二度はキスしてくれないわね?」
「ごめん。………元紀、吾郎はずっとお前を好いている。必ず幸せにしてくれる。俺をいくらでも怨んでくれ。……俺は、最低の人間だ」
「でも、わたしのこの……銀河を好きだっていう今の気持ちは、紛れも無い、事実だったのよ。それだけは、わたしも、忘れない!」
「……元紀、お前が好きなのは、吾郎だ! その想いは、吾郎に対するものだ! 元紀は吾郎が好きだ!」
「!」

 その瞬間、彼女の瞳から零れ落ちた一滴の涙を、銀河は永遠に忘れないだろうとその瞬間、思った。
 そして、ゆっくりと元紀は彼から離れた。
 銀河は戸棚の扉を閉め、荷物を掴むと、呆然と立ち尽くす元紀の横を通り過ぎる。

「マント、ありがとう」
「……銀河!」

 銀河は立ち止まらなかった。そのまま、蔵から、蒲生村から旅立った。
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