本編




 2021年3月、千葉県成田空港。

「ん? ……今日まで休暇だ、わざわざ迎えに来なくていいんだぞ?」

 ターミナルのゲートへ出てきた大柄な黒人寄り肌の色をした初老の男が、待っていた男女に言った。

「そうもいかない事情があるもので。部長、少しお時間頂けますか?」

 元紀は言った。そして、榊原は彼のスーツケースを持つ。

「お荷物をお持ちいたしましょう」
「……空港の喫茶店でもかまわないのか?」
「わたし達はかまいませんが、部長には都合が悪いかもしれません。近くのホテルのレストランに予約を取っています。そこで、ゆっくりとお話をお聞かせください」
「時間を取らせるな? 家族が待っている」
「それは、部長次第です。社長と、組織の目的をお話頂ければ」
「! ………いいだろう」

 男は榊原にスーツケースを預け、元紀に促され、空港を後にした。
 彼の名前は、マリオ・カルロス・ナカムラ。J.G.R.C.第二調査部部長であり、JG.R.C.創設時のメンバーの一人である。



 

 

「さて、何を聞きたいんだ?」

 レストランに到着し、予約した個室席に案内されると、ナカムラは聞いた。
 店員を部屋から出るように指示をし、全員部屋から出たのを確認すると、元紀は話を切り出した。

「今朝、社長に動きがあったので、わたし達ものんびりとしている訳にいきません。なので、本題に入ります。社長はJ.G.R.C.を設立した目的は、後藤真理さんのクローンであった睦月さんを救うためだった」
「!」
「そして、睦月さんは2012年に天羽衣と融合し、「G」になった。しかし、彼女は心を失っていた。だから、失った心を取り戻す為に、今何かをしようとしている」
「……何の証拠があってそんなことを」
「調べました。J.G.R.C.は社長がその目的の為に組織を乗っ取り、その情報網と知識人達の力を利用する為の箱にしか過ぎなかった。そして、その組織は様々な姿で各時代に存在していましたが、1980年代後半からはある医学研究機関の姿で存在した」

 元紀が言い終わると、それに合わせて榊原が名簿をナカムラに渡した。

「アメリカの公文書の中に存在していました。1988年のものに部長の名前が確認され、1990年の末席に社長の名前と後藤真理さんの名前がありました。それと、見落としやすいですが、中央付近に斎藤亜沙美さんの名前があります。この機関が作られたのは1988年で、同時期に設立されたヒトゲノム研究センターと似た目的で作られました」
「ヒトDNAによる遺伝病の克服、そして再生医学の研究。臓器培養や自己組織誘導、今で言うES細胞やiPS細胞といった多能性幹細胞、そしてクローン作製の研究を行う目的の機関だった。中でも、後者の研究に重点を置き、クローン作製を最重要目的としていた」
「しかし、それは医学やアメリカに対しての説明ですね?」
「あぁ。結局は組織の一つの姿にしか過ぎなかった。そして、同時期、組織は別の姿も持っていた。いや、元々はそちらの姿だったのが、クローン作製の目的の為に機関を作ったという方が正しい」
「……キリスト教カトリック系組織を隠れ蓑としていのですね?」
「そこまで調べていたか」
「後藤真理さんのお父さんから、彼女がカトリック系の信者だと伺いました。そこで、1990年前後には存在し、現在は解散した組織をメリーランド州のカトリック系教会本部に問い合わせて教えて頂きました。そこから入手した名簿に、後藤真理さんと社長の名前がありました」
「………彼女は処女だった。そして、非常に信心深い女性であり、麻美君のことを愛していた」

 ナカムラはポツリポツリと語り始めた。

「単純な医学の話をすれば、彼女が処女であるかは問題ではなかった。前後6ヶ月間、性交渉がなければ十分に我々の技術によって生まれた子どもであるとわかるからな。しかし、物事には演出も必要だった。何よりも被験者となる彼女自身に対して」
「騙したんですか?」
「その表現に否定の要素はない。彼女は清潔を守る為、恋人となった麻美君とも一切体を許さなかった。そこで、我々は一芝居打った」
「………」
「彼女にはある種の失われた儀式だと伝えた。彼女以外は全員組織の人間だった。彼女は礼拝堂で儀式と称され、薬を飲んだ。そして、意識を失った彼女に改めて麻酔を打ち、予めシスターが健康管理と称して採取した彼女卵を用いた除核受精卵に麻美君の体細胞核を入れたものを、彼女の膣へ戻す処置を行った。そして、そのことを彼女に悟られないように、儀式を続けた。時間も細工した」
「………」
「数ヵ月後、彼女は妊娠した。卵は着底し、発生が始まっていた。我々の実験は成功した」
「………」
「しかし、思わぬ事態が起こった。彼女は子宮ガンになっていた。進行速度は個人差の中でも特に早く、処置のしようがない程だった。彼女へ伝えるか我々は悩んだ。彼女にとって、第二の聖母マリアになれると知った直後だった。我々が彼女にその事実を告げる事は、彼女への余命宣告と同時に、堕胎を告げることになる。実験は失敗だった」
「彼女にはなんと言ったんだ?」

 榊原が聞いた。

「麻美君が言った。聖母マリアが現れたことが漏れた。第二のキリスト誕生を阻止しようとする組織が動き始めている。このままここで我々と一緒にいては、キミと子どもの命が危ない、と。そして、彼女を故郷へ逃がした。………我々としては、彼女を組織のいる段階で堕胎や流産、そして死亡させる訳にはいかなかった」
「組織内にいる段階で彼女の身に何かが起こり、それが機関の出資をしている当局に伝われば、痛い腹を探られ、クローンを生み出したことがばれる。それを防ぎたかったんだな?」
「そういうことだ。数ヶ月後、彼女の死亡の情報が伝わった。斎藤亜沙美さんはどうやら麻美君に片思いをしていたらしい。しかし、彼の隣には後藤さんがいた。彼女がいなくなったことで、苦悩し、悲しみにくれる麻美君に近付いた彼女は、すぐに彼の心の支えになった。しかし、それは表面的なものだった。麻美君は諦めていなかった。愛した女性を復活させようとした」
「今度は、演出もなく、医学や組織も関係なく。自身の娘として、彼は自身の望みを叶える為に、クローンを生み出したんですね?」
「そうだ。彼は斎藤さんと結婚し、彼女の体を使って、後藤さんのクローンを生ませた。それを知るのは組織の一部のメンバーと当人達だけだった」
「奥さんの死は社長の差し金なんですか?」
「それはわからない。しかし、その可能性は大いに考えられる。彼が睦月を愛する上で、妻という存在が邪魔だったのは事実だ。そして、当時彼はクローン羊ドリーのことで奮走していた。ドリーと睦月を重ねていたのだろうな。……そして、ドリーの死と同時に彼の中で、決心がついたのかもしれない」
「決心?」
「睦月を何が何でも生かすと」
「それが、J.G.R.C.設立につながるんですね?」
「あぁ。彼女が死んだという知らせを聞いた彼は、とある大学の考古学者に兼ねてより話を度々聞いていた研究への多額の出資を伝えた」
「その考古学者が、桐生氏ですね?」
「あぁ。彼は既に「G」が存在することを知っていた。だから、彼の研究は「G」の発見に繋がるとわかっていた。かつて彼が宇宙から来た「G」に遭遇し、天羽衣という「G」を貰っていたからだ」
「天羽衣は社長が直接「G」から貰ったもの?」
「しかも、彼の御伽噺みたいな話が本当なれば1980年、麻美君が小5の時に貰ったものだ」
「そんな昔に、社長は「G」を知っていた!」

 元紀は驚いた。ナカムラは話を続ける。

「まもなく、更に彼は確信に近付いた。エジプトで殺人事件が起きた。その事件の犯人の証言に大コンドルというものがあった。そして、真実の人類殲滅の書について書かれたパピルスが社長の手に渡った。社長は、J.G.R.C.を設立する準備を密かに進め、2010年に南極で「G」が発見され、彼は企業した。同時に、組織をその会社の骨にした。元々、彼の目的と組織の目的はあっていた。だから、ことは簡単に進んだ」
「組織の目的というのは? キリスト教団体の姿や医学研究機関の姿を借ることのできる組織の目的は?」
「………神だ。人を生み出すこと、不老不死を得ること、偶像としての神という存在を生み出すこと、それら全ては一つの目的に収束する。人類の永遠のテーマだ。人が「神」になること、それが目的だ」
「神?」
「それは信仰の対象や偶像崇拝としての神ではなく、本来の意味の神ですね?」

 榊原が聞くと、ナカムラは頷いた。

「そうだ。だから、クローンを生み出し、未知なる得体の知れぬ存在の研究を行う」
「それが………」
「彼の話した御伽噺と、人類殲滅の書の内容はどういうものなんですか?」
「そうだな、ここから先の話はそれも前提になる。長くなるが、付き合ってくれ」

 そう前置きをすると、ナカムラは話し始めた。




 
 

「………と、これが麻美君の「G」との遭遇の物語と、真実の人類殲滅の書の内容だ」

 話を終えたナカムラは注文した白ワインで乾いた喉を潤した。

「もし、その二つの話が事実ならば、社長は睦月さんを生かす為に「G」の力を使い、また再び「G」の力を使って睦月さんの心を取り戻そうとしているのですね?」
「蒲生。その言い回し、正しくはない。麻美君は既に睦月の心を取り戻す意志はない」
「どういうことですか?」
「榊原、愛する想いが本当の恋愛感情としての愛ならば、その相手の姿や心を変えさせるのでは、自分が変わろうと思わぬか?」
「それはどういう……」
「社長は睦月を女性として見ているんですね?」
「え?」

 榊原の発言に元紀は驚くが、ナカムラは真剣な眼差しでゆっくりと頷いた。

「そんな!」
「美しい親子愛という幻想は2012年のあの段階で崩れたのかもしれない。仮に何とか保てていた彼の常識や分別も、睦月の心を取り戻す為に動いているうちに失われた。今の麻美君と睦月は、ただの雄と雌だ」
「!」
「社長が聖剣を手に入れて『神々の王』になる目的は睦月を元に戻す為ではなく、自らも不老不死と絶対的な力を得る為ですね?」
「そうだ。そして、今の睦月の欲求は、より強い「G」の力を得ることだ」
「得る?」
「吸収の「G」といえば、通じるのかな? 餌とした「G」の力を吸収する能力を彼女は持っている。第二調査部の目的は三つあった。一つは、ガラテア・ステラと旅人の情報を得るアンテナとしての役目。一つは、人類殲滅の書同様に、大いなる力の存在を探す目的。そして一つは、睦月の餌となる「G」を得る為だ」
「なるほど、海外調査課にはあまり関与しないが、第二調査部の国内を対象にする課には「G」の捕獲班が存在するのはその為か。通りで、ヒト「G」との接触で俺達の安全が保障できないことを危惧している割に、そういう危険なことが行われているのかわかりました。捕獲班ってのは、後に追加されたものなんですね?」
「あぁ。蒲生なら知っているんじゃないか?」
「えぇ。私が入社した年の夏頃に作られたはずです」
「つまり、そういうことだ。その段階で麻美君は睦月を「G」として、そして女性として受け入れてしまったんだ」

 ナカムラは再び白ワインを口に流した。沈黙した室内に、彼の喉を鳴らす音だけが聞こえる。
 再び口を開いたのは、元紀であった。

「……社長は一体、どの段階でガラテア・ステラや旅人の存在を知ったのでしょう? 人類殲滅の書に纏わる事件の段階?」
「いや、それは偶然の一致のようだ。……彼は元々、少なくともガラテア・ステラには会っているようだ」
「それは本当ですか?」
「当然、確信はない。ただ、以前麻美君が、『神々の王』や旅人についての人類殲滅の書に関する情報を得た時、彼はガラテア・ステラの名前をつぶやいた」
「やっぱり。社長は元々ガラテア・ステラを知っていた!」

 そこで口を開いたのは榊原であった。

「考えらえれるタイミングは、1988年から1990年ですね。それ以降では、旅人の意思は直接的に働くことはできない」
「そうか! ……つまり、ガラテア・ステラはクローンを宿した後藤真理に接触した?」
「彼女の能力、変化でしたね?」
「それが?」
「人体もその能力が及ぶのであれば、ガン化という変化を与えることも可能と考えられませんか? 結局、ガンも細胞の変化が原因です」
「でも、なんで彼女がそんなことを?」
「当然、憶測の話ですが、人類殲滅の書で旅人は、神と呼ばれる位置にいる自分の存在を脅かすほどに人類が欲深くなったことが原因につながっています。もしかしたら、直接的な原因は愛娘の死かもしれないが、それは理由に過ぎない。人類を滅ぼそうとして、それをやめるという心の変化、これは人類の未来を信じようと考えたからだと思います」
「つまり、彼はクローンを人間が生み出すことを防ぎたかったってこと?」
「そういうことです。それならば、暴れる「G」や争いを放っておけない旅人の性格からも理解できる。クローン人間を生み出す事で生まれる悲劇を彼は予想していた。だから、それを阻止するためにガラテア・ステラを、セクメトを社長達の前に向かわせた。しかし、ことはそう単純に行かなかった。後藤真理は一人帰国して、泣きながら流産した胎児を抱いていた。旅人にはわかったのかもしれない。何度、どのように阻止をしても、人々は同じ事を繰り返す。いずれまた、クローンを生み出すと」
「核兵器と同じか」
「えぇ。一度、悲劇が生まれないと、人々はそれをやめようとは考えない。だから、旅人は自らがその胎児に成り代わった。……後藤真理に対する償いの気持ちもあったのかもしれない。それなら、後藤銀河の謎も理解できる」
「銀河はクローン人間を生み出そうとする人類への対抗する手段であり、抑止力となる為の存在」
「そういうことです」

 榊原は頷いて、元紀に言った。

「……君達は本当に核心へ近付いているんだな?」
「既に到達したともいえます。これ以上は社長かガラテア・ステラか、旅人に直接聞いた方が早い。一先ず、知っておくべきことは知れました。若干の遅れを取りましたが、我々も社長達の後を追えそうです」
「何?」
「社長は今朝、エジプトへ渡りました。睦月さんも一緒です」
「俺達も、次の便でエジプトへ渡るつもりです」
「麻美君達の足取りを追えるのか?」
「わたし達は海外調査課です。社長が得ている情報と同じか、それ以上の情報を得ています。社長は、昨年末から入院している考古学者に会いに行ったはずです。それから、今年の年明け直後に、もう一本の剣である蛇韓鋤剣を手に入れたガラテア・ステラがエジプト国内に現れています。そして、現代の旅人である銀河も、先週イスラエルのガザでの内乱終結に協力し、その後エジプト国内へ渡っています。これは外務省の記録からも間違いありません」
「十中八九、エジプトで何かが起こります」

 元紀と榊原は立ち上がりながら、ナカムラに言った。
 彼は何も言えず、彼らを見つめる。

「では、わたし達は飛行機の時間がありますので、この辺で。貴重なお話をありがとうございました」
「失礼します」
「………」

 呆然とするナカムラを部屋に残し、二人は空港へと向かった。
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