本編


「やっぱり怨恨ですね。……どうしました?」


帰りの車中。運転しながら木内は呟き、伊吹に同意を求めたが本人は考えに更けていた。


「…何故春野はめった刺しの事と葛城が容疑を否認している事を知っていたんだ? 関係者以外知り得ない筈なんだが。」
「めった刺しの事は目撃者から聞いたんですよ、きっと。葛城が否認しているのが分かったのも偶然です。」
「梶山が隠していた事も気になる。」
「確かに梶山は何かを隠している様子でした。しかしそれは春野が証言した論文を代筆する条件のやつでは?」
「それなら隠す必要はない。そんなの違法じゃないだろうし、そんな助士は世の中たくさんいる。梶山は別の何かを隠しているに違いない。」
「……伊吹さん。」
「葛城を犯人とした場合、気になる点もある。あんな大衆の前で殺しておいて「覚えていない」の一言で言い逃れできないなんて素人でも分かる事だ。」
「伊吹さん!」


赤信号で止まった車の中で、木内は伊吹の主張を制した。


「…伊吹さん、俺は今まであなたの刑事のカンを信じてついて来きました。ですが今回ばかりは……今回ばかりは葛城が犯人である確実な証拠が挙がっています。
それに伊吹さんが言いたい事も分かります。「G」の能力者の犯行を睨んでいるんでしょう。しかし、仮にそうだとしても葛城以外に動機を持つ人物がいない。これ以上の捜査は……」


伊吹は木内の言いたい事を察する。


「お前は…このヤマから下りていい。後は俺一人で気が済むまで捜査を続ける。」
「……」


無言の木内は青信号に伴い車を発進させる。
一方太陽は、伊吹を否定するかの如く摩天楼の陰に隠れ始めていた。





本庁に戻り、聞き込み情報の報告を木内に任せた伊吹は鑑識課を訪ねる。
入室すると別の殺人事件で出払っている為か数人しかおらず、その中にいた顔見知りの男に話しかけた。


「笹平。」
「へ?…あぁ、伊吹さん。もしかして昼の事件ですね。」
「おう。」


背中にMPDとプリントされている紺色の制服を着た人物は、笹平海斗。警視庁刑事部に所属する鑑識員である。彼は木内や凌と同年代であり、短髪で制服をしっかりと着込んでいる事から真面目な青年である事が窺い知れる。


「昼の刺殺事件の凶器は包丁だったよな?」
「確かに包丁ですが、詳しく突き詰めれば刺身包丁です。」
「…刺身包丁か。」
「ありました。これですよ。」


笹平は棚から事件の証拠品を収納しているカゴを取り出すと、大きめの証拠品袋に容れられた刃渡り30cmはある刺身包丁を手に取った。


「刺身包丁は関西と関東では形状が異なり、今回使用されたのは関西のものです。まぁ、関西の刺身包丁の方が他の包丁より殺傷能力が高いのは見ただけで分かるので、これを選んだのでしょう。」
「入手ルートととしては何が考えられる?」
「専門店やディスカウントストアから購入が可能ですが、使用目的が殺人なだけにリスクが高いので自分なら使いません。恐らくネットカフェのパソコンでサイトから購入し自宅へ配送させたものと考えられます。」
「ネットカフェなら入手ルートの追跡は不可能に等しいしな。あと何か不可解な点はなかったか?」
「そういえば…ちょっと待ってください。」


笹平は現場で撮った遺体の写真を纏めたファイルを出すと伊吹に見せる。


「葛城は左利きのようです。」
「待て、遺体の刺し傷が左半身に集中しているぞ。」「そうなんです。普通、左利きの人間が向かい合った状態で刺せば、被害者の右半身に傷が集中する筈なんです。」
「どういう事だ? 利き腕じゃない方で突き刺すなんて聞いた事がないぞ。」
「こればかりは本人に聞くしかないでしょう。」


伊吹からファイルを受け取った笹平は元あった場所に戻す。


「この事実を加藤達は知っているのか?」
「えぇ、一応伝えてはいます。」
「そうか、邪魔したな。」


笹平は早足で去る伊吹を見送った後、暇になった為か証拠品整理を始めた。





捜査一課に戻る伊吹。部屋には取り調べを一旦切り上げたらしい加藤とその同僚が疲れた様子で出迎えた。


「汐見はどうした?」


伊吹は入室するなり自分と同格の同僚が不在である事に気付く。


「別件で出てます。繁華街でコロシがあったらしいですよ。」
「最近は物騒な世の中になりましたなぁ。」
「一日にコロシが2件。我々が暇を潰さなければならなくなる日はいつ来るんでしょう。」


伊吹は鑑識課にいた人員が疎らだったのを思い出す。それを尻目に加藤らは出前のカツ丼を口にかきこんでいた。


「…それで、葛城は容疑を認めたのか?」
「葛城は……「知らない殺してない」の……一点張りで……話さないんです。……正直言って……かなり手強い。……とりあえず今日は……留置所に置きました……」
「食べる手を休めて話してくれないか?」
「すみません、かなり空腹なもので。」
「葛城は何て証言しているんだ?」
「春野に仮眠室を貸した直後から記憶が無く、気がつくと自分が井上を殺していたと。」
「…信じられるか?」
「言ってる事はとても信じられませんが、嘘をついている様にも見えないんですよ。まぁ、状況が状況なだけに信じる余地はありませんがね。」


カツ丼を食べ終えた加藤は箸と食器を片付ける。


「鑑識から利き腕と刺し傷の件は聞いたか?」
「はい。ですがあまり重視してません。利き腕じゃなくてもあの包丁の刃渡りなら殺せる。」


加藤の判断に呆れながらも情報を聞き続ける。


「凶器の入手ルートはどうだったんだ?」
「結論から言えば不明ですよ。葛城本人は「買った覚えはない」と否定。上野達が葛城の家に行ってパソコンを調べましたがネットから購入した履歴はなかった。店を調べるにも特定するのは不可能に近いでしょう。」
「…そうか。」
「期限までには吐かせますよ。」


自信あり気に宣言する加藤に、時間が残されてないと危惧した伊吹。


「…もし、今回のヤマに真犯人がいるとしたら、信じられるか?」
「…信じられませんね。」
「自分もです。」
「確かに葛城が井上を殺した。この事実が存在する以上、信じる事はできませんよ。」
「……そうか、そうだよな。」
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